第7話 ごねる弟をなだめよう




 今日もドノバン先生の授業だ。


 「アレイエム王国より先にエイクロイド帝国から独立していたイグライド連合王国とハラス王国、サピア王国。ジョアン殿下、この3国に共通することは何だと思いますか?」


 えーっと、エイクロイドが前世のフランスっぽい役割だとしたら……


 「海洋国家ということでしょうか?」


 「そうです、殿下。正解です。イグライド連合王国はエイクロイドの北西に位置する島国。ハラス王国とサピア王国は半島に位置する国家です。これらの国々は大型の船舶が停泊できる良港が多く、大型船を多く建造し、競ってまだ見知らぬ大洋へと乗り出して行きました。その結果この国々は多くの国々と貿易し、珍しい物産なども扱うようになりました。この大航海時代が始まったのは我がアレイエム王国が独立した前後ですから約200年前からになります」


 「我がアレイエムも海に面しているのにそうならなかったのは、出遅れた、ということでしょうか」


 「そうですね。一つは殿下のおっしゃる通り、傭兵団や貴族が独立して建国した我が国では大型船の造船技術が無かった、ということが挙げられます。


 更にもう一つは、我が国は300㎞もの海岸線を持ちますが、ほぼ平坦で一直線の海岸が多く、港に適した地形が少なかった、ということもあります。大型船が停泊できる国際港足りえる港はハラスとの国境近くのネードか、ハールディーズ公爵領にあるライバックしかありません。王都アレイエムから最も近い港町のメルネはせいぜい中型船しか停泊できません。


 ですから我が国は海洋進出については大きく後れを取っております。


 最もイザベル正妃陛下のご実家であるハラス王国と、暗き暗き森に水源を発する、デラッシュ海まで7か国を経由して流れるデネブ川の水運のおかげで、東方や南方の物資は我が国に不足なく流通しているのですがね」


 なるほど。ためになった。


 しかしそろそろ空腹で腹の虫が鳴りそうだ。

 と思ったら鳴った。


 ぐうぅぅぅ。


 ドノバン先生が苦笑して言う。


 「殿下、そろそろ魔法の実践をしましょうか」


 有難い。ドノバン先生わかってるう!


 「じゃあ先生、早速行きましょう!」


 俺はそう言うと侍女のピアにお茶を庭園のいつもの作業用具入れの小屋近くに持ってきてほしいと伝え、子供スペースの広間をメイドのカーヤ相手に走り回っていたジャルランにも声をかけた。


 「ジャル~、私たちは魔法の練習に王宮庭園に行くけど、ジャルはどうする~?」


 「お兄ちゃ~ん、行くよ~、行く行く!」


 そう言うとジャルランは俺を追い越して走り出していく。

 まったくジャルランはいつも元気だ。


 「カーヤも、ジャルの分のお茶を用意して、いつもの場所まで来てねー」


 そうカーヤに声を掛けると俺もジャルランを追っかけて走り出した。

 ジャルランがまた転んで泣き出したら、すぐに慰めてあげないと。


 内廷の通路をジャルランを追っかけて走っていると、この時間に珍しくラウラ母さんとバッタリ出会った。


 「ジョアン、ジャルラン。通路は走ってはいけませんよ。外の人が来ないとはいえ使用人にぶつかったらお互い危ないでしょう? わかった?」


 「はい、母さん、ごめんなさい」


 「ラウラ母さん、ごめんなさい」


 俺とジャルランはラウラ母さんに謝った。


 ラウラ母さんはにっこり笑って


 「わかってくれて嬉しいわ。みんな怪我無く一緒に元気に過ごしたいものね。

 これから庭園へ行くのでしょう? 今日の晩御飯が入らなくなるほど食べないようにしてね。

 せっかくの晩御飯、残したら作ってくれるエルマーに悪いわ。わかった?」


 「ラウラ母さん、わかりました」


 「母さん、今日の夕食は何?」


 家族の食事はラウラ母さんの管轄だ。

 週2回程度開催される対外的なパーティなどの場合はイザベル母さんが取り仕切る。

 どこの貴族家でも大抵家事関係の使用人は女主人、うちの場合はイザベル母さんになるのだけれど、女主人付のメイド長が取り仕切る。うちはイライザさんというイザベル母さんと一緒にハラス王国から来た人が務めている。

 ただ、ニールセン家の場合は普段はラウラ母さん、対外的な催しの場合はイライザさん、というように分けている。

 家族で食卓を共にするという決まりをつくったアデリナお祖母ちゃん鶴の一声でそう決まった。


 「今日のメインはスズキの包み焼よ。あとデザートにマロンケーキが出るそうよ」


 おおっ、甘味だ!


 「わかったよ、母さん。食べ過ぎないようにするよ。また夕食の時にね、楽しみだあ!」


 俺はそう言ってジャルランと並んで庭園へ向かう。

 並んで歩くジャルランが言う。


 「ラウラ母さん優しいね。お兄ちゃんのお母さんだけあるなあ」


 「お前の母さんのイザベル母さんだって優しいだろ」


 「でも母さん、あまり最近僕のところに渡ってきてくれないんだ」


 「イザベル母さんも忙しいから仕方ないよ」


 実際、ハラス王国との輸出入の調整や、国内貴族の奥様連中を相手にした社交など、イザベル母さんは忙しい。


 「僕の本当のお母さんもラウラ母さんだったら良かったのにな。お兄ちゃんはラウラ母さんのおっぱいいっぱい吸って育ったんでしょ?」


 今のはちょっと聞捨てることはできない奴だ。 幼児だから素直に寂しい心が出たんだろうが。


 「ジャル、イザベル母さんやラウラ母さんには、今のは絶対に言っちゃダメだぞ。わかったな」


 「何で? 僕もラウラ母さんと一緒に寝たいよ。1人だと寂しいんだもん。お兄ちゃんはラウラ母さんを僕に取られるからそんなこと言うんじゃないの?」


 それは正直に言えば多少あるのかも知れない。


 前世の大人だった俺の意識からすればジャルランの悔し紛れと鼻で笑うようなことだが、前世の大人だった記憶はあっても思考は現在の体に引っ張られている。

 ラウラは自分を産んでくれた、無償の愛を注いでくれる、自分と分けがたい一体の存在としてこの体は感じており、思考もかなり影響されている。


 「正直に言うとジャルにラウラ母さんを取られたくないって気持ちはあるよ。でもさ、そういう気持ちだけで言うんじゃないんだ」


 「どういうこと?」


 「ジャルのさっきの言葉は、ジャルがイザベル母さんと一緒に寝られないから、イザベル母さんがこの頃ジャルのところに来てくれないから、言ったんだろう?」


 「うん」


 「ねえ、ジャル。イザベル母さんは、イザベル母さんの実家のハラス王国から色んな物をアレイエムに持ってくるためにお仕事をしているんだ。イザベル母さんがお仕事をしなかったら、ジャルの好きなお肉に掛かっている胡椒も無くなってしまうんだよ。胡椒が掛かっていないお肉、美味しいと思うかい?」


 「美味しいとは思わないけど、食べられないほど不味いわけでもないよ」


 「胡椒は普通のお肉を驚く程美味しく感じさせてくれる魔法の粉だよ。他には砂糖もそうだよ。ほとんどイザベル母さんの実家のハラス王国から入ってきているんだ。ジャルは甘い物食べなくて平気なのかい?」


 「お兄ちゃんが食べないんだったら我慢するよ」


 手強いな。今日のジャルランはけっこう強情だ。どうしたもんか。


 「私は甘い物は食べたいけどね。我慢できないよ。その点ジャルの方が我慢強いんだろうな。そんな我慢強いジャルがイザベル母さんに甘えるのは我慢できないんだね?」


 「そうだよ。お兄ちゃんばっかりラウラ母さんに甘えられてずるいよ」


 「じゃあさ、例えばだよ? 今晩ジャルのところにイザベラ母さんとラウラ母さんが2人で渡って来たとする。でもどちらか一人としか寝れないんだ。ジャルはどっちを選ぶ?」


 「そんなの選べないよ。2人とも一緒に寝ようって言うよ。ダメだったら残ってくれた方と寝る」


 とんだハーレム野郎だな、オイ。成長したらその甘えを捨ててくれることを祈るのみだ。


 まあ母親を求めて寂しがってる幼児の言うことだから真に受けても仕方がないが。


 「わかったよ。ジャルがすごく寂しがってるってのは良くわかった。今日の夕食の時にイザベル母さんに、今晩ジャルのところに行ってあげて、って私からも言ってみるよ。

 でもね、ジャル。さっき言った言葉はイザベル母さんを凄く凄く傷つけるから絶対に今後は言わないで欲しいんだ。

 ジャル、女の人が赤ん坊を産むっていうのは男には解らない凄く凄く大変な事なんだ。下手したら自分の命を落とすかも知れないんだよ。


 自分の命を懸けてまで産んだジャルが、イザベル母さん以外の人がお母さんだったら良かった、なんて言ってるのを知ったらイザベル母さんはどう思うんだろう? 私は凄く悲しむと思う。相手の女の人が憎たらしい、とかじゃないんだ。何でもっとジャルに母親らしいことをしてあげられなかったんだろう、仕事にかまけていた自分を許せないって、自分を責めると思うんだ。

 ジャルはそんな自分を責めるイザベル母さんを見たらどう思う?

 自分のところに渡ってこないで寂しがらせていたんだからイザベル母さんが自分を責めるのは当然でいい気味だって思うかい?」


 「……何でお兄ちゃんはそんなこと言うの! 僕がイザベル母さんが悲しむのを喜ぶ訳ないじゃないか!」


 「ごめん、ごめんジャル。私の言い方が悪かったよ。ジャルがイザベル母さんが悲しむのを喜ぶようなひどい子供なんかじゃない、ってのはわかってたのに、ひどい言い方をしてしまった。ごめん」


 「ううん、僕も悪かったよ。僕、イザベル母さんに聞かせられないひどいこと言ってたんだな、ってわかったよ。ラウラ母さんにも言わない方がいいんでしょ?」


 「ああ。ラウラ母さんも、ジャルがイザベル母さんよりもラウラ母さんに甘えたいって言ったら悲しむからね。

 何でかって言うと、ラウラ母さんはイザベル母さんが受ける悲しさを、自分も同じ母として感じられる優しい人だから。

 それに自分がジャルを受け入れて甘えさせてしまったらイザベル母さんに顔向けできない、と思うだろうから、ジャルの事を好きでもジャルを拒絶しないといけなくなる。それをラウラ母さんはまた悲しむと思う」


 「わかったよ、お兄ちゃん。僕、今日の夕食の時に自分で言うよ。イザベル母さんに甘えたいんだって。たまには僕のところに夜来て一緒に寝て、って言うよ。……でもお兄ちゃんも一緒に言ってくれると嬉しいな」


 「任せとけ。男が一度言ったことだ、二言はないぞよ」


 そう言って俺はジャルを促し庭園に向かって歩き出した。



 後ろを振り返ると、ドノバン先生がピアらを制して様子を見ていたようだ。


 まったくー、大人がジャルランを諭してくれよー。





 大したものだ、ジョアン殿下は。


 私はドノバン=アーレント。

 ジョアン=ニールセン殿下の家庭教師をしている。

 王家の家庭教師に選んでいただけたこと自体が光栄なことだ。

 しかも第一王子ジョアン殿下の専属にさせていただけるとは。


 将来国をしょって立つ方に下手な事は教えられない。

 そう身が引き締まる思いでいたが、ジョアン殿下の優秀さは私の想像以上だった。


 教えたことを海綿が水を吸収するが如く覚えてしまわれる。

 私の教え方は解りやすいとのお言葉をいただいているが、私の知っていることを全てお教えするのにそう何年もかからないのではないか、と驚愕している。


 私自身、殿下の家庭教師でいるために日々研鑽を怠らないようにしないといけない。


 今日、魔法の実践のため王宮庭園への移動途中、弟のジャルラン殿下が母上の正妃陛下のことでぐずられていたのをジョアン殿下がお慰めしていた場面をお見かけする機会があった。


 ジョアン殿下はジャルラン殿下の感じた寂しさや甘えを全て受け止め、寄り添い、導くように諭された。

 とても5歳の児童がされることとは思えなかった。大人でもなかなかああはいかない。

 幼いながら既に配下を思いやれる英邁な君主の器、と私は感動した。


 しかし同時にこうも思ったのだ。


 果たしてこの方にとって王になることが幸せなのかと。


 一人ひとりの悩み、苦しみに寄り添える素晴らしい性質は確かに王にふさわしい。

 だが、それを受け止める殿下は、何百、何千の配下の心に寄り添うことになる殿下は、果たして心が擦り切れてしまわないのか、と。

 ある日突然、何もかもを投げ出して失踪されてしまうのではないか、或いは自らお隠れになることを選んでしまわれるのではないか、と。


 私は心配になった。


 そして私は、そんなお優しい殿下を知る一人として、単なる一家庭教師ではなく、殿下の良き理解者としてあらねばならぬ、と強く思ったのだ。







 その日の夕食の時、ジャルランが俺をちら、ちら、と目で見てくる。

 昼間のことをなかなか言い出せないようだ。


 どうしよう。


 俺が全て言っても良いのだが、イザベル母さんはそれはそれでちょっと複雑になるんじゃないだろうか。


 うーん。


 こんな時はあまり角が立たないところに話を振るのがいいかな。


 「父上、少しお聞きしたいことがあるのですが、よろしいですか」


 「どうした、ジョアン。何かあったのか?」


 「父上の威厳に係わることかも知れませんが、失礼を承知でお尋ねいたします。

 父上、私は5歳になりますが、父上が5歳の頃、今の私のように、毎夜生母が恋しく感じたりされませんでしたか? 私はお叱りを受けるやも知れませんが、まだまだ一人寝が寂しいことがあるのです」


 「うーむ、どうだったかな。随分と昔のことだからな。王族として独り立ちするために寂しさに耐えて寝ていたのではないかと思うが」


 「何言ってんだい、お前は全然独り立ちなんか出来てなかったじゃないか。あたしと夫が温め合おうとしている時に、よくベッドに忍んできてたよ。メイドの目を盗んでね」


 アデリナお祖母ちゃんだ。ナイスお祖母ちゃん。


 「母さん、そんな昔のことを……」


 「何言ってんのさ。これから先の人生、ずーっと我慢しなきゃいけないことばっかりさ。小さい頃くらい甘えていいんだよ。

 ダニエル、お前は甘ったれですぐ私のところに来てたけど、小さい頃に無理やり我慢しなかったから今のお前があるんだと私は思ってるよ。小さい頃からしっかりしようとして我慢ばかりしていた兄のディランは、大きくなってから反動が出たんじゃないかい」


 「母さん、それ以上は……」


 パパ上、形無し。


 「ジョアン、ジャルラン。お前たち、今、親に甘えたいのは我慢するんじゃないよ。大きくなって親の力に甘えるなんてのは言語道断だけどね。

 幼い今のうちに一杯甘えて、母親の愛をしっかり感じときな」


 ありがとうアデリナお祖母ちゃん。すごく助かる。


 イザベル母さんがジャルランに尋ねる。


 「ジャルラン、あなたはどうなのぉ? お母さんと一緒に眠りたいのぉ?」


 ジャルランはじっと下を向いていたが、意を決して言った。


 「イザベル母さん、母さんが忙しいのは僕は良く判ってるんだ。我儘言ったらイザベル母さんを困らせてしまうことも……でも、でも、僕もイザベル母さんと一緒に寝たいよ。夜でもメイドのカーヤ達が見守ってくれてることも知ってる……けど、イザベル母さんの温かさが一緒だと安心できるんだよ……」


 偉いぞジャルラン、良く言った。後で褒めてつかわすぞよ。


 「わかったわ、ジャルラン。毎日は無理だけど、今日は一緒にジャルランと寝てあげるわぁ。

 ジャルラン、寂しかったら言いなさい。内廷に居る時なら時間を作ってあげるからね。私もね、たまには父上だけでなく、ジャルランと一緒に過ごしたいと思っているのよ。今夜ゆっくりお話ししましょうね」


 「うん、イザベル母さん、今夜いい子にして待ってるよ」


 ラウラ母さんが俺の手を取る。目でにっこりと笑いかける。

 もしかして昼間のジャルとの会話、聞こえてたのかな。

 パパ上が複雑そうな顔をしている。

 まあ、今日はラウラ母さんをパパ上から取り上げちゃ可哀そうか。


 早く妹が欲しいしね。


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