第17話 6歳はまだ子供だよ
庭園の
「あらジョアン、遅かったじゃないのぉ」
イザベル母さんが俺に気づいて声をかける。
「申し訳ありません。乗馬の後の着替えで少し手間取りまして」
「殿下はもう乗馬の訓練をされているのですか? まだ小さいのに?」
ジュディ夫人が尋ねる。
「まだ乗馬の先生に一緒に乗せてもらって、散歩しているようなものです。まずは馬に慣れることが大事、と言われています」
「そう。確かに小さい頃から馬に慣れておくことは大事ですものね。ジャニーンも自分の父や兄が乗馬の練習をしているのを見て、女の子なのに自分もやりたいって言って駄々をこねますのよ」
「お、お母さま、駄々なんてこねていません。ただ羨ましいなあって言ってただけです」
慌ててジャニーン嬢が弁解する。
「私は女性が乗馬を嗜むのはカッコいいと思いますよ。何か有事の際にも逃げやすいですしね」
「何で私が逃げなきゃならないのよ!」
うわー、気が強いなこの子。
「もしもの場合ですよ。馬に乗れれば万が一の時でも対応がしやすいってことです」
慌ててフォローする。
「あ、そうだ、この間ジャニーン様が間違って食べた柿の実、渋を抜いて食べられるようにしておいたんですよ。持ってきて貰いますから召し上がって見てください。ピア、エックのところに行って4個程貰ってきてくれないか」
話題を変えるに限る。
「あんな渋い実が本当に食べられるようになるの? 食べた瞬間口の中がイガイガしてたまったもんじゃなかったわ」
「去年エック達が作ってくれた干した実じゃないのぉ? あれは甘かったわね。お茶と一緒に頂くのに丁度よかったわ」
「今年も干し柿は作って貰っていますよ。ただ、今年は全部干し柿にするんじゃなくて、50個くらい他の食べ方にしてみたんですよ」
そう話しているうちにピアが樽柿を4個持ってきた。
イザベル母さんの侍女のレオニーが受け取り、手早く皮を剥き、皿に盛ってテーブルに置く。
「干し柿もあれはあれで美味しいんですけど、このやり方だと柿の実をそのまま食べられるのでいいんです。どうぞ、召し上がって下さい」
そう言って俺は一切れ取って食べる。
いやー、甘いわ。柿の甘さって天然の果物の中では1,2を争うらしいけど、本当に甘い。
「すごく甘くなってます。上手く行ったなあ」
俺がそう言うと、皆おずおずと言った様子で一切れづつ取り、口に入れる。
「えーっ、何これ、本当にあの実なの? 嘘みたい。今まで食べた果物の中でも一番甘いわ」
ジャニーン嬢はそういうと次々に切った柿の実を口に入れた。
「これっ、ジャニーン、お行儀が悪いわよ。 でも殿下、これは本当に美味しいですわね」
「あらジョアン、こっちの食べ方もいいわねぇ。私はこっちの方が好きだわぁ」
喜んでいただけたようだ。ジャニーン嬢の機嫌も直っている。
樽柿を食べ終わり、カップのお茶を飲み干すと、ジャニーン嬢が
「正妃陛下、ジョアン殿下に庭園を案内していただきたいのですがよろしいでしょうか」
と庭園散策を願った。
「ええ、いいわよぉ。ジョアン、ジャニーンを案内してあげてちょうだい」
「わかりました母上。ではジャニーン様、まいりましょう」
俺はそう言ってジャニーン嬢と連れ立って歩きだした。
別にエスコートはしていない。
しばらく庭園を歩き、
「ねえ、あんた。そんな肩肘張ったしゃべり方してると肩凝るでしょう。普通に話しなさいよ」
「え?」
なおも
「あんた私より一つ上の年なんでしょう? わたしのお兄様も6歳の頃はそんなに肩肘張った喋り方じゃなかったわよ」
「ジャニーン様のお兄様って幾つなの?」
「9歳よ。お父様に剣や馬の稽古をつけてもらっているわ。それと私に様は付けなくてもいいわ。何か本当に取ってつけたみたいだから気持ち悪いの」
おまえ兄が6歳の頃は2歳やないかーい! よー覚えとんな、兄の言動を。俺は2歳の頃は何してたか
あれ、しかし、こんな大人びたことを言うし、何か生まれた頃のことを当然のように話しているし、もしかしてジャニーンは……あの時の自転車に乗った女子高生なんじゃないか?
そう思った俺は、日本語で話しかけてみた。
『あの時の隕石って、どんな感じだった?』
ジャニーンは、きょとんとしていた。
俺はもう一度日本語で話しかけてみた。
『この世界にはTikTokが無くて残念だね』
「ちょっと、勉強できるのかも知れないけど変な言葉で喋るのやめなさいよ、馬鹿にしてんの?」
普通の返事だ。違ったか。
侍女がいるから喋らない訳ではないと思う。
本当に転生者だったら、短く日本語で返事をすればいいだけだからだ。
「ごめんごめん、ちょっと意地悪言ってみたかっただけだよ」
「あんた結構根性曲がりね。まったくお兄様とは比べ物にならないわ」
何だよ、単なるブラコンじゃねーか。
まあ5歳の幼女に本気で怒るのも大人げない。許す。
「ところであんた、せっかくお母さま達から見えないところまで来たんだから、何か体を動かせる遊びしましょうよ、何かないの?」
何かって、ねえ。
突然言われてもだ。
まあ俺も6歳な訳だし、童心に返って遊ぶのもいいか。
「えーっとそうだなあ、人数二人だけだし缶蹴り鬼は厳しいな。じゃあかくれんぼしよっか。かくれんぼ、知ってる?」
缶は無いしな。
「何それ? 初めて聞くわ」
「じゃんけんしてオニを決めて、オニが10数える間にもう一人が隠れる、でオニが10数え終わったら隠れている子を探すって遊びだよ」
「じゃんけんも初めて聞くわ。どうやるの?」
あー、そうか。前世でも欧米には日本から伝わって初めてじゃんけんって知られたらしいからな、うろ覚えだけど。
「手の指を5本開いた形がパー。で、二本指を立てた形がチョキ。指を全部握って拳を作った形がグー。
それで、パーは紙。チョキはハサミ。グーは石の形ね。紙は石を包めるから紙の勝ち。石をハサミは切れないから石の勝ち。ハサミは紙を切れるからハサミの勝ち。
それでお互いに『じゃんけん、ぽん』の掛け声に合わせてこの手の形を出し合って勝ち負けを決めるんだけど、お互い同じ形だったらあいこって言って、もう一度行う。
やってみるかい?」
「ええ、やってみましょう」
ジャニーンは興味津々だ。
何度かじゃんけんをしたが、ジャニーンはグーしか出さないので俺が連勝した。
何この子、拳で語るタイプなわけ?
あんまり負け続けるのでジャニーンの機嫌が悪くなってきた。
かくれんぼそっちのけだ。
「何で勝てないの! おかしいわよ」
おかしいのは君の覇気だ。世紀末覇王か。わが生涯に一片の悔い無しか。
「ジャニーン、君はさっきからグーしか出してないんだよ。判りやす過ぎるだろ? ちょっと気分を変えて人数を増やしてやってみよう」
「え、これ大勢でもできるの?」
チョロい。
「うん。二人だと順番を決める時とかにやるんだけど、大勢の時は順番を決める他に組み分けを決める時なんかにもやるよ。ピアと侍女の人、えーっと、リズさんだっけ。一緒にお願い」
二人は俺たちのすぐそばにいたので、さっきの説明も聞いている。
「じゃあいくよ、じゃんけん、ぽん」
この日はその後、ジャニーンがじゃんけんにハマったので、かくれんぼはせずにじゃんけんだけで時間が過ぎた。
「イザベル母さん、少し母さんにお話ししたいことがあります」
イザベル母さんは何か察したのか、応じてくれた。
「ごめんなさいねジュディ、ジョアンが少し私と話をしたいそうだから少しだけ席を外すわねぇ」
俺はイザベル母さんに目配せして、侍女のレオニーも外してほしい、という気持ちを伝えた。
「レオニーもここで待機していてちょうだい」
「ピアも少しここで待っててね」
俺とイザベル母さんは二人だけで声が他人に聞こえない位置まで移動した。
「それでジョアン、私に話したいことって何なのぉ」
「イザベル母さん、ピアのことです」
「ピアがどうかしたのぉ? 何か粗相でもされた? 結構しっかり仕事を仕込まれた娘だと思っていたけれど」
「ピアが粗相をした訳ではありませんし、仕事ぶりもきちんと行ってくれています。今の話ではなくて将来の話です」
「あら、あの娘、話しちゃったのねぇ」
「はい。ピアは私が将来子作りを成せる程度に成長した際に、そうした行為を私に教える、あてがいの役割もある、と申しておりました。本当でしょうか」
「ええ、そうよぉ。あなたがそういう行為を望むなら、ピアがあなたを導き教える、そういうことも含めてあなたについてもらっているわぁ」
やっぱりそうなのか。メイド長のイライザさんが知っているならイザベル母さんも知っていて当然だ。
「このことは他に誰が知っているんですか」
「王家の大人は皆知っているわよ。陛下も、ラウラも、アデリナ様もね」
そうなのか。イザベル母さんだけなのかと思っていた。
「何故わざわざそのようなことを。理由をお聞かせ下さい。子作りの行為など、動物でも誰に教えて貰わずとも行えることですのに」
「……これはアデリナ様が言い出したことなのよぉ。陛下の兄上のことはジョアンは聞いているのぉ?」
「少し聞きかじった程度です。詳しくは存じ上げておりません」
「陛下の兄上、ディラン=ニールセン殿下、今はもう公爵ね。小さいころからしっかりされていて、将来この方が国を継げばそれでアレイエムは安泰だ、誰もがそう思うほど出来た人だったらしいわ。私はまだハラスにいた頃だから良くは知らないのだけれど。
ディラン殿下には婚約者がいなかったの。アデリナ様たちは強く婚約を勧めたらしいけど、ディラン殿下が全てご自分で断っていたらしいの。
どうも殿下が初めて恋した貴婦人が貴族家の奥方だったらしくてね。殿下との道ならぬ恋を密かに楽しんでいたようなの。
ディラン殿下にはあてがいをつけていなくて、その貴婦人が殿下の初めてのお相手だったみたいで、殿下はその貴婦人に身も心も捧げてもいい、と言うくらい好きだったようよ。
でも。そんな恋がいつまでも周囲にばれない訳がない。
貴婦人の夫に知られることとなってしまい、怒った夫は
ディラン殿下は
お相手の貴婦人はディラン殿下に
当主を失った貴族家の家臣や、その貴族の寄騎だった貴族たちからは当時の王だったアードルフ陛下やアデリナ様に、当然苦情が寄せられたわ。
おとなしいものは廃嫡要求、過激なものはディラン殿下の罪人としての引き渡し要求などね。
結果として最もおとなしい廃嫡要求を王家は飲み、ディラン殿下は公爵として、問題を起こした貴族家のあった東部地域ではなく西部のエイクロイドとの国境付近に配置されたの。
テルプの争乱でアードルフ陛下がお亡くなりになったのも、この時の
子への恨みを父で晴らす、人としても貴族としても卑劣な行い。
でもそれを誘発したのはディラン殿下の道ならぬ恋だったのよ。
それでね、ディラン殿下が道ならぬ恋をしたお相手の貴婦人、どことなくアデリナ様の面影があったそうなのよ。
アデリナ様はディラン殿下が幼い頃に殿下を早く独り立ちさせるためにと、養育の殆どを乳母と侍女に任せていたことを悔いていたわ。もっと自分が愛情を注いでいればディラン殿下はあんな間違いを起こさなかったのではないかってねぇ。
だからアデリナ様は、あなたとジャルランには家族の温もりを与えておきたいということで今の様になるべく一緒に食事をする、というルールを決められたの。
まあ私はなかなか時間が取れなくてジャルランに寂しい思いをさせてしまっていたけど……
それとあてがいの件は、あなた方が大人の男性として目覚めた時に、ディラン殿下のようなひどい間違いを起こさないように、ということでお付きのメイドにあてがいとしての役割も言い含めていたの。
男性は初めての人の影響が大きいようだし、覚えたては毎日でもしたくなるようだしねぇ……
どう、ジョアン。わかってくれた?」
思いの外、重い理由だった……
だが、やはりピアの幸せのためには、あてがいなんてさせるべきじゃない、そう思う。
ピアは今17歳だと言っていた。もう結婚していてもおかしくない年齢だ。
俺の体が性に目覚めるとして、だいたい8歳後半くらいだろう。あと2年半はある。
その時ピアは20歳。
女性の盛りだ。まあ性に目覚めた俺の体にとってはたまらんだろう。
毎日毎日性欲をピアに吐き出して満足する。それを俺はいつまで続けるのか?
俺も17歳で結婚するとして、その時ピアは何歳だ?
もう28歳だ。まともな縁談なんぞ望むべくもないだろう。
その前にピアを結婚させる?
王族に毎晩抱かれている妻を愛せる男はどんな奴だ?
あてがいを務めていることを隠して結婚したとして、それはピアにとって幸せな事なのか?
相手の男を騙している、そんな罪悪感を感じないで暮らせるのか?
駄目だ、わかんねー。
結局こんなこと考えてても俺の自己満足かも知れない。
考えても結論は出ない。
でも、俺の感情は、ピアを俺の犠牲にしたくない、そう思ってるんだ!
「イザベル母さん、私はピアのメイドとしての働きぶりは必要としていますし、メイドとしてのピアは好きです。でも、ピアに私のあてがいにはなって欲しくない。ピアには一人の女性としての幸せを掴んでほしいのです」
「……ジョアン、あなた、私の話、聞いてなかったのぉ?」
「あてがいが必要な理由はわかりました。でも、私はピアを私のための犠牲にしたくないのです。ピアにも言いましたが、ピアには幸せな家庭を築いてもらって、幸せそうに生まれた子供を私に見せに来てほしいのです。そうされることが私にとっての幸せです」
「そうゆう気持ちの問題じゃないの。ディラン殿下という悪しき前例。これをまたなぞるようなことが起こってほしくないから、こうしているのよぉ。わかりなさい、ジョアン」
「私はディラン殿下のようにはなりません!
あてがいなぞなくても、私にはこうして私の話を聞いてくれる優しい母親がいます!
私のことを思って色々助言をしてくれる立派な祖母がいます!
私のことを認めて、好きなことをやらせてくれる立派な父がいます!
そして、私を産み、私を育み、私を甘えさせてくれる、大好きな母親がいます!
だから、だから私はディラン殿下のようには絶対になりません!」
なんだろう、何か前が滲むなーと思ったら、俺は涙を目に溜めているのだ。
鼻がツーンとするなあと思ったら鼻水で鼻が詰まっているのだ。
俺は、家族のことを叫びながら泣き出していたのだ。
情けない。そう思ったが、俺の体は6歳だ。
6歳の子供が感情を出したら、泣くのは仕方がないよな。そうだよな。
「ほら、こっちをむきなさぁい」
イザベル母さんはそう言うと、ハンカチを出し、顔を拭いてくれた。
それでも涙と鼻水は止まらない。ずっと出っ放しだ。
ずっと出ている俺の涙と鼻水を延々と拭き取りながら、イザベル母さんは言った。
「わかったわ、ジョアン。あなたがそう思うのならば、ピアにあてがいを強制するようなことはしないわ。ピアが素敵なお相手を見つけて結婚するのも自由よ。
ジョアン。ジョアンの言う通り、私たち家族の関係はディラン殿下が幼かった頃とは確かに違うわね。それは私たちも誇っていい部分なのかもしれない。そこは信じようと思うわ。
でもね、万が一あなたが性に目覚めて内からの昂ぶりを抑えられなくなった時、まだピアがお相手がおらず独り身だったとしたらピアにお願いするのよ、いいわね?
ピアにはそのように伝えておくからね。
あなたを信じているわよ、ジョアン。
今言ったあなたの、ピアの幸せを願う言葉を信じているわよ」
「ふぁい、イザベル母さん」
鼻を拭かれながら、俺はそう返事した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます