第30話 反撃

「ン~~~~~~!!」


 女の子は賢志の手の中で悲鳴を上げた。


 鼓膜が裂けてしまいそうな激しい轟音と共に鉄の配管を突き破って飛び出してきたのは、毛深き獰猛な捕食者の腕。

 鉄をまるで粘土みたいにぐにゃりと歪ませ、その魔手は賢志たちが元居た空間を弄る。それはまるでくじ引きでもしているかのようだ。


 だが女の子が悲鳴を上げるとその手がゆっくりと引き上げられた。

 消え去った魔手、しかしその事に一切の安堵など持てるはずも無い。

 

 ビリビリと肌を突き刺す悪寒。

 賢志は女の子を突き飛ばすと同時に賢志も自身の身を転がした。


 二人の間を黒い柱が突き刺さり隔てる。遅れて硬質な甲高い衝撃音と余波の振動が賢志に襲い来る。

 そして腕に焼け付き痛み。

 賢志の上腕から血が飛び散る。


「っぅ」


 躱しきれずに腕の肉が斬り裂かれた。

 しかし賢人に痛みに悶える余裕等無い。


 再び突き出た手が賢志へと迫る。

 だがそれは転がる事によってどうにか逃れる事が出来た。


(隠れていればいいなんて、甘かった)


 相手は本物の化物。

 コンクリートを容易く砕いている時点で気付くべきだった。

 賢志はどうすればいいのか逡巡する。しかしそれを化物は許容しなかった。


 賢志がまとまらない思考に潜る暇もなく連続して悪寒が身の内を駆ける。賢志は絶えず場所を移動して化物の攻撃を辛うじてかわす。だがそこに一切の余裕などない。いつ捉えられてもおかしくない状況に賢志は焦りに舌を打ち鳴らした。

 まるで賢志を躍らせ弄ぶように、上部の配管に穴をあけていく化物。

 その一部から化物の姿が目に飛び込む。


 縦長の金色の二つの眼球が暗がりでも不気味な光を放ちながら確りと賢志を見据える。


(逃げきれない)


 そう悟った賢志にはもう進む道の選択肢は無かった。


 このままここに居ればいつかは掴まってしまうだろう。狭いこの空間では今度は逆に逃げ場が無くなってしまう。

 ここを抜け出して逃げ切るのも無理だ。相手がこちらよりも速い上に下手をすれば一緒に外に出る事になる。そうなったらもう手の付けようが無い。だから助けを呼ぶことも出来ない。何もしなければ待っているのは死のみ。

 何より女の子をここから出すことがそれでは難しい。恐らくは賢志だけではなく女の子も化物は捉えているだろう。下手に賢志が化物から離れすぎれば犠牲になるのは女の子の方だ。それは看過できない。


(だからこいつはここで倒す。僕があいつを倒す)


 どんなに低くても生き延びる手段はもうそれしか残されていなかった。


 だから覚悟を決める。


 自分が化物を倒すのだと。


 

 体が震える。


 まるで体中から汗が噴き出ているようだ。



 だがそれでもと賢志はなけなしの勇気を奮い起こす。

 

「僕にはまだやることがあるんだ!!」


 意を決し隙間から出る。

 化物は配管の上でまだ様子を探っていた。

 

 賢志は直ぐに立ち上がると鉄パイプを構え化物に飛び掛かる。そして渾身の力を込めて縦に真直ぐ鉄パイプを振り抜いた。



 返ってきたのは強烈に手が痺れ。

 落しそうになる鉄パイプを必死に両手で支える。

 賢志が振り抜いた鉄パイプは化物の肩口に綺麗に当たっていた。完全な奇襲は無防備だった化物を確実に捉えていた。


 だが結果は打ち付けた鉄パイプはまるで電柱でも叩いたかのように弾き返され、逆に賢志の腕の方に衝撃が襲ってきた。しかも化物には効いた様子が全く無い。


 化物がのそりと振り向く。そして徐に腕を持ち上げると虫でも払うかの様に薙いだ。


 身の毛がよだつ一陣の風が賢志の頬を撫でた。

 直感に従うままにのけぞらせた上半身。禍々しい赤い爪が鼻先を霞めて通り過ぎる。

 バランスを崩した賢志が尻餅をつく。だが直ぐに体を反転させ駆けだした。

 化物から距離を取る為パシャリと床に溜まり始めた水を弾かせて駆ける。

 意を決して一か八かの特攻だったが、その効果は皆無と言ってもいい程化物には効かなかった。


 やはり無謀でしかなかったのだろうか、脳裏に過るネガティブな思想で怯みそうになる。だが少しでも弱気になってしまえばきっと自分はもう動けない、そう奮い起こすと歯を食いしばり賢志は自分の心に鞭を撃った。


 ここで賢志が挫けてしまえば、それはすなわち自分の死だけじゃなくあの女の子の死も意味する。

 もっと言えばそれだけにとどまらず外の人たちや、もしかしたら下校途中で愛理だって犠牲になる可能性がある。


(諦めるな、動け!)


 今の賢志はそれだけ重いものが圧し掛かっていた。挫けることが出来ない枷があった。


 背後から感じる悪寒に賢志は右へと身を躍らせる。

 コンクリート片と水しぶきが舞い上がる。まるで爆撃でも受けているような化物の打撃を、賢志は辛うじてではあるが尽く躱していく。

 狭い空間であることを生かし、化物が自由に動けない様位置取りながら逃げる。

 一撃でも食らえば瞬く間に肉塊と成り果ててしまうだろう。そんな狂気が降り注ぐ中を賢志は必死に身を躍らせる。



 不思議な感覚だった。



 自分の体が思っている以上に良く動く。

 こんな窮地であるのに頭は冷静だ。


 当然恐怖も焦燥も賢志にはある。自身の攻撃が全く効かなかった状況に平然としていられる訳では無い。

 だというのに最初あれだけ怯えて動けなくなっていた自分が、嘘のように動けているし化物の攻撃を躱せている。


 賢志は元々運動が得意な方ではない。体力も筋力も同級生に比べて貧弱だと言って良いだろう。実際ここに来る途中息が上がっていたくらいだ。


 不思議ではあるがそれは今としてはありがたいことだ。

 しかしそれでもそう長くは持ちそうにない。


 賢志はぐるりと辺りを見渡す。 

 どうにか手立てを講じなければ待つのは死だ。手にしている鉄パイプでは何の役にも立たなかった。もっと強力で重いものが望ましいがそれらしいのは見当たらないかと視線を這わせる。


 ふと異常を知らせる赤いランプが賢志の目に入る。

 水の給排水を行うためのポンプ、その制御盤。


(・・・・・あれなら、もしかして)


 それを目にした賢志は強靭な化物を斃す算段を思いつくのだった。

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