第26話 夜会
俺は伯父上ディラン=ニールセン公爵に付き添われ夜会に参加した。
メイヤー伯爵夫妻も一緒だ。
夜会の会場は翌日のパーティ会場にほど近い小広間が解放され、数人が囲めるテーブルに飲み物と軽食が饗されている。
椅子は会場の隅に並べられており、基本は立食形式で会話を楽しみ、少し休みたい人が椅子で休むようになっているようだ。
夜会と言っても何か特別な催しがあるわけでは無い様で、楽団の演奏をBGMに会話を楽しむ場所を提供する、と言った趣きだ。
楽団もフルオーケストラな訳はなく、ピアノとフルートのような管楽器が数人の小規模編成で夜想曲のような落ち着いた雰囲気の曲を演奏している。
「私たちは少し挨拶に回ってまいります」
メイヤー夫妻はそう言うと何人かが集っているテーブルに向かい歩き出した。
俺と伯父のディラン=ニールセン公爵は、手近なテーブルから飲み物を取った。
ディラン伯父は白ワイン、俺はオレンジジュースらしきものだ。
さて、何を話そう。
そう迷っていると、ディラン伯父が言葉を発する。
「殿下はあの楽器をご存じですかな?」
手でピアノを指している。
「ピアノでしょうか」
「殿下はよくご存じですね。今から20年ほど前にトリエルの弦楽器演奏者が、弦楽器の音に繊細な強弱を加えたくて考えた楽器です。トリエルでは発展せず、アールマンスの楽器製造業者が目を付け量産を開始しました。我がアレイエムでもピアノの製造を行っていることを殿下はご存じですか」
「いえ、それは存じておりません」
「アールマンスとの境に近いレーゲン地方には幾つかピアノを作る工房がありまして、そこで製造しております。あそこに置かれているピアノもレーゲン地方の工房が作ったものでしょう」
表情を変えずに淡々と説明をしてくれるディラン伯父。
「そうなのですか。伯父上は博識なんですね。流石は優秀だという評判をお取りになられるだけはあります」
「私の評判など、あのピアノにも劣ります。レーゲンの工房で作られるピアノは、音楽家から高い評価を受けておりますからな」
「ディラン伯父上は音楽にも造詣が深いのですか」
「造詣が深いなど。心を落ち着かせるために演奏家を抱えて演奏を楽しむ程度ですよ」
この時代に音楽を楽しめるのは、まさに貴族階級だけだな。
音を記録する媒体がないんだから、演奏家に演奏させる他ない。
「芸術は人間が生きていくうえで必須のものではありませんから、伯父上のように保護する方がいないと廃れてしまいますよ。素晴らしいことだと思います」
「何、それほど買い被られても困ります。私は私のためだけに演奏してもらっているのですから。ところでジョアン殿下、先程陛下が言われていたことは事実なのですか? 湯たんぽとコタツを殿下が考案したというのは」
何と答えるのが正解なのか。
あまり自分の手柄を吹聴するようなことはしたくないしな。
「正確には思いついたのが私で、形にしたのは他の大人たちですよ。私のような子供にはとてもできることではありません」
「どのような発想をされたら、あのような革新的な思い付きが出来るのですかな?」
虚無をたたえた伯父上の瞳に、奇妙な光が宿っている気がする。
本当にこの人はわからん。
「アデリナお祖母ちゃんが手足の指が冷えて困るとこぼしているのを聞いて、お湯に浸けて指を温めるよりは、お湯で温まった容器で温めれば、濡れた指を拭く手間が省けていいんじゃないかと思ったのが湯たんぽの元の思い付きで、ストーブの煙突から煙と一緒に温かい空気が逃げている気がしたので、暖かい空気を逃さないように布を被せれば良いのでは、というのがコタツの元になった思い付きです」
「ふむ。どちらも理に適っておりますな。私の母親への思いやりが思い付きの元というのもまた良い。殿下は私の母、アデリナをどう思われますか」
この人の本質はやっぱり以前イザベル母さんが言っていたように、マザコンを拗らせているのかも知れない。
「アデリナお祖母ちゃんは厳しい人です。ただ、私のことを思って厳しいことを言って下さっている、そういう私への想いが伝わってくるので、アデリナお祖母ちゃんに厳しくされることは有難く思っています」
「殿下はよく分かっておられる。私はそれに気づくのが遅すぎました。母の厳しい態度の裏には愛情がある、ということに。
こう言われるのは殿下にとって面白くないかも知れませんが、殿下はダニエル陛下よりも私に似ているように思います」
外見は同じ祖父、祖母の子と孫だからそりゃ似てるところもあろうて。
何が伯父の琴線に触れたのだろう。アデリナお祖母ちゃん上げか?
「優秀だったという評判の伯父上に似ている、と太鼓判を押して下さるのは嬉しく思います。ただ、自分では何が、というのはわからないのですが」
「我が母アデリナの厳しい愛情をしかと受け止めているところ、互いに長子であり、自らよりも劣っている弟の世話を焼いているところ、余人では思いつかぬ発想をするところ、ですな」
うおーい、何だこのマザコン拗らせの自信家は?
というか現国王を劣った弟呼ばわりはイカンだろう。
周囲に誰もいないから良かったが、メイヤー夫妻辺りに聞かれたら大事になるぞ。
最も周囲の状況を見て俺と二人だけで会話を他人に聞かれていないから言ったのだろうが。
それにしてもなあ。
「伯父上、伯父上と父の間のことは私には判りかねますが、少なくとも私は弟のジャルランを私より劣っていると感じたことはないですよ」
甘え上手で少し照れ屋だが、他人の忠告はしっかり聞ける。
俺より上手く生きれると思う。
「殿下くらいのお年であれば、弟とは慈しむもの。優劣を付けて見たりはしないでしょう。しかし年が経つに連れ、徐々に優劣の差は明らかになるものですよ」
「伯父さんから見るとそうだったのですか」
「そうですね。私からするとダニエル陛下の貴族に慮った政策というのは、自らが領地経営などできぬ貴族を付け上がらせているだけの弱腰に思えますな。所詮貴族の力関係なぞ、強力な兵力を持てるか、強力な兵力を養える経済力が持てるか、それで決まりますからな。
わざわざ兵を養える力を失った者や、見栄だけで兵を養うため方々から借り入れして赤字だけが増えて行く者など、救ってやる必要もございますまい。
私ならそのような者共には情けをかけず何も考えずとも良い楽な立場に落としてやるか、あるいは情けをかけて神の身元に送って差し上げるか。どちらかですな」
ディラン公爵の暗い瞳に暗い炎が灯ったように見えた。
「伯父さんの言うことは一理あるかと思いますが、そのように早急に事を進めると思わぬ反発が返って来ることもありましょう」
「何、そのような反発は返って膿を出し切る良い切っ掛けとなるものですよ。圧倒的な力を示せば逆らいようもない。殿下も一度くらいはそうお考えになったこともありましょう」
前世の若い頃は確かに正論で人を論破し続け、文句を言えない実力を示し続ければそれで良くなると思っていた時期も確かにあった。
ただ、そうしたやり方はやられた人の心に憎悪を溜めていく。憎悪で固まった人間は数を募って正論以外、文句を付ける以外の方法で足を掬い、叩きのめそうと虎視眈々と機会を狙い続ける。それこそやった側が完全に忘れた頃に、筋で言えばなぜ今そんなことを、というような形でだ。
だからディラン伯父さんの言には全面的には賛成できない。
ただ、それは前世の話であって、今のこの世界はどうなのかわからない。
しかし人が理性があっても感情を優先させる生き物である以上、不変なことなのではないかと思う。
「そうですね、伯父さんのやり方で上手く行くのであれば、そうなのでしょう。ただ、私にはそうは思えません」
「力が無ければ無力。それはいつの世も真理ですよ。例えばこのエイクロイド帝国。長年の戦争費用負担を民からの搾取で何とか遣り繰りしてきた。
今でも軍の戦力30万などと呼称しておりますが、各方面に潜在的な敵を作りすぎ、動かせる兵力は5万にも満たない。その5万も美しく飾ってはいるものの、装備に至っては旧式もいいところ。
戦っても勝ち目はないから今は各国と小康状態を保っている。
待っていればいつかは潮目が変わる、などと夢を見ながらね。
政治の実権を握る貴族議員たちからしてそう言った夢しか見ていない。
皇帝は変わらず1300年前の威光が通用すると思っている。
自らの痛みを伴った改革をしようなどという者が一人もいない。このままではトリエルやイグライドの資本にいいように骨抜きにされるのが関の山でしょう」
「エイクロイドの内情はそんなにひどいのですか」
「ええ。何代にも渡り搾取され続けた民の恨みは相当高まっておりますよ。それこそ今日、明日に暴発したとしても何の不思議もありません。
明日の戴冠10周年式典、閲兵式が中心ですが、そんな情勢の中そんな費用と兵を使っていいのかと思いますな。
陛下たちのご一行は明後日の午後にはリドルリア皇宮を立たれるご予定になっているのでしたな?
私の方で川船の運送業者に頼み、明日以降万が一の際はマリーベル港まで100人程度なら輸送できるように手配しております。ご安心ください」
「明日、何かが起こるというのですか?」
「いえ、あくまで万が一のため。何かあるとしても閲兵式で兵が集まっているリドルリア皇宮で何かが起こることはないでしょう」
流石エイクロイドとの外交実務を一手に担っているだけのことはある。
何かを掴んでいるのかも知れない。
やはり噂に違わぬ優秀な人なのだろう、ディラン=ニールセン公爵は。
「伯父さん、伯父さんはやっぱり優秀な方なのですね。私とは少し考えが違う部分もありますが、これからもアデリナお祖母ちゃん、そして可愛い弟の父上のためにご尽力いただければ私も嬉しいです」
相変わらず今一つ掴めない人だ。それでも俺たちの安全への配慮はしてくれている。ならば今後もその付き合い方でお願いしたいところだ。
「フフッ、ジョアン殿下はやはり聡い方ですな。今の話を7歳で理解されるとは。これからも良いお付き合いを願いますよ。
ところで殿下、殿下以外にも若年でこの夜会に参加されている方がおられるようです。
「そうですね、せっかくですから少しだけでもお話ししたいですね」
「でしたら、私がご案内いたしましょう」
そう言うとディラン伯父さんは俺よりも2つ3つ上に見える令嬢と、そのお付きの侍女に近づいて行く。
叔父さんは侍女の方に何かを話しかけると、令嬢が頷いた。
そして伯父さんが俺を手招きする。
俺はその令嬢に近づいて、礼を取り挨拶した。
「初めまして、私はジョアン=ニールセンと申します。アレイエム王国国王のダニエル=ニールセンが私の父になります。今宵貴方に出会えた事、神の巡り合わせに感謝致します。
美しいお嬢様、もし宜しければ私に貴方の名を教えていただけませんか」
「年若いのに礼がしっかりしていますね。私はフランシーヌ=バーナビー。皇帝エドモン=バーナビーの皇弟クレマン=バーナビーの孫にあたりますわ。よろしくお見知りおきを」
そう名乗ったフランシーヌ=バーナビー。
エイクロイドの皇族だ。マジか。
うん、こう言うと何だがアゴがしゃくれ気味だ。
いや、そこまで気になるわけじゃないぞ、気持ち気になる程度だ。
「フランシーヌ様、フランシーヌ様から得も言われぬ良い香りが致しますが、これは何なのですか」
とりあえず話題をと思い、気づいたことを口に出す。
「リーバス
嫌な香りではない。むしろバラのいい香りだ。しかし香りがキツイ。これは食事や飲み物の匂いも判らないのではないだろうか。
強烈な匂いでも人の鼻は数分で慣れてしまい、気にならなくなるものだ。それ故に強い香水の匂いも気にならなくなるのだろうか。
「ええ、フランシーヌ様の華やかな雰囲気にぴったりの華やいだ香りだと思います。皇族の方々はお一人づつ調香師に香水を調合してもらっているのですか?」
「ええ。皇族だけでなく、貴族の方は皆そうしておりますわ。アレイエムではそうではありませんの?」
そう言えば俺の家族は皆風呂に入る様になって、香水の類は付けてなかったな。石鹸に香りを付けてその匂いだけだ。
「私はまだ幼い故、他の貴族家の方々と出会う機会がないため良く存じ上げません。私の家族については、皆毎日体を石鹸で洗っているので、皆その石鹸の良い香りはしております」
「あら、アレイエムの方々はきれい好きですのね。失礼ながら文化的には遅れていると聞いていたものですから意外ですわ」
「私はまだ7歳でして、今回が初めての王宮外への外出なのです。外国に来たのも当然初めてです。ですから自分の国と他の国のいろいろな違いをこうして聞くのも大変興味深いことです。フランシーヌ様から見て、他の国の印象はどういったものか教えて頂けると大変嬉しいのですが」
「そうですね、アレイエムの方々は後進的で野蛮、と言っている方が多いですわ。もっと色々と文化や教養を教えて差し上げればいいのに、と聞いている私は思いますけど。
イグライドの方々は四角四面で面白みがない皮肉を面白いと思っている感性の変な人たち、と言われておりますわ。我がエイクロイドの誇る喜劇を見せて勉強して頂けばいいと思いますの。
ハラスの方々は成金趣味といいますか、何でもピカピカ光らせればいいと思っておられる方が多いようですわ。古いアンティークの机などを贈り、落ち着いた美しさを学んでいただければいいと思いますの」
結構辛辣ですな。
ただ、悪意があるわけでは無いらしい。
まあ別にどうでもいいっすけど。
伯父上はどうしているのか見ると、フランシーヌ嬢の侍女との距離が近い近い。ほぼ下半身を密着させ、手を握りしめつつ何か囁いている。
「伯父上、せっかくですから一曲そちらのご婦人と踊られてはいかがですか?」
一応広間の真ん中は踊りたい人が踊れるように空間は空いている。
あまり談笑の場で熱く口説かれるよりは、踊りながらの方がスマートだろう。
俺が伯父上にそう声を掛けたら、フランシーヌ嬢が俺をじっと見つめている。
あ、なるほど。
俺もレディをダンスにお誘いしないといけない訳ね。
「フランシーヌ様、私と一曲踊っていただけませんか」
俺はフランシーヌ嬢の前に膝まづき、手を差し伸べてそう伝えた。
「ええ、喜んで」
そう言って差し出されたフランシーヌ嬢の手を取り、手の甲に口づける仕草をする。
そして彼女の左側に寄り添い、フロアまでエスコートする。
ゆったりとした音楽が演奏され、フランシーヌ嬢と向かい合って手を取り、ゆったりと左右にステップを取る。
まああまり激しい曲はこの場面にはそぐわないし、ゆっくり踊りながら時間をすごそうかな、と思いつつ周りに目をやると、一人のご婦人が広間に置いてある植木鉢の木のところに行き、スカートの端を植木鉢に乗せるのが見えた。
何じゃありゃ?
とつい見ていると、フランシーヌ嬢が俺の視線の先に気づき小声で注意する。
「女性が用を足しているところをあまりじっと見るものではありませんわよ」
え、マジで?
嘘でしょだってここ広間だよ?
視線はその女性から外しつつ、内心マジかー、マジかー、と繰り返し呟いてしまった。
一応踊りを間違えなかったのは日頃の練習の成果が出たのだろう。
踊り終えると、何となく俺はげんなりしてしまった。
女性が立ちション、それが普通なのか。
何となく華やかな中に物悲しさを感じてしまう。
とりあえず、今日はもう寝よう、そうしよう。
「フランシーヌ様、楽しいひと時をありがとうございました。明日に備えて今宵はもう休むことにいたします」
「そうですの、せっかく知り合えたのに残念ですわ。また明日、式典の後にパーティーがありますから、その時またご一緒できるといいですわね」
「はい、またご一緒できる時を楽しみにしております。では私はこれで失礼させていただきます」
そう言うと俺はその場から離れた。
そんな俺に気づいた伯父上が、侍女の手を握り何か挨拶をすると俺の方に来る。
「ジョアン殿下、どうされました? そろそろ眠くなったのですか」
「はい、伯父上。今日はもう部屋に戻って休むことにします」
「では客間までお送り致しましょう」
そう言って俺と一緒に客間まで戻る。
歩きながら伯父上に聞いた。
「先程女性が植木鉢に用を足されていたようなのですが、社交の場ではそれが普通なのですか」
「必ずすること、ではありませんがお酒が進んだ方などはそうされる方も多いですな」
そうなのか……そうか……
前世の常識でいたらいかんな、俺が慣れなければ。今度礼儀作法の先生に聞いてみよう。
そして俺を客間に送り届けると伯父上ディラン=ニールセン公爵は
「私は先程の女性を待たせておりますので、もう一度広間に戻ります」
と言って広間に戻っていった。
なんだろう、結局あの伯父のことはよくわからなかったな。
夜会で話した様子からすると、俺に悪感情は抱いていないが、パパ上に対しては軽んじた見方をしており、貴族連中に対しては潰して回りたいという暗い情熱を抱いている。
そしてアデリナお祖母ちゃんに対しては愛と憧憬が入り混じった思いを抱いている。
そして女好きか。
まあ何か心の闇は抱えているようだが、嫌われたわけではないようだし、なにか被害や迷惑などの火の粉が飛んでこないならいいか。
そして俺は宛がわれた客間に戻ると服を脱いでベッドに倒れこみ、そのまま眠ってしまった。
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