第35話 求めて
少女は信じがたい光景に愕然とした。
こんなことになっているなど全く想定どころか想像すらしていなかった。
彼である少年が傷つき倒れているなど、少なくとも以前を知る少女からすれば目を疑うべき光景だ。
(どうして、あなたが・・・・・)
少女――【海崎舞桜】は傷つき倒れている少年を目の前にして困惑に呆然と立ち尽くしていた。
公園で見つけた【魔力の残差】、それを舞桜が辿り行き着いたのは集合団地だった。
その敷地内にあるとある設備棟。そこへと残渣は繋がっていた。
そこは団地でも奥まった位置にあり普段から人があまり立ち入らない場所であるのは直ぐに判った。周りの草の生え具合が明らかに多いからだ。
だがこと今に至っては多くの住人にその場は囲まれていた。
激しい物音と奇妙な獣のような声。それがこの建物の中から聞こえてきていた。不安に思った住人たちが集まってきていたのだ。
だが幸か不幸か中を確かめようとする者は一人もいない。
得体のしれなさに恐怖した住人たちは、その役目を誰かがしてくれないかと互いに様子を窺い合っていた。
どうやらここに居る大半は主婦層のようだった。
時間帯を考えれば当然ではある。子供もそれなりの数が混ざっている。
故になおのこと慎重になっているのだろう。
そんな住人たちが集まり躊躇う中に、舞桜は憮然と踏み込んでいく。
一人だけ学校の制服姿の舞桜はその集団の中に入ると非常に目立つ。しかも艶やかな長い黒髪を持った美しい少女だ。その際立ち具合は言うまでもない。
だと言うのに、おかしなことにここに集った者たちは誰一人として舞桜を見ようとしなかった。
日本人離れしたクッキリとした目鼻立ちに、年齢以上に色香を振り撒くプロポーション。そこには誰しもが見惚れる完璧な美があるというのに、その舞桜をまるで居ないかのような態度を皆が取っている。
振り返りもせず、惚ける事も無く、見向きすらしない。
この異常な状況においてもそれはあまりにも人としては不自然と断ずるしかない。
「邪魔ね」
それ自体すら気にした様子の無い舞桜。彼女は集団の丁度中央あたりまで来ると何気なしにそう呟いた。
その表情にはまるで感情が籠っていない。
不安がる住人達など煤塵と同じだといわんばかりの無感情な視線をぶつけている。何よりも口にした言葉にその考えが出ていた。
そんな感情すらも籠らない、彼女としては些細な呟き。だがその言葉を発した後に現象は決して些事とは言えなかった。
住人たちが一斉に動き出した。この場から散り散りに離れだしたのだ。
あれだけ不安の色を浮かべていた住人たちがまるで付き物が晴れたかのように何喰わぬ様子で立ち去っていく。
その姿はさながら操られたマリオネットのようだ。
最後には舞桜以外誰もいなくなってしまった。しかもそれはここだけに限らず、公園で遊んでいた子供たちまでもが全員消えている。
無人となった団地の敷地。その異様さは筆舌しがたいものがある。
だがそのどれも舞桜は気にする様子すら見せない。それどころか何事も無かったかのように肩にかかった髪を手で払い問題の建物へと歩きだしていた。
外が静かになっただけに設備棟から響く音が大きく耳に入る。
その前まで来た舞桜の眉は顰められていた。
「まだ、生きている」
鉄製の扉はしまっている。しかしそこから泥の様に淀んだ気配が漏れ抱いているのを感じていた。気配もある。それは獣がまだ生きている証。
だが舞桜が眉をしかめたのは獣が生きていた事に対しての懸念などでは無い。
何故まだ生きているのかと言う疑問に対してだ。
「彼が居るはずなのに、どうして」
恐らく中には獣だけでは無く舞桜がずっと探していた人物もいるはずだ。その者が居るにも関わらず害悪にしかならない獣がそのままなのが腑に落ちない。
彼の性格は舞桜も良く知る所だ。このような人を貪るような存在を放置するなどありえない。
「まぁいいわ。どっちにしてもそれも彼も叩きのめしてあげる。ここまで馬鹿にされて黙ってなんてやらないんだから」
沸々と湧いてくる怒りにその今日は荒々しくなっていく。
舞桜が扉に手を掛けそして一気に開く。
そして真っ先に目に飛び込んできたのは五月蠅く小賢しい存在。
キャンキャンと吠えるそれに、舞桜は年齢の割に発育の良い胸を膨らませると苛立ち任せに《《力を込めた》言葉を吐き出した。
「おすわり!」
それは先ほどの住民たちが消えた時と同じく、舞桜の発する力ある言葉はまさに言霊となり事象を発現させた。
階段の終端で喚き散らしていた獣が床面に圧し潰された。
強引に躾けられる犬の様に、背面から強烈な圧力により押さえつけられその身の自由を完全に奪われる。
その潰された獣の上を、舞桜はまるで絨毯の上でも歩くかのように平然と踏みつける。そうする事が当たり前の様にすっと。
その脚が一二歩進んだところで、舞桜の瞳が脇に逸れた。
そして何かを見つけると軽く吐息が漏れる。
「・・・・・・痛ましいことね」
呟かれたのはそんな言葉だった。
舞桜の視界の先は階段を下りてすぐの角だった。
そこに打ち捨てられた様に幾つかの残骸が散らばっている。
舞桜にはそれが何であるのかなど直ぐに分ったのだ。例えそれが暗がりであろうとも舞桜は万物を知りえる術を持っていたが故に気付いてしまった。
それが元は男の子であった肉塊であるという事に。
そこにはもはや人であったと知るには時間がかかるほど食いちぎられていた。大半が消失しているのは呑み込まれてしまっているのだろう。
もはや惨いなどと軽く述べられるような応対では無い。
だがそれを知ったとしても舞桜の様子も表情も劇的に変わる事は無かった。
確かに痛ましく思いはしたが、言ってしまえばそれだけの出来事でしかない。
舞桜にとってそれは特別顔を背けることでも無かったのだ。
(嫌な慣れ方をしたものね)
自分の感情の乏しさに自嘲的に口端を持ち上げる。
だがそうであっても舞桜は自身がそうなったことについては後悔などしていない。
何しろそうなることが舞桜には必要な事であったからだ。
気を取り直すと舞桜はまた何事も無かったかのように歩み始めた。
その先にいる目的と対峙するために。
舞桜は彼の前で立ち止まった。
暗い中でも滲み出ている存在の証が、そこに居るものが舞桜の探し求めた人物であると告げていた。
(やっぱり薄い)
だが感じ取れる存在は微弱。昔に比べあまりに薄く小さい。舞桜もかなり集中していなければ感じ取るのに苦労するほど弱弱しい。以前すれ違ったときもそうだが、彼が敢えてそうする理由など一つしか思い当たらない。
(それだけわたしに見つかりたくなかって事)
舞桜の奥歯がギリっと軋みを上げる。
その理由を考えるだけで腸が煮えくり返りそうになる。
自分は何だったのかと嘆きたくなる。
彼は獣同様床に寝そべっていた。それに何の意味があるの革知らないが、それ自体は舞桜にとってはどうでも良いいことだ。
「やっと見つけたわよ・・・・・・よくも騙してくれたものだわ」
真っ先に出たのは怒りの感情だった。
やっと出会えた彼に対しての最初の言葉がこれなのかと悲しくもある。だがその怒りをぶつけなければあまりにも自分が惨め過ぎた。
それだけ舞桜は彼の裏切りが許せなかった。
情け無いくらいに震えた声だ。やっと醸し出す喉の声音は聞き取り難いほど低く奏でられていた。舞桜の精一杯の虚勢がそれでも何とか形にしている。
だがそんな虚勢すら彼は許してくれなかった。
「・・・・・君は、誰」
向けられた言葉を舞桜は一瞬思考が止まる。
信じられなかった。
ここに来てまさかそんな返しが来るとは思ってもみなかった。
「誰・・・・・それをあなたがわたしに問うの!?」
謝るようであれば事情を聞いてあげたかもしれない。言い訳の一つでもあればまだ純粋に怒れたかもしれない。開き直ったのであれば精一杯の罵りをぶつけていたかもしれない。
だが彼から出た言葉はそのどれでも無く、無いものとして白を切ること。
(どこまで・・・・・馬鹿にすれば!)
それはあまりにもひどい仕打ちだ。
舞桜はずっと待っていたのだ。
会いに来ないのは何かしら理由があると、ここに来るまでの間も心のどこかでは信じていた。期待していた。
だが彼の態度はそれすらも否定するものだった。
自分を無いものとして扱った。知らない相手だと嘯いてきた。
理由を語るでもなく、言い訳するでもなく、ただ無かったものと無視をしたのだ。
それは何よりも舞桜にとって許せない行為だった。
気が付けば舞桜の口からは愚直なまでの罵りの言葉が吐き出されていた。
許せない、許せない。
どす黒い感情が胸にいっぱいになる。
これまで信じてきた分反動もまた大きい。
悔しかった。腹立たしく苛立ちが積もっていった。そして何よりも悲しかった。
だが一番に強かったのは情けなさだった。
自分に対して、そして彼に対しても。
自分が信じた男がこの程度だったのかと大いに情けなくなっていた。
それらがごちゃ混ぜになり舞桜心の中を無遠慮に荒らす。もう自分を冷静に保てそうにもない。
そんな時だ。
大人しくしていればいいものを邪魔をしに愚か者が入ってきたのは。
だがそれは返って舞桜にとっては都合がよかったのかもしれない。
今更彼に対して危害を加えようとは思っていない。それをしてしまえば自分がなおの事情けなくなりそうだったからだ。
だが治まらない怒りは何処へ向ければいい。行き場を無くした拳を何処に振り落とせばいい。
その矛先が自ら現れたのだ。
舞桜の意識がズレ、束縛が解かれた獣――人狼。普通ならばこのような低級の存在が舞桜に歯向かうことなどない。
だが人狼は既に理性を失っていた。本当の強者を理解せず、無謀で無秩序な敵意を舞桜へと向けた。
舞桜にとってそれは鬱憤を晴らすにいい相手だった。
これで気がまぎれるかと言えば、このような脆弱な生き物程度では微小でしかないだろう。
だがそれでもまだゼロでないだけいい。
人狼が爪で舞桜を引き裂かんとその剛腕を振る。
だが舞桜は優雅に軽く身を回すだけでそれを躱し、手に力――僅かな魔力だけを乗せて軽く腕を振った。
だがその威力と効果は人狼にとって絶大だった。
何しろ海崎舞桜が使ったそれは魔法だったからだ。
込めたのは特に性質を変異させていない純粋な魔力の塊。だがその威力は凄まじく巨体の人狼をゴルフボールの如く弾き飛ばしてしまった。
耳鳴りするほどの轟音を響かせ人狼は鉄のタンクに食い込みオブジェと化した。
「愚物が」
他愛もない、そう吐き捨てるように目を細め、しかしこの間で少し冷静になれた舞桜は再び彼へと向き直った。
そうこの人狼は舞桜にとって本当に都合が良かったのだ。
舞桜が人狼を相手取っている間に日差しが伸び、今まで見えていなかったものを映し出していた。
それは舞桜が怒りを募らせていた彼の姿も浮き上がらせていた。
そして舞桜は・・・・・・絶句した。
床に這い蹲っていたのはまだ幼いと呼べる年のころ少年だった。
至る所が血で汚れ傷ついている。特にひどいのは顔の側面と肩のあたり。流血で真っ赤に染め上げられている。内出血も相当で紫に変色した痣が痛々しさを誘う。
まさに満身創痍の状態だった。
その少年が舞桜を見上げている。少年の瞳には色濃い不安と困惑が見て取れた。それこそ得体のしれぬ存在と出くわしたときのような、探り様子を窺うようなそんな眼差しだ。
少年の腕にはもっと幼い子供が大事そうに抱えられていた。女の子のようだがこちらも頭部から流血が見られる。どうやら意識が無いらしくぐったりとしていた。
「・・・・・どう、して?」
舞桜は戸惑っていた。
このような状況などまるで想像もしていなかったからだ。
ここに居たのは彼らとあの人狼だけ、それであれば彼をこのような状態にしたのは必然的に絞られる。
だがそれは有り得ないと舞桜は頭をふる。
(彼であれば、でもなぜ・・・・)
舞桜の知る彼であれば人狼など脅威とはならない。それこそ舞桜の様に袖の一振りで負わせたことだろう。
だが目の前の少年はどうか。
やっと生き延びている、そう思える酷い体だ。
舞桜の中の彼と目の前の少年が合致しない。
(でも・・・・・・これは、彼で間違いない)
だがその面影は舞桜の知っている幼き日の彼そのものだった。
そして感じ取れる彼の存在の証。
(間違いない・・・・・弱いけど彼の魔力)
そう魔力が彼のものと一致している。それだけは間違いないし決して忘れない。
何度も叩き合わせ触れあってきた彼の魔力。その存在自体が薄くなっていたとしても固有の波形が変わる事は有り得ない。
その証拠にこうして近くにいるとより一層自分の魔力と彼の魔力が引き合っている。
何よりも自分の心が少年は彼であると告げている。
ならばどうして・・・・・・。
(どうしてあなたが・・・・・・魔王であったわたしと同等の力を持つ賢者であったあなたが・・・・・どうしてこんなにも傷ついているの?)
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