第29話 潜む存在
突然賢志を襲ったもの。それは何かに手を掴まれた感触だった。
賢志は驚きに手を引いた。それから鉄パイプで身構える。
「・・・・た・・・・け・・・・」
だがいざ鉄パイプを突き出そうとしたとき、微かに耳に届いた音にその動きを止めた。
まるで空気が抜けただけのような擦れた音。放出する水音の中で賢志がそれを聞きとれたのは偶然に近かっただろう。
だがその僅かに耳に入って音を賢志は無視する事は出来なかった。
「・・・・・・たすけて」
再びそれが耳に飛び込む。
今度はそれが何であるのかはっきりとわかった。
人の声。
それは紛れもない人が発した悲痛な訴えの言葉。
声の質は甲高い。
まさかと恐る恐るそれに近づくと賢志は目を見張った。
(女の子!?)
そこに居たのは怯えた子猫の様に身を丸めた十歳くらいの女の子だった。
ガタガタと身を震わせ顔中が体液でぐしょぐしょになっている。
(聞こえてきた悲鳴はこの子のか・・・・・)
賢志は悲鳴の主が生きていたことに安堵した。だがそれ以上にここに居たのが愛理で無かったことに安堵していた。
どれほどの恐怖を味わったのか、女の子は顔中を体液でぐしゃぐしゃにさせ声も出せない程ガタガタと口を震わせている。恐らく失禁もしてしまっているのだろう。女の子からはアンモニア臭が漂っていた。
直後賢志の脳裏に思いだされたのはあの母娘の姿。
母親の目の前で食われていく哀れで無情で残虐な光景。
その子供と目の前の女の子が合わさっていく。必死に賢志へと手を伸ばし助けを求めるその姿が、食われゆく子供と重なっていく。
賢志の顔が悲痛に歪んだ。
そして気が付けば女の子を力いっぱいに抱きしめていた。
悲鳴を聞き考えも無しに飛び込んできた自らの愚行。
直ぐに追い詰められ生存を意とも容易く諦めてしまった己の脆弱性。
そんな中で掴んだ確かな温もり。
それを感じた時、こんな醜態をさらした自分の行動にも意味があったのだと思えた。
正当化をするつもりは無い。ただそれでも命を賭けてここに入ったことが少なくとも意味の無い愚かな行為では無いのだと思えた。
やっと、やっと自分にも何かが出来たのだと。
そして強く思う・・・・ここから生きて出るんだと。
「大丈夫、大丈夫」
それは果たして女の子に対して発した慰めか、或いは自分の為か。
女の子もまた賢志以上にその事を実感したのだろう。賢志のシャツが引きちぎれそうなほど小さな手で胸元にしがみつくと、声にならない嗚咽を漏らしだしたのだ。
だがこの地獄はそんな二人に安堵を与えてはくれなかった。
女の子が嗚咽を漏らすと上部からカツンと音が鳴った。
ハッと我に帰った賢志が女の子の口に手を当て塞ぐ。女の子もその音に気が付いたのだろう。怯えに目を見開き身を強張らせた。
静かにと賢志が自分の唇に指を立てる。
賢志は上から嫌な気配を感じていた。先ほどまで無かった気配がここに来て急激に膨らんでいるように思えた。
(駄目だ、ここにいては)
そしてここに来て何度か味わった焦燥感。
賢志は上の配管に足を賭けると思いっきり踏み込んだ。
女の子を守る様に抱え背中を滑らせる。
その直後だった。
先ほどまで賢志たちが居た場所に毛むくじゃらの腕が生えてきたのは。
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