第14話 あれ、そういえばそうだった

 



 さて、コタツ工場で事務長を務めるラウラ母さんを追い込んだもの、それは洗濯板だ。


 蒸気機関の動力の使い道として、回転運動だから洗濯機、脱水機に使えるな、と単純に思った俺は、春先にラウラ母さんに頼んで王宮の洗濯場を見せてもらった。


 そこでは洗濯メイド達が大だらいに入れられた洗濯物を、灰汁アク汁を入れて一生懸命足で踏み汚れを落としていた。


 いや一瞬、これはわざと、いやアレイエムの文化的な儀式なんじゃないか、女性が足で踏んだ物を着ると矢玉に当たらないみたいな験担ぎなんじゃないか、そんなことを考えた。


 「ラウラ母さん、これは一体」


 「ジョアンは初めて見るのね。私たちが汚したものはこうやってメイドのみんなが足踏みして汚れを落としてくれてるの。だからあんまりひどい汚れを付けないように、お行儀よくしましょうね」


 ああ、ラウラ母さんの言う通りだ。

 俺は今まで汚れのことなんか一切気にしていなかった。

 食事の時、デミグラスソースっぽい物をテーブルクロスや服にこぼしても気にしちゃいなかった。


 まあ、元々テーブルクロスは手づかみで物を食べていたほんの百年前に汚れた手を拭くために出来たものらしいが。


 それにしてもおのれ、デミグラスソースよ!

 何故貴様は茶色なのだ!


 と思ったのは確かだ。これからはなるべく汚さないようにしよう、そう決心した。


 ただやはり聞いておかねばならんだろう。


 「ラウラ母さん、蒸気機関でお湯を使って、洗濯物をぐるぐる回転させて洗えると便利になりますね?」


 「ええ、みんな喜ぶと思うわ」


 「この足踏み洗いって、何かの験担ぎでわざわざやってる訳じゃないですよね?」


 「どこの家でもこうよ。私の実家のハース家でもそうだったし、私の家の使用人たちもこうしてたわ。それこそお祖母ちゃんたちの世代よりもずーっと前からこうよ」


 「汚れがひどい部分をこすって落とすような道具って、何かないんですか?」


 「聞いたことないわねえ」


 「たわし、いやブラシか。そういうものを使ったりしませんか」


 「ブラシは髪をとかしたり服のホコリを取ったりすることに使うくらいね」


  あれ、もしかして……


 「調理後の鍋を洗ったりする時に、汚れを落とすのはどうしてますか」


 「ヘラとかコテで汚れをこそいで、あとはワラを束ねたものでこすったりしているわね」


 OKOK,理解した。


 前世の近世ヨーロッパでもそうだったのか?


 とにかく今、現時点1756年のアレイエムには汚れをこすり落とす道具が一切ないようだ。


 これはとりあえず洗濯板は作ろう。

 木の工作だから、コタツ職人の暇を見て一つ作って貰おう。


 そして亀の子だわし的な物も作ろう。

 さすがに針金は存在しているはずだ。

 毛の材質になる植物、心当たりはない。これはドノバン先生に聞こう。


 そういえば、風呂のあとの掃除、あれってピア達どうやってた?

 やっぱりワラ束と雑巾的な布か。

 デッキブラシが欲しいな。

 デッキブラシと言えば船の甲板掃除用が最初のはずだ。

 イザベル母さんに聞いてみよう。


 あー、ブラシと言えば歯ブラシ、今使ってるな。

 あれはどこ製だ?前世程小さくも磨きやすくもないが、一応使ってたな。

 あれが作れるところだったらデッキブラシも作れるかも知れない。


 諸々考えながら洗濯場を後にした。



 とりあえずその後、すぐに対応できる洗濯板だけは手の空いた木工職人に作って貰った。

 それを洗濯メイドに渡して使ってもらったら、汚れの落ち方が全然違う、と驚かれた。

 とりあえずまたパパ上とイザベル母さんに食事の席で話し、特許を取る方向で動いてもらった。


 晴れて洗濯板はコタツの注文がある程度捌けた段階で、コタツ工場でも作るようになった。

 結果的に工場の事務長を務めるラウラ母さんの目が死んでしまう程忙しくなった。


 8月の工場完成後の最初の仕事が洗濯板の製造だったのは皮肉かも知れない。



 洗濯板の製造は別に国営コタツ工場の独占にしたわけではない。


 木工ギルドやライネル商会とヤンセン商会にも洗濯板一枚の販売価格の1割という僅かな特許使用料を払ってもらうことで製作、販売を依頼したのだが、何せアレイエム中のすべての家庭が欲しがるものだ。


 作っても作っても追いつかなかった。

 

 御用商のライネル商会やヤンセン商会以外の地方の商会にも、制作を希望するところには特許使用料と最低品質保証の契約を交わして洗濯板の製造、販売を委託するようにしているが、それでもなお需要に供給が追い付いていない。


 ちなみに最低品質保証の契約は、あまりに粗雑な作りの洗濯板を販売してしまうと衣類を破損したり最悪手に木のささくれが刺さったりするので、そんな事故を防ぎ洗濯板の信頼性を守るために交わしている。


 もしかしたらラウラ母さんは俺に洗濯場を見せない方が良かったと後悔しているのかも知れない。


 デッキブラシの方はイザベル母さんに聞いたら、船の甲板の掃除方法までは知らないとのこと。


 「さすがに私もそこまでは教えてもらってないわよぉ」とのことだった。


 ドノバン先生にブラシの素材のことを聞いたら、意外な人がそのことを知っていた。


 蒸気機関の専門家として招かれたアルバート=コナー男爵だ。


 「南方の島国で取れるヤシの木や、ヤシの実の繊維をほぐして甲板掃除用のブラシとして使っていますよ」


 だそうだ。


 さすが海洋立国イグライド出身の人だ、と感心した。


 なんでも、今のイグライド国立学会に所属している学者や研究者は、自分の興味のあることを手当たり次第に研究しているので、一人ひとりが幅広い知識を持っているんだとか。蒸気機関の研究である程度成果を出した人が天文学の分野でも新たな学説を出したり、昆虫の研究をしている人が合金の研究で成果を出したり、などだ。


 アルバート=コナー男爵もそんな一人らしく、蒸気機関だけでなく冶金やきんや気候にも手を広げており、そんな興味対象の中に南方の植物も入っており、ブラシの原料を知っていたのだという。


 これはいい人に来てもらった。



 早速イザベル母さんにハラスにヤシの繊維の在庫があったら購入してもらうようにお願いした。

 あと、近々の風呂掃除のためにデッキブラシも大量に注文してもらった。


 まもなくアレイエムに届くはずだ。


 そんな俺を見て、ラウラ母さんは言った。



 「ジョアン、あなたがまた何か便利なものを考えているのは分かってるの。でもね、工場で働く人たちもそれぞれ専門のお仕事があるのだから、これ以上はお手を煩わせてはいけませんよ?」


 笑顔だ。


 ものッ凄いいい笑顔だ。


 でも目は笑っていない……


 ああ、愛する母にこんないい笑顔と目で言われたら、息子としてはこう言わざるを得ないではないか。


 「当然ですよラウラ母さん。そろそろコタツ製造にみんな全力で取り組まないといけませんもんね」


 洗浄用ブラシとたわしは他に頼むとするか。


 また庭師頭のエックと一緒に試作品を作って、使ってみて好感触だったら王家で特許を取り、御用商などに製造販売を投げる方向で行くか。


 しかしオーエ・ヒートがもしも転生者だったとしたら、洗濯板とたわしくらい作っといてくれよな。



 俺は過去の偉人にそんな八つ当たりをした。

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