第61話 一人でできるもん




 その日の夜は風呂を早く沸かしていたこともあって、全員入浴してから夕食にした。


 当然、約束通りリューズに一番風呂を使ってもらった。


 リューズが気を効かせてリンスを人数分作ってくれていたので、皆髪が艶々、と言いたいところだが、効果が出るのは人によってマチマチで、リューズによると3日くらい馴染んでからでないと効果が実感できない人もいるそうだ。


 俺はけっこう髪のゴワゴワを気にしていたので、リンスを使ったら割と指通りが滑らかになった気がするが、ハンスは「あまり変わった気がしませんねえ」と効果を感じていなかった。


 ダイクは全身の半分は毛に覆われているので、リンスが足りなかった。


 そう言えばダイクにはリンスを使って香りが付くと森の中の哨戒活動に影響が出るのではないか聞いたところ、


 「出ますが、私の匂いを魔物たちが覚えれば、向こうから私を避けるようになりますので。

 ペパーミントの香りをさせて哨戒、排除を来り返しているうちにある程度賢い魔物はペパーミントの香りに近づかなくなるかも知れませんね」と答えていた。


 リューズはそれを聞いて、「ダイクさんの全身に使える分となると、今日の2倍くらいは作らないといけないかな」と真剣に考えている。真面目だ。


 ちなみに手作りリンスは作り置きすると雑菌が繁殖して変質してしまうので、出来るだけその日のうちに使ってしまわないといけないらしい。


 夕食の時リンスを話題にしていた時に、リューズが言っていたグリセリンを少量混ぜると更に滑らかになるというのを思い出して、ドノバン先生にグリセリンの入手について聞いてみた。


 「ドノバン先生、グリセリンを手に入れたいんですけど、どうゆうところで売ってますかね?」


 「殿下、グリセリンとはどんなものですか?」


 「えーっと、透き通ったドロドロしたゲル状の物体ですかね。色んな物に使われていると思うんですけど、下剤とか」


 「下剤は油や蜂蜜を飲んだりしてますが、油のことですか?」


 話が噛み合わないのだが、これは。


 『ジョアン、多分まだグリセリンって発見されてないんだよ』


 リューズが日本語で言う。


 『そうなの? すっごく昔からある気がしたんだけど』


 『今って1758年なんでしょ? 前世と似たような歴史を辿ってるとすれば、多分これから数十年くらいで科学上の基礎的な発見がされてくんだと思う。発見される前に見つけたり作ったりしてもかまわないと思うけど、まだ知られてないことが結構多いだろうから、固有名詞は出さない方がいいよ、きっと』


 リューズはそう言うと、ドノバン先生に説明を始めた。


 「あ、ドノバン先生、ボクがジョアンにちょっと説明するの間違っちゃったんだ。

 グリセリンって人族ではまだ一般的じゃないみたいなんだけど、石鹸作る時に多分動物の脂肪と草木灰を一緒にずっと煮込んで作ってると思うけど、石鹸が取れた湯に溶け込んでる物があるんだよ。それを集めるとできる物なんだ。まだ石鹸を作った残り湯からドロッとした物を作ったりしてないかな?」


 「それはまだ残念ながら聞いたことが無いですね。詳しくは石鹸製造業者に聞かないとわからないですが」


 「だったら仕方ないよ。ボクがちょっと無理言っちゃっただけだから。何か他の物使えないか試してみるよ」


 とリューズが話をまとめる。


 そして俺には


 『ジョアン、グリセリンは多分今後色んな食品添加物とか、自分で作るのは御免被りたいけど、無煙火薬の原料とかになる重要な物だから、何とか製造方法を確立しときたいよね。何か手立て考えといてね』


 と言ってきた。


 そうだなあ。


 まあ前世のノーベルさんが実用化したニトログリセリン化合物の爆薬に頭が行きがちだが、そう言った利用じゃなくても食品の増粘剤とかに使われてた物だ。ニトログリセリン自体、狭心症など心臓疾患の薬として用いられていた訳だしな。


 ちょっと誰かに相談して製造できるようにする必要があるなあ。


 と言っても今すぐどうこうは無理だ。追々だな。


 「まあリューズがこれからリンスを作ってくれるから、髪のゴワつきから解放されるのはめでたいことだよね」


 そう言って強引に話題を打ち切った。




 ちなみに夕食は、昨日の夜の残りのウドンを、麺と汁を増量して今日もいただいている。


 これは何でかというと、やはりリューズが久々にウドンを食べたいと言ったからだ。


 「あ、残り物でも全然かまわない! 久々にウドン食べたい!」


 今日から一緒に暮らす仲間に入り、歓迎すべき存在のリューズがそう言うのだから、残り物再利用だろうと今日もウドンだ。


 うん、ダシが取れてるから今日も美味かった。




 夕食後、俺の部屋にドノバン先生とピアが来訪した。


 ドノバン先生とピアは、俺の部屋に入る時から手を繋いでいる。

 いつもなら俺は心の中で茶化すだろうな。

 でも、ドノバン先生が昨日の夕方言ってたことを聞くと、ピアに対する想いは真剣だった。

 浮ついた心で言い出したことではないことはよくわかっている。


 「ドノバン先生、ピア、おめでとうございます、ってことでいいんですよね?」


 「ええ、殿下。今日ピアさんの案内を私にさせて下さったお陰です。ありがとうございます」


 「ピアも、ドノバン先生の気持ちは受け入れたってことだよね」


 「はい、殿下。今日は私のお願いを聞いて下さってありがとうございました」


 「そんなに2人に御礼言われるほど大したことじゃ無いよ。

 ドノバン先生の昨日の一言には本当に驚きましたけど、でも私の知っているドノバン先生らしいなって後で思いました。

 ドノバン先生は女性の気持ちを察すること以外は本当に何でも頼れる方です。

 ピアは本当に私にとってはしっかりした仕事をしてくれるメイドで、責任感が強い女性だと思うけれど、私には弱音とか吐けなかったと思うんです。だから、これからはドノバン先生がピアを、弱い部分なども含めて支えて下さるといいな、と本当に思ってます」


 「殿下の家庭教師としてはあまり褒められた行動ではないと思いますが、私一個人としては、殿下のお陰で生涯を共にしたいと思える女性に巡り合えた、と思っております」


 「私も、本来ならこんな幸せな気持ちを感じられるような立場ではありませんが、……殿下のお陰です。どんな感謝の言葉も私の気持ちを表わすことが出来ません……」

 ピアの目が少し潤んでいる。


 おいおい、しおらしいピアなんて、俺は見たことが無いぞ。


 「ピアにそんなしおらしくされたら、何か感極まっちゃうじゃないか。止めて止めて。

 それでピア、あのことはドノバン先生に伝えているの?」


 ピアは元々俺のもすることになっていたってことを、ドノバン先生には伝えているのだろうか。


 「……はい。私が元々殿下付に抜擢された時に、役も申し付けられていたことは、彼に話しております。2年前に殿下と王家の皆様の配慮で無くなったこともです」


 「うん、なら良かった。それで、それについてなんだけど、ピア、これからは私の着替えは手伝わないようにして欲しいんだよ」


 「殿下、それは私がメイドとして殿下に仕える必要はもうない、ということでしょうか……」


 「いや、そういうことじゃないんだ。ピアはもう、私だけじゃなくてここで暮らしている皆のために働いてくれていると思うんだよ。だから私だけのために、じゃなくても十分ピアの働きはこれからも皆にとって必要なんだよ。

 それと、これは私の勝手な言い分なんだけど、ピアにいつまでも裸の私に触られたりしていると、私が今後ピアに対して不埒な欲望を抱かないとも限らない。

 今はまだ8歳だから、そういった欲望とは無縁だよ。でも、今後私が成長したらどうなるかわからない。結構男性の欲望って、自分でもどうしようもないくらいに高まることがあるみたいなんだ。

 もし、万が一そんなことになったら、私はピアとドノバン先生に合わせる顔が無い。

 それにドノバン先生は教職者だから、そんな嫉妬深くないのかも知れないけれど、私は自分がドノバン先生の立場だったら自分の想い人が他の男性と例え仕事でも密室で2人きりになったりするのはあれこれ考えて嫉妬してしまうと思うんだ。

 だから、もうピアに着替えを手伝ってもらわない方がいい。

 私一人でも着替えられるし、広間とか他の皆がいるところで私の服装が乱れていたら直してくれればそれで十分なんだ」


 「殿下、私たちのためにそこまで気を使っていただかなくても……」


 「殿下、」


 ドノバン先生が何か言おうとして途中で言葉を切る。


 多分、ドノバン先生はこれまで通りで大丈夫です、と言おうとしたのだと思うが、ドノバン先生も俺と4年の付き合いだ。俺がはっきり言い切ったことは曲げる気がないことはわかっているのだろう。だから途中で言うのを止めたのだ。


 「ピアさん、殿下のご配慮に従いましょう。殿下は私のことを本当に朴念仁だと思われているようですが、私もピアさんが例え他ならぬ殿下が相手であっても、密室で二人きりで長時間一緒だと不安になる心は持っていますのでね」


 「……わかりました、では今後はそのように致します」


 ピアも心の中で折り合いをつけたようだ。


 「それでドノバン先生、今後は如何されるおつもりですか? 一応王族の許可ということなら私も二人のことは承認しましたけど。書面でラウラ母さん宛にお二人のことを書いて送っても良いですが」


 「私は昨夕殿下にお伝えした通り、第二王妃殿下だけでなく正妃陛下にもピアさんと結婚したいという意思は伝え、しっかり許可を頂きたいと思っております。

 私は伯爵家の3男でしたが今は家を出て平民身分ですので、直接お会いできる機会は簡単には作れないかも知れませんが、でもそうすることが私なりのピアさんに対する誠意だと思っておりますので」


 「でしたら、やはり私が書面を書いておきましょう。王都帰還後に機会を作ってくれるようお願いしておきますよ。二人が好き合ってる、とは書かずに、ドノバン先生がお目通りを望んでいるということで。

 帰還の時期ですが、今は8月になったばかりです。少し当初の予定より遅れますが10月半ばくらいではどうでしょうか。

 リューズのこともありますし、できればフライス村の収穫作業まで確認してから戻りたいと思いますので」


 「殿下がそのようにお考えなのであれば、私たちはそれに従わせていただきます」


 「私も、殿下にお任せいたします」


 「ならそういうことにしましょう。

 それとお二人のことはハンスやダイク、リューズにも伝えないといけませんが、私から言った方がいいですか?」


 「いえ、それは私たちの口から伝えます」


 ピアがはっきりと言う。


 「なら、頼むよ、ピア。

 それと、代官屋敷にいる間は、お二人でイチャつくのは勘弁してくださいね。

 私も含めてみんな相手がおりませんので目の毒ですから。

 休息日にデートしてください」


 「はい、そこは気を付けたいと思います」


 「気をつけられるのかな~、今日のジャムみたいにうっかりすることあるからな~」


 二人は顔を真っ赤にして俯いた。


 うぶな二人だ。





 次の日の朝食の席で、ピアがドノバン先生と結婚を前提としたお付き合いを始めたことをハンス、ダイク、リューズに伝えた。


 「皆さま、昨日はお休みをいただきありがとうございました。

 ……昨日のお休みの時、私はドノバン先生に教会に案内して頂いたのですが、その時にドノバン先生から求婚されまして……お受けすることにいたしました……」


 「昨夜殿下にはお伝えしたのですが、皆さんにお伝えするのが遅くなってしまい申し訳なく思っております。私に勇気がなく、皆さんにもご迷惑をおかけしてしまいましたが、今後も温かく見守っていただければ嬉しく思います」


 それを聞いてハンスがやれやれ、と言った表情で言った。


 「やっとですか、おめでとうございます、ピアさん。

 ドノバン先生みたいな面倒くさい人だとなかなか進展しないかな~と思ってましたが、ドノバン先生もここ一番で決めて下さったようで、何よりですよ。下手したら昨日も言わないままなんじゃないかと要らぬ心配をしてましたからね」


 「ハンス、結果は知ってたのかい?」


 「お二人を見てれば、そんなのすぐわかりましたよ。気づかない方がおかしいってもんです。なあ、ダイク」


 「ええ、まあ私もそういった方面には疎い方ですが、そんな私でも察しておりました。ドノバン先生、おめでとうございます」


 何か二人とも察していたみたいだ。


 「えッ、ドノバン先生昨日ヒヨコ岩に来てなかったのそういうことだったの!

 おめでとうございます! ピアさん、ボクにも色々と男の人とのお付き合いの仕方、教えて下さいね」


 「私なんかの話で良ければ……」


 おいおいリューズ、マリスさんに言われたことまさか忘れてるんじゃないだろうな?


 これが女子高生パウアーか。


 まだ8歳なのに。




 はあ。どうなることやら。









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