調整の日々
第60話 髪を洗ってもゴワゴワしないのは嬉しい
リューズをヒヨコ岩まで迎えに行った俺達は、ヒヨコ岩にリューズの他、マリスさんとニースさんがいたので驚いた。
「マリスさん、ニースさん、どうされたんですか? わざわざリューズの見送りに?」
「ええ、そうよ。私たちの可愛い娘が森を出て人里に向かうんですもの。見送りくらいはせめて、ねえ」
ニースさんが微笑みながら言う。
マリスさんもうなずく。
「二人とも心配症なんだから。ジョアン達がいてくれるし大丈夫だって言ってるのに、もう」
リューズは口ではそう言いながらも、嬉しそうだ。
今日のリューズは弓矢を持っていない。その代わりに背嚢を背負っている。着替えとかが入っているのだろう。
「ジョアン、これは世話になる娘のために手土産だ」
そう言ってマリスさんは、大きな麻袋を3っつ、ハンスに渡した。
「これは何なんですか?」
「一つの袋はスライム皮膜を
もう一つは様々な植物の種だ。麹に使っている植物の種も入っている。こちらも栽培方法がわからなかったら教えよう。
最後の一つは乾物とコンプルから取れた砂糖だ。
娘が世話になるのだから肩身の狭い思いをさせたくないのでね。
これだけ渡しておけば十分だろう?」
コンプルって、確か
おいおい、これで豪華なタンスが付いてきたら名古屋の嫁入りかよってくらいの沢山のお土産だ。
俺たちが持って行ったシャベル2本じゃとても釣り合わない。
「マリスさん、こんなに沢山お土産もらっても、何も返すものを用意してきていないんですが」
「いいんだよ。さっき言ったように娘が君たちの世話になるのに、君たちの間で粗略にされないように、そのためなのだから」
「いやでも貰いっぱなしじゃ気がすみません。うーん」
何かないか、多少でもお返しになりそうなもの。
エルダーエルフは殆ど死なないとは言え、冬の寒さは堪えるってリューズが前に言ってたな。
目の前で作るのもどうかと思うけど、あれか。
俺は土魔法で湯たんぽを成型した。
更にもう一つ成形する。
「今作りたてですし、エルダーエルフの皆さんなら自力で作れると思うので失礼かと思いましたけど、今はこれくらいしかお渡しできません。これは湯たんぽって言います。冬の寒い時期に、ここに熱湯を入れて栓をして、お湯の熱さで足や手の指などを温める暖房器具です。
今みたいな暑い時期は、普通に水を入れて水筒として水を持ち歩くのに使ってもいいものです。
どうぞ」
俺は作ったばかりの湯たんぽをマリスさんとニースさんに渡した。
あ、そう言えば背嚢に自分の今日の飲み水を入れた湯たんぽ入れてたわ。
それもお二人に渡した。
「うーん、目の前で作るところを見せられて思ったが、こんな簡単なことに何で私たちは気づかないのかと情けなくなったよ。豊富な森林資源に頼ってばかりいたからだろうか」
「いやいや、本当にこういうことはコロンブスの卵というか、得てしてそれまでの方法が優秀なら気づかないものですよ」
「コロンブスの卵? なんだいそれは? コロンブスって言う魔物がいるのかね?」
「いや、そのー」
「昔船乗りでコロンブスって人がいたのよ。その人が鳥の卵を縦に立てるにはどうしたらいいかって船乗りがあーだこーだ言って悩んでいる時に、卵をグシャって潰して立てたってことが人族の世界であったらしいの。私はジョアンに聞いたけど、人族の間ではそこそこ知られてる話らしいわよ、父さん」
リューズが横合いから口添えしてくれる。
前世の話なんだけど、今世にもコロンブスって名前の船乗りが居てくれることを祈るのみだ。
「殿下、そんな人が居たんですね、私はその話を耳にしたことがありませんでしたが」
ハンスがそんなことを言う。おい。
「ああっと、イザベル母さんから私も聞いたんだよ。ほら、ハラスの人だから」
「なるほど、正妃陛下なら船乗りの話とかはご存じかも知れませんね」
「そうそう、そうなんだよ。
ところでマリスさん、冬が近くなったら改めて他の暖房器具も送らせていただきます。
リューズのことはしっかり私たちが責任もってお世話しますので」
「よろしくお願いするよ、ジョアン。くれぐれも私の言った条件、何度も言う様で悪いけど、絶対に守ってね」
マリスさんの目がマジだ。
週に1回、エルダーエルフの集落にリューズを戻すこと、リューズが他の人間その他とエッチなことをしないこと、絶対に守らないといけないぞ。
「お父さん、お母さん、心配しないで、私がしっかりしていれば大丈夫だから。また6回日が沈んで昇ったら集落に戻るからね。
じゃあお父さん、お母さん、行ってきます」
そう言うとリューズは先にスタスタと歩き出した。
俺とハンス、ダイクも頂いたお土産をフデの引く荷車に乗せ、後を追う。
「すみません、マリスさん、ニースさん。じゃあリューズを暫くお預かりします。では」
俺たちはそう言うとリューズの後を追っかけた。
「いいのかいリューズ、あんなあっさりと別れて」
リューズに追いついたので、そう尋ねる。
「うん、いいの。多分あのままだったらずっと何だかんだでズルズルお昼くらいまで出発出来なかったと思うから。
おっと、ジョアン、ここからはネーレピア共通語、だよね。」
俺がリューズについエルフ語で話しかけていたから、リューズも前半はエルフ語で返答したが、後半は俺たちの言葉、ネーレピア共通語で答えた。
「ああ、そうだね。これからはネーレピア共通語だ。よろしく、リューズ。
ああ、そうだ、これ被っといてよ」
俺はそう言って布をリューズに渡した。
リューズの髪は短い。外見も14、5歳くらいで、失礼ながらそんなにお胸がおっきくないので、男だ、と強弁したら男で通るかも知れないが、一応女性は外では髪を見せるのははしたないということになっている。
「一応アレイエムでは、女性は家の外で髪の毛を見せるのははしたないとされているから、これ使ってよ」
「ありがとう、ジョアン。何か失礼なこと考えてなかったよね?」
そう言いながらリューズは頭に布を被る。エルフの特徴である尖り耳も隠れてちょうどいい。
「いやだなあ、8歳の子供が失礼なこと考えないよー」
ばれてーら。
やがて歩いているうちに森の終わりに来た。
リューズは森の最後の木の横に立ちどまり、
「これがボクの、記念すべき森の外へ出る第一歩。ジョアン、一緒に出よう。思いっきりジャンプして飛び出してみたいんだ。付き合ってよ」
そう言ってリューズは俺の手を掴んだ。
「え、ちょっと待ってよ、私とリューズの体格差じゃ……」
俺が言い終わらないうちにリューズは
「せーのっ!」
俺の手を掴んで思い切り前にジャンプした。
流石身体能力の高いエルフ、その中でも最高の身体能力を持つリューズ。
リューズの手に引っ張られて、俺は今までにないくらいに高く、遠く飛び上がった。
ただし、バランスを崩しながら、だが。
体感で10秒間くらい宙に浮いていた感じがする。本当はもっと短いのだろうけど。
青い空に浮かぶ白い雲がやけにくっきり見えた。
「うわっ!」
リューズが先に着地し、俺の体をお姫様抱っこの形で受け止めた。
「ひどいよリューズ、急に手を掴んでジャンプするなんて」
『はははは、ジョアン、ごめんね。でも、誰かにこの嬉しさを一緒に感じて欲しかったんだ!
ありがと』
リューズが何故か日本語で言う。本当の素なのかな。
リューズのこんな満面の笑みは初めてかも知れない。
白い肌に映える赤い、薄い唇が、本当に嬉しそうに半月型に笑ってる。
エルダーエルフの少女が青い空をバックに満面の笑みで喜びを表現するのを、お姫様抱っこされながら下から見上げるなんて経験は多分もうこの後は一生ないな。
そんなことを考えていると、後ろから追いついたハンスが、
「いやー殿下、リューズの嬢ちゃんと仲いいですねぇ。マリスさんの言ったことは守れますかぁ?」
茶化すように言う。
「あっ、ごめんジョアン、下ろすね」
リューズはハッと気づいたように俺を下ろした。
「ハーンス、いくら何でも茶化し過ぎだよっ!」
地面に下ろされた俺はハンスを追っかけた。別に何かしようって訳じゃない。勢いだ。じゃれ合いだ。でも叩かせろ。
「いやいや殿下のためを思って言ってるんですよっ! 私ほど忠臣って言葉が似合う男、居ませんって!」
そう言ってハンスは逃げた。こいつ本気で逃げるなよな~、17歳に8歳が追い付く訳ないだろ。
俺達が代官屋敷に戻ったのは昼を少し過ぎた時間だった。
まだドノバン先生とピアは戻ってきていないようだ。
まあ2人には午前中は休暇と言っておいたが、別に午後から急いで何かしなければいけない訳でもないから、のんびりしてもらって構わないんだけれど。
とりあえずリューズを部屋に案内し、空いているベッドを使うように言う。
その後、今日はピアが出かけているので、俺は掃き掃除をして、ダイクとハンスにはいつも通り水汲みを頼む。
「ジョアン、掃き掃除ならボクもやるよ。その前にお土産だけはしまっちゃわない? 干しシイタケとか砂糖とかは厨房持って行っておかないと、広間に置いておいても仕方ないでしょ?」
そうだった。リューズはネーレピア共通語の時は一人称ボクッ子だったんだ。
最初に教材に使った絵本「自慢のお兄ちゃん」の一人称がボクだったから。
いつか、ネーレピア共通言語の一人称が他にもあることにリューズが気づいたら、ぶっ飛ばされそうな気がする。その場に俺はいないことを祈っておこう。
そんなことを考えつつお土産の干しシイタケや砂糖を厨房に運び、その後リューズと手分けして広間、厨房の掃き掃除をする。
思えばこんなに時間が余ってるのって、フライス村に来てから初めてかも知れない。
午後になってるから洗濯は止めておく。
少しハンスに剣の稽古を久しぶりに付けてもらうのもいいかもな。
「そう言えばリューズ、エルダーエルフの集落で風呂って入ってたの?」
「いや、夏は水浴びして、冬はお湯で絞ったタオルで体を拭いてただけだけど。
ここにはお風呂があるの?」
やっぱりリューズも元日本人だ。風呂に食いつく。
「あるよー。って言っても原始的な沸かし方だけどね。浴槽は土魔法で固めて作ったけど、大き目の石を幾つか火で焼いて、それを水を張った浴槽に投げ込んで沸かしてるよ」
「別に沸かし方なんか何でもいいんだよ、熱いお湯に浸かってのんびりできれば。あとは石鹸とリンスがあれば言うことないなあ」
「石鹸はあるんだけど、リンスはないんだ。あれってどうやって作ればいいんだろうね」
そうなんだよなあ。石鹸はあるから体と髪は洗えるんだけど、洗い終わった髪が、すっごくゴワつくんだよな。あれって髪の脂分が取れて、髪の表面の見えないザラザラがタオルや指の指紋に引っ掛かるんだと思う。
『ボクの前世のお母さんが趣味で手作りしてたから知ってるよ。基本は酢と水でできるんだ』
『え、マジで』
『嘘は言わないよ。髪って酸性なんだってさ。でも石鹸は弱アルカリ性だから、石鹸で洗ってアルカリ性になった髪を酢を使ったリンスは酸性に戻す働きがあるんだって。石鹸で洗うと髪がゴワゴワするのも、髪がアルカリ性になって髪の表面が開いてるからなんだって。大匙3杯くらいの酢とペットボトル1本分くらいの水でいいらしいよ。あとは香りを付ける時はハーブとか混ぜたり、グリセリンを少し混ぜると市販のリンスっぽくなるみたいだよ』
『それ、さっそく作ってよ! 早よ、早よ!』
知らなんだ。やっぱり女性の方が何だかんだで美容関係の知識があるな。
ありがとうリューズ! 本当にありがとう!
風呂上りにタオルで頭を拭くときのゴワつきが無くなるのは本当地味に嬉しい。
「じゃあさ、ボクの両親が持たせてくれたお土産の中に乾燥パピリン、乾燥させたペパーミント茶があったから、それを使ってリンス作るよ。グリセリンは……なければ無いでいいか。
そのかわりと言っちゃなんだけど、今日はボクに一番風呂使わせてよ。
6年ぶりのお風呂なんだからさ、いいでしょ、ジョアン」
「しょーがないなあ。リューズのたっての頼みだからなあ。じゃあ私はお風呂の用意するよ。
リューズは厨房でリンス作ってね。酢は確かさっき砂糖しまったところの近くに置いてあったと思うから。リューズも魔法で火はつけられるよね?」
「うん、そこは大丈夫。じゃあジョアン、お願いね」
そう言うとリューズは厨房に行く。
俺も風呂の用意をしよう。
そう思って風呂小屋に行こうとしたところ、ちょうどドノバン先生とピアが戻ってきた。
何となく二人の距離か近くなって、雰囲気が何となく粘っこい気がする。
「お帰りなさい、ドノバン先生、ピア。
教会には随分長く居たんですね。何かお手伝いをしてきたのですか」
「いえ、午前中教会に行ったらルンベック牧師にジャムを頂きましてね。殿下たちには申し訳ないと思ったのですが、パンを少し頂いて、それにジャムを塗った物を持って林の木陰で涼みながらピクニックをしていましたので」
「それは良かった。ドノバン先生もピアも
「ええ、殿下のお陰です。ありがとうございます」
ピアがそういって礼を言う。
おや、二人の口元にジャムが付いている。
ま、それはジャムを塗ったパンを食べたのだから口元にジャムが付いていてもおかしくないのだけれど……
二人の口元のジャムの付き方が、線対称だ。
ドノバン先生は口元の左側、ピアは右側。
付いていたジャムが押し付けられて伸ばされたような。
つまり……
「ドノバン先生、ピア。私はこれからリューズのためにお風呂の用意をしてきますが、お二人は後で私に話したい事があるんじゃあないですかぁ?」
つい意地悪くニヤーリとしてしまう。
これが愉悦ってやつか。
「で、殿下、な何か私たちにおかしなことでも?」
ドノバン先生があたふたと言う。恋愛に関してはわかりやすい人だ。
「このジョアン=デンカーに隠し事? ハハッ、甘い甘い、そう、どんなストロベリージャムよりも甘いですなァッ! まずは二人とも顔を拭くことをお勧めしますよッ!」
ドノバン先生とピアは、自分たちの顔に手をやり、ジャムに気づいたようだ。
「殿下、いやあのこれは」
「いいんですよ、ドノバン先生、本当に良かったです。ちゃんと気持ちを伝えられたんですね」
「……はい、殿下。ご心配おかけいたしました」
「ピア」
「……はい、殿下」
ピアはさっきから顔を真っ赤にして俯いている。
あー、ピアのこんな様子、初めて見たなぁ。
本当にピアは、自分の仕事に誇りを持ってきっちりやってくれる、素晴らしいメイドだ。
だから俺に対しては常に自分のできる最高の仕事をしようとしてくれている。
つまり、俺に対しては常にしっかりしたメイドって姿を作っていたってことだ。
やっと、やっとなんだな、ピア。
ピアのありのままを、弱い部分や素の部分を出せて、受け止めてもらえる人を見つけることができたんだな。
本当に良かった。
「夕食の後で、ドノバン先生と一緒に私の部屋に来てよ。今後のこと、ある程度考えようよ。
大丈夫、この、ピアの弟ジョアン=デンカーに任せておくれ」
「はい、殿下」
ピアはそう言って、真っ赤になりながら涙を流した。
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