amaoto

Hotoha

第1話

ノートはやはり新品のように元には戻らなかった。


昨日、雨ざらしになったノートを持ち帰り、ドライヤーで一ページづつ乾かしたが、一度濡れてしまった紙は所々にシミを作り、手触りもパサパサとしていた。

僕は一度雨に濡れたということを除いては、ごく一般的なノートの表紙をめくった。


「次の雨に日にまた取りに来ます」


おそらく女性が描いたのであろう、細く丁寧に書かれたその一文は、贅沢に数多い罫線の中央を占領していた。


果たしてこの一文に何の意味があるのだろうか。


僕はこのノートが雨ざらしになるのを見つけた時、不躾にも中身をのぞいてしまった。

もちろん持ち主のヒントになる情報が書かれているかも知れないと思ったのも確かだが、それよりも人のノートを覗くという行儀がよろしいとは言えない行為をしたいという下心の方が優っていたと思う。


そしてこの一文を見つけたのだ。


最初の一ページ目に書かれたこの一節以外は、おそらく開いて擦らないだろうと思える程に綺麗な状態だった。

最も、雨ざらしにされていたこともあり完全な新品というわけではなかったのだが。


普通の人だったら、誰のものかも分からず、ましてや雨ざらしにされてびしょ濡れになったノートなど持ち帰ろうとは思わないのだろうが、僕はどうしようもなくこのノートに、正確にはこの一文に惹かれていた。


それにまた取りに来ますと書いてある手前、気がついた人が保管でもしておけばいいだろうと思ったのもまた事実だ。


一晩考えた。

このノートが一体何なのか。持ち主は何故屋外にこのノートを置き去りにしたのか、それも雨の日に。そして、何故雨の日に取りにくるのか。

しかしどれだけ考えても答えは出ないままだった。


「次の雨の日にまた取りに来ます」


この一文が僕の思考を何度も妨げた。

白紙の真新しいノートであれば、単に落としてしまっただけとも考えられるが、この一文は明らかに持ち主が意図してその場に置いていったということを示している。


僕はそっとノートを閉じ、机の上においた。


昨日の雨が嘘のように、薄いベージュの遮光カーテンの奥には雲ひとつない青空が広がっていた。


美しい空を見ると何となく心が安らぐのは人間に備え付けられた本能なのだろうか。


でも僕はどちらかというと雨の方が好きだ。

瑞季くんは変わっている、と散々に言われ続けてきたが今でもこの気持ちは変わらない。

雨の日には何だか目覚めがよく感じるほどだ。

洗濯物が乾かないという多少の煩わしさはあるものの、それを踏まえても有り余る魅力があると思っている。

特に好きな瞬間というのが、雨の中を傘をさして散歩する瞬間だ。

傘にあたる雨粒の音色を聞くのがたまらなく好きだ。

メロディというには煩雑で、奏でるというには無骨すぎるそれは、僕のお気に入りの一曲だ。二度と聞くことができない音色が次々と現れて、飽きることがない。


部屋にある小さな棚の上にポツンとさみしく置かれたデジタル時計は商店街の福引で当たったものだ。

旅行なんかの特賞よりも、下位賞の実用品の方が実はうれしかったりもする。


何もすることがなくなると、決まって僕はテレビをつける。

別に見たい番組があるわけではないのだが、テレビのちょうど良い騒がしさが退屈をかき消してくれるような気がする。


天気予報によると、しばらくは雨は降らないらしい。どうせ気になるのも今だけだ。物珍しいものを拾って興味をそそられている、一時的なものだ。

僕はベッドに寝転び、枕元に置かれたスマホの電源をつけた。


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