第46話 フリッツ=ライネル
ハールディーズ公爵領の湖畔の街ベルシュへ道具と資材の購入に行っていたハンスが戻ったのは、代官のマッシュたちをもてなしてから3日後だった。ちょうど出発してから1週間経った夕方、俺たちが暗き暗き森から戻る時間に合わせたのか、俺たちが代官屋敷に戻るとちょうど3台の荷馬車から荷物を下ろしていた。
ライネル商会の荷馬車3台のうち1台に同乗させてもらってきたというハンスは、代官マッシュへのもてなしの宴を聞いて残念がった。
「いやー、殿下、そんな素敵なことをされるのでしたら、私がいる時に是非やって欲しかったってハナシですよ。あのハラス産ワイン開けちゃったんですね~トホホ」
おいおいトホホはないだろう、実際トホホなんて口に出してるの初めて聞いたぞ。
「まあ、そんなこともあろうかと、ハラス産じゃないですが、ハールディーズ領で作られたワインを樽で仕入れてきましたよ。あと、殿下にも飲んでもらおうと思ってエールも樽でしこたま仕入れて来ました」
見れば3台の荷馬車のうち1台の荷は全て樽だ。
「オイオイハンスゥ、オメーはどんだけ飲めば気が済むんだ全くヨォ」
ダイクが久々にハンスに絡む。
ハンス不在の間もダイクは別に変った様子は無かったが、やはりハンスがいると嬉しいのだろう。
そう言ってハンスをくさすと、ダイクは荷馬車から荷を下ろすのを手伝いに行く。
俺は気になった事をハンスに小声で聞いた。
『ハンス、さっきから私のことを殿下って言ってるけど、ライネル商会には何て言って誤魔化してるんだい? ライネル商会の担当者には私がフライス村にいるってことをあまり知られたくないので適当に誤魔化すようにって言っといたはずだけど』
「それなんですがね、殿下」
ハンスは普通の声で喋る。
「秘密なんてもんは、関わる人の口が多くなれば多くなるほど漏れやすくなる。殿下なら当然そんなことはご存じだと思います。ですから殿下はご自身のことをなるべく知られないようにって言い含められたんでしょう?」
「そうだよハンス。特にフライス村やノースフォレスト地区5ヶ村の村民には知られたくない。知られてしまえば余所行きの様子しかわからなくなってしまう。それじゃあ当初の目的の民の実際の暮らしを知る、が果たせない。それじゃ困るんだよ」
「殿下のそのお気持ちは私もわかっております。ただね、殿下、考えてみてください。
殿下はただ民の暮らしを知りたい、覗き見したい、って思ってるだけじゃないでしょう? 民の現状の暮らしを知った後、民の生活をもっと良くしたい、そう考えてるんじゃないですか?」
「確かにそうだよ。私はアレイエムの発展のためにはまず民の生活の向上が絶対必要だと思っている。王侯貴族だけが民の犠牲の上でいい生活を送る、何てのは今後成り立たなくなるんだ」
「殿下はそう言われる方ですよね。それでね殿下、実際に民の生活を良くするとしても、私とダイクとドノバン先生とピアさんと殿下、5人だけで何とかなるとお思いですか?」
いや、それは無理だろうな。
ハンスもドノバン先生も、非常に優秀で万事に秀でている。ダイクは身体能力や武力の面で人間以上に突出している。ピアも家事全般に通じている。
この4人なら、ある程度のことまではできる。例えば今進めている暗き暗き森の中の拠点作りなら、エルフのリューズの助力もあるし十分可能だろう。
ただ、今後、フライス村の中に何らかの施設などを作ったり、事業を興そうとすると、この4人だけでは到底無理だ。
村人の協力も多少なら得られるかも知れないが、基本的に村人にそこまでの余裕はない。
「ハンスの言う通り、確かに私たちだけでは難しいだろうね」
「でしょう? ですから、今のうちにしっかり箝口令を敷き、カバーストーリーを演じてくれる同志は作っておいて損はない、と思った訳でして。
フリッツ、こっち来いよ。殿下に挨拶してくれ」
そう言ってハンスは荷馬車の近くに居た一人の人物を呼んだ。
フリッツと呼ばれたその人物は、ハンスと年はそう変わらないように見え、赤毛で眼鏡をかけた知的な人物だ。身長はやや低めだが、整った顔をしている割に体はがっしりしている。
「フリッツ=ライネルと申します、ジョアン=ニールセン殿下。直接ご挨拶させていただく機会をいただきましたこと、身に余る栄誉と存じます」
「殿下、こいつは聞いての通り、ライネル商会の跡取りです。殿下がフライス村に来てることは私の一存でこいつには打ち明けちまいました」
「殿下のお考えと事情についてはハンス殿から聞き及んでおります。今後、フライス村で殿下が何か事業を行おうとする場合、私共の力をお使い頂きたく存じます」
スラスラと淀みなく話すフリッツ=ライネル。
「ハンス、こちらのフリッツさんとはどのような関係なの?」
「フリッツは私よりも一つ年上なんですが、今でこそこんな折り目正しい挨拶してやがりますが、2年前まで手の付けられない放蕩息子でね。よく王都の酒場で飲んだくれて騒ぎを起こしてたんですよ。でまあ私がこいつのケンカを止めたりしてるうちに何となく打ち解けたっていうか、そんな関係です」
「殿下、お会いしたばかりでこんなことを申し上げるのは不遜、と思われるかも知れませんが、ハンス殿は殿下のお側仕えにふさわしい人格の持ち主ではございません。まだ若かった頃の私に散々飲み食いでたかり、尚且つ騎士と言う立場にも関わらず悪所に私を
かけている眼鏡を人差し指で押し上げながらそんなことを言うフリッツ。
「フリッツよお、金は天下の回り物、だろっ? 持つものが持たざる者に施すべき、神もそう仰っているぜ。それに悪所はどっちかっつーとオマエだろ、行きたがってたのは」
「まあまあ、それくらいにしてよ。ハンスとフリッツさんが仲が良いのはわかったからさ。
それでフリッツさん、ハンスから聞いたとはいえ、どうして私に協力しようとしてくれるの?
まだ8歳の幼児だよ? 普通に考えれば世間知らずもいいとこだよ?」
「殿下、私共のライネル商会は殿下の考案した湯たんぽに洗濯板を製造販売させて頂いているのですよ? 王家名義の特許となっておりますが、それなりの見返りを使って調べればどなたが考案されたのかは何とかわかります。
殿下が考案され、更に製造、販売に当たっての腹案を出されたこともわかっております。そのような方が新しく何かを始められる時に一番に助力できれば、名誉はもちろんのこと実利も大きなものとなる、そう考えれば当然のことでしょう」
「なるほどね、フリッツさんは私が何か行うことが利益を生みそうだと考えたってことだね」
「身も蓋もなく言ってしまえばそういうことになります」
「そのためなら私の秘密も守れる、そういうことだね?」
「はい、殿下が身分を隠してフライス村で動きたいとお考えなのであれば、殿下の秘密を守るために最大限の努力はさせていただきます」
「わかったよ。フリッツさん、今後の助力をよろしくお願いするよ」
「ありがとうございます、殿下! このフリッツ=ライネル、殿下のために身を粉にして働く所存です」
「ありがとう、フリッツさん。ならカバーストーリーだけど、聞いてる?」
「はい。ジョアン殿下は王都にあるデンカー商会の息子、ジョアンということになっているのでしょう? 私はライネル商会の息子ですが、デンカー商会に修行のため奉公に出されている、ということにさせていただきます。今回荷馬車と一緒に来た者たちは、デンカー商会の従業員ということでお引き回し下さい」
「ありがとう、フリッツさん。では今から私はデンカー商会の息子ジョアン=デンカーということで、言葉も砕けた話し方にしてね」
「わかったよ、ジョアン。これでいいのかい?」
「おお、兄キャラだ」
「オイオイフリッツ、調子乗りすぎじゃねーのかぁ?」
ハンスがフリッツの口調の変わりぶりに戸惑ったように言う。
「いや、いいよハンス。この方が面白いから」
「ジョアンは考え方が柔軟だな。ハンスも見習った方がいいぞ」
いや、ハンスは十分柔軟だと思うんですけどね。
荷馬車から荷物を下ろし代官屋敷に運び込んだ後、ハンスが購入してきた荷物を確認する。
斧、ノコギリ、ノミ、金槌、がそれぞれ10程。結構多めだ。
他に多量の釘、針金。 針金は有難い。色々な使い道がある。
忘れちゃいけない双眼鏡。5個は有難い。
そして俺の目を引いたのは、シャベルだ。
俗に言う剣スコ。先端の尖った、軸の先に握りが付いたシャベル。それが10本。
「ハンス、これ、どうしたの?」
「ここに着いた後、殿下と
この
「ジョアン、ハンスはその間私の金で酒場に入り浸っていたんだぞ」
フリッツがそう言う。まあ予想できていたことだ。
「フリッツさん、まあそれは最初からわかってたんで。お金のことは出世払いってことにしといてあげて下さい。
ハンス、これは本当に有難いよ。よくやってくれた」
シャベルは本当に有難い。土木作業をするにあたってかなり効率が上がるだろう。
他のろうそく等の雑貨類などを確認していると、同じ絵本が3冊あるのが目に入る。
『自慢のお兄ちゃん』ミサーマル=コウ=タリオ作。
「ハンス、これはどうしたんだい?」
「そいつは有名な絵本ですよ。殿下たちは暗き暗き森の拠点が完成したら、リューズの嬢ちゃんと言葉を教え合うんでしょう? 言葉を覚えるのには絵本がいいって、貴族の子弟なら常識ですよ」
ハンスのこうゆう気の利くところは本当に助かる。
「ありがとうハンス。リューズもきっと喜ぶと思う。早く拠点を完成させて言葉を教え合わないとね」
本当にそうだ。早く言葉をお互い覚えないとな。
女子高生永田未央の転生したエルフのリューズ。
彼女の知識は今後のこの国の為にきっと大きな力になる筈だ。
その晩はフリッツたちを交えてちょっとした宴になった。
「代官を囲んでの宴会には参加できなかったから、今日ぐらいは羽目を外させていただきますよ」
ハンスはそう言って大いに飲んだ。
フリッツもハンスと酒場と知り合っただけあってよく飲む。
樽でワインを買ってきているからか、この2人は鯨飲した。
ライネル商会の従業員やダイク、ドノバン先生は弁えた量を飲んでいる。
「ハンス、明日から暗き暗き森の拠点を本格的に作るんだから、あまり飲み過ぎないようにしておくれよ」
俺がそう言ってたしなめるが、ハンスとフリッツの酒は止まらない。
「ジョアン=デンカー、8歳ならエールくらい飲まないと、一人前の男じゃないッスよー」
ハンスが絡む。
「そうだぞジョアン、私はもう5歳からエールを飲んで育ってきたのだ。母の乳よりも飲んでいる期間が長いのだー」
フリッツもそう言って絡んでくる。どんな理論だ。
「あー、わかったよ、1杯だけ頂くよ」
俺がそう言うと
「おっ、ジョアン=デンカー、いい男ッすね、さすがデンカー」
「さあジョアン、ぐいっといけ」
そう言って酔っ払い共が俺に木のジョッキに並々入ったエールを渡してくる。
まあ前世では6歳の頃から祖母の飲んでいた養命酒を盗み飲みしていた俺だ。
大丈夫だろう。
グイッといく。
おお、旨い。
何と言うか麦だ。パンを飲んでいるようだ。
こりゃ旨いぞー!
俺はノドを鳴らしながら、一気に飲み干した。
「どうじゃーハンス! 私をナメたらいかんぜよー!」
この世界での初の飲酒。その事実に興奮してついついいつもとは違う口調で叫んでしまった。
「おおっツ! やりますなデンカー! 私も負けてはいられませんなー!」
「当然、年長者として負けられんな!」
酔っ払い二人が調子に乗ってまた飲む。
そんな二人をしり目に、俺は酔いが回ってきた。
いくらアルコール度数が低いからと言って、やはり酒は酒だ。
この世界で初めてアルコールを受け入れた俺の体は、ガンガンアルコールを血液が運んで全身に回して行っている。
トイレに行きたくなってきた。
「ごめん、私はトイレに行ってもう寝る」
そう言って俺は外のトイレに行く。
アルコールが括約筋を緩めるのか、便意がある。
トイレで排便、排尿しすっきりする。
ふう。
部屋に戻って今日はもう寝よう。
気なしにいつも通り
ん-、何か違う部分に水が当たってるぞ?
いつもなら肛門を洗浄するように水が出る筈の水魔法が、何か股間の前の部分に当たっている気がする。
というか当たっている。
気が付けばズボンとパンツがビショビショになっていた。
こいつは……魔法の制御はアルコールが入ると上手く行かなくなるッ!
その事実に俺は驚愕した。
そして、どうやって誰の目にも見つからずに自分の部屋に戻ろうか。
この濡れたズボンを見られたら、絶対に俺がおもらししたと思われてしまう。
俺はトイレの中で頭を抱えた。
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