第49話 言語学習やその他のこと
「自慢のお兄ちゃん ミサーマル=コウ=タリオ」
『そうそう、リューズ、上手に発音できてるよ』
今、俺とハンスとリューズは森の中の拠点小屋で、絵本を教材にお互いの言葉を覚えようとしている。
暗き暗き森のエルフは、ネーレピア共通言語とは違った独自の言語を持っている。
エルフは言語は持っているが文字は使っていないようなのだ。
だから、ハンスの買ってきた絵本を使って、まずはリューズに俺たちのネーレピア共通言語を覚えて貰うことにした。
ネーレピア共通言語は単語の組み合わせで意味を伝達する。
エルフの言語も同様だが、ネーレピア共通言語とは違った単語大系になっている。
だから表音文字のネーレピアの文字をリューズに覚えて貰えれば、エルフの使う違った単語をネーレピア文字で書いてもらえるので、俺たちがエルフの言語を習得しやすくなる、という訳だ。
『ねえ、この単語はどういう意味?』
『それはひきこもり。意味はそのまま前世と同じひきこもりと同義だよ』
教材に使っている「自慢のお兄ちゃん」は、貴族のデビュタントで失敗し引きこもりになった貴族家嫡男が、弟の純粋な信頼に応え、画家として大成する話だ。
作者のミサーマル=コウ=タリオが住んでいたトリエルの過去の大画家、アドリアーノ=デ=ロッシをモデルに書かれた童話と言われている。
「やっぱり古典と言われるものは、いい物だから残り続けてるんですよねえ。活版印刷で3番目に印刷された本らしいですからね」
ハンスがじみじみ言う。
「ハンスも『自慢のお兄ちゃん』で文字を覚えたのかい?」
「ええ、もちろん。小さいときに親父が時間を作って読んでくれたんですよ。あの厳つい親父が読み聞かせするなんて意外でしょう?」
「うん、確かにゲオルグ先生が読み聞かせしてる姿ってのは想像つかないね。でもゲオルグ先生は厳しいばかりの人じゃないから、意外という程でもないかな」
「そんなこと言うのは殿下くらいですよ。ダイクに聞いた話だと、第一騎士団では鬼の騎士団長って言われてるらしいですよ」
「それは多分騎士の皆さんがゲオルグ先生に身近に触れる機会が少ないからじゃないかなあ。あんなに相手のことを考えて教えてくれる人ってなかなかいないよ」
「今度アレイエムの実家に戻ったら親父に殿下がそう言ってたって伝えときますよ。親父は素直じゃないから照れるんじゃないですかね」
『ねえ、ジョアン、この単語はどういう意味?』
『この単語の意味は桜だよ。日本の春の象徴の桜さ』
『なるほどね。この森もけっこう桜は多いから、大事ね』
リューズは熱心だ。
それに覚えも早い。
元々前世でも医学部志望で理解力があった上、現世ではエルフで1番に近い身体を貰っているのだから覚えが早いのも当然か。
数日後、「自慢のお兄ちゃん」に使われているネーレピア共通言語をリューズはマスターし、俺たちと簡単な会話程度はできるようになった。
「こんにちわ、ボクは、リューズ、です」
『そうそう、リューズ、上手く発音できてるしちゃんと挨拶できてるよ』
「殿下、いいんですか? リューズの嬢ちゃんは女なのに僕って一人称ですが」
そう、絵本「自慢のお兄ちゃん」に出てくる一人称は「僕」だ。だからリューズも一人称に「僕」を使っている。
「いいんじゃないかハンス。リューズのキャラクターに合っていると私は思うよ」
「リューズの嬢ちゃんがもっと言葉を覚えた時に、殿下が怒られなけりゃいいんですがね……」
いや、いいのだ。ボクッ子は尊い。
リューズが「自慢のお兄ちゃん」のネーレピア共通言語をマスターしたので、次はリューズにエルフ言葉の訳をネーレピア共通語に開いて「自慢のお兄ちゃん」に書いてもらい、俺たちがエルフの言語を覚える。
これも割と順調に行って俺は3日、ハンスは5日程度で「自慢のお兄ちゃん」のエルフ語を覚えることが出来た。
エルフ語で話すと、俺もハンスも一人称が「僕」なので、リューズは可笑しがった。
「ジョアンもハンスも、僕なんだー。可愛い」
ボクっ子可愛いあなたに言われるのはちょっと面白いのですが、リューズさん。
まあそんな訳で次は以前俺がドノバン先生に教わっていた教科書を使ってお互いの言語を覚える段階に入った。
この頃にはドノバン先生も風呂小屋作りが終わり、俺たちに合流し、一緒に勉強した。
ドノバン先生には毎日その日の勉強の様子を話したし、リューズに「自慢のお兄ちゃん」のエルフ語を付けてもらった絵本も見て貰っていたので、ドノバン先生も俺たちと同程度にはエルフ語を理解していた。
ドノバン先生とフリッツが2人で作っていた代官屋敷の風呂小屋は10日程度で完成した。10日間で俺たちとリューズは絵本の文字を理解し合ったことになる。
ドノバン先生が行っていた風呂小屋作りでは、リューズに貰った加工したスライムの皮膜で作った乾燥室がやはり威力を発揮した。
木を伐り出して小屋を作るに当たって、やはり木材を乾燥させる部分が一番時間がかかる。
そこを通常の半分程度の時間で行えたから、これだけ短期間で建てることができたのだ。
「私の趣味は大工仕事です、っていう日が来るとは思いませんでしたよ」
ドノバン先生はそうぼやくが、完成した風呂小屋はなかなかの出来栄えだった。
湿気対策に壁は全面陶器仕様だ。ドノバン先生も、フリッツも魔法を使えたので、贅沢仕上げになった。
湯気対策としては他に、湯気が籠らないように天井までを高くしてある。
明り取りの窓もつけており、スライム皮膜で覆っている。
明り取りの窓は、普通の人間なら手を伸ばしても届かない高さにしてある。
ピアが入浴していても覗かれる心配は殆どいらない。
最もダイクやハンスが瞬足を使ってジャンプしたら覗けるだろうが、あの2人はそこまではしないと思う。ドノバン先生に対するピアの心理攻撃のえげつない威力を見て知っているだろうから。覗きなんてしてピアにバレたらどんな目に会うかと思えば自重するだろう。
そしてドノバン先生は覗きなんてしそうな人柄ではない。
小屋を作っている時の材料や道具の運搬にはフデの引く荷車を使っていた。
荷車を引くフデに、ドノバン先生やフリッツが簡単な指示をしフデが従っている様子は、農作業をしている村人たちも素知らぬ振りをしながら見ているので、少しづつ村人たちにもフデが受け入れられるようになる、と信じたい。
フリッツは、小屋が完成し、代官マッシュが来村した夜の宴会で散々鯨飲した次の日、ドロッドロの二日酔いのまま荷馬車にガタガタ揺られながらベルシュに戻って行った。
別に急ぐ訳でもないから出発は酒が抜けてからにすれば良いのに、と言ったらフリッツは
「いや、今日中に戻ると決めたのだから、そうせねばならん。商人にとって契約は我が身よりも命よりも大事なのだ」と言って吐くモノが胃液だけになりながら戻って行った。
契約も何も帰る日を決めたのはフリッツ自身なのだから、多少の変更は構わないと思うのだが。
律儀なのだろう。
知的な兄キャラを気取る男のドロッドロの泥酔姿というのもまた良き、であった。
ダイクは、この10日間で、10頭程度の雪狼の群れを3つ配下に収めた。
ボスとバロンが、それぞれ15頭づつ率いる体制で、あいつらも晴れて群れのボスだ。
ボス争いで追放された雪狼が異種族に鍛えられボスの座を奪い返すという、何かの小説のような展開になった。
ボスとバロンはこれから群れの雌たちに囲まれてハーレムを築くだろう。
「調子に乗ってたら何度でもボスもバロンもシメてやりますがね」
「ダイクよぉ、そいつはお前がモテないってえ事実に対する単なる八つ当たりなんじゃねぇの~?」
「……ハンス、お前はイイ奴だったぜ。たった今その一言さえ無けりゃあ命永らえられたってのに残念だぜ」
そう言ってダイクは瞬足でハンスに殴りかかった、んだろう。見えない。
ハンスも瞬足を使って殴り返してるんだろう、見えない。
まあ、剣を抜いてないからじゃれ合いの範疇ではある。
「まあ瞬足をずっと使い続けることは出来ませんから、すぐ終わりますよ」
ドノバン先生も慣れたものだ。
「まったくお二人には困ったものですね。せっかく昼間掃除したのに、また埃を立てられると食事が運べません。
お二人ともそんなことですから女性の心を射止められないのでしょうね。失礼ながらそう思います」
ピアが無表情にそう言ってテーブルの上を拭きだすと、ダイクが上になりマウントからのパンチを繰り出そうとした姿勢で、ハンスは組み敷かれながらも巴投げで投げる直前、といった姿勢で床の上に出現した。
「お二人とも殿下を守る騎士なのですから、そんな私闘で瞬足なんて使って体力を減らしていては殿下に何かあった時に守り切れないのではないですか?
そうやって意味もなくお腹を減らして沢山食事を摂られても、食材の減りが早いだけで困ります」
ピアの言葉を二人は頭垂れて聞くばかり。
「すみません……」
謝る言葉にも元気がない。
そんな二人の様子を広間の隅に作られた簡単な檻の中から見ていたフデが、「kuuuun」と鳴いた。
多分俺が思うに笑っているんだろうと思う。
今、この代官屋敷で一番偉いのが誰かをフデはわかっているのだ。
一番偉い人物に怒られる二人を見て、フデは可笑しくなったのだろう。
フデの檻の中にはスライムが入っている。
フデの排泄物や食べかすをスライムは食べて掃除してくれている。
フデもスライムを食べようなどという気は起こさない。
多分、森で生活していた時に雪狼の仲間からスライムを食べようとすると、中身の粘液が出て体を溶かされてしまう、ということを聞いて知っているのだろう。
スライムはこの1か月で、6匹に増えた。
最初にスライムを取ってきたときは2匹だったが、取ってきて3日目に、直径20cmの大きいスライムが居なくなり、直径5cmほどのスライムが2匹増えて合計3匹になっていた。
リューズがスライムは単細胞生物と言っていたから、分裂して増えるようだ。
増える瞬間を見てみたいが、夜に分裂しているようで、決定的な場面は残念ながらまだ見れていない。
フデの檻の中のスライムが、フデの排泄物を処理してくれているので、やはりスライムは排泄物を食べて分解してくれているようだ。
スライムは他の生物の排泄物や生ごみなどを食べて、自分たちの排泄物として灰色のビーズ玉くらいの大きさの丸い物を排泄する。
他の生物の便のような臭いはせず、珪土のような感じだ。
リューズの話だと、植物の肥料になるということなので、ピアに箒で掃き集めて麻袋に入れておいてもらっている。
俺たちは畑を作っていないので、今のところ溜めているだけだが、来年辺りに畑を作ってそこに撒き、効果を確認してみたいと考えている。
確か肥料の効果で実肥え、葉肥え、根肥えというのがあって、対応する肥料に含まれる元素がそれぞれ違っていたと思う。
葉肥えが窒素、実肥えがリン酸、根肥えがカリウム、だったかな、確か。
前世で畑をやってた年寄りの話のタネに聞いただけなのでうろ覚えもいいとこだが。
スライムの排泄物を撒いた畑で実がなる作物、葉を食べる作物、根を食べる作物を植えて成長を確認すればどの要素が強いか分る筈だ。
多くの人間を食べさせるためには農産物の増産も必要となるので、代官のマッシュとも話して取り組んでいく事案ではある。
フライス村を初めとしたノースフォレスト地区5ヶ村に合った作物を選定できれば、もっと村民の暮らしぶりが豊かになる筈だ。
フデの檻の中でプルプル動いているスライムを見て、俺はそんなことを思う。
どうでもいいことだが、スライムの中の目っぽい器官と口っぽい器官が上手い配置に来て、ドラ〇エのスライムまんまの姿を拝めた日は、何かいいことがありそうだと勝手に思っている。
「今朝のスライム占い」を一人楽しんでいます。
さて、代官屋敷ではそんな感じで毎日を過ごし、昼間はリューズと一緒にエルフの言葉を覚えることを勤しんでいた俺たち。
最初にフライス村に来てから2か月が経った今、ようやくエルフ語の日常会話をできるようになった。
リューズに一応のお墨付きを貰えた。
「うん、普通に話すだけなら多分通じるよ。聞き取るのも大丈夫そうだね」
リューズが今話していたのはエルフ語だ。
初めて聞いた時は「piw@eaoj♦vッ」みたいに聞こえていたが、単語が理解できれば普通に聞き取れる。前世の英会話と一緒だ。
「でもリューズの方がネーレピア共通語を沢山覚えてるじゃん。普段はネーレピア共通語で喋ればいいんじゃないの?」
「ボクはジョアン達が父さん母さんに挨拶してくれて、ボクが森の外に出る許可を貰えたら、あとはずっとネーレピア共通言語を話して行くことになる。
ジョアン達はボクの集落に行って父さん母さんに挨拶したら、後はそんなにエルフ語を話す機会はないだろう?
だから今ぐらいはなるべくエルフ語で話しておいた方が、エルフ語を忘れなくていいよ」
まあそんなもんかな。
ある程度エルフ語で会話が成立するようになった。
いよいよ、リューズの両親に挨拶に行くべき時だ。
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