第34話 エルフとの遭遇
俺たちは森の中の道をヒヨコ岩を目指して更に進んだ。
何十か所と道の真ん中に木が生えているところを避け、10分程度進んだところで大きな岩が見えてきた。
多分あれがヒヨコ岩だろう。
確かに東京土産ひよこのような形だ。
最もこの世界に誰かが東京土産のひよこを持ち込んだとは思えないから、どんな世界でも鳥のヒナの抽象的な形はこんな風なんだろうな。
「殿下、ここを見て下さい」
ダイクがヒヨコ岩の裏側の地面を指して言う。
何かの木の実の殻が沢山落ちている。
何者かが多分、木の実をここで剥いて食べた。
フライス村の村人ではないだろう。
暗き暗き森の住民だ。
エルフか?
あるいはサルの可能性もある。サルが住んでいるのかは知らないが。
木の実の殻は昨日の雨で濡れているが、中に溜まった土埃の感じからすると、そんなに何日も前の物ではなさそうだ。
『みんな、静かに』
ダイクが小声だが通る声で警告する。
『森の奥から誰か近づいてきます』
俺には全然何も聞こえない。
ハンスとドノバン先生も同様のようだが、ダイクの警告に従い、皆息を潜めている。
風向きが丁度森の奥からこちらに流れている。森の奥の人物に臭いなどでこちらの様子を気づかれる可能性は低い、はずだ。
『見えました。私の左手の方向です』
ダイクが左手を真っ直ぐ森の中に向けている。
その方向を目を凝らして見ると、確かに何か動いて、ゆっくり森の中の斜面を降りてこちらに向かってきている。
緑の髪に茶色の服、貫頭衣のような上から被るものだろう、膝のあたりまでの丈がある。それを腰の部分で紐かベルトでくくっている。足元は革製のサンダルだろうか、膝のあたりまで革紐をぐるぐる巻きつけて足に密着させているようだ。
耳は……尖っている。
背中に矢籠を背負い、左手に弓を持っている。
その人物は一人だけだ。仲間がいる様子はない。
これでエルフじゃなかったら、何だというのか。
『ダイク、私が前に出て、コミュニケーションを取ってみる。ダイク達は少し待っててくれないか』
『殿下、危険です! 殿下をそんな危険に晒すわけにはいきません!』
『考えてみてよ、いつも自分が行く場所に知らない奴が大勢で
これは命令だから、反論は聞かないよ』
『わかりました。もし殿下が危ないとなったらすぐにハンスと瞬足で助けます。ハンス、頼むぜ』
『しゃーないですね、殿下は。殿下が命を落としたら、我々の首も物理的に飛びますからね。くれぐれも無茶しないで下さいよ』
それを聞いて、俺はゆっくりと立ち上がり、笑顔でその人物の方向にゆっくり歩いて近づく。
考えても見てくれ、初のエルフとのコミュニケーションだぞ。
嬉しくないはずないじゃないか!
向こうも俺に気づき、警戒したように立ち止まる。
俺はなおもゆっくりと歩を進める。
顔は当然笑顔だ。
自信がある。
こんな時こそ、「何となく雰囲気で考えを伝える力」の出番の筈だ。俺に敵意はない。むしろ楽しみなんだ。伝わってくれ。
じゃないとやばい。
10m程の距離で立ち止まり、話しかける。
「こんにちは。昨日はひどい天気でしたね」
相手は無言だ。
エルフを見るのは初めてな俺だが、人間で言えば15歳くらいの女の子か?
胸が何となくふっくらしているし、体つきも丸みがあって男性には見えない。
「雨がひどいと、森から色々流れてくるんで、流れてきたものが何なのか聞きにきました」
そう言って俺はそーっとビニール様の透明な謎物体を広げて見せた。
エルフはそれを見て言葉を発した。
「〇n▽×♠&♣UPIDtkづwp」
え、何々、もしかして人間とは言語が違うのか?
嘘だろ?
「殿下! 危ない!」
ダイクの声と同時に俺はエルフの方に突き飛ばされて転がった。
パッと血しぶきが散ったのが見えた。
ダイクが瞬足で俺を突き飛ばし、襲い掛かってきたものをマチェットで切断したのだ。
巨体の狼が前足を切られて後方に勢いよく転がっていった。
狼たちが俺たちがエルフに気を取られた隙に、風下からそっと忍び寄って来て、一斉に襲い掛かってきたのだ。
俺の前のエルフにも巨体の狼が踊りかかる。
エルフは素早く矢をつがえ、狼の口の中を正確に射抜いた。
「ギャウッ」
狼は口中に矢を受け、後頭部に
空中で体を丸め、一瞬で狼は絶命しただろう。
しかし踊りかかった勢いのままエルフに狼の死体がのしかかった。
「♠&♚jyaイッ!」
エルフはとっさに避けようとしたが、下半身は狼の巨体の下敷きになった。
俺はエルフに駆け寄った。
「殿下、こいつらはハグレの雪狼のようです! 一頭は私がねじ伏せて配下にしました! 残り2頭を制圧してまいりますので殿下はここでお待ち下さい!」
エルフを見ている間にダイクがいつの間にか一頭の巨体の狼をひっくり返して組み敷いており、狼の喉元にマチェットを突きつけながら俺に言葉を投げる。
そして起き上がるとハンス、ドノバン先生に襲い掛かっている狼に向かう。
ハンスとドノバン先生もマチェットで狼の襲撃を防いでいる。
二人とも狼のスピードに惑わされずに、致命傷は避けるように立ち回っているようだ。
ダイクに組み敷かれていた巨体の狼も起き上がり、ダイクに従うように後を追った。
一方エルフは、狼の巨体の下から抜け出ようともがいているが、左足がまともに狼の死体の下敷きになっている。
狼の巨体が横向きに倒れており、エルフの左の太腿が狼の肩部分と地面にがっちり挟み込まれているのだ。
エルフの体を引っ張って抜けないかと一瞬思ったが、8歳の俺の力ではとてもエルフの体を引っ張り出すことが出来そうにない。
ハッ、無理に引っ張ることはない。無理に引っ張ったらかえってエルフの足を痛めてしまう。
俺は土魔法でエルフの足が挟まれている部分の横の土を30cm程盛り上げた。
思った通り隙間ができたので、エルフの足を隙間に動かした後エルフの背後に回り、エルフの腕の下から両手を入れ前で組み、思い切り後ろに倒れ込んだ。
俺がエルフの下敷きになってしまったが、エルフが起き上がろうとして上半身を起こしたので俺も起き上がった。
上手くエルフの足は巨体の狼の死体の下から抜けていた。
エルフが立ち上がろうとするので俺は肩を貸して手伝おうとしたが、エルフは左足の痛みに耐え兼ねてまた倒れてしまう。
「piw@eaoj♦vッ!」
そう言ってエルフが両手で抑えている左足を見ると、左膝から下が外側に曲がっている。
多分膝関節の骨折と靱帯を損傷している。
これはとりあえず応急処置で添え木を当てて固定しないといけない。
そう思い添え木替りになる木を探しに行こうと立ち上がろうとした。
立ち上がろうとした俺の手をエルフが左手で掴んだ。
「oia♣uqgtjegqgtgァ」
何か言われるが、さっぱりわからない。
「何、どうすればいいの」
エルフは掴んだ俺の右手を自分の左膝の上に置き、俺の手の上に自分の両手を重ねて置いた。
エルフの左膝はかなり熱を持って腫れている。
せめて冷やしてやりたいな、氷を出そうか、と考えていると、エルフが痛みに耐えながら静かに集中している。
何かするつもりか、と思っていると、何だか力が抜けていく気がする。
この感じ、2年前に魔法の使い過ぎでフラッとなった時に似ているぞ。
もしやこのエルフ、俺の体力も使って治癒魔法を使ったのか?
嘘だろ、人の体力を勝手に、と思ったが、そう言えば何かエルフに言われてはいた。
全然わからなかったけど。
やがてエルフは力尽きたのか、俺の方に上半身をもたれかけるように倒れてきた。
急いでエルフの膝から手を放しエルフの上半身を支える。
俺の上半身にもたれ掛かったエルフの髪が俺の顔にかかる。
エルフの緑色の髪の毛からはお日様の匂いがした。
俺は支えたエルフの上半身をそっと地面に横たわらせた。
エルフの左膝を見ると、さっきまでの腫れが引いており、不自然に外側に曲がっていた下腿も通常の角度に戻っている。
念のため左膝に触ってみると、熱は引いている。
やっぱり治癒魔法を使ったのだ。
ということはこのエルフ、魔法の使い過ぎで気を失ったんだろう。
考えてみれば治癒魔法は魔法使用者の体力と治癒対象者の体力を使う訳だから、俺の力を借りたのだとしても、このエルフは結構な体力を使ってしまった事になる。
とりあえず俺も結構な体力を使われた。水分補給くらいはしとかないと。
俺は背嚢から水筒(湯たんぽとも言う)を取り出し、水を飲んだ。
少し体に力が戻った気がする。
ズザッ、ズザザッ、と後方から重い音がするのでそちらを俺は見た。
さっきダイクに片方の前足を切断された巨体の狼が、3本足でこちらにゆっくりと這いずって来る。
こいつはもう野生動物としての生は終わったも同然だが、自分をこんな目に会わせたモノに、最後に復讐をしようとにじり寄って来たのだろう。
狼の目が怒りに燃えているように見える。
多分、普通の移動はもうできないだろう。
だが、健在な後ろ脚の瞬時の跳躍さえできれば、幼体の俺は屠れる、そう思っているのだろうか。
俺はマチェットを構えたが、はっきり言って今の俺の体ではこいつに対抗する手段がない。
闘争、格闘において重量差は絶対だ。
身長1mを僅かに超え、体重はようやく30kg程度の俺が、体長2.5m、重さ約500㎏の狼の突進を受け止めて切り伏せるなぞ、無謀な考えもいいところだ。
だが、俺の後ろにはエルフが倒れている。
俺が避けるか場所を移動するかすれば、この手負いの狼はエルフを俺の代わりに襲うだけだろう。
Grururu!
狼が怨念を込めて低く唸る。
来る。
狼が後ろ足の力を込め、俺に向かって飛び掛かろうとした時、俺は土魔法で狼の後ろ足の接地面を柔らかくすると同時に、狼の切り落とされた前足側の左側に全力で疾走した。
狼は期待していた地面の踏み込みが得られず、体をその場で伸ばしきってバランスを崩し切った状態になっている。俺はその隙に狼の目にマチェットを突き立て、すぐ引き抜いた。
GYAuuuu!
狼は突かれた目を残った前足で抑えようと体を丸めて転がり回る。
その隙に俺は手近な所に落ちていた太さ20㎝、長さ60㎝ほどの倒木を拾い、マチェットで切りつけ、先を尖らせる。
おあつらえ向きの木と枝があったので俺はそこに急いで登り、先を尖らせた倒木に抱き着くようにして、尖った部分を下に向け、狼に向かって飛び降りた。
倒木の先端は、潰された目を気にして横向きになって転げまわっていた狼の肋骨を折り、肺に刺さったようで、狼は血を吐いた。
俺は狼に刺さった倒木を引き抜く。
肺に穴が開いた狼は呼吸しても肺の穴から空気が抜けて呼吸ができないようだ。
徐々に動きが悪くなっていく狼。
俺はとどめに助走をつけて狼の口の中に尖った倒木を突き刺した。
狼はついに動かなくなった。
俺はそれを確認して、その場にへたりこんでしまった。
今になって自分が死ぬ寸前だった実感が湧いてきたのだ。
今の俺では手負いの狼一頭すらもあしらうことなんて出来ない。
狼に対しても、きれいにとどめを刺して苦しませずに命を絶ってやる、なんてことはできない。
自分が死にたくないという思いで、何度も何度も致命傷にならない攻撃をして苦しみを長引かせてしまった。
そんな色々な感情がごっちゃになって湧き上がる。
だけど、助かった。
助かったのだ。
「生き延びれた……」
そう声に出すと、じんわりと涙が出てきた。
しばらく経って、もう一度水筒(湯たんぽとも言う)から水を飲んで、ハッと気づいた。
エルフの少女、意識を失ってるんだった。
俺はエルフの少女の元に駆け寄った。
さてエルフの少女だが。
まったく意識が戻る気配がない。
エルフの少女にも水を飲ませてやろう。
そう思い水筒(湯たんぽとも言う)の口をエルフの口に着けて、水をほんの少し流し込んだ。
エルフの口の中に水は入ったが、嚥下する気配がなく、口元から水が垂れてきてしまう。
誤嚥させる訳にはいかない、と前世の癖でどうしても思ってしまう。
まあ実際嚥下機能が衰えた高齢者と違い、多分まだ年若いこのエルフなら誤って水が気管に入ったとしてもしっかりムセて水分を気管から排出できるのだが、どうしても習い性になってしまっている。
どうする?
意識のない人に少しづつでも水分を経口摂取させるにはシリンジとか使った方が確実だ。
シリンジなんてないしなあ。
……
口移しで少量づつ嚥下を確認しながら飲ませるしかないか。
俺は水を口に含んだ。
決してやましい気持ちなんかじゃないんだからねっ!
このままじゃエルフの意識が戻らないからやるだけだからねっ!
口移しなんて前世の妻と、俺の俺が元気がなくなる前にベッドでエッチな雰囲気になって酒をイチャイチャしながら飲ませ合った時以来だから、どうしても自分にそんな言い訳をしたくなる。
そんなことを考えながらエルフに顔を近づけた時、
「殿下、ご無事でしたか!」
ダイクらが駆け寄ってきたので、驚いた俺はエルフの顔に水を噴き出してしまった。
「申し訳ございません殿下、撃退した狼のとどめを刺さず、殿下を危険に晒してしまいました」
頭を垂れてうなだれるダイクに対し、
「殿下、もうそんなお年頃なんですね~」
ハンスはニヤニヤしながらそんなことを言って俺をからかう。
「違う違う、ハンス、そんなんじゃないよー!」
「いやいや殿下がそんなに赤くなって照れてるなんざ、絶対何かありますって」
くっそーハンス、お前の尻ふきの葉っぱだけ、漆の葉に変えてやるぞ!
「まあまあハンスさん、それくらいにしてあげて下さい。殿下、そのエルフはどうしたんですか?」
俺はあったことをそのまま話した。
エルフとコミュニケ-ションを取ろうとして話しかけたが、言語が違うらしくまったく判らなかったこと、エルフが襲ってきた巨体の狼を矢の一撃で倒したこと、エルフの下半身が狼の巨体の下敷きになり左膝を多分骨折して立てなくなったこと、俺の力も使ってエルフが自分で治癒魔法を使い左膝を治し、力の使い過ぎで意識をうしなったこと、順に話した。
「なるほど、魔法の使い過ぎですか。なら水の他に何か食べる物も必要ですね」
あいにく今日はとりあえずヒヨコ岩周辺の確認を中心に、多少森の中を探索する程度に留めようと思っていたので、食料などは用意してきていない。
「ダイクさん、手下にした雪狼に案内させて、何か食べられる物を探してきてもらえませんか」
「わかりました、探してきます。guuuuu wou Wou」
ダイクは雪狼と呼ばれた3頭の巨体の狼たちに何か指示すると、雪狼たちと森の中に消えた。
「話を聞くと殿下も体力を使われたようですから、ダイクさんたちが食べ物を持ってきたらすぐ召し上がってください。それまで少しでも水を飲んで、体力を温存しておいてください。エルフの少女には私が水を飲ませてみましょう」
ドノバン先生はそう言って、エルフの女の子の上半身を俺に代わって後ろから支える。
「先生、意識がまったくない人にどうやって水を飲ませたら……」
「おや、殿下らしくないですね。最も殿下が体力を使われていなければすぐに思いついたと思いますけれど」
そう言うとドノバン先生は小さな1c㎡くらいの氷を水魔法で手の平の上に作り出し、それをエルフの口に含ませた。
エルフはしばらく反応がなかったが、やがて氷を咀嚼し、飲み込んだ。
意識は戻らないが、夢を見ているのだろうか、何かを呟いている。
近くに寄って何を言っているのか聞き取ろうとすると、
『おばあちゃん……どうして……』
と聞こえた。
……今の言葉は?
「ドノバン先生、今エルフが何かうわごとを言いましたが、ドノバン先生が知っている言語でしたか?」
とドノバン先生に尋ねる。
「いや、私も知らない言葉でした。エルフの言葉なのでしょうか。静けき森出身のエルフに聞いてもらえばわかるかも知れませんね」
やはり、俺の聞き違いではない、と思う。
今、このエルフの少女は日本語を喋ったのだ。 多分。
さっきエルフの少女と会話しようとした時は、まったくエルフの少女が話す言語が理解できなかった。
あれは多分、暗き暗き森のエルフが話す言語なのだと思う。
今のうわごとは、声は小さかったが、俺にははっきり意味がわかった。
確かに「おばあちゃん、どうして」と言っていた。
そしてドノバン先生は、意味がわからない言葉だと言った。
つまり……
このエルフの少女は日本人の転生者。
あの時の自転車に乗った女子高生だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます