言葉という名の刃物

 私が会社を辞めた日から父は変わった。というよりは「私が実家に帰ってきてから会社に入る前の扱いに戻った」と言った方が正しいだろうか。まぁ、確実に私に対しての嫌味は明らかに前より増えたが。


 私は、高校を卒業してすぐに新聞奨学生として都内へと出ていた。だが、体力も無い私が仕事と勉学を両立していけたのかと聞かれれば、答えは無理だったと返そう。ましてや、原付免許を取り立てのペーパードライバーであり、慣れてきた頃に事故を起こしてしまったという経歴を持つ。事故については運良くほぼ無傷で済んだので良かったことにする。事故を起こしている時点で良くは無いが。そしてその事故から一ヶ月後くらいに新聞奨学生を辞め、実家に帰ったのだった。浪人生だったが新聞社が経営していた予備校の費用を負担してもらっていたため、辞めるときに返さねばならないのだが、そのお金を叔父が両親の代わりにわざわざ立て替えてくれた。父はというと、私がどんなに泣き言を言っても、どんなに辞めたいと言っても「うん」とは言わず、「俺は昔もっときつい新聞配達をしていたんだぞ。バイクなんて無しで、しかも歩きだぞ。今のお前よりも歳は若かったしな」とか言って、私のことなんて知らんぷりでした。


 ちなみに父が言っていたことは本当らしいですが、問題は「日本ではなくブラジルでのことであり、日本よりずさんでも許されていたということ」です。内容を何度も聞いてますが、新聞が届いてない場合、日本ではまた届けますが、父は届けなかったそうです。ポストに入れるなんてこともせずに、敷地内に放り込んでいたのだとか。そういった条件では、私がやっていた新聞配達とは全く違うので色々と比べる基準がズレているのではないかと、今は思います。


 話が度々脱線してしまいすいません。叔父のおかげもあって、新聞奨学生を辞めることができた私は実家に帰ることにしました。都内で過ごしたのは僅か三ヶ月程。ここからが本当の地獄の始まりでした。


 実家に帰った私は、事故の影響で暫くバイクに乗るのがとても怖かったので、バイクを使わないバイトを探し始めました。だが、どのバイトも数日行っては辞めてしまうことが起き、暫くバイトをしていない期間もありました。母は私に暫く休んでからまた探すと良いと言ってくれていましたが、父にはあまり良く思われてなかったと思います。父は昔から「働かざる者食うべからず」と言われ育ってきた人だったので、私にはきつく当たってきました。


 そういった日々を過ごしていき、夏には父の紹介で会社に入りました。ですが、この会社も長くは続かず半年ほどで辞めてしまい、始めに話したこととなっています。


 会社を辞めたあとに私が何をしていたのかというと、バイト探しを再開していました。ですが、以前と違うことが起きてしまいました。バイトの面接を予約すれど、当日になって怖くて行けなくなってしまう。面接会場に着いたとしても、足がすくんでしまい進めずに戻ってしまう。面接を予約したバイト先からの電話に出られない。等々、様々なことが起きました。そして極めつけは、布団から出られないことがあり、手洗いのためと夕食を食べるときのためだけ起き上がってくるといったことでした。これについては、今思えば完全に引きこもり状態でした。


 この状態の私を見た父は何て言ったと思いますか。普通なら心配したりしますよね、普通は。ですが、私の父はこう言ってきました「仕事しないのなら出ていけ。起き上がれないとかそういったことは心の持ちようだから、そんなのは病気じゃない、あり得ない。役立たずめ。金食い虫、親の脛かじりが」と、様々な罵倒を並べてきました。正直、当時の記憶は曖昧であまり思い出したく有りませんが、こう言った言葉を言われたというのは印象強く残っており、この言葉を発した父を私は今でも許せないままでいます。なお、本人は私を激励するためだったと今でも言ってますが、散々馬鹿にされてきた私が素直にそれを認めるはずがありません。


 だんだん言葉がきつくなってしまい、申し訳ありません。


 その後、私は自分なりに自分自身の気持ちや起きていることをネットを使って調べあげ、ひとつの答えに行き着きました。


「私は鬱病なのではないのか」


 そう思った私は、近くの精神科を探したり、母の職場の社長さんが以前心配して教えてくれた病院の場所を調べたりしました。これ以上症状が悪化して、完全に廃人と化す前にどうにか手を打たなければとでも考えていたのだと思います。当時の私は自分で母に病院に行きたいから着いてきて欲しいと頼んだ覚えがあります。その時、残念ながら父の送迎によるものでしたので、車内では気が休まらなかったですし、終始私に対して文句やら罵倒やらを言っていた思います。この点については正直、記憶が無いので、過去の父の様子から想像でしかありませんが。ですが、確かに父は私が精神科にかかることについて不満を持っていました。ましてや、それを病気だとは信じていないので余計に不満だったと思います。


 そんな父を車に待たせながら、私と母は隣市の大きな精神専門の病院の中へと入りました。

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