第25話 エイクロイド帝国への招待
ドノバン先生と排泄事情について話し、嘆いてから一月後、俺はパパ上、ラウラ母さんと一緒に船に乗っていた。
現エイクロイド帝国皇帝エドモン=バーナビーの戴冠10周年記念の式典にお呼ばれしているのだ。
アレイエム王国とエイクロイド帝国は隣国で、陸路でエイクロイドに入ることもできるが、陸路の方が行く先々の貴族家への返礼金など何かと金がかかるため海路を取ることにしたのだ。
実はパパ上はエイクロイド行きにあまり乗り気ではなかった。
「エイクロイドの皇帝なあ。もうずーっとバーナビー家が襲名している訳だが、もうここ100年ほどは政治の実権は臣下に移り、こういった式典や社交の時だけの神輿の様になっているんだが……
こういう時に自分の存在をアピールしようと来客にしょうもない嫌がらせをしたり、無意識に嫌味を言ったりするんだよな。しかも臣下ぐるみでそんなことするんだよ。
イヤ、本当、招待の手紙の文面もチョー上からだから、もうマジ勘弁。
精神的に疲れてる時なんかに行くもんじゃねーなエイクロイド。なーにが文化ナンバーワンだよ。ラウラ、私の手をずっと握っていておくれ」
これはパパ上の言葉の意訳だ。
実際にパパ上が言った言葉はもっと呪詛に満ちており書くのが大変なので書かない。
歴史的な経緯とか色々あったらしいのだ我が国とエイクロイドは。
元々200年前にエイクロイドから独立してる訳だし。
今は何とかアレイエム国王がエイクロイドの首都を訪問できる程度の小康状態を保っているに過ぎないらしい。
その小康状態をもう少し安定させる意味もあっての今回の招待と訪問なのだが、意識的になのか無意識になのかそこそこ失礼なことをされるようだ。
とにかく、皇帝エドモン=バーナビーとその従者たちは、自身がネーレピアの盟主であると信じ込み無邪気に振る舞ってしまうらしい。
散々そんなことをパパ上から聞かされて、俺は憂鬱な気分になった。
と言いたいところだが、実は全然違う。
ワクワクしている。
何せ初めてなのだ、王宮から出たのは。
初めてなのだ、この世界の海を見たのは。
初めてなのだ、帆船に乗ったのは。
初めて尽くしで、もうテンション爆上がり!
甲板に出て大海原をずっと眺めていられる。
青い海、白い雲、白いカモメ。7月の丁度良い陽気。
遠洋を航海するのではなく沿岸部から近い近海を航行するので、初めて見るアレイエムの沿岸部に俺は興味津々だった。
前にドノバン先生の講義でアレイエムの海岸は直線部が多く、大型船の港になる地形が少ないと聞いていたが、確かにその通りで、東部は砂浜の川口に漁村が形成数多く形成され、西部は切り立った崖で前世の2時間ドラマの犯人を追い詰める舞台のような地形が多かった。
確かに大型船の停泊地には向いていない。
沿岸を航行していると、岩礁が多い箇所の崖の上や岬などに灯台が建てられている。灯台最上部で油などを燃やし、その火の光を大型のレンズで拡大させて、地形を船に知らせるのだ。
船がアレイエムを抜けてハラスの沿岸に入ると、幾つもの大型船の港があり、外洋船であろう大型船が何隻も停泊しているのが見えた。港の近くには大きな砲門を幾つも備えた要塞も建てられており、海防の点でハラスはアレイエムよりも先進的だ。
ハラスの港近辺を夜航海している時は、港の役人がカンテラの明かりで「航海の無事を祈る」という灯火通信を送ってきたりする。
初めてのこの世界の船旅はとても興味深かった。
3日間の船旅の間、俺やパパ上、ラウラ母さんは意外に船酔いしなくて助かった。
晴天が続き、海がそれほど荒れなかったのも良かった。
俺は前世の幼い頃は車酔いがひどかったため心配していたが、まったく酔わなくて拍子抜けした。
随行員の中にはひどい船酔いでずーっと船室から出れない人もいた。
ラウラ母さんの治癒魔法では船酔いは治せない。
ラウラ母さんの侍女アルマもひどい船酔いだったため試しに治癒魔法をかけて見たそうだが、不快感は軽減したけれど治らなかったとのこと。
やっぱり治癒魔法は対象者の自然治癒力を高める効果のようだ。
俺は前世の深夜番組「探〇! 〇イ〇ス〇ープ」で依頼の一つとしてやっていた「どんなひどい船酔いでも1発で治る方法」を覚えていたので、ひどい船酔いの随行員、パパ上の従者マルクに試してみたいと思った。
その方法とは「冷やした水を、本人に気づかれないように首筋と股間にぶっかける」というものだ。
水魔法で氷が作れるかが焦点だったが、俺がやって見たら片手盛りくらいのロックアイスみたいな氷が出せた。それをパパ上とラウラ母さんに見て貰いながらやったら、2人とも同程度の氷を出せたので、3人で4、5回魔法で氷を出し、海水を汲んだバケツに詰め込んだ。
甲板の床にマルクを座らせる。
マルクはひどい船酔いで周囲の様子なぞ見ている余裕もなく、上半身を起こすのも一人ではできない状態なので俺がマルクの後ろから抱き起し、マストにもたれさせ、パパ上がコップにすくった氷水をマルクの首にぶっかけた。
「ひゃー!」
と言って床を這って逃げようとするマルクの股間にパパ上がバケツごと冷水をぶっかけると「あばあばあば」と意味不明の言葉を発し股間を抑えて転げまわるマルク。
「どうだマルク、船酔いは」
パパ上がそう声をかけるとマルクは
「あれ、さっきまでの不快さが……消えてます!」
嘘のようにシャッキリしていた。
しかし船酔いを直すために水魔法で氷を何度も出すのは大変なので、船酔い随行員全員を治すのは無理がある。
いつの日か冷凍庫が発明され、普及し、氷が簡単に手に入るようになるまでは多用できないな。
ラウラ母さんの侍女アルマも、女性にこの方法はお腹を冷やして良くないのでは、ということで止めておいた。
アルマは自分にもやってほしそうだったが。
今回の旅は王都アレイエムから川船でアレイエムに最も近い港町のメルネまで出て、メルネからはハラス王国から回してもらった中型の快速船でエイクロイドのマリーベルという港まで行き、ワーズ川を遡りエイクロイドの首都リーバスに入る行程だ。
マリーベルからリーバスまではエイクロイド帝国が用意した川船でリーバス入りする。
ワーズ川を遡る川船は帆船で、途中に掛かっていた幾つもの橋は帆船が通れるように全て跳ね上げ橋になっている。こうゆうところに財をつぎ込める余裕があるのがエイクロイドが大国たる所以だな、と感心した。
アレイエムの河川にかかる橋は王都アレイエムからハールディーズ公爵領のライバックに向かうライバック街道にかかる橋のみ跳ね上げ橋形式で、あとはほとんど通常の橋桁をもつ橋だ。そのため帆走する川船は橋の袂の町までしか行けず、河川の物流に影響がある。
いつかはこうゆうところも何とかしていかないと、と俺は思った。
リーバス郊外最寄りの湊に着くと、騎馬に乗った騎兵に先導され、馬車で皇帝エドモン=バーナビーの居城であるリドルリア皇宮入りする。
沿道には警備の兵士たちが整列し、沿道の野次馬から馬車の通行の安全を確保している。
近隣の住人が大勢見物に出てきており、物珍しそうにこちらを見ているが、どことなく不穏な雰囲気が感じられた。
馬車がリーバスに入ると、不穏な雰囲気の他に、あの悪臭が漂っていた。
あの悪臭、排泄物の臭いだ。
リーバスにも下水道はあるとドノバン先生は教えてくれたが、機能しているとは言い難いようだ。
俺たちの随行は50人程度。護衛としてゲオルグ=リーベルト第一騎士団長と配下の騎士が30人。
他は俺たちの従者と、外務大臣のクラウス=メイヤー伯爵とその妻、従者だ。
アレイエム王国からは俺たちの一行の他に、エイクロイド帝国と領地を接し、実際の外交実務に当たっている人物が招待されていた。
外務大臣のクラウス=メイヤー伯爵は実際の外交を担っている訳ではなく、実際の外交実務に当たるその人物とアレイエム王家の取次、という性格の方が強い。
俺たちがリドルリア皇宮に到着後、それぞれの滞在する客間に案内された後、エドモン=バーナビー皇帝に到着の挨拶をするために従者を送る。
到着の挨拶は外務大臣のメイヤー伯爵と、実際の外交窓口となっている人物が行う。
俺たちの顔合わせのために与えられた応接間に集まった時、俺たちとは別に陸路でエイクロイド入りした件の人物が俺たちの前に現れた。
ディラン=ニールセン公爵。
パパ上の兄で、かつて貴族家の奥方との道ならぬ恋に溺れ、貴族家当主の命を
俺は当然顔を知らないので、最初は誰だかわからなかった。
ディラン=ニールセン公爵は従者に応接間の扉を開けさせると、自信に溢れた堂々とした態度でパパ上の前まで歩み寄り、臣下の礼を取る。
金髪を肩まで伸ばし、髭は全て剃られている。それもあって34歳には見えない若々しさだ。パパ上と同じブルーの瞳にパパ上よりもやや高い身長。
その整った体躯を折り曲げパパ上の前に膝まづき、右手を自身の胸に当てる。
「ダニエル陛下に置かれましては益々のご健勝、お慶び申し上げます」
慇懃無礼は挨拶とは裏腹に、どこか意識の上ではパパ上と対等というのが見て取れる、そんな雰囲気。
何だろう、穿った見方をしすぎなのだろうか。態度は一分の隙もなく礼に適っているのに。表情だろうか。
「ニールセン公爵においては常より我がアレイエム王国のための献身、嬉しく思う」
パパ上がそう返答する。感情を一切表さない無表情だ。
「ラウラ妃殿下に置かれましても子をなされても益々の艶やかさ、臣ニールセン、心よりお慶び申し上げます」
ラウラ母さんはにっこり笑みを浮かべ挨拶に応えるが、どこか困惑が見える。
そして俺にも挨拶をする。
「初めてお目にかかります。私はダニエル陛下の兄に当たります、ディラン=ニールセンと申します。ジョアン殿下、以後お見知りおきを」
ああ、目だ。
目が笑っていない。
笑っていないというか、何だろう、虚無を感じさせる。
パパ上、俺と一緒の色素の薄いブルーの瞳だが、何故だろうか、光を感じさせない。
「伯父上、こちらこそよろしくお願いします」
そう言葉を返すのが精一杯だった。
ディラン公爵がメイヤー伯爵と連れ立って応接間を退出し皇帝に到着の挨拶に行くまで、俺は7月だというのに冷え込んだ空気に纏わりつかれている感じがした。
ところで、式典は明日だ。
今回のエイクロイド訪問はわりと強行軍な日程になっており、明日の式典と夜の在位10周年を祝うパーティに参加したら、次の日の午後にはリーバスを離れ帰路に就くことになっている。
今日はもうこれですることはなく、応接間に食事が用意され、食事となった。
食事には俺たちの他、メイヤー伯爵、ニールセン公爵、そしてエイクロイド帝国の外務官僚アンドレイ=ジャッケという人物と、エイクロイド議会の大物貴族院議員ドニ=マルジャンという人物が同席した。アンドレイ=ジャッケはエイクロイドにおける俺たちアレイエムの取次、ドニ=マルジャンは俺たちを蔑ろにしていませんよーというポーズとして同席したようだ。
エイクロイドでは皇帝が最高権力者ということになっているものの、実際の政治の実権は宰相と議会に移っている。貴族院の大物議員のドニ=マルジャンを差し向けたということで、俺たちを粗略にしていないと言いたいのだろう。
まあ明日の式典にはイグライドやトリエルの代表やイザベル母さんの実家のハラス王国のホーデンバーグ王家の王族など、ネーレピア各国の首脳も出席するため、今晩は各国の要人の夕食にエイクロイドの閣僚や議員たちも参加して饗応しているはずだ。俺たちが粗略にされているのか、それはわからない。
アンドレイ=ジャッケからは明日の式典の式次第と座席などの説明があった。
ドニ=マルジャン貴族院議員は世間話の話題を振るのが上手かった。
ディラン=ニールセン公爵はこの両名との面識が当然あるようで、話の中心はディランニールセン公爵が務める形になった。
出された料理は手間暇のかかったものだ。ただ、出すのがゆっくりであったり、そのため多少冷えたりはしていた。
「申し訳ありませんな、何分各国の首脳の方々が今夜はこのリドルリア皇宮に集まっているものでして、給仕の者の手も足りぬ有様で。おい、ダニエル陛下をお待たせするな」
わざとらしく給仕を叱りつけるアンドレイ=ジャッケの様子を見るに、これがパパ上の言っていた微妙な嫌がらせなんだろう、と思った。
「ところで、貴国の国内情勢については大丈夫なのか? 数年前から市民による暴動や農民の反乱が相次いでいると聞いているが、そのような時期に皇帝戴冠10周年記念式典を盛大に行って民衆の感情を刺激しないのか」
パパ上が両名に尋ねる。
「ダニエル陛下、どこの不埒者がそのような出鱈目をお耳に入れたのかわかりかねますが、我がエイクロイドではそのような事実はございません」
ドニ=マルジャンが答える。
「市民や富裕な農民が中心となって国民議会を詐称して活動しているという噂も聞くが」
「何、武器も扱えぬ者たちの小さな集まりに尾鰭がつき、そのような噂となったのでしょう。皇帝陛下の威光に一片の曇りもございません。ご安心を」
俺には知らされていなかったが、エイクロイド帝国内で、市民、農民階級の反乱の動きがあるようだ。
そう言えば今日通ってきた沿道の野次馬たちも、どことなく不穏な空気を漂わせていた。
パパ上が今回の訪問を弾丸日程で設定したのも、そいういった事情が関係しているのだろう。
そりゃ来たくないわ。
「それでは明日の式典まではごゆるりとお過ごしください。この後大広間で簡素ながら各国の皆様の交流のための夜会を催しております。もちろん明日の式典後にも盛大なパーティを開催させていただきますが、もしよろしければ本日の夜会もご参加下さい。 それでは本日はこの辺りで。また明日よろしくお願いいたします」
そう言うとアンドレイ=ジャッケとドニ=マルジャンの両名は立ち去った。
「ラウラ、私は夜会は止めておく。お前はどうする」
パパ上は夜会に参加せず休むようだ。
「私は元々派手な社交の場は苦手ですので。明日の夜は全員出席のパーティがありますし、本日は私も休ませていただきます」
ラウラ母さんも休むようだ。
「では、私と妻が参加させていただきます。強制出席では無いとは言え、アレイエム関係者が一人も出席しないのでは外聞が悪いと思いますので」
メイヤー伯爵夫妻は出席するようだ。
「殿下は夜会は初めてですか? もし殿下が参加を希望されるなら私が案内役を務めますよ」
ディラン=ニールセン公爵が俺に尋ねる。
相変わらず、目に光が感じられない。
どうしたものだろう。
正直このパパ上の兄は、得体が知れない。
一緒に行って大丈夫だろうか。
「兄さん、ジョアンはまだ7歳だ。夜会はまだ早い」
パパ上が助け船を出してくれる。
「陛下、私を兄と呼ぶのは配下の前で控えられた方がよろしいのでは」
ディラン公爵が全うなことを言う。
「いや、兄さん、メイヤー夫妻は私の身内のようなものだ。今夜は兄さんも昔の様にダニエルと呼んで欲しい」
「ならば陛下、今夜に限り昔の様に話をさせていただきます。
ダニエル、母さんは息災か?」
「ああ、アデリナ母さんは元気だよ。ジョアンの考えた湯たんぽとコタツという暖房が母さんにとって冬の寒さを凌ぎやすくしているらしいんだ。それもあってここ何年かは以前よりも元気になったよ。国営工場で縫製の指導を熱心にしてくれている」
「そうか……ならば良かった。臣籍降下して以来、母さんには会えていなかったからな。それが気掛かりだった。
ジョアン殿下、齢7歳とは思えぬ利発さですな。湯たんぽとコタツは我が公爵領にも昨年冬に入るようになりましたが、まさかあなたが考案されたとは」
「伯父さん、私のことはジョアンでいいですよ。伯父さんもお祖母ちゃんに会えなかったのはさぞ寂しかったでしょう」
「ああ、母上は厳しく美しく凛とされた方だった。年老いたとはいえ、私にとっては心から愛する母だ」
この言葉を言っているディラン公爵の瞳には、懐かしさが表れている。
得体が知れない闇を抱えているのだろうが、母を思う気持ちは本物なのだろう。
この伯父に少し興味が湧いてきた。
この伯父の話を聞いてみたい。
「父上、私も初めて夜会と言うものに参加してみたいと存じます」
「しかしだな、時間が遅いぞ」
「王宮であれば、まだ食後に内廷に戻ったくらいの時間です。いつもならこれから入浴しますからまだ寝るには早いです。必ずいつも寝る時間までには戻りますから」
「……わかった。兄さん、ジョアンを頼んだよ」
「ああ、もちろんだ。護衛に騎士も付く。安心して任せてくれ」
そんな訳で夜会にかこつけて、俺はこの謎の伯父と話す機会を得た。
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