第52話 エルダーエルフ




 リューズの父マリスさんは、リューズが俺たちと一緒に人里に降りることを許可してくれた。


 ただし、と条件を付けてだが。


 その条件は2つある。


 一つは7日に1回、リューズは必ずこのエルフの集落に戻ること。


 そして、もう一つは、絶対に森の外の世界で、リューズに性行為をさせてはならないことだ。


 まあ別に俺達の中でリューズにやましい気持ちを抱くような者がいるとは思えないので、多分大丈夫だろうと思う。


 ただ、体は成長していてもまだ8歳のリューズがいる前で、はっきりと言葉に出してそれを条件としたマリスさんの真意は聞いておきたい。


 そう思って俺はマリスさんに理由を尋ねたのだが。


 「私たち、暗き暗き森のエルフは他の場所に住まうエルフとは違って、原初のエルフ、エルダーエルフなのです」


 マリスさんからはそんな答えが返ってきた。


 エルダーエルフ? なんじゃそりゃ。


 ただ、けっこう重大なことを言われる気がする。


 「エルダーエルフの私たちは、非常に長寿です。

 ジョアン殿下、私の年齢は幾つに見えますか?」


 「えっと、だいたい32,3歳くらいですか?」


 俺のパパ上のダニエルが30歳の筈だから、パパ上よりも気持ち年上ってな感じに見えたので、俺はそう答えた。


 「この集落のエルフは20人程ですが、一応責任者で最年長の私の年齢は80歳を過ぎています。

 妻のニースは70歳を少し超えたくらいですね」


 「いやいや、とてもそうは見えませんよ。ニースさんがうちのアデリナお祖母ちゃんより10も年上だなんて」


 「私たちと人族の価値観は違いますから、容姿のことを言われても私たちは喜びませんし気にしませんよ」


 ニースさんが微笑みながら言う。


 アデリナお祖母ちゃんの、皺だらけの顔で、皺をくっつけて笑う笑顔も俺は好きだが、目の前で笑うニースさんの笑顔は、それこそ人間で言えば20代の女性で通るくらいだ。


 「私たちは人族で言う老化が非常に遅いのです。そして、何故私たち暗き暗き森のエルダーエルフがこうして長寿なのか、それは私たちエルダーエルフは、植物に近い存在だからです」



 ?


 どうゆう意味だ?


 「エルフの皆さんは動き回り、狩りをし、植物を育て採集し、動植物を食べ、植物の繊維を織って衣類を作っています。全く植物とは思えないのですが。

 今現在の我々の植物の定義は、地面に根を張り、緑に近い色の葉を持ち、動かないものです」


 ドノバン先生が先生らしくそう言う。


 確かに現在のアレイエム、いやネーレピアの科学水準では、植物の定義はそんなものだろう。

 多分まだ葉緑体も発見されていないだろうし、当然光合成も発見されていない筈だ。


 「ドノバン=アーレントさん、確かにはあなたのおっしゃる通り、動物として存在しています。

 ただ、あなた方人族がまだ知らない植物の働きがあるのですよ」


 「! もし宜しければ是非それをお聞かせ願いたい!」


 ドノバン先生は新たな知見に触れる機会に、この機を逃してなるものか、と切迫感を滲ませる。


 「この森の全ての植物は、土中の根から水分と養分を吸い上げていますが、実は植物自らが養分を作り出すことができるのです」


 「マリスさん、それは一体どのような手段で行うのですか!」


 「植物の緑の葉が太陽の光に当たることによって、土中から吸い上げた水と空気の中に含まれる成分を取り込み養分を作り出すのです。そして要らない空気は葉からまた放出されます」


 それはまさしく光合成だろう。水分と二酸化炭素で糖やデンプンを作り、酸素を空中に放出する。


 エルダーエルフがそれを既に知っている、ということは先程の「自分たちは植物に近い存在」に少し信憑性が出てくる。


 「先程私たちが植物に近い存在と言いましたが、植物が葉で行う光と水と空気で養分を作る働きは、私たちエルダーエルフも行っているのです」


 なるほど、わかった。


 「暗き暗き森のエルフの髪……緑色なのは、エルフの髪が植物の葉と同じ働きをしているから、なんですね」


 「そうです、ジョアン殿下。その通りです。

 ただし、私たちエルダーエルフの髪が作り出す養分では私たち自身の活動の栄養を全て賄える訳ではありませんから、私たちは他の植物や動物を食べ、栄養を取っています。その点は人族と変わりません。

 は分類するなら動物ですが、一部植物の機能も持っている、という存在です」


 「マリスさん、何か含みのある言い方をされていますが、良ければその部分をお聞かせ願えませんか?」


 俺はマリスさんが更に何かを言おうとしているのだと感じた。


 「私たちは、実は動物的に老い衰えるということはかなりゆっくりで、殆ど老化しないと言っても良いくらいです。怪我や衰弱などで弱って死ぬことはありますが、寿命で死ぬ、ということがないのです」


 「ならば本当に不老長寿の存在じゃないですか! そんな生物がいるとは思えません!」


 ドノバン先生は驚きを隠せなかった。


 「肉体的に老い衰えることはありませんが、不思議なもので精神と言うのはそんな長寿に耐えられないのですよ。

 考えても見て下さい、長く生きるということはそれだけ同じことを繰り返すということ。どんな変化を付けたとしても、いずれパターン化して飽きてくるのです。つまり精神的に刺激を受けることが少なくなり、感情の起伏といった精神の反応はどんどん鈍って来るのです。

 元々私たちエルダーエルフは人族に比べて感情の起伏が少ないこともあって、200年、聞いた話だと長かった者でも300年で精神的な反応は衰えてしまいます。

 そして精神的な反応が無くなったエルダーエルフがどうなるかというと……木になるのです」


 ちょっとにわかには信じがたい話だ。


 だが、髪の中に葉緑体を持つエルダーエルフなら有り得るのだろうか。


 「もしかして、トレント、動く木はエルダーエルフが木になった姿なんですか?」


 ドノバン先生は以前から気になっていたトレントについて知りたいようだ。


 「いえ、トレントはエルダーエルフが木になった姿ではありませんよ。

 あれはエルダーエルフが姿を変えた木、私たちは『生命の木』と呼んでいますが、生命の木が他の植物に対して攻撃反応を行った結果、それを受けた普通の木が意思を持たず動くようになったものです」


 「……マリスさん、あなたの話はどれもこれも信じがたい。私たち人間のこれまでの学問の積み重ねでは計れない内容ばかりです。何か証拠となるものは頂けませんか?」


 「それは『生命の木』を見たい、或いは『生命の木』の一部を手に入れたい、そういうことでしょうか?」


 「ええ、もしそれが可能であれば是非」


 「ドノバン=アーレントさん。あなた方人族が『生命の木』に近づいたり触れたり、或いは一部を持ち帰ったりすることは、私たちエルダーエルフにとっては到底認められることではありません。『生命の木』はかつての祖父、祖母、父、母だった者たちそのものなのですから。

 ドノバン=アーレントさん、あなたの祖母が永い眠りにつき永久に目を覚まさないとわかっていたとして、あなたは祖母の腕を切り落として、例えば私たちに渡すことができますか?」


 「ムッ……」


 そう言ってドノバン先生は押し黙ってしまう。


 確かにエルダーエルフにとってはそういうことだ。


 以前リューズが拠点小屋で言っていた「この森から持ち出してはいけないと父母に言われている唯一の物」が『生命の木』なのだろう。


 「ドノバン=アーレントさん。あなたが未知のことに思いを寄せ、謎を探求したいという情熱をお持ちの方だというのは理解できました。人族のそういった情熱は私たちエルダーエルフにはないものです。それを否定することはしません。

 ただ、私たちにも譲れないものはあります。ですからそれを侵そうとされるのであれば私たちは全力であなた方を排除するしかありません。

 ですがあなたが私たちの話を聞いて、あなたがそれを参考にして研究を重ね、証明することまで禁止しようとは思っておりませんよ。

 ですから、どうかあなたの事象に対する考察の参考として私の話を聞いていただきたい、そう思います」


 「……わかりました。確かにマリスさんの語ることは今は誰も証明できていないことですが、それをヒントにして私が謎を解き明かすことは認めて下さる、ということですね」


 「その通りです。

 先程のトレントについてですが、実は木などの植物も魔法を使える素養はあるのですよ。

 ただ、人族も魔法を使う時は状態をイメージするのでしょう? エルフも同様です。

 植物は動物と違ってイメージする意思が希薄といいますか、まったく見られません。ですから普通の植物は魔法を使えません。

 トレントの場合は、『生命の木』が自分の周囲の植物をどかし、日光や水を多く得ようとして何らかの物質を放出したものを受けた結果、『生命の木』から離れるために魔法で土を柔らかくして移動する、ただそれだけを繰り返す存在となっているのですよ」


 「ならばトレントの移動はトレントの使う土魔法によるもの、ということですね」


 「そうです。遠くから観察すれば、トレントの移動の際に、根元の土がまるで液体のようになっているのが観察できると思いますよ」


 実は俺も聞きたいことは結構ある。

 例えばリューズが俺の体力を使って治癒魔法を使ったが、そのやり方とか。

 ただ、一番最初の問いかけに結局答えてもらっていない。


 「マリスさん、すみませんがリューズが私たちに同行する条件の話、結局どうしてなのかお聞きしていないんですが」


 何でわざわざ性行為禁止、などと言ったのか。


 普通にリューズにはしっかりした貞操観念が備わっている。


 リューズの前世も、そんなに男にだらしない子ではないようだった。むしろ奥手だったのではないか。


 7日に一度エルフの集落に戻るなら、そこまで心配せずとも良いのではないかと思うのだが。


 「ああ、それはですね、私たちエルダーエルフは植物の特徴も持つ生物で、年齢を経て精神の活動が衰えると本当に植物になり、怪我や衰弱、木にとっての病気などでしか死ぬことが無い存在、ということはお話しましたね」


 「はい、お聞きしました」


 「つまり私たちエルダーエルフについてはこうも言えるのです。若い頃は動物の特徴を持ち、動物の特徴を持つ時期にしか生殖できない植物である、とね」


 「『生命の木』になったエルダーエルフは繁殖できないのですか」


 「はい。何らかの物質を出して周囲の植物や一部の虫などの動物を動かすことはしておりますが、花を付け実を成らせる、植物にとっての繁殖行動はできません。

 子を作り育てることは、今の私たちエルダーエルフの時期にしかできないことなのです」


 「リューズが森の外に出て人間と性行為をすると、リューズの子供がエルダーエルフではなくなってしまうから禁止、ということですか?」


 「それも確かにあることはありますが、どちらかと言うと些細な理由です。

 大きな理由としては、単純に異種族と性行為を行うと、性行為を行ったエルダーエルフはエルダーエルフではなくなってしまうからですよ。

 他の地域に住むエルフ、というのは元はと言えば暗き暗き森のエルダーエルフが、多種族と交わることによりエルダーエルフではなくなった結果、他の地域へ移り住んでいった種族、ということになります」


 「つまりリューズが人間と性行為をするとエルダーエルフではなくなると。

 エルダーエルフではなくなったらリューズはどうなるのですか?」


 「植物としての特徴が失われます。

 つまり髪での養分合成ができなくなるので、髪色が変化します。

 そして、精神が先に衰える程の長寿性は失われ、植物に変化することもなくなります。

 植物との親和性も無くなりますので、私たちエルダーエルフが使える、植物の力を借りた魔法の使用ができなくなりますね。

 動物としての性質しか持たなくなるので普通に老化もしますよ。人族に比べればゆっくりでしょうけど」


 「そうなった場合、エルフの集落から追い出される、みたいなことはないんですか」


 「そんなことはしません。リューズは何時になってもどうなっても私たちの娘、ということに変わりはありませんよ。

 ただ、一緒に暮らしている中で私たちは年を取らないのに、リューズだけ老いていく、そんな状況はお互いにとっては悲しいことでしかないでしょうね。

 ですから、リューズが自分でしっかりと自分の生き方を決めることが出来るようになるまでは、軽々しい性行為は禁止です。

 わかったかい、リューズ」


 「うん、お父さん、そんなこと言わなくても私、そんな簡単に体を許したりしないから。心配しないで」


 「マリスさん、ちなみに性行為というのはどの程度のことを言うのでしょうか」


 「男性器が女性器に挿入された状態のことです。その前段階でも、他種族の性行為の時の分泌物がエルダーエルフの体内細胞に触れると、エルダーエルフの植物性は失われるようです。

 まさかとは思いますがジョアン殿下、リューズにそうした行為をしようなどとお思いではないでしょうね?」


 あ、これはマリスさんマジなやつだ。


 冗談でもそんなこと少しでも考えたとか言ったら、俺の命がないやつだ。


 「ま、まさかまさか。まだ私は8歳ですから、そんな性行為が出来るほど体が成熟しておりませんから。

 当然私の周囲の者たちにも、リューズに対してそのような行為に及ばないように、きつくきつく釘を刺しておきますのでご安心下さい」


 「そうですか。それなら良いのですが。人族の集落の者にも、しっかりそう伝えておいて下さい。はははははは」


 そう言ってマリスさんは笑った。




 だがマリスさんの目は全く笑っていなかった。


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