第4話

「えっ、いまからなの。うん、わかった。じゃあ準備するね」

 マヤは図書館にいた。六年生になってから、放課後には中学受験を控えた児童らが集まって勉強をするのが恒例となっていた。

 遅くまで勉強して、児童の保護者が迎えにくることもさほど珍しくなかったとはいえ、マヤの両親がやや早い時間に二人とも現れたことに居合わせた同級生らは若干の違和感や緊迫感を敏感に嗅ぎ取っていた。

「ごめんねエリちゃん、私今日はこれからちょっと用事があるの」

「そうなんだ。病院とか?」

「ううん。えっと……」

 マヤの尋常ならざる気配を感じ取った幼なじみのエリは純粋な気遣いの声をかけた。

 マヤは親友に事情を打ち明けたものかどうか迷った。というのはエリを信用していないわけでもなければチイパッパに気を遣ったわけでもなく、マヤが抱える悩みをエリにも抱えさせることになるのではないかと危惧したのである。

 マヤは語尾を濁しながら母に助けを求める視線を送った。

「マヤ、これからもこういうことは頻繁にあるかもしれないから、この際お友だちのみんなにも説明しておいた方がいいんじゃない」

「だね。あのねエリちゃん、これは内緒の話なんだけど、実は――」

 もしこの場にチイパッパがいれば大変落胆したに違いないのだが、マヤは親友のエリと、それから行きがかり上周囲の同級生らにも、自分が置かれている状況をつぶさに話した。マヤはいい子でしかも賢いので、要領よくみんなに話を伝えることができた。

「マヤ、大丈夫? 私にできそうなことがあれば手伝うよ」

 エリは心の底からマヤの身を案じ、いたわる声をかけた。

「人類の危機ってやばいじゃん。羽島、そんなかっこいいことするのかよ」

 クラスの男子の中でもひときわ騒がしく弁が立つトシユキが口をはさんできた。彼は人を茶化すことに心血を注ぐたちであった。このときもマヤをおちょくりたくてたまらなかったのだが、マヤの母がすぐ近くにいる手前、彼にしては穏当な発言にとどまった。

「どうなのかな。実は今日が初めてで、これから悪いやつと戦ってみるところだから」

 エリはクラスの学級委員長をしていることもあり、子供なりの使命や責任を感じて、「これからマヤがみんなのために戦うから応援して」ということをLINEでクラスメイトに送った。

 すぐに半分ぐらいの児童から「がんばって」といった反応があり、比較的学校の近くに住むものからは「行けたら行く」という返事が来た。


 一方そのころ、チイパッパはマヤの動向を確認するどころではないぐらいに忙しかった。マヤが使用する魔法少女装備の点検に加えて、関係各所にこれから戦闘になりそうだということを伝えて、更にはもっと早く悪いやつの存在を検出することはできないのか猶予が短すぎる、といった意見を、文言に注意しながら付け加えておいた。

「校長先生、どうもこれから羽島さんの活動が始まっちゃいそうですけど、これは教育委員会に連絡しといた方がよかったんですかねもしかして」

「うんまあ、事後報告だとあの人たちあんまりいい顔せんからね。でもちょっと微妙な時刻だしなぁ……。電話かければだれか出るだろうけど、五時過ぎてるし」

「しれっと私がかけちゃいましょうか。校長先生だと話がややこしくなるかもしれませんから。一応は事前に何かしようとしたって誠意はくんでくれますよ、あちらさんだって」

「ですかねぇ。そんじゃあ一ノ瀬先生、お願いしますわ」

「私は現地行って、担任として監督がてら、後日の説明用に撮影しますね」

 校長先生、一ノ瀬先生、山本先生はそういう事務処理の話をしていた。山本先生は、冗談半分、本音半分で、これは残業代出ますか、という言葉がのどまで出かけたがやめておいた。チイパッパも教員らも、それぞれができる範囲でベストを尽くすことに全力だった。


 マヤの両親がマヤを連れて戻ってきた。校長先生たち一同は相談室の隣りの教室に移っていた。

 チイパッパが意気揚々と魔法少女装備をマヤに渡そうとしたところで、マヤの後ろに児童が十人ばかしぞろぞろと着いてきていることに気づき、またしてもチイパッパはがっかりした。

 しかしガキどもをいいくるめるよりも、いまはとにかく時間が惜しかった。悪いやつ探知機によれば、さほどの猶予もなく敵が姿を現しそうであった。

「それじゃあマヤちゃん、この衣装に着替えてくれるかな」

 魔法少女装備はなんだかヒラヒラピラピラした飾りがついたドレスのようなデザインをしていた。ビビッドな色合いで、遠目からでも目立つしろものだった。

「お母さん、私これちょっと……」

 チイパッパから魔法少女装備を受け取ったマヤは、それを手に取って体に当ててみたりして、エリに「どうかな」と不安げに尋ねた。その挙句にマヤは「あんまり着たくないな」という意思を表明した。

「そうねぇ、マヤももう六年生だし、お母さんもその服はちょっと浮かれすぎな感じがする」

 マヤの母も魔法少女装備に否定的な態度を示した。ショックで、チイパッパは教室のすべての窓ガラスを素手で殴り割りたくなった。

 図書館からついてきたトシユキが「なら、おれ着るよ!」とか悪乗りすると、それを受けて残りの男子が「おう、着ろ着ろ」とはやし立て、わーわーふざけて騒がしかった。エリが「もう、マヤが困ってるじゃないなんでそんなこというの」とたしなめたが、こんな状況であんな衣装を平然と着こなすほどマヤの神経は図太くなかった。マヤは繊細で純情な子なのだ。

 仮にマヤがあと二十歳ほど歳を重ねていれば、「それはそれ、これはこれ」と割り切って、魔法少女装備に身を包むことはできたのかもしれない。そのぐらいの歳であれば、人生における自らの複数の立ち位置を想定しているものであって、くだんの魔法少女装備をいい歳こいて着たとしても「なーんちゃって」と笑い飛ばしてごまかして、事が終われば平然とニュートラルな自分に戻れるのである。

 しかしマヤはまだいたいけな小学生であった。二十四時間、四六時中、すべての行動、すべての事象が一枚の強固な岩盤でつながっていた。であるから、たとえ彼女の自発的欲求とは異なる理由で魔法少女装備を着たとしても、それはやはり彼女が自分の判断で好き好んで選択した結果であると思い込んでしまうし、彼女のアイデンティティは魔法少女に帰するものであると懊悩してしまうし、そしてまた、周囲の人間もそのように評価するであろうと恐れていたのである。

 そして実際のところ、マヤの周囲の大部分の人間、すなわち同級生は当たり前の話であるがマヤとおなじく小学生であり、であればマヤと同様な精神構造、思考様式を有しているのであって、ということはマヤが魔法少女に身をやつせば、

「羽島のやつ、六年生にもなってあんな恰好してらぁ」

などと皮相浅薄に判断して、その背後にある人類の救世という悲壮にして深刻な任務になど気づくはずもなく、ただただ、おもしろおかしく冷やかすに決まっているのである。

 というわけで、マヤはかわいすぎる魔法少女装備に難色を示した。周囲の人間も「家でこっそりたのしむパジャマとかならまだしも、あれを公衆の面前ではキツい」と判断して、マヤの言動が決してわがままではないと理解していた。

 しかしこの場で唯一人間ではないチイパッパだけは違った。なんとしてもマヤに魔法少女になって、悪いやつと戦ってもらわなければならなかった。チイパッパは愛想笑いを浮かべて「そこをなんとか」と懇願したが、マヤは「ええー、でもだってぇ」とかたくなであった。

 愛娘の窮状に対して、 マヤの父が妥協策を提案した。

「どうですかチイパッパさん。私は技術的なことはわからないんですが娘もその衣装は嫌がってるみたいですし、もうちょっと無難なやつはないんですか」

「うーそのー、ないかなーないんじゃないかなー、いや、絶対ないとまでいうとアレなんですけど難しいかなー、難しいというよりほとんど不可能かなー」

 チイパッパは目を泳がせながらグズグズとした言葉を散らばらせた。その態度は、気が進まないことをどうにか先延ばしに、あわよくばやらずに済まないだろうかという雰囲気に満ち溢れていた。

 結局、マヤの父がまあまあ強く問い詰めると、チイパッパは「ちょっとうちの技術部門に相談してみます」と青ざめた顔で通信機を取り出した。


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