自分の中の異変
十九の時に鬱病と診断されて、既に七年の闘病生活。診断される前に自覚していた症状について含めると、恐らく十二年の闘病生活になるだろう。今ではだいぶ落ち着いてはいるものの、時折昔の自分が顔を覗かせる。私が自身の異変に気が付いたのは、高校を卒業した一年後の十九歳の時だった。
当時私は、父の紹介で契約社員として入社した会社で働いていた。その会社は自動車のワイパーを作る会社であり、日本の中でもそこそこ大きいのだと聞いていた。会社ではライン作業をしていたが、私はどうにもこういった作業が苦手で眠くなったりしてしまっていた。そして、中学高校と美術部であったためなのか、体力はあまり無く残業を頼まれても断ってしまっていた。この事が同じ職場で働いていた父の耳に入り、気に食わなかったようだ。そして、始まったのが「残業を何でしないのか、俺は残業してるんだからお前もがんばれ」といった小言の数々。当時は耳にタコが出来る程聞いたのではないかと思っている。
ここで軽く私の家族のことを話しておく。私の家族は外国人だ。もちろん私も例がいなく。それ以外はごく普通の家族で、父と母がいて、そして五歳下に弟がいる四人家族だ。だが、外国人なのだ。この鎖が私達家族を狂わせたと言ってもおかしくはない。
一旦話を戻そう。父も契約社員として働く会社で私も働いていたが、父の小言により私の精神は少しずつ疲弊していた。だが、さらに追い討ちをかけるように父は一緒に通勤していた車の中で、職場で起こったことやそれに対しての文句や愚痴を終始溢していた。私はその事に対して適当に相槌を打つだけに済ませ、あまり刺激しないようにしていた。なぜ刺激しないようにしていたかというと、元々父は怒りやすい部分もあったのだが、リーマンショックが起きて以来職探しが難航したせいもあり、その性格が更に悪化してしまったように感じていた。娘や息子に躾と称して怒ったときに手をあげるのはまだ良い。ベルトやハンガーで叩かれたり、高校生になった私に対して髪を引っ張って引きずるなんてこともあった。そういったこともあったので、なるべく刺激せずに穏便に済ませたかった。だが、日々愚痴はエスカレートしていくばかりで、聞いている側はどんどん疲れていくばかりだった。
それが私の日常だったのだが、ある日私は自分が配属されている部署に行けなくなってしまった。それどころか父が夜勤の時には、会社の門はくぐるものの人の目が少ないときに会社を出ていってしまい、電車で実家付近の駅まで帰ってしまうなんてことが起きた。そんな日が一週間ほど続くと、さすがに父にもばれた。物凄く怒られ叩かれたりもした。「なぜこんなことをした。俺の顔に泥を塗りやがって」と、私を心配するでもなくそんな言葉をかけてきた。父の言葉を聞いた私は「父さんは私のことよりも自分の地位の方が大事なんだな」と、悟ったと同時に父に期待することを諦めた。きっと、何を言っても通じない、何を話してもわかってくれないと薄々気が付いていたのだろう。
それから私は会社を辞めた。雇ってくれた会社に謝って、事情も僅かだがわかっていることを話して、辞めた。自分の地位や仕事に誇りを持っている父親は、私には眩しすぎるし一緒に仕事をしていて息が苦しかった。そして、その日から父は私に対しての態度が変わった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます