第48話 偏見




 拠点小屋が完成した日は、そのまま一度代官屋敷に戻った。


 ダイクが提案したように、フデをフライス村に連れて戻る。


 外にフデが過ごせる小屋も作らないといけないな、と考える。

 でも今日のところは仕方ない。フデも広間で一緒に過ごすようにするしかない。

 一応小川の水でフデの体を洗い、土埃は落としておく。


 「殿下、おかえりなさい。拠点の小屋が完成したんですね。おめでとうございます」


 ピアが満面の笑みでそうお祝いの言葉を言ってくれる。


 「ありがとう、ピア。ピアが料理を習ってくれて、私たちが食生活を心配せずに済んだおかげだよ。本当にありがとう」


 祝ってくれるピアに、おれは本心から感謝の言葉を伝えた。


 「殿下にそのように言われると、何だか照れてしまいます。ところで殿下、私のおかげもあるのであれば、私の望みを一つ叶えて下さいませんか」


 ピアが恥じらいながら上目遣いでそんなことを言う。

 身長の低い俺に上目遣いするのも大変だ。

 でも、そんな努力をしてまで頼みたいことがあるのだろう。

 良き、良き。

 ピアの良き弟、ジョアン=デンカーは心が広いのだ!


 「何だい、ピア。叶えられる望みなら、私は最大限ピアの望みを叶えたいと思っているよ。言ってごらん」


 「では、恐れながら……殿下、外のお風呂、早く私も入れるように小屋で囲って頂けませんか?」


 おおっと、拠点小屋に全力を尽くしていたから忘れていたぞ。


 そう言えば今の風呂は完全野ざらし、完璧とも言える露天風呂だった。


 幸いフライス村2日目に大雨が降っただけで、その後はちょっとした夕立程度しか雨が降らなかったから忘れていたが、野ざらしの風呂は雨の日には入れないので、早めに小屋で囲っておこうと思ってたんだった。


 「私は一度もお風呂というものに入ったことがありませんが、殿下や皆さまが入浴されたあとの表情を見ると、とても体に良さそうなので……以前殿下がお風呂を作られた時に、いずれ私も入れるように、風呂の周囲に小屋を建てると言って下さったのを本当に楽しみにしていたのです」


 そうか、ピアはそんなに風呂を楽しみにしていたんだな。

 なら拠点小屋が完成した今、風呂小屋の建設に取り掛かってもいいだろう。


 「わかったよ、ピアがそんなに楽しみにしていたんだったら早く作らないとね。

 早速明日から取り掛かるよ」


 とは言ってもエルフ語の勉強もある。


 俺が森に入れば必然的にハンスも付いてくる必要があるし……


 「殿下、でしたら私がお風呂の小屋作りをしましょう。

 エルフの言葉は、最初からそんなに難しいことまでは覚えられないでしょうから、殿下がリューズさんから教えてもらった言葉を、殿下が代官屋敷に戻られた後に私に教えて下されば大丈夫です」


 ドノバン先生がそう申し出る。


 「それだったら私も小屋づくりを手伝おう。ベルシュに戻るのは少し遅らせてもいい。どっちみち移住者の募集を始めても週に1度、代官殿が来村される時には顔を出そうと思っていたのだ。次に代官殿が来るまではこちらに居よう」


 フリッツも手伝ってくれるようだ。


 「殿下、お二人が小屋作りをする際の資材の運搬にフデを使ってはどうでしょう? ハンスが買ってきてくれた荷車がありますのでそれを引かせては。そうすれば村人も雪狼でも人に懐くというのを目の当たりにすることができると思います」


 ダイクがそう提案する。確かに良い手かも知れない。



 次の日、暗き暗き森の入り口までは全員で移動した。


 ここでドノバン先生とフリッツは木を伐採し、その木を使って風呂の小屋を作る。

 俺とハンスは拠点小屋、ダイクは森の魔物討伐に行くのでここまでは全員一緒に行く。

 フデには荷車を引いてもらっている。斧やノコギリを荷車に乗せているのでラクチンだ。

 フデは雪狼としては小柄で体長は1m半程度。

 だが力は雪狼らしく強いようで、馬一頭引きの荷車を苦も無く引いている。


 「フデは雪狼らしく力は強いです。でも雪狼らしく持久力はそこまである訳ではないので、ずっと荷車を引かせるのは止めて、適度に休ませてやってください」


 ダイクがドノバン先生にそう伝えている。

 ダイクはフデにも何か言っている。


 「ダイク、フデに何を言ったの?」


 俺がそう聞くとダイクは


 「絶対に人間を襲わないように、人間の指示を聞くように、と伝えていました。行け、止まれ、待て、食べろなどの簡単な指示なら人間語も聞き分けられますよ」


 とダイクは答えた。

 けっこう雪狼も頭がいい。


 俺たちの一行を農作業をするフライス村の村民が見送る。

 フデが荷車を引いているのも見えているはずだ。

 これを風呂小屋を作っている間続ければ、村人にもフデ=雪狼が懐いている、ということをアピールできるだろう。


 「ディルクさーん! 行ってきまーす」


 暗き暗き森に一番近い農地で農作業をする村長のディルクに、俺は手を振ってそうあいさつした。

 ディルクは作業していた顔をあげ、こちらに向かって手を振ったのは見えたが表情は遠くてわからない。

 と、ディルクから少し離れた位置で草取りをしていたディルクの息子のうち、最年長を残して二人が俺たちの方に駆け寄ってきた。


 「わー、ワンちゃんワンちゃんだ!」


 そんなことを言いながら、荷車を引いているフデに近づく。

 その様子を見てディルクが急いで走ってくる。


 ディルクが来る前に息子二人は、フデの毛皮をわさわさと触り出した。


 「おー、思ったよりザラザラしてるぞ!」


 「頭のここだけ白いの、何でー?」


 二人に撫でまわされているフデは、目を閉じて大人しくしている。


 「おい、お前たち、離れろ!」


 俺たちの所に辿り着いたディルクが、二人を抱き上げてフデから引き離した。


 「デンカーさん、雪狼を里に連れてくるなんざ、普通なら正気じゃないですよ! あんたがたが襲われようと何しようと勝手ですが、村に被害を出すのだけは勘弁してください!」


 ディルクは怒りを抑えながらそう言った。

 やっぱり村人の中には、雪狼に対しての恐怖が口伝えで伝わっているようだ。


 「父ちゃん、このワンちゃん大人しいのに何でー?」


 「バカッ、こいつは雪狼って言って恐ろしい魔物なんだ! こいつはその気になったら目にも止まらない速さで人を襲うんだぞ!」


 ディルクに怒鳴りつけられた息子二人は、ディルクの勢いにびっくりしたのか泣き出した。

 フデはそんな様子を首を曲げて何となく心配そうに見ている。


 「ディルクさん、予め話しを通しておかず、驚かせてしまったことは申し訳ない。でも少なくともこいつ、フデは無暗むやみに人を襲ったりはしない。

 雪狼は自分を打ち負かした者には絶対服従する、そういう意味では従順な獣なんだ。フデは私たちの言うことには従うし、村人を襲ったりしないように言い聞かせてある」


 ダイクがそう説明する。


 「そんな口ばっかりじゃ信用できないよ! 昔この村がそいつらを始めとする魔物たちにどれだけ酷い目に会わされたか! ダイクさん、あんたは悪い人じゃないとは思うが、あんたは心情が少しばかり雪狼に傾いてるんじゃないかね!」


 「何だと! 村長、それはどういう意味だ!」


 「待って、ダイク! ちょっと落ち着こう。

 ディルクさん、事前に相談しなかったことは謝ります。申し訳ありませんでした。

 ただ、この雪狼、フデに関しては、ダイクだけでなく私たち全員が責任を持ちます。もしフデが人を襲ったりしたら、私たちが責任をもってその方に対してあらゆる補償をします。

 フデは賢くて、私たちの言うことを聞いてくれますが、それは私たちがゆっくり皆さんにその様子をお見せして信用してもらうしかない、そう思っています。

 ですから、何かあった時は私たちが責任を持ちますので、フデが私たちと一緒に過ごす、そこだけは何とか認めて下さい、お願いします」


 俺はそう言ってディルクに頭を下げた。


 その様子を見てハンスも頭を下げる。


 「何かあったらデンカー商会の誇りにかけて補償はさせていただきます。ディルクさん、これはこの村の将来のためにも大事なことだと私たちなりに思ってやってることなんです。何卒、そこだけは汲んでいただけませんか。おい、ダイク、仏頂面してないでお前も頭を下げろ。物を頼む態度じゃないだろうが」


 ハンスはそう言ってダイクの肩に手を回し、背中を曲げさせようとする。

 ダイクも、怒りを飲み込んで頭を下げた。

 ドノバン先生、フリッツも頭を下げている。


 ディルクは不承不承といった様子で吐き捨てるように言う。


 「そこまで頭を下げられちゃ、こっちもむず痒くなるんで頭を上げて下さい。

 デンカーさん達がその雪狼を責任もって面倒見てくれるって言うんなら、デンカーさんたちとその雪狼が村で過ごすのは認めますよ。

 ただ、村人に絶対に被害は出さないようにくれぐれも気を付けて下さい。もし万が一被害が出たら、補償はもちろんのこと、その雪狼も処分してもらいます。必ずお願いしますよ。

 どんな態度を雪狼と仲間の狼野郎が取ったとしたって信用ならねえって思ってる村人も多いんでね」


 そう言うとディルクはまた作業をしていたところに戻って行った。


 俺たちも暗き暗き森に向かって歩き出した。


 「ハンス、ありがとう。私の言うことを裏打ちしてくれて」


 「何、あれくらいお安い御用ですよ。何てったって私はデンカー商会の手代なんですから」


 「それにしても、本当にこの村の人たちは、雪狼に対しての恐怖感が根強いですね」


 ドノバン先生がそう言う。


 「まあ無理もないだろう。雪狼は森で出会ったら最悪だからな。群れで狩りをする上に時々見えない速さで動くから、逃げ切るのはまず不可能だ。 群れずに単独行動をするグリズリーの方がまだ逃げられる可能性があるくらいだからな」


 フリッツが兄キャラで、眼鏡をクイッと右手の人差し指で上げながら言う。


 ディルクたちの姿が見えなくなり森の入り口が見え始めた時、ダイクがフデの引いている荷車から斧を掴むと、消えた。


 と思った瞬間、森の入り口に立っていたトレントが、ガーンという音と同時にゆっくりと倒れた。


 ダイクが瞬足で移動し、トレントを斧の一撃で切り倒したのだ。


 「あーあ、怒りを木にぶつけちゃって、まあ」


 ハンスがそれを見て呑気に言う。


 「つってもディルクの言い草は、ダイクにとっては腹に据えかねるでしょうからね。ああやって木に当たるくらいだったら許してやってください」


 「フライス村の人たちって確かに人間しか見かけないから、獣人に対して偏見があるのかい?」


 「まあ、そうでしょうね。人間しかいない村ってのは結構ありますが、そういう村では獣人に対しての見下しやらはザラにあって根強いですよ。人間が獣人の集落やらを征服して、奴隷身分でこき使ってましたからね、昔は」


 初耳だ。


 聞いたことが無い。


 だいたい、獣人の方が人間よりも優れた身体能力を持っているから、征服された民ってのが信じられない。


 「まあ、今のアレイエムには奴隷なんていやしません。エイクロイドやハラス、イグライドなどネーレピアの国々では奴隷身分だった被征服民は自らの対価を支払い終わって、少なくとも平民になってます。今でも奴隷って身分があるのはウッド・ハー帝国と新大陸くらいじゃないですか」


 「ですが、ある意味、王家直轄領や貴族領の農民の方が農奴という奴隷に近い状態が近年まで続いてましたからね。彼らは移動を制限され農地から離れられない生活でした。

 その点は今でも農村部の農民は殆ど農地のある村から離れませんが、少なくとも自分の土地が与えられている分、農奴からは脱却しています」


 「しかし、自分の村から離れない分、自分の村に存在しないかつての奴隷身分だった獣人に対して、自分たちよりも下の存在、という思い込みや偏見は抜け切れていないのだ」


 ハンス、ドノバン先生、フリッツが順繰りに説明してくれた。

 なるほどな。


 そう考えると、ダイクはよく我慢してくれた、と言うべきだろう。

 俺はダイクのところまで走って行った。

 ダイクは俺が走り寄るまでの間にもう3本、トレントを一撃で倒していた。


 「ダイク、済まなかった! よく我慢してくれたよ、本当にありがとう!」


 俺はダイクに走り寄ると、そう感謝を伝えた。


 「殿下、…申し訳ございませんでした。人間しかいない農村ですから、あの程度の物言いをされることなど覚悟していたつもりでしたが、私はまだまだのようです」


 「何言ってんだい、ダイク。本当によく我慢してくれた。

 済まない、獣人が所によっては偏見を持たれていることを私は知らなかったんだ。ダイクに説明させてしまって悪かった」


 「いえ、殿下が悪い訳ではありませんし、ディルクが悪い訳でも……いや、ディルクはいつかぶっ飛ばさないと気が済みませんが。

 私も第一騎士団に所属していて王宮外にはアレイエム市中に非番で繰り出すか、騎士団の演習等で原野、山林などに行くかしかしていませんでしたから、農村部で獣人が見下されているってことを聞いてはいても実感してなかったんで、いきなりディルクにああ言われてカッとなってしまったんです。

 まだまだ修行が足りてなかったんですよ」


 そう言って先程のことを省みるダイク。


 「フデの件は、私が先走り過ぎた部分があったかも知れません。ただ、雪狼の習性や性質は村人にもいつかは理解してもらわないといけない部分ですし、いつかは村人の目に触れることになったでしょうから、今回村でフデが条件付きでも過ごせるようになったことは、将来的に考えて良かったと思います」


 彼は外見からは想像もつかない、理知的に考えられる大人だ。


 そんな彼を、偏見を持っている人間に、なんとか理解してもらいたいと思う。


 「ダイクさん、ありがとうございます。

 私たちが切り倒す分が減って助かりますよ」


 ドノバン先生がそう言ってダイクに声をかける。


 「これでダイクさんが切り倒した木をフデに運んでもらって、フデがダイクさんだけじゃなく私たちの言うことを聞いて役立ってくれるという姿を村人たちに見て貰っていれば、村人たちの雪狼への過剰な恐怖感も少しづつ軽減されると思いますよ。

 ダイクさん、フデに関しては私たちに任せてください」


 「ドノバン先生、フデをお願いします」


 ダイクはそう言って頭を下げた。


 「何だよダイク、もう5、6本切り倒しとけよ、全く使えねーな」


 ハンスはいつもの調子でダイクを茶化す。


 「アホかハンス、お前は殿下と一緒にお勉強だろうが。関係ないことに口出ししてる暇あったら、一生懸命お勉強の仕方を思い出しとけっての。酒で頭ふやけてんだからよ」


 「はいはい、言ってろよ。俺たちが落ち着いて勉強できるようにオメーもしっかり森ン中駆けずり回って来いよ。俺が勉強捗らなかったら、そいつは魔物を見落としたオメーのせいだかんな」


 「あたりめーだ、アホ。この辺りの雪狼をまずは全部シメて手下にしてやるぜ」


 「おう、頼んだぞ。そんなのオメーにしかできねーんだからよ」


 ハンスとダイク、この2人は本当に良いコンビだな。




 俺はそんな2人の様子を見て安心した。










 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る