第19話 怪奇の続き
「あぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁ」
賢志は頭を掻きむしり叫んだ。
鮮明に思いだされる黒い靄で見た光景。そしてその時に感じた残留思念のような強い感情。それは目の前で子供を食われた母親の悲痛な悲しみと、悪意の無い純粋な飢えと喜悦。賢志はその強烈な思念をあの場で見るだけではなく感じ取っていた。
(警察がどうにかした?きっとそれは違う)
自分の中で諦める為にこじつけた折り合いを賢志は自ら否定する。
賢志だって薄々と分かってはいた。あれは解決したのではなく、ただ単に隠されただけなおだと、恐らくはパニックを回避するために警察が秘匿しているのだと。
だからきっとあの飢えた化物は今もどこかに息をひそめて得物を虎視眈々と狙っているかもしれない。
もしそうであればあの化物たちはまた餌を求めて誰かを襲う。そう考えた瞬間、賢志はぶるりと震えた。
「それなのに僕は・・・・・・何もしなくていいのか?!」
賢志にとって愛理は姉の様な存在だ。誰よりも優しく、誰よりも頼りになる、常に自分と一緒にいてくれた温かい存在。家族よりも家族の様な存在。
昨日の愛理の顔が思い浮かぶ。
怯えで自分を見失い優しさに対して醜い罵りで返してしまったあの時、賢志を見る愛理の瞳に恐怖を感じてしまったあの時。
愛理の酷く脅えた目が、自分が愛理を裏切ってしまったように思えた。そして同時に裏切られたようにも思えた。
「・・・・もうあんな顔を見るのは嫌、だ」
賢志の瞳に涙が滲む、だがその瞳には先ほどまでの淀みは無く強い意志が宿っている。それはまるで弱い自分を流しだしているかの様。
何かが起こると決まっている訳では無い、寧ろ何も起きない確率の方が大きいし、起こらないにこしたことは無い。だがいざと言う時に傍にいたいと今は素直に思っている。何も出来なくても無関係になるよりはずっといい。
賢志はいつの間にか玄関から飛び出していた。
7月に入り、関東は例年よりも早い梅雨明けとあって連日真夏日が続いていた。日差しだけならまだ我慢できるのだろうが、アスファルトとコンクリートに蓄熱された熱気が合わさり、発表された外気温より5度は高くなっているのではないかと疑いたくなる。
賢志は自分の体力の無さを痛感していた。
勢いよく飛び出してきたものの500mも来ないうちに脇腹と筋肉の限界を感じてしまっていた。
「・・ハァ・・ハァ」
昨日の場所までは更に500m程はある。この熱気で今にも倒れてしまいそうだ。
だがそれでも賢志はのんびり歩く気にはなれなかった。少しでも早く愛理の顔を見たい。愛理と会ってほっとしたい。だが思うように体が動かない。普段の運動不足が妬ましく思える。
「猪俣昌平になりたい」
昨日一緒にいたクラスメイトの事を思い出した。昌平は陸上部に所属しているのできっとこれ位はウォーミングアップ程度で済むのだろう。
脇腹を押さえながら歩きとも走りとも取れない足取りで進み続けていると、脇に小さな公園が見えた。
そこは昔賢志と愛理が良く遊びにていた公園。
最後にここで遊んだのは4年ほど前になるだろうか、とふと賢志は思いだす。
普段なら気にもしないのだが今の賢志には妙に懐かしく感じた。
どうやら遊具は当時のままで何も変わっていなかった。ただ時代の流れに遊具のペンキが所々剥がれ寂れた感はある。だが今も子供たちの拠り所なのは変わらないようで、数人がブランコなどで遊んでいた。
愛理が隣にいないことが無性に寂しい。
だがそんな感傷に浸ってもいられないなと賢志は先を急ぐため脚を踏み出した・・・・・のだが。
「・・・・なんだろう、この感覚?」
妙な既視感に賢志の脚は止まった。そして公園へと振り返る。
モヤモヤとしたような気持ち悪さが公園から伝わって来る。奇しくもそれはつい最近感じた事がものによく似ていた。忘れたくても忘れる事が出来ないあの黒い靄があった場所と。
小さい公園で遊具はブランコと小さな滑り台それと鉄棒の3つしかない。
かけっこなのか鬼ごっこなのか、滑り台の周りを子供たちがグルグルと駆けまわっている。それを複数の母親が談笑しながら見守っている。
そんな一見すればとても平和な光景が広がる公園。
だが賢志はその公園を前に緊張が高まる。
しきりに辺りを探る様に目を動かす。
そして目についたのは公園の隅にある公衆トイレ。
賢志は引き寄せられるようにそこへ向かっていた。
近付くにつれて嫌な気配がどんどんと強くなっている気がした。
足取りは重い、だがそれでも前へと進む。嫌だと怖いと思いながらも賢志は歩みを止めはしなかった。
まるで向かう先に自分のすべきことがあるかのように。
トイレの入り口まで来たが変わったところは何も見当たらなかった。そろりと中をのぞくも薄暗く蜘蛛の巣が張っているが、如何にもな古い公衆トイレと言うだけでこれと言った違和感はなかった。
だが嫌な気配は確かにこっちの方角から感じていた。だがトイレではない。賢志はトイレの裏手へと回ってみることにした。
「・・・っ!」
裏手は小さな林の様に草木が鬱蒼としていた。
年に2回の奉仕活動以外では誰も手入れしていない緑地帯は、初夏に入り勢力を増した雑草が子供の背丈ほどまで成長している。
その場に立った賢志は吐き気がするほど濃い不快な気配に思わず息が詰まる。
「・・・・・くそ・・・・・くそ」
逃げ出したい、そう心が訴えてくる。だが賢志は震えながらもその場を引く気は無かった。まるで魂が行けと訴えかけてくるかのように、心とは裏腹に足が前へ踏み出していく。
人を寄りつくことを拒むかのように生い茂る藪を掻き分け、賢志は林の奥へと慎重に進む。草で擦れた手足が痛かゆくなる。二度も顔に蜘蛛の巣が掛かり気持ち悪かった。だが何よりも濃密な負の気配が一番賢志の精神を蝕んでいく。暑いのに流れる汗はとても冷たい。だがそれでも賢志の脚は止まらなかった。
そしてそこには直ぐに辿り着いた。
入った場所からはまだそんなに離れていない。思ったほど広くない緑地帯で反対側の景色も見えている。
丁度中間あたりだろうか、明らかに草が踏み均されたような、不自然な広場がそこにあった。だが不思議とここに至るまでは誰かが通った跡は無かったように思える。あれほど草が生い茂り蜘蛛の巣が張っているのだ。誰かが通れば少なくともそれなりの痕跡はあってもいい。しかしその場所がこれだけ踏み荒らされているのに道中には何もない。
だがそれ以上に見過ごせない事がある。
この場は鼻を曲がるような悪臭が籠っていた。
近づくにつれて気配と一緒に増していった悪臭。それは明らかにこの場が発生源に思えた。
「っ!」
張り詰めていた緊張の成果それともこの場の悪臭の所為か、賢志は眩暈によろけて木の幹に寄りかかった。
するとその拍子にぴちゃりと何かが額へと垂れた。
慌てて手で拭き取ると妙にねっとりとした感触が伝わって来る。それは拭き取ったというよりも伸ばした感触に近かった。
なんだこれはと反射的に拭いた手を鼻に近づけると生臭さにむせ返りそうになった。
恐る恐る拭き取った手を目の前にかざす。
賢志の手は赤黒く染まっていた。それはどう見ても血に見えた。
「うわわあぁあぁぁあぁっぁぁあ」
驚きにひっくり返る賢志。地面に転がりそれはちょうど上を見上げる体勢となる。
すると、そこには更なる悪夢がぶら下がっていた。
千切れた人の腕が木の枝の上で揺れていた。
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