第42話 呪いを解かれる
暗き暗き森のエルフの少女、リューズの前世だった高校生、永田未央は、俺が担当していて俺が死ぬ前に最後に訪問した永田チヨノさんの孫だった。
高校生永田未央は、隕石落下の土砂に巻き込まれ命を落としたが、前世の日本で生き返ることは可能だった。
だが、俺が担当していた永田チヨノさんの認知症状が悪化したことで、永田未央は永田未央に戻ることを諦めた。
リューズになる前の女子高生永田未央すら救えない俺。
そんな俺が王子? アホか。
偉そうに出来る立場か。
下らない、無力な俺はもう消えた方がいい。
そうだ。
魔法で脳幹への血流を止めよう。そうすれば静かに呼吸が止まる。
この期に及んで苦しくない死に方を考える俺は、度し難い小物だ。
やっぱりどうしようもない男だ。
俺は土魔法で、自分の脳動脈に硬い土の塊が詰まることをイメージした。
ドスッ
何かが俺の左足の太腿に当たった。
そのせいで土魔法のイメージが途切れてしまった。
俺は自分の左の太腿を見た。
俺の左太腿から矢が生えていた。
竹の矢。
リューズを見ると、リューズは弓を脇にしまい、俺の前に
矢で止められていた血が、矢を引き抜くことで吹き出す。
俺はその時やっと左太腿に激痛を感じた。
立っていられず、膝をついてしまう。
そうすると太腿の筋肉が伸びて、ますます痛みが激しくなる。
思わず両手で矢傷を押さえ、「痛ッ!」と呻いた。
リューズはいつかラウラ母さんがしたように、俺の横っ面を左手で張りつけた。
リューズの左脇に抱えていた弓がパサッと地面に落ちた。
そして俺の両掌を矢傷からはがし、代わりにリューズの両手を俺の左太腿の矢傷に当てると、リューズは目を閉じ集中し始めた。
俺の体の中の何かが左太腿の矢傷に集まっていく、そんな気がする。
リューズが手を放すと、左太腿の痛みが消えていた。
同時に俺の中であれだけ渦巻いていた許せない自分への殺意もかなり消えていた。
リューズは俺の左太腿から引き抜いた矢を矢籠に戻し、落ちた弓を拾うと、もう一度、今度は右手で思いっきり俺の左頬を引っ叩いた。
『ジョアン、君ってトリッシュから貰った特典、何となく雰囲気で自分の考えを伝える力、だったっけ? あれだけおどろおどろしい殺気出されたら、こっちも止めるにはかなり手荒なことしないと、ってなるよ! 私に殺気が向いてたら、躊躇なくあんたの心臓ブチ抜いてたわ!』
『ああ、ごめんリューズ……助かった』
『さっき私の話をした時に私言ったよね! もう吹っ切れてるって! もうこっちの世界で産まれて生活して8年、7回も冬を越したんだよ。ねえ、この世界の冬って、本当に生き物生きるのが大変なんだよ。私たちエルフはそう簡単に死なない、強靭な種族らしいけど、それでも少しでも弱っていたりすると死にそうになる者だって出る。この厳しい現実を知っちゃうと、前世のお祖母ちゃんの認知症がひどくなったのだって、認知症がひどくなっても生きていける、幸せな世界と時代だったんだ、ってそう思うんだよ?
ジョアンがお祖母ちゃんのケアマネージャーだったのは知らなかったけど、お祖母ちゃんがああなったのはジョアンのせいじゃない。お祖母ちゃんにとっての運命、自然の摂理だったんだよ』
『でも、少なくともリューズの前身の未央さんが悲しむようなことにならないようには出来たんじゃないかと、どうしても思ってしまうんだ』
『……ジョアン、それは結果論だよ。あの時ああしておけば、そんなの私だっていくらでもあるもの。お祖母ちゃんにシャワー浴びせようとした時、もう少し温度を
もういいじゃない、ジョアン。自分の過去の悔いに襲われて自分に殺意向けたりするのはさ。
前世の記憶で自分を殺すなんて、まるで呪いだよ』
『呪いか……確かにそうかも知れない。自分で自分を呪っていたんだな』
『さっきのジョアンは本当にヤバかったよ。何と言うかね、とにかく自分自身を消し去りたい、自分自身が憎らしい、そう言う感情だった。憎しみってさ、こっちに向いてても本当に厄介だと思うんだけど、自分自身に憎しみを向けて自分自身を殺そうなんて、多分他のどんな存在もそうは考えない。人間だけの、いや、恵まれた人間だけの感情なんだと思う。恵まれた環境じゃなかったら、毎日生きるのに必死だったら、自らを殺そうとはしないよ。例え餓死しても、多分最後まで生きようとあがいた結果が死、そうなるんだよ。さっきのジョアンは魔法で自分自身に何かするつもりだったんでしょ?』
そう言いつつリューズは草の上に腰を下ろす。
『自分で自分の脳動脈に土魔法で土の塊を出して血流を止めようとした』
俺も腰を下ろし、体育座りをしながら答えた。
『それ、本当に出来たら、ジョアンは規格外になっちゃうよ? 多分私たちエルフの方が魔法の扱いは人間よりも上手いんだと思うけど、水中に石とか土とかは出すことができないからね。脳動脈なんて血液が一番勢いよく流れてる血管だから、普通は無理だよ』
そうか、確かに言われればそういうものだろうな。今まで俺も水中に土や石を出したことは無かった。
でも、さっきの感覚、イメージ、行けそうな気がした……
『ジョアン、もう一回やろうとか思わないでよ。水中に土魔法で何か出せるか試したいんだったら、あとで川とかでやんなよ。せっかく止めたのにまた死のうとされちゃ、私が体力使っただけでくたびれ儲けだよ』
『くたびれ儲けって……よくそんな言い回し知ってるね』
『そりゃあ、お祖母ちゃん子だったからね。お祖母ちゃんの言い回しは覚えてるよ』
『なるほどね。チヨノさんはリューズの中に息づいてるんだな。気が強いところとか、似てるよ』
『そうかー、そうかもね……お祖母ちゃんの影響、けっこう私受けてるんだね……うん、そうだよ。お祖母ちゃんにはもう会えないけど、私の中にいるんだよ、お祖母ちゃんが。そうゆうことだよ、うん』
リューズは、本当に祖母のことは割切ったつもりだったのだろうが、やっぱり前世の祖母の影響は残っている、そのことを改めて受け入れたように見えた。
『ジョアン、私はさ、やっぱり外の世界に行ってみたい。エルフの暮らしが嫌な訳じゃないんだ。今の父さん母さんもいい人……いいエルフ? なんだけどね、前世のお祖母ちゃんのために始めた勉強だったけど、森の中の生活だけだと生かしきれないんだ。それがもどかしいというか……何か役立てたいって思うんだ』
『リューズがそう思うんだったら、俺は協力を惜しまないよ。むしろ、こっちが協力してほしいくらいさ。俺は今のアレイエムに不満があるんだ。特にトイレとかね』
『ああ、トイレはね、確かに』
『エルフも排泄するのかい?』
『ジョアン、君は少しデリカシーってもんを持ってよ。8歳の少女に聞いていい事じゃないよ。うちの集落に行ったときに父さんに聞いてよ』
『そうか、済まないね。リューズの方が随分俺より年上に見えるからさ、つい』
『中身は前世の父さんより上の年のくせに良く言うよね』
グハッ!
『なあ、リューズ、昨日言うの忘れてたけど、オッサンは結構心がナイーブなんだぜ……』
『外見は金髪西洋人の幼児なんだからさ、あんまりそういうこと言うと可愛げが半減するよ』
『そんなの知らんがな……』
俺は絶句した。
だが、リューズのおかげで俺は自分の魂の傷が、自分が自分ににかけた呪いなんだと理解できた。
普通なら死んだ段階で魂は記憶リセットされる訳だから次の世に呪いを持ちこしたりはしない。
特殊な状況の俺の魂だから前世の呪いを引き継いでいる。
確かにリューズの言う通りで、前世の自分の記憶のせいで、現世の生を自ら断つなんて傍から見たら理解不能の呪いだ。
俺はこの8年間でかなり魂の傷が塞がったと思うが、前世での直接自分を責め、自分は無力だと思わされた原因の一つ、担当していたケースの家族の言葉によってふたたび魂の傷が開き悪化し、そして家族の言葉と手粗い方法で救われ治癒された。
結局全てリューズのおかげだが、一つ魂の傷の原因を克服できたと思う。
前世で女子高生だったリューズに救われた。
ちょっと元50過ぎのオッサンとしては恥ずかしいが、今生まれ変わっている俺は8歳なんだからいいんだよな、と思うことにしよう。
それにリューズももう永田未央ではない。
さっきの問答無用で矢を俺に射るというのは、リューズとしてこの森で生きてきた中での瞬時の判断なのだろう。
しかも命に関わらない足を瞬時に狙って射っているのだから、リューズの弓の腕前も相当なものだ。
リューズの弓矢は魔を払う破魔矢。
ふとそんなことを思った。
俺とリューズはそうして少し言葉を交わした後、持ってきた水で俺の手足、リューズの手と矢に付いた俺の血を洗い流した。
ズボンの左太腿に空いた穴は仕方がない。
嗅覚が発達しているダイクには流血したことはごまかせないだろうな。
また言い訳を考えておかなければ。
『ジョアンはこれまでもさっきみたいなことあったんじゃない? あれは周りの人間にはすぐヤバいってわかるくらいの雰囲気出してるからね』
『俺を産んでくれたラウラ母さんが治癒魔法を使えてね。おかげで何とか自殺したり鬱になったりせずに過ごして来れたよ。1回今みたいにひどくなりそうになったことあったけど、その時もラウラ母さんが引っ叩いて止めてくれたな』
『それ、本当にお母さんに感謝した方がいいよ。多分お母さんの治癒魔法のおかげで健やかに成長して来れたんだと思うし、お母さんだから止められたんだと思う。ジョアンがさっきみたいになったら、多分他人じゃ私みたいに相当手荒なことして意識を強引に捻じ曲げないと、止められないよ。
あれは、自然に生きてる生物が持つ感情じゃない。自分に対する強烈な殺意なんてね。それを傍で感じさせられるのって、凄く異質な、完全に周囲とは断絶した存在の気持ち悪さを突きつけられるんだ。
トリッシュがその力をジョアンに授けてなかったら、お母さんにも様子がおかしいのを気づかれず、良くて引きこもり、最悪自殺してて、今こうして私と会えなかったかもよ』
『トリッシュの奴、アカシックレコード厨ってだけじゃなかったんだな。きちんと俺のこと考えてくれてたってわけだ』
『ちなみに私も3番目にもらった能力、いまだに意味がわからないんだ』
『リューズは何貰ったの』
『ここ一番の決定力、だって』
『……サッカー広めないと意味ない感じ?』
『そんなことないって言ってたけど、どうせならサッカーも国どころか世界中に広めたいな』
『あー、そうだね。いつかはワールドカップとか開きたいね』
『その前に国内リーグ作らないといけないでしょ』
『そうだね、最もその前に色々と暮らしの上での課題が多いから、人々がサッカーやれる余裕ができるくらいの暮らしにしていかないといけないな。リューズ、そのためにも色々と力を貸しておくれよ』
『ええ、私がどれだけ、どんなことが出来るか解んないけどね、精一杯やりたいと思う』
さて、そのために今後どう動いて行くのがいいのか。
まず、リューズの父母に会って、リューズが森の外に出る許可は貰わないといけない。
そのためにはリューズに俺たちの言葉を通訳してもらうようではダメだ。
となると少なくとも誰か一人はエルフの言葉を覚えなければならない。
逆にリューズが森の外に出るとしても、リューズも俺たちの言葉を覚えなくてはならない。
とすると、森の中のどこかに勉強できる拠点は必要になるな。
『リューズ、やっぱりリューズの親御さんにリューズが森の外に出る許可を貰うとしても、私たちが直接親御さんに会って、私たちの人となりを親御さんに知ってもらう必要がある。そのためにはエルフの言語を私たちが覚える必要がある。だから、リューズにエルフの言葉を教えてもらいたいんだけど、そのためにどこか森の中に拠点作りたいんだ。どこかいいところない?』
『この先、少し歩いて丘陵を越えたところになるけど、川に近いちょっとした高台みたいな場所があるよ。そこにテントか小屋を作ればいいんじゃないかな。水場は近いし、煮炊きするとしても便利だから。テントはこれを使えば簡単なのはすぐ張れるよ』
そう言ってリューズは腰に付けた大き目のポーチから、きれいに畳まれたスライムの皮膜に似た透明なものを取り出した。
『これはスライムの皮膜を加工したもの?』
『そう。これはよく見ないとわからないけど裏表があってね、裏は水を通さないけど、表は水を通すっていう性質を持ってるの。だからこの裏が外側に来るように張れば水を通さない簡易テントの出来上がりってわけ』
凄いな、スライムの皮膜。何か色々と使い道ありそうだ。
『私たちはこれを使って雨合羽みたいな雨具を作って使ってるよ』
ああ、単純にそれも欲しいな。
『スライムって結構生き残ってるの?』
『そうね、けっこう普通に生息してるわよ。私たちはまとめて飼ってるけどね』
『まとめて飼ってるって、スライムの食べ物とかどうなってるの? 人間でも飼えそう?』
『スライムは森の掃除屋よ。堆積した木の葉っぱや動物の排泄物を食べて、植物に必要な養分として排出してくれるのよ』
マジか!
『そんな都合のいい生物が居ていいの?』
『居ていいのも何も、居るんだから仕方ないじゃない』
そりゃそういうもんかも知れないけど。
『スライムが居ると、その周辺の植物は成長が早いわよ。暗き暗き森がこれだけの自然を残しているのも、そのおかげなんじゃないかな』
まあ、その辺りは今後観察してから検証しよう。
『じゃあ、みんな戻ったら、リューズの言う場所に移動しよう』
しばらく待つと皆戻ってきたので、森の中の拠点を作ることを伝えた。
ちなみに俺の左太腿のズボンの破れ傷は、森の中の落ちて枯れた木の枝に誤って引っ掛けて怪我をしたのをリューズに治してもらってズボンの破れは残った、ということにした。
「確かに今後も腰を据えて暗き暗き森の探索をするとなると、拠点はあった方がいいですね」
ハンスがうなづく。
「暗き暗き森のエルフの言語ですか、興味深いですね」
ドノバン先生も知的好奇心をくすぐられている。
「水場が近い方が何かと便利ですね」
ダイクも賛成する。
「じゃあ、いまからその場所へ確認の為に向かおうか」
俺たちは雪狼を連れて拠点候補地に移動した。
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