八章 根源悪ノ牧場
翌日。
せんせいと看守がハックを自室へと連れてきた。
「ありがとう。あなたに迷惑はかけないから」
一礼して部屋を出ていく看守。続いてせんせいも部屋を出た。独りにばるとハックの虚構意識が広がり、少女達が現れた。
『ハック!』
駆け寄る二人の声で目を覚ますハック。
「ああ、君らか」
「良かった。無事だったのね」
「今回は早かったのね」
そこにソルトが現れる。
「にんにちは」
「お前は、あの子と一緒にいた…」
「ねえ、あんた。ここから出たいそうね。あたしの頼みを聞いてくれたら、手助けしてあげるわ」
「どういう事だ?」
「そのままの意味よ。どう思うかは自由よ」
しばし黙した後、ハックは答えた。
「…分かった。頼みは何だ?」
「簡単よ。あたしに付いてきて。一人でね」
部屋を出ていくソルト。
「二人とも。ちょっと待っててくれ」
「絶対戻ってきてね」
「約束よ」
ソルトの後を追うハック。
収容所内が喧噪に包まれる。
「何だこの騒ぎは?」
所長の元にせんせいが来る。
「暴動が起きたようです。早く避難したらどうですか?」
「避難?御冗談を。家畜以下の連中の騒動ぐらいすぐに治めますよ」
「そうですか。ところで御身体の具合はどうですか?」
「何をこんな時に…う…」
苦しみ出す所長。
「やはり健康診断には行っておくべきでしたね」
「何を言って、早く医者を…」
「この騒ぎでは呼べませんね。少し待ってもらえますか。私の仲間が、あなたの部屋を調べ終わるまで」
「何?!」
銃をせんせいに向ける所長。
「どういう意味だ。何を企んでいる?」
「察しが悪いですね。この暴動は私が仕組んだことですよ」
「貴様が?」
「準備は簡単でしたよ。あなたは収容者をいびって愉悦に浸るのに夢中で、看守のほとんどはあなたの顔色を伺うことばかり気にしてましたからね」
「なぜだ。なぜこんな事を?」
「…第弐棄匣」
その言葉に所長の顔色が変わった。
「あなたが昔いた収容所ですよね。そこであなたは、ある子供を虐待し死に追いやった」
「なぜそれを?」
「私の息子よ!」
「先生の息子…そうですか。敵討ちですか?」
「そんな権利ないわ。あの子を手放したのは、他ならない私なんだから。これは、私の醜い心を満足させるだけの行為でしかない。あなたは自分の手で殺そうと思ってたけど、それはやめたわ。あなたには、もっとふさわしい罰が下るから」
「罰?」
「あなたはさんきゅうと同じ病気に罹っていたのですよ。直に彼と同じ後遺症にも苦しむことになる。あなたが、家畜以下と蔑んでいた者に、あなたもなるんですよ」
「私が、家畜以下に?…ふふふ。そういえばあなたも、あの秘書と似た質問をした事がありましたね。私が何て答えたか。今、実際にお見せしましょう。答えはこれです!」
銃で自分の頭を撃ち抜く所長。
「…最後の最後まで、勝手な男ね」
その場を去るせんせい。
入れ替わりに、ソルトとジョナが現れる。
「お前も覗いてたのか」
「まぁね。あの子は大丈夫?」
「ああ。あのせんせいが安全な場所に移してくれたよ」
「とんだ騒ぎになったわね。息子の復讐をするって理由だけで」
「個人的な動機ほど、より広く周囲を巻き添えにする。世界をこんなにした奴だってそうだろ」
「そうだったわね」
「あの男は?」
「もう来るわ。後はよろしく」
「ああ」
その場を去るソルト。
間をおいて、ハックが入ってくる。
「おい。さっきここに女が…って、そいつ。死んだのか?何があった?」
「気にしないでいい。あんたとは関係ない人間が決着を付けただけさ」
「決着?」
「そう。決着さ。それはあんたにもあるはずだな」
「な、何のことだ?」
「…やはりただの忘却でなく、逃避なんだな。強制で悪いが、立ち向かってもらうぞ」
ジョナの合図と共に、ハックの視界が変わった。
ジョナによって、ハックは過去へと誘われた。
友人と過ごした最後の日。
追われる身となっていたハックは友人の家に身を寄せていた。
「悪いな。匿ってもらって」
「今更気にすんな」
「にしてもあいつら、あんな本一冊で大騒ぎしやがって。なにが国家に対する冒涜だ。俺は本当のことを書いてやっただけだってのに」
「大変だったんだな」
「まぁな」
「けど、それももう終わるさ」
外から警察のサイレンの音が聞こえてくる。
「おい!一体どういう事だ!?」
「分からないか?社会に貢献してるんだよ」
「おまえ、俺を裏切ったのか?!貢献だと?いつからそんな馬鹿な事をするようになったんだ!」
「…残念だけどな。今の世の中からすれば、馬鹿な事をしてるのはお前の方なんだよ。言ったはずじゃないか、ハック。やばい事はするなってな。先に裏切ったのは、お前の方なんだよ」
ハックの前から去る友人。
「…チキショ~~~!」
過去の幻影が消え、不可思議な空間だけが遺る。
自我を取り戻したハック周囲に、スパイスたちとソルトとジョナがいる。
「お疲れ様でした」
「まさか、こんな近くに僕たちの仲間がいるとは」
「二人が選んだのが、あの子なんだな」
バジルとペッパーが言った。
「まぁ、そういうことよ」
「昨日の埋め合わせはこれでできたか?」
「充分です」
「じゃあ、行くわ」
「うまくやれよ」
「ええ。そちらも」
その場を去るソルトとジョナ。
「やっとお話ができますね。ハックルベリーさん」
「…ここは?あんたらは何者なんだ」
ハックの問いに、3人が言葉で返す。
「一言で表すのは難しいですが、わたしたちは…」
「創作者ジェラトの使いであり」
「真実を知る者であり」
「世界の幕引き役であり」
「創作する者を捜索する者であり」
「資格ある者を誘う者であり」
「未来を約束された者である」
『我々は、プレ・ナド』
「プレ・ナド?」
「そう名付けられました。由来は、我々の創作者しか知りません」
スパイスたちは淡々と続ける。
「我々の役目は、この終わりが決まりし世界に蔓延する、靦然たる永続による混沌から、あなたのような資格者を救い出すこと」
「資格者?」
「ア―ゼンノア。そう名付けられています」
「どういう意味なんだ?」
「世界の真実を知り」
「新たな世界を望める者の事」
「それに俺が選ばれたというのか?」
「ええ。そうです」
「冗談言っちゃいけねえ。俺は全てが嫌になって逃げだした弱い男なんだぞ。この世界からも。人間からもな」
「そうですね。だからあなたは、二重の檻の中に閉じこもった。ここまで会いに来るのは本当に大変でしたよ」
「そこまでして、何で俺なんかを」
「どんな相手であれ、まずは会って話すことからです。それに…」
さんきゅうが持っていた本を見せるスパイス。
「これほどの本を書ける方ですから」
「それは、さんきゅうが持ってた本だろ」
「ええ。これは一見、普通のファンタジー小説に見えますが、実はあなたに共感したとある作家が国の目を欺き、あなたの本の内容を巧みに含ませた作品なのです」
「俺の本を?」
「原書をご用意できずに申し訳ありません。あなたの書いた本は、出版後すぐに禁書と指定され、焚書が徹底された。政府の目を逃れ所持を続けた者には、不等な厳罰を処すこともあったそうですね」
「それほどにあなたの言葉を恐れたのです」
「戦争によって掲げた正義から、人々が目を覚まさないように」
「あなたの掲げた自由に、憧れないように」
「自由…」
ハックがぽつりとその言葉を漏らす。
「何者にも縛られず」
「何物にも抑えられず」
「不信による攻勢ではなく、信頼による理解を、その身を持って証明してきた、ある旅ビトの記録」
「旅ビトの名は、ハックルベリー」
「旅ビトが記した本の名は」
「根源悪の牧場」
静かに本を開くスパイス。
「いつからか人間は、自らを柵で覆うようになった」
「命への執着と保証は、生に対する希求を薄弱化した」
「その果てに求められたのが、牧場主であった」
「執着と保証の補填。その代償は隷属だった」
「無知と浅慮による追従が、牧場を広げた」
「やがて、その牧場には正義を冠した悪逆が蠢き、人は信じることと疑うことをやめ、望まれるように生きて死ぬようになった」
「人間は、自ら家畜となったのだ」
最後をハックが締めくくった。
「あなたは、自分の眼でこの世界を見てきた。それだけで、この終わった世界で何が起きているのかを見抜いてしまった。あなたの心はとても繊細で、それでいて冷酷で、とても弱く優しいのですね」
「矛盾してないか?」
「ええ。ですが、その矛盾も含めた心を持ったあなただからこそ。わたしたちは迎えに来たのです。…お返事を、いただけますか?」
「…俺は、…俺は…」
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