第59話 懺悔ってそういうもんじゃない
暗き暗き森の、ヒヨコ岩までリューズさんを迎えに行く殿下たちを見送った後、私はどうしたものかと思いピアさんに聞いた。
「どうします、ピアさん。私たちも教会に出かけますか」
「……はい、よろしくお願いします、ドノバン先生。少し用意をしてきますのでお待ちいただけますか」
ピアさんはそう言って、一度自分の部屋に戻る。
私も殿下に渡された教会への寄付金、銀貨30枚を確認する。
大体都市部では銀貨1枚で3人家族の1週間分の食事が賄えるくらいの価値なので、フライス村の教会で孤児も6人ほどいるから、銀貨30枚なら、まあ半年ほどの食費にはなる額だ。
寄付自体はフライス村に来て初めて教会を訪れた後の休息日にも大口でしているが、今回はピアさんが初めて教会を訪れるので、殿下なりの心遣いなのだろう。
「お待たせいたしました。ではよろしくお願いします」
そう言うピアさんの服装は、いつも着ているメイド服からエプロンとヘッドドレスを外して、代わりにスカーフで髪を隠している。
大人の女性は外で髪を他人に見せるのははしたないことだから、スカーフを被ったのだろう。
いつもとは少し違ったピアさんの装いに、私は少しドギマギしてしまう。
「で、ででは参りましょうか」
また少しどもってしまった。
いやいや、落ち着け、私。
朝のパン捏ねの時は普通に喋れていたし、ピアさんも普通に話してくれていたのだ。
普通に会話すれば大丈夫。大丈夫なのだ。
ピアさんが扉に鍵をかけ、私たちは教会に向かった。
代官屋敷から教会までは大して時間はかからない。
ほんの10分歩くか歩かないかで着く距離だ。
実際のところ、代官屋敷から目を凝らせば、教会の屋根が林の木々の向こうにうっすらと見えるくらいなのだが。
代官屋敷の前の道を教会方面へ歩く私の後ろをピアさんが付いてくる。
私は少し気になったことをピアさんに尋ねた。
「そう言えばピアさんはメイド服なんですね」
そう、ピアさんは一応休暇というのにエプロンを外しただけのメイド服だ。
ピアさんには似合っているのだけれど。
「ドノバン先生も、いつもと同じ服ではないですか」
確かに私も、いつもの灰色の祭服だ。というより数着持っている私服はすべてアレイエムの下宿に置いてきており、フライス村には夜着と祭服数着しか持ってきていない。
「私はもう、この祭服が一番落ち着くのですよ。アレイエムの仕立て屋に仕立ててもらった服などは、服に着られているようなものですし、お洒落のセンスなども私にはありませんからね。あれこれ考えずに済むので、これが一番です。傍目にも私が牧師ということも分かりますしね」
「そうですか。私もドノバン先生と似たようなものです。仕事の時に着るこれが一番動きやすいですし、仕事以外で王宮や屋敷の外に出ることもないので、これで十分なのです」
「若い女性にしては慎ましいですね。休日などご友人と連れ立って街にお出かけされるのかと思いましたが」
「行儀見習いで王宮に上がっている下級貴族家出身のメイドなどはそうしているようですが、私のような孤児院から引き取られた者は、街へ行くこともないですし、王宮の敷地外に出ることもないので、これが休みの恰好なのです」
「ピアさんはお休みの時に王宮外に行くことは滅多にないのですね」
「はい。ですから一人で外の町や村を歩いて目的地まで行く、ということをしたことがないので。
ですからドノバン先生に案内していただこうと思ったのです」
「確かに王宮の敷地内に礼拝堂がありますから、休息日の礼拝も王宮内ですものね」
そう話しながら、後ろを歩くピアさんを急がせたり、逆にゆっくりになり過ぎないように歩く速さに注意しながら歩く。
ピアさんの歩く速さは、女性としては速いくらいだろうか。
普段からきびきび動いているピアさんらしいと言えばらしい。
「ピアさん、歩く速さは大丈夫ですか? 速すぎませんか?」
一応確認しておいた方がいいだろう。
もう三叉路に差し掛かる。
この三叉路を左に曲がり、真っ直ぐ5分も進めばフライス村の小さな教会だ。
「歩く速さは大丈夫です。あの」
「どうされました?」
三叉路を曲がりながら聞く。
ピアさんは少しの間黙っていたが、
「……私の手に触れていただけませんか」
ピアさんがそんなことを言うので、また私はドギマギしてしまう。
「ええ、ええッと、……って、手を繋ぎエスコートした方がよろしいのでしょうか?」
「はい、……いえ、あの、手に、触れて頂けるだけでもいいのですが……」
そう言ってピアさんは右手を差し出す。
落ち着きなさい、私、ここは公道。
決してピアさんの言動で変な勘違いをして妙なことをしてはいけない。
昨日の夕方のように。
私はピアさんの差し出された右手をそっと取り、両手で挟み込むように触れた。
ピアさんは昨夜偶然手が触れた時の様にビクッとはせず、目を閉じていた。
しばらくそうしていたが、ピアさんが手を引っ込めるものだとばかり思っていたので、手を放すタイミングがわからない。
なので、「そろそろ手を放してもよろしいですか? あまりこうしていると日光でのぼせてしまいますから」と言って手を離した。
今は教会の上に太陽が来ているので、遮るものなく直射日光を浴びているため、けっこう暑い。
ピアさんは日にのぼせたのか、ほんのり顔が火照っている。
「では、教会はもうすぐそこです。参りましょう」
そう言って教会に向かって私たちはまた歩き出したが、心なしかピアさんの足取りが遅くなっている。
これは日あたりかも知れない。
教会に着いたら、ピアさんのために水をいただこう。
5分ほどで教会に着く。
イクセル=ルンベック牧師は今日も教会の中にいない。
また裏庭の畑で農作業をしているのだろう。
ピアさんに待っていてもらって、裏庭のルンベック牧師を呼びに行く。
「何だ、デンカーさんとこのアーレント師じゃないですか。今日は
ルンベック牧師は
春植えの野菜の収穫後、夏植え野菜を植えるため、土を起こしていたようだ。
「私共の働きを一手に支える有能な女性が、教会に来たいというもので。お会いして頂きたいのと、あと水を頂けませんか。その方が日あたりされたようなので。それとこれはデンカーの坊ちゃんからです」
そう言って銀貨の入った袋をルンベック牧師に渡す。
「これはどうも。しかし、神の教えならわざわざ私の所に来なくてもアーレント師が教えて差し上げれば良いと思うんですがね」
そう言いつつ汗を拭きながらルンベック牧師は教会の中に入り、厨房から水を汲んできてくれた。
その水をピアさんに渡し飲んでもらう。
やはり日あたりだったのか、ピアさんは一息で水を飲んだ。
「初めまして、美しいご婦人。私はこの教会の牧師、イクセル=ルンベックと申します。美しいご婦人、本日はどのようなご用件で当教会にお越しいただいたのですかな?」
ルンベック牧師がちょっと気障な言い回しで自己紹介と目的を尋ねる。
私は少しイラっとした。
「私はピアと申します。デンカー坊ちゃんのメイドを務めております。本日は私の懺悔を聞いていただきたいと思い、伺いました」
「なるほど。わかりました。神は万物を見ておられます。神に祈りをささげた後、神の代理として私が懺悔をお受けいたしましょう」
そう言うとルンベック牧師はピアさんと共に神の像の前に行き、祈りを捧げた。
その後、ほんの申し訳程度の大きさの懺悔室に入る。
ピアさんが先に入った後、ルンベック牧師が私に近づき、「この教会は狭いのでね。懺悔の内容が漏れるとも限らない。アーレント師は礼拝堂の外でお待ちいただきますよう」と言いに来た。
私は仕方なく外で待つことにした。
礼拝堂前の石段に腰掛けてしばらく待つと、ピアさんとルンベック牧師が懺悔が終わり戻ってきた。
「アーレント師、久々に牧師として懺悔を聞いてみませんか」
「私がですか?」
「ええ。こちらの美しいご婦人の告白は私よりもあなたが聞いた方が、より神の御心に沿う、そう思いましてね。もちろん無理にとは申しませんが」
「はあ。わかりました」
何だというのだろう。
もしや、昨日夕方のことで、ピアさんはやはり私に対して気分を害していたのだろうか。
殿下たちがいるところでは態度に出せずに、わざわざルンベック牧師に告白しに来たのかも知れない。
私は不承不承懺悔室の牧師のスペースに入る。
すぐに扉の開く音が聞こえ、ピアさんが入室したようだ。
私は、震えそうになる声を必死で抑えながら、何とか言葉を発した。
「神は常に私たちを見守っておられます。貴方の罪は、神は既にご存じです。貴方の罪を告白なさい」
ピアさんは、ゆっくりと話し出した。
「神よ、私は仕えるべき主人がありながら、昨日から主人を蔑ろにしてしまいました」
いや、ピアさんの様子はそんなことは無かったはずだ。
「私は昨夜、自分の不注意で、危うく怪我をしそうになりました。それを助けて下さった方がいたのです。私はその方に助けられた時、自分の不注意を悔やみました。その方が注意してくれていたのに、それを聞かずに危ない目にあったのです。その方はそんな私を助けてくれたばかりか、不注意を責めるようなこともされませんでした」
ピアさんがボウルを取ろうとして椅子から落ちそうになったことだろうか。
「私はその方に助けられた時に、その方に抱きしめられる形になり、とても混乱しました。全身が熱くなって、初めての感覚に戸惑いました。でも、けして嫌な訳では無く、むしろ嬉しかったのです。
私は孤児院育ちでその後王宮に上がったこともあって、男性との接点はほとんどなく、男性に抱きしめられたのも初めてでした」
そういえばピアさんを助けることに集中していたから、抱きしめる形になっていたかも知れない。とにかくあの時はピアさんが怪我をしないように、それしか考えていなかった。
「私はその時の自分の感覚が良く分からず、今朝、恐れ多くもお仕えする主人に抱き付いてみたのです。相手が男性であれば同じ感覚になるのかと思い、よりによって使えるべき主人で試したのです。これを罪と言わず何というのでしょうか」
「神は既にあなたの罪を許しておられます。あなたの行動によって主人は不利益を被りましたか?」
「いえ、私の主人はまったくそのことで私を咎めるようなこともなく、今も私の希望を聞いて休暇を下さっています」
「でしたら、貴方の主人にとって、あなたは良く仕え、良く働いてくれる良き従者なのでしょう。気に病むことはありません。これからも変わらずに良く仕えて下さい」
「はい……ありがとうございました」
「あなたに神の恵みを」
ガチャッ
ピアさんが退室したようだ。
私の牧師としての受け答えは、あれで良かった筈だ。
ピアさんの罪の告白を受けて、今後の主人への対応についても上手く導けたと思う。
だけど、何でこんなに胸の中がざわざわ、もやもやするのだろう?
……判っている。ピアさんの気持ちには答えていないからだ。
私はピアさんを愛している。だがそれを口を滑らせるという不完全な形でしかピアさんに伝えていない。
先程のピアさんの懺悔の内容は、私に対しての気持ちが殿下に対しての気持ちと違うことを確かめるために殿下に失礼なことをしてしまった、と言う内容だ。
ピアさんはつまり、私の不完全な告白を受けて、真剣にそのことについて考えてくれていた。そして遠回しに私の不完全な告白に応えてくれたということではないか。
私の不完全な気持ちの伝え方では、私自身が口を滑らせた直後に考えたように「冗談ですよ」と撤回されることだって十分有り得ることだ。
それでも、ピアさんは自分の気持ちを神に話す仮託した形を取ったとはいえはっきりと当事者の私に伝えることを選んだのだ。
それは、生い立ちから男性と接する機会の少なかった女性として、どれだけ勇気が必要だったのだろう?
女性にああ言わせてしまい、私は何と情けない男なのだろう……
ガチャッ!
私は懺悔室の扉を開け懺悔室から出ると、ピアさんの手を取り、ピアさんの前に膝まづいてピアさんの目を見つめながら叫んだ。
「ピアさん、私はピアさんの、自分の仕事に誇りを持ち突き詰める姿勢と、自分で出来ることを探して、他の皆を生かす姿勢が大好きです! そしてピアさんの、屈託なく笑う笑顔が大好きです! でもピアさんは、ご自分に厳しくするあまり無理をしてしまう! 私はピアさんが無理をしないように、共に寄り添って支えたい!
ピアさん、あなたの生涯を私に支えさせて頂けませんか!」
私に手を取られたピアさんは、私が取っている右手と反対の左手で口を抑えながら固まっている。
でも、今日、私はピアさんから目を逸らさないし、意識を手放すこともない。していいはずがない。
ピアさんの返事を聞かなければ、私は後悔する。
返事が例えNoだとしても、聞かなければ後悔する。
例えこの告白が的外れだったとしても、私の一方的な想いだとしても。
ピアさんは、私に近づき、私の頭を抱きしめた。
私の頭はピアさんのエプロンをしていないメイド服に包まれた。
私もピアさんの腰の上に手を回し、ピアさんをギュッと抱きしめた。
「まったく、朴念仁は困るね」
ルンベック牧師はそう言って、厨房に引っ込んだようだ。
私の頭を抱きしめながら、ピアさんはゆっくりと言葉を言う。
「私、本当に今まで男性と接する機会が無くて……男性を好きになるってことがわからなかったんです……でも、昨日ドノバンさんに手を触れられて……すごく温かかったんです」
「はい……」
「……それで、椅子から落っこちそうになった時も抱きしめられた時に、心臓がこれでもかってくらいに暴れて……全身が真っ赤になったくらいに……熱くなりました……」
私はピアさんに頭を抱きしめられながら頷く。
「……夜、自分の部屋に戻ってもドキドキしていて……ずっとドノバンさんのことを考えてしまって……今朝、殿下にも同じように抱きしめたり手に触れたりしてみたんですけど、そうはならなくて……今、こうやってドノバンさんに触れていると、嬉しいんです……」
私は返事の代わりにピアさんの腰の上に回した腕に力を込めて更に抱きしめた。
こうしてピアさんをしっかり抱きしめていると、私の中から喜びが溢れてくるようだ。
私がピアさんを愛しく感じ、大事にしたいと言う想いをピアさんが受け入れてくれている。私の持つ言葉では表せない喜びだ。
神よ、ああ、神よ!
この世に生まれて来て今ほど貴方に感謝したい、そう思った事はありません。
王子の家庭教師というだけでも恵まれている私に、最愛の女性と思いを通わすことが出来る瞬間が訪れるなんて……
こうして思いを通わせた女性をしっかりと抱きしめられる喜びは、何と尊いことか……
しばらくそうしてお互いを抱きしめていたが、私たちはどちらからともなく力を緩めた。
私はピアさんの右手をもう一度取り、手の甲にゆっくり口づけした後、立ち上がった。
ピアさんは少し涙を浮かべた目で私を真っ直ぐに見つめている。
私もピアさんの目を真っ直ぐに見つめ返す。
私はピアさんの右手を取ったまま左手をそっとピアさんの頭の後ろに回す。
ピアさんも左手で私の腰に手を回し、互いを引き寄せ合う。
そしてピアさんがそっと目を閉じた。
私はピアさんの顔にゆっくりと顔を近づけ……
「はい、そこまでよ。それ以上はガキどもの教育に良くないからね」
ルンベック牧師が厨房から出てきた。
焦ってそちらを見ると、ルンベック牧師の後ろ、厨房の扉の陰にサッと小さな人影たちが隠れる。
「全くアーレント師、教職者は結婚して子供を産めよ増やせよって神も言われてるんだから、そんな女心に気づかない鈍感じゃ、改革派の牧師として失格だよ全く」
ルンベック牧師はそう言いながらこちらに近づいてくる。
そして手に持った瓶をこちらに放る。
私は落とさないようにその瓶をキャッチした。
そしてルンベック牧師は子供たちに聞こえないように小声でこう言った。
「アーレント師とピアさん、王宮の人ってことは、デンカーさんは王族ってこったろ? さっきも言ったけど、ここの教会は狭いから、懺悔といえども気を使いなよ。 まあ、一応俺も神の僕だから、俺からは絶対に言わないけどね。たんまり寄付も頂いたし」
続けて
「アーレント師とピアさんは今日休み貰ってるんだろ? そのジャムあげるから、どっか木陰でピクニックと洒落こんで、お互いもっと話をしなよ。さっきの続きはそっちでやって」
そう言われて私もピアさんも顔が真っ赤に染まった。
「ルンベック牧師、ありがとうございました」
ピアさんが顔を赤くしながら言う。
「いや、ピアさんの告白聞いて、こいつは朴念仁に直接聞かせないとって丸投げしたから、大したことはしてないよ。あんな懺悔の受け方じゃ、牧師としてはどうなんだってどころだな。中央にバレたら厳重注意だよ。ま、惚れた女性に何も言えない臆病な牧師もいるから、フライス村では懺悔しちゃいけないってことだな」
とルンベック牧師は笑いながら言う。
臆病な私の後押しをしてくれたルンベック牧師。
私はこの方に大きな恩をいただいた。
「ありがとうございます、ルンベック牧師。この御恩は必ずいつかお返しいたします」
私がそう言うと、ルンベック牧師は、
「恩を返してくれるのも結構だが、まずはそのジャムの瓶、返しに来てくださいよ。
何せ貧乏教会なんでね、一つの瓶も貴重なんだから」
そう言って笑った。
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