第31話 賭け

 それはかなりの賭けではあった。


 上手くいく可能性の方が遥かに少ないリスクの大きい博打。だが仮に賢志がこの強靭な肉体を持つ化物に一矢報いる事が出来るとすれば、この限られた場ではそれしかないだろう。そもそもリスクが大きいのは今に始まった事ではない。現状がリスクしか背負っていない状況であるならば、少ない可能性であってもそれに賭ける事は最善手である。


(迷っている時間は無い)


 背後から化物がすぐ傍まで迫っている。

 あれこれと悩む暇などこの場には存在しない。


 賢志は方向転換をした。

 向かったのはポンプの設備。


(いくら体が硬くても電流なら通るはずだ)


 狙いはその配電盤。そこに流れる高圧の電流で化物を感電させること。かりにも生物であるのならば効果がある筈だと。


 それは無謀な作戦、いや作戦とも呼べない行き当たりばったりな無茶なのだろう。

 しかしそれでも賢志たちが生き残る為には、糸のように細い可能性を手繰り寄せるしか手はない。

 ただそれでも無謀であることには変わりはない。上手くいくかはほぼ運任せなのだから。

 だがそれも今更だ。

 蛮勇で乗り込んできた賢志に今頼るのは運以外何もない。それだけ賢志と化物には力の差がある。


 ただ問題なのは化物に電流による感電が効くのかと言う事。

 生物であるとすれば有効な手であることは間違いない。しかし相手は未知の存在だ。そんな相手に自分の常識がどこまで通じるのかはそれこそ未知数。

 だが最早これに賭けるしか賢志に取れる手段は無い。

 この狭い場所ではいつまで逃げ切れない。

 脆弱な得物を悠然と追う化物。もし化物が最初から賢志を仕留める気で全力でかかってこられていたら既に賢志はこの場に立ってなどいなかっただろう。

 その慢心と残虐性が辛うじて賢志の命を繋いでいる。そして漬け込む隙も。



 だが賢志がこうして生き延びている理由はそれだけではない。

 賢志はまだ気づいていない。今自分がどれだけをしているのかを。

 違和感を覚えつつも自分が変容している事に、そしてその異常性にまだ自覚していない。


 賢志は走る脚に力を籠め一気に蹴り跳んだ。賢志の背丈ほどある設備を囲む柵、それを賢志は意とも容易く飛び越えてしまう。しかも賢志はそれを出来ると無自覚に認識している。



 そう、賢志は変わり始めていた。


 失ったをこの極限の中でつつあった。



 だがさりとて、それはまだほんの欠片に過ぎない。気を抜けば一瞬で朽ちてしまうほど極小さな変化でしかない。


 追ってくる化物に人避けの柵など蜘蛛の巣程度の障害でしかなかった。

 うっとおしいとばかりに柵を薙ぎ倒し賢志に迫る。


 賢志は制御盤の隣の配電盤の前までくると立ち止まり振り返る。

 ここからは完全に一か八かだ。


 電流を化物流すにしてもケーブルでも断ち切らない限り出来ない。配電盤には鍵がかかっているので賢志が操作するどころか開けることも出来ない。

 ならばそれをどうにかするのは賢志ではなく化物の役目になる。


 一番大きな賭けの部分はここだった。


 そんなことを考えながら化物と正面から対峙していた賢志の口元が僅かに弧を描く。


(あぁ本当に僕はどうしてしまったのだろう・・・・・)


 自分でも信じられない位に落ち着いていることに苦笑いが漏れていた。

 目の前に化物の巨躯が立ちはだかっているというのに脳がどうすべきかを冷静に考えている。

 これを異常と呼ばずして何とする。


 滔々おかしくなったのかもしれない、そんなことを考えたらどうにも卑屈な笑みが漏れ出てしまっていた。


 だがそれを考えるのはここを出てからだ。

 賢志は自らを奮い起こすように声を張り上げた。


「か、かかって来いよ、化物。はお前になんて食われてやらない!」


 その挑発が効いたのかどうかは分からないが、化物は眉間を険しく賢志を睨みつけるとその凶悪な爪を振り上げた。


(出来る、僕は出来る。まだだ、もっと引き付けてから!!)


 賢志は心と体のボルテージを上げていく。今すぐに飛び退きたくなるのを我慢し、賭けの勝率を上げる為にタイミングを計る。


 牙を剥き出しにした化物はまるで笑っている様に見えた。まるでもう逃がさないと言わんばかりに、金色の眼球が真直ぐ賢志を捉える。


 ゴッと短い炸裂音。同時に賢志は横に飛び退く。


「うぐぅ!」


 化物の爪が賢志の肩をかすめていった。たったそれだけでも賢志の肩は引裂かれ鮮血が飛び散る。


 何度目か分からない焼ける痛みに苦痛の表情を浮かべた賢志は地面に無様な姿勢でころがった。



 だが賢志は賭けに勝った。



 暗かった地下施設内が明滅にコマ落ちする。

 バチバチと体から放電させた化物が立ち姿で硬直していた。


 化物の爪は賢志の背後にあった配電盤を貫いた。鉄製の薄いカバーを容易く引き裂いた化物の腕は、中の送電線を見事に断ち切っていたのだ。

 巨大な貯水タンク、その膨大な水量を流す為に設置された高出力のモータを動かす為の電気が容赦なく化物へと流れる。

 ブスブスと焦げ臭い煙を上げ化物は悲鳴も上げる事も出来ず電流によって焼かれていく。


 その様を賢志は地面に倒れ伏したまま見上げていた。

 自分で仕組んでおきながらも、賢志は目の前で起きている光景に圧倒されてしまっていた。


 そこには歓喜の雄叫びも勝利の愉悦も無い。

 ただ事のありさまが過ぎていくのを見守るだけ。


 確実に化物に効いていた。電流が体を焼き痺れさせ身体機能を破壊していく。焦げついた臭いが何よりの証拠だ。


 勝った、賢志はそこで初めて安堵に笑みをこぼした。



 だがそれは一時の余韻でしかなかった。



 このまま電流が流れていたならば賢志は化物を倒すことも出来たのだろう。


 しかし賢志は賭けには勝ったが殺し合いに勝つことは出来なかった。


 奇しくも賢志の勝利を奪ったのは何処までも真面目な日本というお国柄だった。


 化物に流れていた電流が止まった。

 漏電防止の安全機構が皮肉にも賢志に危険をもたらした。


 ここのブレーカーは配電盤内だけではなく、主の引き込みにも設置されている。それが過電圧となったのを感知しブレーカーが電気を遮断してしまったのだ。


 ゆらりと化物がふらつく、だがしかし倒れることはなかった。



「グルォオオオォォォォォォォ!!」



 怒りの暴発。


 怒りに燃えた金の瞳が賢志を見下ろしていた。


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