第5話
「先方がデザインにノーを出してる? 着てくれないからどうにかしてくれって、はあ!? だからいっただろうが、バカ、アホ、マヌケ!」
通信機越しにとんでもない怒号が響き渡った。チイパッパの国の言葉の意味を地球に住む人々が知る由もなかったが、それでも「ものすごくキレてる」ということは理解できるほどの剣幕であった。
「なんなら議事録見返してみろ! こっちはずうっとあんなデザイン反対してたからな、ボケが!」
「お怒りごもっともで……ただ、そうはいっても事態が逼迫しておりますのでなんとかお助けいただきたく……」
「ボンクラどもが。これは次の部局会で絶対問題にするからな、アホンダラ! チッ、お前いま地球か」
「です。はい」
「十五分ぐらいでこっちからひと寄こすから待ってろ。はーあ、アホくせぇ」
「ありがとうございますお手数おかけいた――」
チイパッパは通信機越しにペコペコしていた。最後にひときわ大きく頭を下げたところで、チイパッパが話し終わる前に通信が遮断された。チイパッパがいかなる文化で生きるどんな知的生命体なのか地球の人々はだれも知らなかったが、その場に居合わせた無邪気な子供たちにさえ、チイパッパが憔悴しきっているのが察せられた。
「いま、うちの技術部門と話をつけて、なんとかしてもらえることになりましたんで」
チイパッパは絞り出すような声でつぶやいた。かける言葉を思いつかず、人間たちはただ気まずく黙っていた。
いたたまれない雰囲気をまとい、チイパッパは肩を落とした。情けない後ろ姿をさらしながら「はー」と大きなため息をついた。それからのろのろと通信機を操作して、再びどこかに連絡を始めた。
「もしもし課長ですか。ちょっとご報告がありまして……」
「ああ、チイパッパくんね。なんなの、私いまから晩飯行きたいんだけど。急ぎでなければあとにして」
「実はその、例の、魔法少女プロジェクトのことなんですけど、えっと、先方がこちらのデザインに満足いただけないようで却下されまして……」
チイパッパは通信機にへどもどと話しかけた。傍目にも気の毒に思えるほど恐縮していた。何を話しているのか依然として地球の人々には全く定かではないが、「何やらトラブルが起きているらしい」ことは推測できた。それほど、これから戦う悪いやつというのは大変な相手なのだろうとマヤたちは身がすくむ思いだった。
「はっ、何、チイパッパくん、何してくれてんの。あのデザインの件はさ、社長肝いりなんだよわかってんの。デザイナーのノータリーナ大先生、あのひとにやってもらうのどんだけ骨を折ったと思ってるわけ」
「ええそれはもう、もちろん承知しています。ですがどうにも、こちら地球の方々にはご理解いただけなかったようで……」
チイパッパは通信機相手に何度も頭を下げていた。通信機からは音声しか聞こえてこないのだが、どっかで映像なんかもやりとりしてるのかな、とかマヤはぼんやり考えていた。集まった児童の中には未知の機械に異常な興奮と興味を示して、やんややんやと騒ぎ、山本先生にやんわりと注意されるのもいた。
「敵もう来るんでしょ。どうすんの、ねぇ」
「技術部門に相談したらどうにかするとは……」
「あ、そう。ブチギレてたでしょあのひとたち」
「ものすごく怒ってました。次の部局会で議題に上げるって」
「そらそうなるよ。ま、どのみち技術の連中が騒がなかったとしても、社長案件を台無しにしたんだから、そらもう、そうなるよさ」
哀れな宇宙人は地球の人々たちから見ても痛いぐらいわかるほどに、打ちのめされ、悄然としていることがわかった。ほとんど奇跡的なことに、トシユキを筆頭とする男子児童たちですら、この得体の知れないしゃべるぬいぐるみのようなヘンテコな生き物をいじくりまわすことを控えて、惻隠の情を感じている様子であった。
「いいか、チイパッパくん。これはね、もうだれか腹を切らにゃあ収まらん話だよ」
通信機から流れる声のボリュームは平穏としたものであったが、一手一手、相手を追い詰めていくような冷徹さも感じられた。
「あの、それはつまり、私が……」
退職、とのどまで出かかったがチイパッパはその言葉を口にはしなかった。現実に言葉に出してしまうと、本当にそうしたくなってしまいそうな気がしたからだった。
「はー、ぜんぜんちがう。あのね、きみがそんなことしてもしようがないの。貫禄が足りないし、きみは私の部下なんだから、そんなことしたら私の失態になるでしょ。まったく、これはだれの責任かって考えたときに、チイパッパくん、きみはそっち行ってからちゃんとマニュアルどおりにやったの」
「は、はい、チェックシートもきちんとつけています」
課長はそこで少し黙って、チイパッパに答えを促した。
「ということは、マニュアルが悪かったんでしょうか。これを作成した総務の責任ってことに……」
「ほうほう、ま、筋は悪くないけどね、でも総務とは喧嘩しちゃいけんね。それにあそこは私とそんな関係ないし」
「じゃあデザインが……や、ノータリナー先生へのデザインのコンセプトの伝え方が悪かったのではないでしょうか。もっと地球人の実態に即したものにするべきだったような気が」
「つまり、今回の失態は、そのへんのコンセプト案の取りまとめか、地球人の生態とか嗜好のリサーチ不足に原因を求めることができるときみは思うわけだ。ということは、広報の企画班かマーケティング部門のどっちかだ」
「のような気がします」
「なるほどなるほど。この場合、私は広報が決定的に悪いと思うけどきみもそう思うでしょ」
「はあ、まあ」
「なにせ、広報には私の同期がいるからねぇ」
チイパッパは通信機の向こうで課長が邪悪な笑みを浮かべているのがありありと想像できた。いまの会社に入るまで、あんな笑い方をするやつが世の中にいるとはチイパッパは夢にも思わなかった。そしてその笑顔はしばしばチイパッパの夢の中に出るのだった。
課長が同期を引き合いに出すのはまかりまちがっても「同期のよしみ」だなんてことはなく、ライバルを蹴落とすためであった。そのおかげかせいか、課長の同期で残っているのはチイパッパの目にもわかるほどのポンコツか、底抜けのお人よしか、あとは片手で数えられるほどである。
「ということでチイパッパくん、こっちはこっちで私が対応しとくから、そっちもそっちで適当にやっといて。あーあ、忙しくなっちゃうなー」
言葉とは裏腹に、課長はどこかウキウキした気持ちを隠せない口調で通信を終えた。地球の人々にはチイパッパたちの会話の中身は引き続き一言もわからなかったのだが、最後に聞こえた言葉がなんとなく弾んだ調子だったので、いい方向にまとまったのだろうと安堵していた。
しかしながら、チイパッパは暗澹たる気持ちであった。これでもう、金輪際、広報のやつらとはまともな関係にはならない。また会社での居心地が少し悪くなったことを嘆いた。
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