第21話 俺の魂の傷




 イザベル母さんはやっぱり凄い。


 さすが正妃陛下だ。


 国のことじゃないから大したトラブルじゃないのかも知れないが、見事なトラブル処理だ。

 的確に指示を出して、カドが立たないようにその場を収めた。


 しかし、それだけに、この後何と言って怒られるのかわからない。

 高位貴族らしからぬ遊びをしたということでさぞおカンムリであろう。怖い。


 「ジョアン、そこに座りなさぁい」


 イザベル母さんにそう促され、四阿あずまやのベンチに腰掛ける。

  木のベンチは石よりも冷たくはない。でも十分冷気で冷えている。


 レオニーが湯たんぽを3つ、持ってきてくれた。アツアツの熱湯を入れてタオルで巻いてある。適温だ。

 俺は一つ受け取り、お尻の下に置いた。

 イザベル母さんも一つ受け取り、膝の上に置く。

 もう一つはイザベル母さんの横のベンチの上に置いた。


 「レオニー、ハールディーズへの先触れの件、どう? 出発したぁ?」


 「事情は滞りなく伝えました。まもなく出発するかと思います」


 「そう。なら良いわ。陛下とアデリナ様に今日の顛末を伝えてきて。あなたはそのまま一度控室で待機なさい」


 「はい、そのように」


 レオニーも王宮へ戻っていった。


 「……ジョアン、もうすぐラウラが戻ってくるから、ラウラと一緒に話を聞くわ。

 そうそう、あなたが1年ちょっと前に頼んだ、東方のニーパンの調味料、間もなく届くわよぉ。『ミソ』っていうのねぇ」


 「……イザベル母さん、怒ってないんですか」


 「怒ってはいないわぁ。あなた方がお茶会の時に庭園に行って何か体を動かす遊びに興じていることは知っていたもの。お付きの者からも聞いていたし、一生懸命体裁を整えて戻ってきていたから、ジュディと一緒に知らないことにしてたのよぉ」


 「そうでしたか」


 そりゃそうか。お付きのピアやリズさんには俺たちが給金払ってる訳じゃない。雇い主に話せと言われれば話さざるを得ない。


 「まあでも今日はさすがにね、あれだけジャニーンが土で汚れていたら、怒らない訳にいかないじゃなぁい。ジュディは貴族女性の在り方について厳しいから、私がああ言わないとジャニーンがこってり絞られるわぁ」


 ジュディ様の落ち着きぶりと違ってジャニーンはもう活発そのものだ。確かに厳しく叱責されそうだ。


 「今日はジョアンからジャルランのことを聞こうと思ったのよ。ジャルランもなかなか自分の気持ちを素直に言えない子だから。私と話していても、すごく私に気を使っているみたいでね。だから、ジョアンから見たジャルランのことを聞いておこうと思ったの」


 「そうだったんですね」


 イザベル母さんも、ジャルランの様子が少し以前と違っていることに気づいていたのだろう。


 「ただね、この間はあなたの話を私だけが聞いたじゃなぁい? ラウラはそれで良かったって言ってくれたんだけれど、私は少しラウラに申し訳なくてねぇ。だから今日はラウラと一緒にあなたの話を聞こうと思ったの。後でジャルランとも話すけれど、ラウラにもジャルランの話を一緒に聞いてもらおうと思ってね」


 もう夕日が沈み、西の空に僅かな残光が残っている程度だ。

 コタツ工場の操業も終わっているだろう。

 間もなくラウラ母さんが王宮に馬車で戻って来る頃だ。


 そう考えているうちに王家の馬車が止まり、中からラウラ母さんが降りてきた。

 多分ハールディーズへの先触れがコタツ工場にも立寄って、ラウラ母さんにも伝えていたのだろう。


 「イザベル様、寒い中お待たせして申し訳ありません」


 「あら、そんなに待ってないわよぉ。それに湯たんぽも用意させたから。ラウラの場所、温めておいたわよぉ」


 「ありがとうございます」 そう言ってラウラ母さんはベンチに腰掛けた。


 「さーって、ジョアン? まずはジャニーンといつも何をやってたのぉ? 体を動かす遊びっていうのは聞いてるけど、具体的にどんなことかはわからないからねぇ。それとじゃんけんのことは聞いてるから話さなくていいわよぉ」


 「イザベル様、じゃんけんとは一体どのような遊びなんですか?」


 「手遊びの一種みたいよぉ。これで勝ち負けを決めるみたいなの。これ、意外と楽しいのよ。今度のパーティで参加者皆で何か賭けてやっても楽しいかも知れないわねぇ。ラウラも後でジュディと一緒にやって見ましょう」


 「そうですね。後でまた教えてください。ジョアン、それもジョアンが考えたの?」


 「ええ。そうなのよ。ジョアンがジャニーンと一緒にね」


 正確には俺が考えたことじゃ無くて、前世の日本では誰もが行っていた常識みたいなものだ。


 正直に言って、あまり褒められると困惑する。


 如何にも私が発案者ですって何食わぬ顔をしてたって、誰も知らないんだから咎める者なんていない筈だ。

 でも、何かなあ、そんな持ち上げられると、尻の座りが悪い、そう表現するのがシックリくる何とも言えない居心地の悪さを感じてしまう。

 多分、お天道様が見ている、良いことも悪いことも。日本人的な道徳観。それが俺の中に刷り込まれているのだ。

 要領のいい奴に言わせればそんなことに縛られていると損をするばかり、もっと自分の為に立ち回れよ、ってなことを言うだろう。


 でもなあ、駄目なんだ。


 それを捨てたら俺は俺じゃなくなる。

 でも、こうしてこの世界に俺を産んでくれた人、俺を育ててくれる人、惜しみなく愛を与えてくれる人たちを騙したままでいいんだろうか?


 正直に言ってしまおうか?


 俺はジョアン=ニールセンとしてこの世界に生を受けただけの、本当は違う世界の単なる一般人だったと。


 今まで俺が発案したように見えたことは、全て俺の発案ではなく、前世の数多くの人たちの研究と努力の成果なんだと。


 俺はただ、たまたまこの立場になって、たまたま覚えていたことを得意げに披露していただけだと。


 俺はこの優しい人たちを騙したくない。


 俺の正体を伝えれば、ジャルランもあんなに悩むこともないだろう。


 そうだ、言ってしまえば解決するんだ。


 こんないい人たちを騙すなんて、そんなことをしていいはずがない。

 俺は、俺自身は大した取り得もない、無力で無意味な人間だった魂なのだから。

 こんな素晴らしく恵まれた環境だって、本来俺が居ていい場所じゃない。


 大したことのない俺は、もっと罰を受けるべきなのだ。


 「イザベル母さん、ラウラ母さん、実は俺は……「待って、ジョアン」


 ラウラ母さんが俺の言葉を途中で遮った。


 ラウラ母さんの方を見ると、いつも笑顔のラウラ母さんが笑みを消している。


 そして立ち上がり、テーブルに左手を突いて上半身を俺の方に乗り出し、右手で



 パンッ


 おれの頬を張った。


 「ジョアン、あなたが今何を考えていたのか、それは私、分からないの。

 けど、今あなたが考えていたことをそのまま口に出していたら、あなたは今後二度と自分自身を許すことが出来なくなる、何故か私にはそれが伝わってきたの。

 お願い、ジョアン。その先を口にしないで」


 「ラウラ母さん……」


 「ねえ、ジョアン。あなたは確かに6歳とは思えない、色々と便利な物や便利なことを考え付いたわ。あなたのことを良く知らない人から見れば、あなたを神童と言いたくなるでしょう。

 でもね、私からすれば、あなたはまだ私の元に生まれて6年の子供よ。あなたはまだこの世界を知らない子供。

 あなたにこの世界の素晴らしさ、大切さ、そしてをあなた自身が形作るやり方を、私たちは教えなければならないの。

 ジョアン、私たちにそれを教えさせてちょうだい」


 「……はい、ラウラ母さん」


 俺は茫然としていたが、やっとの思いでそう返事した。


 さすが生みの親、と言うべきなのだろうか。

 多分さっきの俺の思考は悪い方向に行っていた。

 自罰的な、出口のない方向だ。


 それを断ち切ってくれた。


 ラウラ母さんは隣に来て座り、俺をぎゅうっと抱きしめた。


 「ジョアン、落ち着いた? あなたには私達がいますからね。あなたは決して一人ではないの」


 「はい、ラウラ母さん」


 俺はしばらくラウラ母さんの温かい体温を感じながらその胸に抱きしめられていた。


 ああ、そうだ。


 俺の意識は確かに異邦人だ。

 でも、この体はこの母がこの世に産んでくれたもの。

 あの謎空間でトリッシュも言ってたじゃないか。


 生命を生命たらしめるものが魂。


 例えイレギュラーな存在の俺の魂でも、この魂が無ければジョアン=ニールセンはこの世界に誕生しなかったのだ。


 「ありがとうございます、ラウラ母さん。もう大丈夫です」


 「そう? まだこうしていてもかまわないのよ?」


 「いえ、イザベル母さんを待たせても悪いですし」


 「あらぁ、私はかまわないわよぉ。それともジョアン、私に抱きしめられて見るぅ?」


 「いえ、それをするとジャルランと父上に悪いですから」


 フフフ、とイザベル母さんは笑い、


 「私もジャルランと陛下を抱きしめている時以外なら胸を貸すわよぉ」


 とからかうように言った。


 そして


 「ラウラは治癒魔法を使えるからかしらね、みんなラウラが触れると落ち着くのよぉ。私も公務でイライラした時にラウラに触れてもらうと落ち着くの。何と言うか大荒れだった心の波がスーッと静まる感じよぉ」


 俺は長年(6年)ラウラ母さんと一緒にいるけれど初めて聞いたぞそんなの。


 「ラウラ母さんは治癒魔法が使えるのですか? 初めて知りました」


 「そうね、幸いあなたが産まれてからは誰も怪我をする人が身近にいなかったからね。イザベル様とレオニーが時々縫い針で指を刺したくらいでしたわね、イザベル様」


 「布団を縫ったのなんて久々だったから、仕方ないわよぉ」


 「治癒魔法なんて凄いじゃないですか。ドノバン先生もあまり使える人はいないって言ってましたよ」


 「治癒魔法と言っても何でも癒せる訳じゃないの。私の場合目に見える怪我なら、怪我を負った人の体力が残っていればある程度なら治せるわ。衰弱しきった人の怪我は治せないし、熱などの病気も治せないの」


 それはドノバン先生も言っていた。治癒魔法は万能ではない、と。


 魔法を発動するには魔法発動者の体力が必要だ。治癒魔法の場合は魔法発動者の体力の他に治癒魔法を受ける者も体力がないと成立しないということか。

 つまり、治癒魔法は治癒魔法を受ける者の体力を使った自然回復力をかなり高め、治癒を促進する魔法、ということなのだろう。


 さっきラウラ母さんに叩かれた時も、叩かれたショックで悪い思考が断ち切られたのかと思っていたが、実際はラウラ母さんの治癒魔法だったのかも知れない。


 心なしか空腹が進んだ気がする。


 俺は、俺が自覚していないだけで、前世の精神的な傷がかなり魂に残っているようだ。

 6年間の王子生活だけでは多分癒し切れない程の傷だ。

 多分俺の前世の人格的な傾向からくる傷だ。

 自分で言うのもくすぐったいが、責任感が強く己を省みる傾向。


 それは人が正しく成長するための資質だ。正しく己を省みて、正しく真面目に努力することが出来れば。責任感がそれを止めることを良しとしない。正しく成長を続けられる。


 ただ、周囲が責任転嫁や他罰的な環境だと、己を省みる傾向が強い者というのは格好の責任や失敗の原因の押し付け先になる。

 己を省みる傾向の強い者は周囲からの責任転嫁すらも己の責任と受け止めて、己を省みる。

 己の持つ責任感が、己を省みて己の落ち度を探し、改善するように努めねばと己を強制する。


 その結果、己をひたすら責めることに繋がっていく。


 俺の魂にはそうして己を責め続けて己がえぐった深い深い傷がついているのだ。


 ラウラ母さんがまだ俺に触れているおかげで、冷静に自己分析ができた。


 治癒の力を持つラウラ母さんの元に生まれていなければ、俺は魂の傷のせいで、もっと小さい頃に精神を病んでいたのではなかろうか……


 「私はラウラ母さんのおかげで、今まで心が健全に育ったのだと思います。ありがとうございますラウラ母さん。こんな私ですが、今後も頼らせて下さい」


 それは俺の本心からの願いだ。


 「ええ、いつでも私に甘えていいのよ、ジョアン」


 またラウラ母さんは手を握ってくれた。

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