第33話 森の中へ
さて、今日はいよいよ暗き暗き森の探索のスタートだ。
メンバーは俺、ハンス、ダイク、ドノバン先生の4人。
それぞれ一応革製の胴当てや木製のバックラーなど、簡易な防具は装着し、武器は持たずマチェットを持っていく。雑草の茂みなどを切り払うためだ。
ピアはお留守番。
ピアには俺たちが不在の間に代官屋敷のお片付け&洗濯をやっといてもらう。
俺たちの自室も掃除とベッドメイクしておいてくれるそうだ。
メイド兼探索者とか、カッコイイと思うが、ピア自身が残ることを選んだ。
「昨日は衣類の洗濯しか出来ませんでしたから、今日はシーツを替えて洗っておきませんと」だそうだ。
ピアのこうゆう自分の職務に忠実なところは本当に尊敬できる部分だ。
まず俺たちは100m先にある村長ディルク宅を訪ねた。
村長宅は外面石造りの2階建て家屋。
フライス村の他に見えている建物と比べると立派なものだ。
木の扉をノックすると、中から村長の奥方が出てきた。
「奥さん、一昨日はありがとうございました。おかげで昨日は水に困らず過ごすことができました」
一昨日面識のあったダイクがまず挨拶する。
「村長から聞いておられると思いますが、私たちが代官屋敷でしばらく逗留させていただくデンカー商会の者です。私が手代のドノバン、同じく手代のハンスとダイクです。そしてこちらがデンカー商会代表ダニエル=デンカーのご子息ジョアン=デンカーです」
ドノバン先生が皆を紹介する。
「あらあら、わざわざすいませんね。水がしっかり準備できて何よりでしたね。私はディルクの妻のマールです。また何かお困りのことがありましたらいつでもお声をかけて下さいね」
「ありがとうございます、マールさん。ところでマールさん、これはフライス村の方が何か使ってらっしゃる物でしょうか?」
そう言ってドノバン先生は俺が朝見つけた透明なビニール状の物をマールさんに見せる。
「いえ、私は見たことが無い物ですね。家でも使ったりはしていません。多分他の家でもないんじゃないかしら。それはどこで見つけられたのですか?」
「今朝、代官屋敷のトイレの柱に引っ掛かっていたのです」
「ああ、それで村の衆が知ってるんじゃないかってことで来られたんですね。すいませんお力になれなくて」
「いえいえ大丈夫です。ありがとうございます」
ドノバン先生がそう言って辞去しようとするが、俺は民衆の生活が気になるので尋ねたい事があった。
「すみませんマールさん、私は先程手代のドノバンが紹介してくれたジョアン=デンカーです。私の家は商会を営んでおりますが、こちらのフライス村に来たのも暗き暗き森の近くで何が産出され、人が生活するのに何が足りないか調査に来たんです。私は私の仕事で皆さんが幸せになるお手伝いができればいいなと考えているんですが、まだ全然皆さんの生活を知りません。
それでマールさん、マールさんの一日のお仕事を少し教えて頂けませんか」
マールさんは目を丸くした。
「商会の坊ちゃんにしては変な所に興味を持たれますね。まあ私の話が役に立つならいくらでも話しますよ」
「マールさんはお料理されて家の片付けをされて、これから洗濯をされるんですか?」
「ええ、そうですよ。朝は料理は殆どしないで昨日の夜の残りを温めるくらいですけど。食事が終わって旦那が畑に仕事に行ってから使ってる部屋の片づけをして、これから洗濯です。私と旦那二人ならいいんですけどやんちゃな子供が3人もいますんで、騒がしいし散らかすし汚すしで大変です」
「お子さんが3人いらっしゃるんですか。お子さんはどちらに?」
「旦那と一緒に畑に行ってますよ。一人くらい女だったら私の手伝いして貰えたのに。まあこればっかりは神様の思し召しなんで文句も言えないですけどね。幸い3人とも元気に育ってくれてますんで、11になる長男はもう立派に働き手に数えられてます。8歳と7歳の子も草取りをしたり、それなりに畑の手伝いはやってくれてます」
「奥さんはこれから洗濯をされるそうですけど、洗濯は足踏み洗いですか?」
「ええ、そうですよ。けっこう大変ですけど、汚す方はそんなこと考えちゃくれないんでね」
「なるほど。少しでも洗濯が楽になると助かりますか?」
「そりゃもう。女衆は泣いて喜びますよ」
「その辺りを私たちの売る物で楽にできるお手伝いが出来るようにしたいですね。それでマールさんお洗濯の後は何をされるんです」
「その後は自分ちの畑の草取りをしたりしますね。今時分は雑草が伸びるのが早くて、朝何もないところが夕方にはもう雑草が芽吹いてたりするんでね、手が抜けませんよ」
「それが終わってから夕飯の準備と」
「ええ、そうですね。水も汲んでおかないといけないから、やることが山積みです。夕飯の後は明るいうちは繕い物をしたり、縄をなったり。男衆も縄はなったりしますけど。あんまり衣類を破いたりしないで欲しいのに子供は暴れるから。少しは女衆の大変さを男衆にも知って欲しいもんですよ」
「ははは、うちの母もそう言って嘆いてましたよ。どこの家でもそれは変わらないんですね。
ありがとうございました、マールさん。また色々と教えて下さい」
「ええ、こんな話で良かったらいつでも聞きにきてくださいな」
その後何軒かの家を訪ねて謎のビニール状の物体のことと生活ぶりを聞いて回ったが、どこの家でも暮らしぶりは似たり寄ったり。ビニール状の物体は知らないということだった。
村の真ん中に教会があった。そこにも立ち寄って話を聞いてみる。
教会と言ってはみたものの、かなり規模は小さい。礼拝堂と言った方がいいか。
一応と言ったら失礼だが、小さな鐘楼がありこれを8時から夕方6時の間、偶数の時間に鳴らして畑に出ている人に時間を知らせている。
礼拝堂の中には誰もいなかったが、しばらく呼ばうと40代前半くらいの多分牧師がタオルで汗を拭いながら裏庭からやってきた。
「珍しい時間に人が来るね。誰だい?」
「私たちは代官屋敷でしばらく逗留させていただくことになった、デンカー商会の者です。私が手代のドノバン、同じく手代のハンスとダイクです。そしてこちらがデンカー商会代表ダニエル=デンカーのご子息ジョアン=デンカーです。
私も一応オーエ教の牧師です。お名前をうかがっても?」
「ああ、貴方方が。一応村長のディルクから話は聞いてるよ。私はイクセル=ルンベック。しがない改革派の牧師ですよ」
「ルンベックというと、テルプの辺りに多い姓ですが、もしや」
ドノバン先生が聞く。
「ええ、テルプ騒乱で国に居られなくなりましてね。あれは貴族同士の争いだったんですが、反乱を起こした貴族たちがお題目にオーエ教正道派を持ち上げてましてね。テルプの辺りの改革派は追い出されたって訳ですよ。
アレイエムに逃げてきたんですが、まあここでのんびりやらせてもらってますよ」
流れる汗を拭きながらルンベック牧師は答える。
多分、裏に畑があって、畑仕事をしていたのだろう。
「こちらの教会は何人教職者がおられるのですか」
改革派は正道派で言う司祭を教職者と呼んでいる。
「フライス村教区の責任者の私一人だけですよ。まあ他に親を亡くした子を何人か預かってますがね」
「教化、お疲れ様です。ところでルンベック牧師、こちらの物、見たことはありませんか」
ドノバン先生が例の透明なビニール様の物をルンベック牧師に見せる。
「それなら大雨の後などに時々川の岸に引っ掛かってるのを見かけることがありますよ。何だかさっぱりわかりませんがね。うちの孤児が時々水汲みに行った時に珍しいって拾ってきますが、何なんですかね」
「拾ってきたこれと同じものがあるのですか?」
俺が口を出す。もしこれと同じものがあれば見たい。
「いや、無いですよ。数日すると腐っちまうんだか、グズグズになって嫌な臭いがし出すんで、葉っぱなんかと一緒に捨ててますよ」
そうなのか、残念。というかこれ腐るのか。
「何か透明で丈夫そうだから何かに使おうって工夫したりしなかったんですか」
「使うってもねえ、しばらくすると腐っちまうし、水を掬うのに使えそうって子供は言ってましたけど、実際使ってみると水が素通りしちまうんですよ。大人はみんな知ってるんで、見かけても放っときますね」
「そうなんですね。ありがとうございました」
「どういたしまして。こんな話でも役に立ったなら良かったですよ」
「ルンベック牧師、ご協力感謝いたします。私も同じく牧師ですので、日曜のミサの手伝いなど、またさせていただこうかと思います」
「そいつは有難いね。なんせ貧乏所帯なもんで、人手は助かりますよ。まあ商会の息子さんだったらひとつドーンと寄付していただけるのが一番なんですがね」
「ははは、また今度来た時には寄付させていただきます」
そう言って俺たちは礼拝堂を後にした。
一人の少女が礼拝堂の裏から鐘楼に向かって走っていく。
俺と同い年くらいだろうか?
ブロンドの髪で利発そうだ。
多分教会で預かっている孤児で、手伝いで10時の鐘を鳴らしに行ったのだろう。
「あんな小さい子でも頑張ってるんだなあ」
歩きながらその少女の様子を見ていると、全身を使って紐を引っ張り鐘を鳴らしている。
後で教会に寄付をしよう。そう思った。
「殿下、この後はどうします? いよいよ行ってみますか?」
暗き暗き森へ。
「エルフをよく見かける場所、ヒヨコ岩だっけ? 途中で畑を通るなら畑で謎の物体について聞いてから行ってみようか。コンパスと目印になるものは持ってきてるよね?」
「ええ、目印代わりになる布、ロープ、色付きの釘など用意してありますよ」
ハンスが背嚢からそれらを出して言う。
「じゃあ、一旦しまっといて。じゃあ、一昨日聞いた方向に行ってみようか」
ヒヨコ岩が暗き暗き森と村域の境だと言っていた。
両側に広がる畑の真ん中の道を、木が鬱蒼と茂る方角に向かって歩く。
途中で畑で何か作業している村長のディルクを見つけたので声をかける。
「ディルクさーん、お疲れ様です。ちょっといいですかぁ?」
ドノバン先生が大声で呼びかけると、気が付いたディルクがこちらに近づいてくる。
近くで多分草取りをしていた、ディルクの子供らもこちらに来る。
「やあ、これから暗き暗き森の様子を見に行くんですか?」
ディルクも汗を拭きながら俺たちに話しかける。
「ええ、その前にディルクさんがこれを知っているかお聞きしようと思いまして」
そう言ってドノバン先生がビニール状の物体をディルクに見せる。
「
ディルクは知っていたようだ。
「ええ、代官屋敷のトイレの柱に引っ掛かっていたのをデンカー、坊ちゃんが見つけまして」
「大雨で川が荒れた次の日なんかに、時々川っぺりに流れついてることがある奴ですね」
「ディルクさんもご存じでしたか。礼拝堂のルンベック牧師も存在は知っておられましたが」
「そう、川が溢れそうなくらいの大雨の時は時々流れ着いてます。透明で丈夫そうなんで、みんなそれを見つけると最初は喜ぶんですよ」
「あー、雨の日の衣だー!」
ディルクの子供のうち、一番小さい子がそう叫んだ。
だいたい俺と一緒くらいの年だろう。さっきマールさん何歳って言ってたっけ?
「子供は珍しいもの好きだから、こいつが流れ着くと興味深々なんですよ。『雨の日の衣』とか言ってね。ただ、こいつを取ろうとして誤って川に落ちて溺れる子供が昔結構出たんで、雨が降った次の日は子供は川に近寄っちゃいけねえ、って口を酸っぱくして言ってます」
「確かに今朝も雨は上がってましたけど、川の流れはまだ濁流でしたね」
あれに落ちたら命は助からないと思った方がいい。
「じゃあディルクさんもルンベック牧師と同じ程度しかこれについてはご存じないですか」
「多分ルンベック牧師と同じことしかわかりませんね。数日すると腐り出すんで、珍しくはありますが使いようはないもの、です」
「ディルクさん、ありがとうございました。ヒヨコ岩はこちらでよかったですか?」
「ええ、この道を真っ直ぐ15分くらい行けば、見えてくると思いますよ。お気をつけて」
俺たちはディルクと別れ、道を教えて貰った方向に進んだ。
しまった、ディルクの子供に自己紹介するのを忘れた。
そんなことを思いながら道を歩いて行くと、10分程度で道が森の端に着いた。
ヒヨコ岩と言われた特徴のある岩は見えず、道が森の中に続いている。
「あれ、ヒヨコ岩ってこっちじゃなかったのかな?」
「いや、途中に分かれ道はありませんでした。多分ここで間違いないかと思います。とりあえず森の端を調べてみましょう」
ダイクがすぐに何かに気づく。
「ちょっとここ見て下さい」
ダイクが指さしたのは何の変哲もない木の根元だが、そこはよく見なくてもわかる違和感がある。
「道の真ん中に木が生えてます」
そう、道は人が同じところを歩くことで草が生えなくなっただけの、単なる踏み固められた地面である。
その真ん中に木が生えている。木の周りを避けて歩いた跡があるわけでもなく、踏み固められた地面にそこそこ太い木が生えている。
「こりゃどう見ても道の上に木が移動してきて居座ってるって感じですね」
その通りだ。
つまりこの木はトレントだ。
「この辺りの木、全部トレントってことですかね」
とハンスが訝し気に言う。
結構色々な種類の木が生えている。ブナやナラの広葉樹が多いが、マツなどもある雑多な雑木林に見える。
「トレントと一口に言っても、擬態する木も何種類かあるのでしょうね」
ドノバン先生が言う。
「ディルクが言ったヒヨコ岩がこの道の先にあるんなら、この辺りの木が全部トレントで、森の中から移動してきたってことでしょうね」
「ダイク、その道の真ん中に生えてる木、思い切り向こうに押してみてよ。動く木だったら根がしっかり根付いてなくて倒れたりするんじゃない?」
「やってみます」
そう言うとダイクは思い切り木を押した。
直径30センチ程の木は揺れはするものの、倒れたりはしない。
「けっこうしっかり根付いてる感じですね」とダイクが言う。
「これ、どうやって動くんだろう? 気にならないか?」
俺は気になる。
「観察したいところですがね、どうします?」
ハンスが聞く。
「そうですね、多分この道はヒヨコ岩までは続いてるんじゃないかと思います。ですからとりあえずヒヨコ岩を見つけてみませんか? トレントは森に入った人間が見ていないところで動き、地勢を変えて人を迷わすと言いますから、見ていると動かないんじゃないかと思いますよ」
「じゃあとりあえず道を進んでみようか。その前に、ハンス、色付きの釘、何本かちょうだい」
俺はハンスから色付きの釘を何本か貰い、道の真ん中に生えている木の周囲何か所かの地面に刺した。
「ああやっとけば、あの木が動いたらわかるんじゃないかな」
帰り道で確認すればいいだろう。
俺たちは森の中の道をヒヨコ岩を目指して更に進んだ。
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