王宮外への初外出

第24話 今回の話は食事中には読まないで下さい。まじで。



 俺は7歳になった。


 7歳になった俺の勉学の体制は、基本的に午前中がドノバン先生との学問全般、午後はゲオルグ先生について剣と馬の練習、そうなっている。


 ジャルランにはまた別の家庭教師、オスカー=クラフト先生が付くことになったので、ドノバン先生は俺の専属に戻った形だ。


 ジャルランは午前中が第一騎士団副団長のエルウィン=レーマン伯爵による剣と乗馬、午後がオスカー=クラフト先生による勉学、となっている。


 ジャルランと、ジャルランに付くことになった乳兄弟のラルフ=レーマンとの関係性はまだぎこちなさを傍から見ていると感じる。


 ラルフは年齢的には俺と一緒の今年7歳。ジャルランより一つ上になる。


 ジャルランはまだラルフとの距離感を計りかねているようだ。


 だが、色々と失敗してもいいと思う。


 そこから学んでいけばいいのだ。




 ジャニーンはあれからも週に1、2回ジュディ夫人と一緒に王宮に来てイザベル母さんとお茶会をしている。ラウラ母さんがコタツ工場に出勤しない休日はラウラ母さんも一緒にお茶会に参加する。


 秋~春の社交シーズンはそろそろ終わり、ジャニーン達は領地に帰る時期じゃないのかと思うが、まあ俺がどうこう言うことではない。

 領地にジュデイ夫人とジャニーンが帰らないと、あの妻と娘を溺愛するガリウス公爵が泣くんじゃないか。

 そんな心配はする。


 俺とジャルランはお茶会の時は授業はなしでお茶会に参加する。



 相変わらず庭園散策にかこつけて体を動かす遊びはやっている。


 かくれんぼと鬼ごっこは禁止されたままなので、他の遊びだ。


 ジャルランとジャニーンが謝罪しあったとはいえ、まだ何となくよそよそしかったので、仲良くなるために何か一緒にできる遊びはないか、と考えて「今度は3人で一緒に遊ぼう、あれよりおとなしい遊びを教えるから」と俺が提案した。


 ジャニーンは手押し相撲が大のお気に入りで、だいたいこれをやっている。


 勝負がはっきり着くのがいいらしい。



 お互い両手を開いて立ち、相手の手の平を押し合うというか打ち合い、先にバランスを崩して足を動かした方が負け。


 相手が押してこようとして腕に力が入ったタイミングでカウンター気味に打ち返すのがコツ。


 無理に押そうとして相手によけられたら自分がバランスを崩してしまうし、なかなか奥深い。


 ジャニーンは最初ずっと自分が好きなタイミングで攻撃ばかりしていたので自分でバランスを崩すことが多かった。


 ジャルランに避けられてバランスを崩し、ジャルランの胸に倒れこむってことがよくあった。


 6歳だけど何かぽんわりしたいい雰囲気になるかと思って見ていたが、まったくそんなことはなく、ジャニーンはひらすら悔しがるばかりだ。


 ジャルランは照れるようだが。


 だいたいジャニーンの負けず嫌いは、後ろに押されてバランスを崩した時も最後まで足を動かさないようにして倒れるため、侍女のリズが一々後ろでジャニーンを支えないといけなくて、リズが可哀そうになる。


 今はそんな感じでほのぼのと毎日を送っている。





 今日はドノバン先生の授業だ。


 最近は俺がドノバン先生の授業を受ける時は、俺の聞きたい事を聞いてドノバン先生が答えてくれる、というやり方が多くなっている。


 「ドノバン先生、実はですね、この7年間私はとてもとても生活する上で不満なことがあるのです」


 「殿下の不満な点、私もわかる気がしますが、言ってみてください」


 「それは、排泄物の処理の仕方です。わかるんですよ事情は。でも、でも何とかしたいんです。何か方法をご存じではありませんか、ドノバン先生」


 そう、この世界の排泄事情。


 トイレというものが存在しないのだ。


 いや、厳密にいえばある。農村などには多分。


 だが少なくとも王宮にはない。


 どうしてるのかって?


 おまるだよ。


 前世で言うポータブルトイレみたいな奴だよ。


 そこにするのだ。


 そこにして、鐘をチリンチリン鳴らすと、おまる専属の排泄物廃棄担当の下男、下女が来て、中身を捨てに行くのだ。


 俺たち子供だけがそうしているのだと思っていたが、パパ上も母さん方もアデリナお祖母ちゃんも、上級使用人も、皆おまるに排泄しているのだ。


 どこに捨てるかって?


 王宮庭園だよ。


 自然のまま放置されてる王宮庭園の森の中まで捨てに行くんだそうだよ。


 以前エックに連れられて放置してる王宮庭園の森の中に野草を教えて貰いに入ったら、積みあがってたよ。


 ハエが結構たかっていたよ。


 何かもう、訳の分からない切迫感、責任感に突き動かされて、土魔法で広く浅く穴を掘って、庭師たちに手伝ってもらってオガ屑と一緒にして埋めたよ。


 排泄物運搬係の下男下女に聞いたら、もう少しルム川が近ければルム川まで捨てに行くのだそうだ。


 そうか、そうだな、川に垂れ流しか。


 一人分ならしゃーないで済ませられるが、川沿いに住む何万人の排泄物があの川に流れているのかと想像すると、気が遠くなる。


 一応、今では王宮から出る排泄物は絶対に飲料水や生活用水として取水している泉の近くには廃棄しないように、浅く穴を掘っておくので、必ずそこにオガ屑と混ぜて埋めてくれって排泄物運搬係の下男下女にお願いしている。


 穴を掘るのは庭師の仕事だ。また庭師の仕事を増やしてしまった。済まないエック。


 あまり土を深く掘ると、土中の微生物が少なくなるから微生物による排泄物の分解スピードが下がるので、浅く土を掘り、そこにオガ屑と一緒に埋めて微生物の働きを活発にするのだ。


 オガ屑はコタツ工場で出る物を使っている。


 森の中にオガ屑置き場の小屋を作り、そこにコタツ工場から出るオガ屑を溜めておき、そこから排泄物と混ぜて埋めるオガ屑を持って来る。

 排泄物処理担当の下男下女たちも大変だが、俺としてはそれくらいやって貰いたい。


 前世の介護用バイオトイレの知識が多少役に立った。

 まあもっともうろ覚えではあるので気休め程度かも知れないが。


 あとなあ、排泄後にお尻を拭くものなのだが。


 今現在のアレイエムには紙はある。

 羊皮紙じゃなく木の繊維で作った紙がちゃんとある。

 ただなあ、紙は高級品なんだよー。

 とても尻拭きには使えん。高い。流石に王族でもダメ。

 一度それとなくラウラ母さんに聞いてみたが、笑顔が引き攣つっていた。無理だった。


 では、何を使ってお尻を拭いているのか。


 庶民はワラでなった荒縄だったり木の葉だったり、なければ石だったり、とにかく拭ける物は何でも使っているらしい。


 俺たちのような王族、貴族のデリケートなお尻は木のヘラだ。


 この木のヘラのことをシットスティックと言う。

 何つーか、おまるにシットスティック入れが付いており、そこから抜き取って使用する。一回一回使い捨て。排泄物と一緒におまるに入れ、排泄物廃棄担当の下男下女がおまるごと下げている。


 排泄物廃棄担当の下男下女が新しく作っておまるのシットスティック入れに補充するらしい。この作りが雑だと、デリケートな肛門周辺がトゲで大変なことに……考えただけでもぞわっとする。


 トゲトゲとささくれたシットスティックを見たら、どんなに温厚な貴族でも「このヘラを作ったのは誰だあっ!!」と〇原雄山のようにおまるをひっくり返し投げること請け合いだ。


 なので俺は一応魔法が使えるようになってからは、水魔法で水をウオッシュレットのように出してお尻洗浄をしている。


 ちなみにこの方法はに家族には伝えた。


 食事中にする話じゃない。もし食事中に言ったとしたらアデリナお祖母ちゃんにシャレにならん怒られ方をしただろうと思う。


 この方法を話した直後に目からうろこな表情でパパ上が叫んだ「魔法の使い道としてその手があったか!」が多分家族皆の気持ちを代弁していたと思う。

 うちの家族は皆魔法が使える。しかし使う機会が生活の中でほぼないため普段は全く魔法を使用していない。

 だがこれで、ようやく俺の家族の魔法力が発揮される場面ができたのだ。


 プライベートな事なので確認していないが、多分皆始めたと思う。


 でも俺は前世でもお尻洗浄後、残った水分をティッシュで拭き取っていた派なので、シットスティックも一応併用している。イマイチ使い勝手が悪いが。水切りワイパーのように使用している。


 何と言うか、異世界転生なんてファンタジックなことをしてるんだから、こんな生物として生きていくため絶対に必要なことで困ること、何とかなってる世界だったら良かったのに。


 という訳で俺はドノバン先生に、その辺りを聞いたのだ。


 もうこれは切実だ。


 寒さは下手したら命に関わることだから対策を優先したが、この排泄問題はすぐ何とかしなければならないわけではなかったため、ここまでこの世界のやり方に慣れようとしてきた。

 慣れさえすれば気にならない、前世ではボットン式和式便所の経験もあるんだ、大丈夫だ。そう思っていた。


 いや、そう思い込もうとしていた。


 無理だった。


 やっぱり一度清潔快適に慣れてしまうと、人間忘れられないようだ。


 「そうですね、自治都市連合やトリエルの都市には下水道というものがあり、各家庭で排泄した汚物は下水道を通って海や川に流されています。エイクロイドの首都リーバスやイグライドの首都ランドルにも下水道は存在すると聞いています。

 ただ、これらの下水道はみなオーエ帝国時代の遺物でして、自治都市連合やトリエルではオーエ帝国時代よりも人が増えたため、オーエ帝国以降に建てられた建物には下水道がないところが多くなっております。

 エイクロイドの首都リーバスやイグライドの首都ランドルも同様です」


 「なるほど」


 「リーバスやランドルもオーエ帝国時代よりも都市域が広がっており、現在の王宮はオーエ帝国時代の都市部ではなく新たに郊外に建設されたもののため、どこも王宮ではここアレイエムと排泄事情についてはそう変わりないようです」


 「えー、そうなんですか先生。実は来月父上とエイクロイド帝国に招待されているので行かないといけないのです」


 そう、今年は現エイクロイド帝国皇帝エドモン=バーナビーの戴冠10周年記念ということらしく招待状が届いており、来月父上と俺、ラウラ母さんが記念式典に出席すると返答している。


 嫌だわー、ネーレピアでも文化的に進んでいると言われるエイクロイドでも排泄事情はアレイエムウチと変わらないなんて。


 「ご愁傷様です、と言っていいのかどうか。まあエイクロイドでは汚物の臭いを何とかしようと色々工夫しているようですから、そう言ったことを知るにはいい機会とお考え下さい」


 「私は臭いも何とかしたいと思っていますが、衛生的な面も考えて汚物の処理の仕方を何とかしたいと思っているので……」


 「殿下のお気持ちは私もわかります。オーエの修道院時代を懐かしむことがあるとすれば、それは下水道の完備されたトイレのことですからね……」


 ドノバン先生も修業時代にオーエで下水道完備のトイレを体験しているのだ。


 さぞかし帰国後にアレイエムのトイレに再び慣れるのに苦労しただろう。



 「ちなみにドノバン先生が今住んでいらっしゃるところではトイレはどうされているのですか」


 「王都アレイエムにも実はほんの少し、数百m程下水道が作られていたのですよ、オーエ帝国時代に。最も、下水道に直結するトイレがある建物は宮中伯の方々が使っておられますね。私はやはりおまるに排泄し、排泄物を一般に開放された下水道の廃棄口まで捨てにいっております」


 「ドノバン先生でもそうなんですね」


 「まあまだ私はいい方です。下水道がないアレイエム市内地域の方が圧倒的に広い訳ですから。そうした地域に住む方はルム川まで捨てに行かねばなりません。

 まあ自分で捨てに行くのが大変という方は、排泄物廃棄代行の者に頼んだりしています。けっこう排泄物廃棄代行は需要が多いため、従事している者も多い職ですよ」


 前世の江戸と違って排泄物を肥料に使ったりはしていないため、業者が金を払って排泄物を引き取ったりはせずに、個人個人が排泄物廃棄代行業者に金を払って捨てに行ってもらっているようだ。


 「何か衛生的にもっと排泄物を上手く処理できる方法は無い物でしょうかね?」


 まあ現実的に言えば王族の俺は公共事業としてパパ上に下水道設備の建設をお願いするべきだろう。


 実際お願いもした。


 「父上、衛生的な面も考え、排泄物の廃棄方法を今のままにしておくと疫病などの流行が何度も繰り返されるものと考えられます。ですから早急に下水道の整備をお願いしたいと思います」と。


 だが、まだ大流行する疫病が病原菌やウィルスによって引き起こされるということが発見されていないため、衛生的に清潔を保つことの大事さというのは一般的な知識になっていない。入浴も1か月に数回入ればきれい好きと言われる頃だ(まあうちの王家は俺の影響で毎日入っているが)。


 下水道整備に莫大な費用がかかることに流石のパパ上も難色を示した。


 「ジョアンの申す事は極めて大事なことだろう。入浴を習慣とするようになってから、風邪などは滅多にひかなくなったからな。そこは私も同意だ。ただ、いくらコタツや湯たんぽで王家の財政に余裕が出てきたとはいえ、今回の提案はかかる金額が大きすぎる。すぐに計画し着工するという訳にはいかん。しばし時期を待つが良い」


 そう断られてしまった。


 まあ完全に否定された訳ではないのが救いだが、早期の実現は難しい。


 だがしかし何とかしたいのだよなあ。


 「昔、もうずいぶんと昔になりますが、スライムと言う魔物がおりましてね」


 おお、ドノバン先生、何かご存じなのですか? スライムとはまたベタな存在を。


 「スライムってどんな魔物なんですか?」


 「水色の球形と言いますか、どろっとしたゲル状の物体を落としたような形と申しますか、球体の上の部分がピョインと跳ねたような形をしておりましてね。大きさは30㎝から1mになるものまでいたとか。それで表面が弾力性のある透明な膜というか皮で覆われており、中に二つ、外が白く中が黒い眼の様に見える器官と、赤い半月型の、一見口に見える器官を備えた魔物です」


 その外見は、まんまドラ〇エのスライムでは?


 「昔はそれこそありふれた存在の魔物でして、草原やら森やらに沢山いたらしいのですよ。人を襲ったりすることは殆どなく、時々体当たりをしてくるくらいで基本的には大した脅威になる存在ではありませんでした。

 あまりにありふれた存在だったため面白半分にスライムを退治するものが多かったようです。スライムは弾力に富んでおり、棒で叩いたり剣で切りつけたりしても衝撃を吸収してしまうのですが、剣や槍など尖ったもので突くと表面の皮に穴が開き、中身の青い液体が流出して死んでしまうのです。軍などでは矢の的としてよく狩られたようです。

 貴族に限らず庶民でも日頃の憂さ晴らしに狩るものも多くいたようです」


 「遊びで絶滅させてしまったのですか」


 「結果的には遊びではなく、排泄物処理のために使われて絶滅したようです。

 スライムの中身の青い粘液は物を溶かす性質がありました。石や金属は溶かさないのですが、生物の肉や排泄物は溶かして水にしてしまう性質を持っていたのです。

 誰が考えたのかは知りませんが、スライムの中身をを排泄物を溜めた桶にかけて処理することが一般的になっていたようです。1000年代頃にはそうしたスライムを使った排泄処理が庶民に至るまで普及していたようですから、もしかしたらウッド・ハーの文化が聖戦で出征した軍によって流れ込んだのかも知れませんね」


 「しかし絶滅させずに繁殖する方法を見つけていれば、今頃はトイレに困ることはなかったのに、勿体ないことをしてしまいましたね」


 「当時は文化的にはかなり停滞していた頃ですから、スライムの生態を研究しようという者も殆どいなかったでしょうし、何せどこにでもいたようですからね。スライムが何を摂取して生きていたのかも詳しくわかっていません。スライムがいるところはハエが少なかったので、ハエなどの虫を主食にしてる、と書かれた文献もありますが」


 「でも本当に絶滅してしまったのでしょうか? まだどこかに残っているのではないですか」


 「1300年代の頃の記録を最後にスライムは姿を人に見られておりません。スライムはありふれた存在だったとは言え、草原や森林が生息域で都市部には生息しておりませんでした。

 当時から排泄物の処理は都市部では大変でしたから、スライムを狩りに多くの者が草原や森林に入っておりました。そうした者たちがスライムが取れなくなった後、排泄物廃棄代行を生業とするようになっていったのです。

 また、エルフなど森に住む者との交流はスライム狩りのため森に入った者たちがスライムの所在を知る目的で始まりました。森に詳しいエルフたちでもスライムの所在がわからないというのは、絶滅したと考えるのが妥当だと思います」


 「ということはネーレピアで人が入ったことの少ない場所ならスライムが残っている可能性はある、ということになりませんか?」


 「確かに殿下の言われることには一理あります。アレイエム国内であれば、静けき森やマル山脈の麓などはエルフでもスライムを見ないということですので、可能性としては暗き暗き森にならば生き残っている可能性はありますね。

 ただ、殿下も暗き暗き森のことはご存じだと思いますが、人が入ることを暗き暗き森のエルフは良しとはしておりません。見つけるのは難しいと思います」


 「可能性だけはある、ということですね」


 とはいえ確かにドノバン先生の言う通りだ。


 だいたい7歳の俺が暗き暗き森まで行く機会なぞ無いだろう。


 「殿下の夢を壊すようで申し訳ないのですが、人間と言うのは数々の生物を絶滅させてきました。

 大航海時代にイグライドやサピア、ハラスの外洋船は多くの島や大陸を発見しましたが、そこに住む希少な鳥や動物を面白半分に狩って絶滅させています。

 人間を見るのが初めてで、人間を見ても逃げない鳥などをレジャーで狩って絶滅させたりしているのです。

 スライムもそうした人間の愚かさで絶滅したのだと私は思います」


 いやー、ドノバン先生、そこまで念押ししなくても。


 もう十分わかりました。



 しばらくはバイオトイレ方式で細々と汚物処理をしていくしか無いようだなあ。

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