第34話 超常者

 闇が蔓延る地下に差し込む光の筋、その中だけは別世界であるかのように周囲から切り取られ、赤みを帯びた柔らかな採光が舞い上がった埃をスパンコールのように輝かせる。

 幻想的・・・・そう表現するに値する光景はさながら飾り立てる舞台装置のように思えた。


 そう、それは突如現れたこの女性の為に照らされたスポットライトなのだと。



 強調された陰影が女性の表情どころか容姿を隠す。現れた女性は背格好からすると賢志と同年代のように思えた。間違いなく見て取れる女性らしさの中に何処と無く幼さが感じられた。

 だがそうであることを真っ向から否定するように醸し出される女性の存在感は、ただ佇んでいるだけのはずであるのにとても年若い者が出せる様な雰囲気では無かった。

 威圧感さえ覚えるそれは性質によるものなのか端々の所作からなのか、だがこうして女性以外が地べたに這いつくばっているこの状況を是とする何かがそこには存在している。


「・・・・・・・」


 女性を見上げる賢志は不思議な感覚に囚われていた。


 威風堂々たる存在感を示す謎の女性。その得体の知れなさに普通であれば感じるのは恐怖、或いは畏怖であろう。

 だが賢志は女性に対してその感情を抱く事は無かった。


 賢志の中に蔓延るのは悲痛と悔恨。


 己の中心で沸き起こる昂ぶりに脈は大きく波打ち胸に痛みを伴った圧迫感に締め付けられる。

 それは苦しみなのか悲しみなのか、とにかく負の感情が大きいように思えた。しかもその負の感情は相手に対してではない。自分にだ。

 その痛みの由縁が賢志には解らない。

 賢志にとって目の前の女性はそのシルエットだけであっても記憶に存在しない初めて見る相手だ。ましてやこのような状況下で抱く感情ではないだろう。

 だが女性が近づくにつれその苦しみは強くなっていく・・・・・・そして同時にこうも思うのだ。



(・・・・・・この人を知っている)

 


 それは既視感に近いがまた違った懐古の情動。

 女性を見ていると胸の奥が疼く。締め付けられるように苦しくなる。


 何故、どうして。

 

 どんどん増して行く情動に賢志の表情も歪む。制御できない感情に頭痛さえ覚える。

 女性の顔は逆光でよく見えていない。

 突然現れたその女性は何者なのか知れない相手だ。それこそ敵なのか味方なのか、果ては人なのか人ならざるものなのか、何一つ解っていない異物に近い。

 だというのに賢志はその女性を見て懐かしく、そしてどうしようもなく切なかった。


(知らない、僕はこの人は知らない)


 否定に頭を振るう。そんな筈は無いと自分を諫めようと念じる。事実賢志にこの女性の記憶は存在していない。だがそれが返って賢志を苦しめる。


 あれだけ狂気に満ちた喧騒がスイッチを切られたかのように潜まり、その妙な静けさに逆に耳が痛くすら感じる。


 長いような短いような沈黙の時間、その終わりを告げる女性の息を吸い込んだ。


わよ・・・・・・よくもくれたものね」


 吐き出された辛辣に賢志は身もだえた。


 それは余りに唐突であり、余りに予期せぬ言葉。

 賢志はその吐き出された文字の意味が一時理解が出来なかったくらいだ。


(僕が? 何を言って・・・・・)


 いやそれよりも一番解らないのは相手の事だろう。

 やはりと言うべきか発せられた女性の声に賢志は聞き覚えが無い。

 同級生でも無ければ親戚に居る記憶は無い。

 そもそもここまで言われる謂れがある人物に思い当たるものが無い。


 賢志が親しい同年代の女性など愛理くらいだろう。

 だがその声やシルエットは愛理であることを完全に否定している。何より自分がこの人物が愛理ではないと確信している。


 ならば誰だ。


「・・・・・君は、誰」


 その疑問は極小さな呟きとなり表へと出ていた。

 意識はしていなかったが気の動転に制御しきれていなかった呟きだった。


 本当の意義では相手に投げかけるというよりはほとんど自問に近かい呟きだったのだろうが、声として漏れ出た瞬間それは別な役割へと変質してしまう。

 

「誰・・・・・それをあなたがわたしに問うの!?」

 

 過剰なまでに反応したのは相手、女性であった。

 当然だ。それは自問でありながらも明らかに相手に対しての疑問でもあるのだから。

 そして返ってきた反応は激情であった。


 女性が憤りを顕わに声を荒げた。

 その純粋なまでの怒りに賢志は息を飲んだ。

 身を竦ませ女の子を抱く腕には自然と力が入っていた。

 女性の剣呑な気配がピリピリと肌を刺激する。


わたしに気付かれないようにするとか、冗談にしては14年間と随分長い事遊んでくれたものね。それで言うに事欠いて見つかれば他人の振り・・・・・・・・・・馬鹿にするのも大概にして欲しいものね」


 質量を得たかのような怒気に気圧される。

 熱を帯びた怒声で如く捲し立てる女性の肩が震えている。


 だがその怒りの矛先である賢志は困惑しかない。

 賢志にとってその激情の言葉は怪文書のように聞こえた。


(知らない。そんなことしていない・・・・・人違いだ)


 言われていることに身に覚えが無い。何一つ飲み込めない。

 だというのにどうしても賢志は「違う」と声に出して反論が出来なかった。

 女性を目の当たりにしていると否定する事をどうしてか躊躇ってしまう。


 矛盾する己の内に賢志は苦みに唇を噛み結ぶ。

 そしてその賢志の態度は女性にとっては面白くないものだったらしい。


「・・・・・・そう、何も答える気が無い、と言事なのね。ふふ、わたしも随分と無様な事だわ。こうしてまんまとしてやられるなんて。あぁ、本当に・・・・・・見損なったわ」

「・・・・ぼ、僕は・・・・」


 「あぁそうか」と落胆し見限る様に女性が肩を落す。

 賢志はそれが無性に耐え難いものに思え声を上げようとした・・・・・・・が、結局何を言うべきかを自分で用意できずにそれを呑み込んだ。


「わたしがどれだけ・・・・・・・・・っ!?」


 女性が再び捲し立て始めた・・・・・・・が、直ぐに止まってしまう。

 どうしたのかと賢志が女性を見上げ・・・・・・そして賢志もまた止まり目を見開いた。


 沈み込む夕日に差し込む光が伸びていた。その光は地下の奥にまで届き、そして今まで見えていなかったものを映し出す。


 初めて見た女性の素顔。


 やはり年齢的には賢志と同じか少し上くらいに見える。少女特有の幼い丸みをまだ残しているのに妙に色気を感じさせる。その危い香りは気を抜けば即座に飲み込まれてしまいそうになる。

 黒髪黒目であるのに顔の造形は凡そ日本人とは思えないほど造りが大きくはっきりとしている。暖色に照らされた肌が艶やかに色付いているのは元の色合いが薄いことの表れか。

 賢志もテレビはよく見る。当然芸能人だってそれなりに知っているのだが、そのどの芸能人も霞んでしまうほど目の前の女性、いや少女は魅力的に見えた。


 そうこの状況下で見惚れてしまう程に。


 だがそんな少女の表情は美しくも優れなかった。

 最初見開いていたただでさえ大きな目は徐々に細められ、描かれたように整った柳眉はㇵの字に歪む。

 険しい、そう表現すべき表情を少女は浮かべている。


「これは・・・・・・どう言う事」


 戸惑いがちに開かれる唇から紡がれたのは狼狽だった。

 少女の声音でもそれがありありと判る。震える様に喋るのは同じであるがそこに乗る感情は全く違っていた。

 

 少女の態度が変わった理由は至極単純だ。


 賢志の姿を見たからだ。


 満身創痍の全身はケガをしていない個所を探すのが難しい位にボロボロだった。衣服は血と泥に塗れ元の色彩が何であったのか判別するのも難しい。

 その腕には守る様に抱えた女の子の姿が見えた。額を真っ赤に染め意識が無いのかぐったりとしている。


 何が起きたのかなんて考える迄もない。


「何故あなたが・・・・・・」


 だが少女にはのかが理解できなかった。

 そして理解するよりも先に怒りの矛先が変わった。


「グルォォォォ」


 傷つき倒れている賢志を隠すように影が覆う。黒々とした巨影が陽を遮り再び視界を闇で塞ぐ。

 影の中をのぼる鈍い金光。

 亡者の怨念のような低い唸りを奏で暴威・・・・・・・化物が立ち上がった。


「ぁ・・・・・あぁ」


 再燃した絶望。

 植え付けられた恐怖に賢人の体から力が抜ける。

 まだ終わってなどいなかった・・・・そう気付かされ賢志からは嗚咽に似た声が漏れでる。


「力の差も理解できない獣風情が・・・・・・・けどいいわ。お前には黙ってもらう以上に居なくなって欲しかったのよ」


 賢志とは対極に女性は腕組みしたまま振り返るのみ。だが今まで以上の怒気を含んだ剣呑さが溢れ出している。




 化物――人狼ワーウルフは屈辱に打ち震えていた。

 食物連鎖の上位者である自分が得物に叩き伏せられるなど許せるものなどない。


 ものの残りを取り逃がし、更に愚かにもテリトリーに踏み込んできた獲物には手傷を負わされた。

 それだけでも許せない事であるのに、いつの間にか増えたもう一体にどう言う訳か己が地面に叩き伏せられていた。

 それは強者である己にとっては耐えがたき屈辱。


 人狼ワーウルフはその屈辱に激高した。激高してしまったが故に野生の勘と理性を極限まで鈍らせていた。


 だから気付かなかった。


 己を叩き伏せた相手が遥かな高みに居るであることに。

 

 人狼ワーウルフにはもう食欲などどこかに消えていた。あるのは純粋な殺害衝動のみ。己に苦汁を飲ませた狼藉者を引裂き、噛み千切り、贓物を引き出し嬲り殺したいという激情だ。


 殺す、殺す、殺す。


 獣はその無謀で愚かな闘争本能に牙を剥き出しにした。




「ヴォオォォォォ!」


 抑圧されていた憂さを晴らさんと怒りに巨椀が高々と振り上げる。その先に居るのは半分ほどの身長しかない少女。

 何れ来るのは無残な血の花を咲かす少女の姿・・・・・それを幻視した賢志は思わず意味の無い手を少女へと伸ばした。


 だが伸ばした手の先で咲いたのは可憐な花だった。


 少女がくるりと回った。

 長い髪とスカートを花弁のごとくふわりと広げて、さもワルツでも踊るかのように優雅でしなやかに。


 そして次の瞬間・・・・・・人狼ワーウルフは賢志の視界から消えさり代わりに激しい振動と轟音が響く。

 そのあまりの轟音に賢志は耳を塞ぐ。


「愚物が」


 まだやまない耳鳴りに紛れ女性の冷めた吐き捨てが聞こえた。

 ハッとした賢志は轟音が響いた方へと振り向いた。その先にあるのは鉄製の巨大タンクだ。だがそれはこれまでとは明らかに違ったものがあった。


タンクの中央、そこに張り付けられたように埋もれるもの。


 体の半身を歪に拉げさせ、体中から体液が流し出した暴虐の化物・・・・・・・半死となっている人狼ワーウルフの姿だった。

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