プエルトリコの思い出
増田朋美
プエルトリコの思い出
プエルトリコの思い出
その日は、久々に春らしい陽気になって、日中は暖かいが、日がかげると少し冷えるなあという感じの天気だった。寒暖の差も激しいが、なによりもそれのせいで体調が崩れてしまう人も多い。それのせいで、中には心も体も傷ついてしまう人もいる。
その日、杉ちゃんとブッチャーは、大事なペットであるフェレットの正輔と輝彦を外で遊ばせるために、バラ公園にいった。二匹ともハーネスはつけていないが、脚が不自由なところがあるので、遠くへ走っていってしまう心配はない。杉ちゃんとブッチャーは、二匹がベンチの周りを不自由な脚で歩き回っているのを眺めていた。その時は、天気についての雑談などしていたが、突然、フェレットの正輔が、ちいちいと高い声を挙げたため、杉ちゃんもブッチャーもびっくりする。
「どうしたの正輔。」
杉ちゃんが声をかけると正輔が何か答えるように、ちいちいと声をだした。めったに鳴かない動物が、声を挙げるのだから、何かあったのだろう。
「どれどれ、見てみるか。」
ブッチャーが正輔のいる方へ行ってみると、そこにひとつメモリースティックが落ちていた。人間なら何も歩くのに支障はないが、脚の短いフェレットたちにとってみたら、大変な障害物であった。
「一体これは、何だろうね。」
ブッチャーは、拾ったメモリースティックを、杉ちゃんのいる方へ持って行って、杉ちゃんに見せた。
「あれれ、名前が書いてあるよ。えーと、雨宮信子。ということはこれは雨宮信子という女性が持っていたものだろう。」
「そうか。じゃあ、持ち主の所に返してやらないといけないな。しかし、このメモリースティックなにが入ってるんだろ。それが気になるな。」
杉ちゃんとブッチャーは顔を見合わせた。
「画像でも入ってるんじゃないの?ちょうど櫻の季節だし、櫻の木の下で弁当を食ったときの写真とか。」
と、杉ちゃんが言った。
「そうだねえ、、、。本当にそうかな。人の物を勝手に覗くのはいけないとは思うんだが、名前が書いてあるという以上、何か特別な物のように見えるぞ。」
ブッチャーは、直感的に言った。時々、直感でそういうことを思いつくことがある。そういうことには、ブッチャーは従うことにしていた。というのは、二匹のちいさなフェレットが、それを放置してはいけないと言っているように見えたので。
「よし、それじゃあ、僕のうちのパソコンで調べてみるか。」
と、杉ちゃんが言ったため、ブッチャーと杉ちゃんは、フェレット二匹を抱き上げて、杉ちゃんの自宅へ戻っていった。フェレット二匹は長時間歩くということはできない。
とりあえず、二人は杉ちゃんの家に戻った。パソコンと言っても、杉ちゃんが着物を仕立てた御礼に貰ってきたものなので、ずいぶん古臭い機種であり、メモリースティックが対応するのか不明であったが、ブッチャーがUSB差し込み口に差し込んでみると、見事に作動した。
「ああ、やっぱり杉ちゃんの言った通り画像だな。お花見の時の画像だ。ほら、櫻の木の下で、若い女性が立っている画像があるよ。」
と、ブッチャーが広げた画像には、確かに若い女性が映っていた。女性の事を詳しく説明すると、まだ中学生か、高校生くらいの年齢と思われる若い女性である。
「ああ、この制服は、藤高校だな。ほら、よくある古臭い制服で有名じゃないか。あの学校は、創立した時から、制服が変わってないという話だ。」
と、杉ちゃんが画像を見てそういうことを言った。杉ちゃんというひとは、文字は読めないのに、そういうところだけは敏感なのだ。読めないということから、そういうことが出来てしまうのかもしれない。
「そうだねえ。入学祝か、あるいは卒業祝いにお花見に来て、それで落として言ったんだろうかな?」
と、ブッチャーはいうが、
「いや、違うな。最近の櫻は、入学式が行われる時は、もう散っている。卒業式の時は、まだ咲いていない。」
と、杉ちゃんが言った。
「そうか。それもそうだな。ということは何のために、ここで写真を撮ったんだろうね。あ、それだけじゃないな。音声ファイルが入ってる。これは何だろう?」
ブッチャーが画面に現れた音声ファイルを再生させてみると、何とも言えない暗く重いピアノソロ演奏が流れてきた。曲の雰囲気からすると、変ホ短調の譜点のリズムが特徴的な楽曲であるのだが。
「これは何の楽曲何だろうかな。こんな重い曲調映画音楽とかそういう気軽に聞ける曲じゃないな。」
と、ブッチャーが言った。
「そうだねえ。それは確かにそうだ。聞いたことのない曲だな。誰の作品か分かれば、もっと身元が特定できるかもしれないが。でも、名前が書いてあるっていうのなら、その人が持ち主なんだと思うよ。華岡さんか誰かに相談して、持ち主に返してあげようぜ。」
杉ちゃんがそういうと、二匹のフェレットたちも、そうだそうだとでも言いたげにちいちいと声を
だした。
「そうだねえ。あとこのメモリースティックにはほかのファイルもあるよ。何だろう。」
ブッチャーがそのファイルをダブルクリックしてみるが、このファイルを開くアプリケーションがないというエラーが出てしまったので開くことが出来なかった。何だ、Wordはないのとブッチャーは言いたくなったが、読み書きのできない杉ちゃんに、Wordは縁のないアプリだった。
「この文書だけが開けない。ほかの画像と、この分からない音楽はちゃんと開けるのに。あまり気にしなくていい文書かもしれないが、どうも違うような気がするんだよね。俺の思い過ごしかもしれないけど。」
「そうか。じゃあ、ほかのやつのパソコンを借りて、開かせて貰おうぜ。よし、いつも暇な奴というと、水穂さんだ。奴が持っているパソコンを借りよう。」
ブッチャーがそういうと、杉ちゃんが即答した。水穂さんのパソコンも中古なので、開けるかどうか不明だが、とりあえず、一度決断してしまうと、実行せずにはいられない杉ちゃんなので、直ぐに出かける支度を始めてしまった。ブッチャーは、そんな杉ちゃんに従うことにした。
製鉄所では、ちょうど水穂さんが利用者さんに手伝ってもらいながら、着替えをしているところだった。着替えと言っても、銘仙の着物を取り換えるだけの事であったが、体の不自由な所があると、なかなか着替えもうまくいかないんですね、何て利用者の女性たちは言っていた。水穂さんが、せき込みながら再び布団に横になろうとしていると、
「おーい、一寸御願いがあるんだけどね。一寸水穂さんのパソコン貸してもらえないだろうかな。」
と、杉ちゃんがデカい声で言っているのが聞こえてきた。利用者たちは、急いで杉ちゃんを迎えに行った。
「どうしたの杉ちゃん。いきなりパソコンを貸してくれだなんて。」
と、利用者たちは、杉ちゃんを製鉄所の建物の中に入れながら、そう聞いたりしている。
「いやあねえ。公園でメモリースティックを拾ったんですが、この中身に杉ちゃんのパソコンではひらけないファイルがありました。それを水穂さんのパソコンで見ることが出来たらと思いましてね。」
ブッチャーが状況を説明すると、
「まあ、何だかよくわからないけどさ、変に暗くて重いピアノの曲が入ってる。あと、櫻の木の下で、藤高校の制服着た女が、写っている写真も入ってたよ。」
杉ちゃんがそう答えてしまった。そして二人は、急いで四畳半に入ってしまう。水穂さんは、用意周到であり、もうミニノートパソコンの電源を入れておいてくれた。
「悪いけど、このパソコンWordはあるか?」
杉ちゃんが聞くと、水穂さんはありますよと答える。事実開けなかったファイルはWord文書で、水穂さんのパソコンでは表示することが出来た。其れをみて、ブッチャーはびっくりしてしまう。杉ちゃんが読み上げてくれというと、ブッチャーはああと言って、その文書を読み始めた。
「えーと、お母さんへ。18年間私を育ててくれてありがとう。幸せになってね。私は、いつでもそばにいるよ、、、はあ、これは遺書かな?それとも、別の意味の文章だろうか?」
「まあよくわかんないけど、続きを読んでくれ。」
杉ちゃんに言われてブッチャーは読み上げた。
「18年間、二人っきりで生きてきたね。私が藤高校に行くと言ったら、お母さんびっくりして、私にはいけないだろうとか言ってたけど、私は行ったよ。でも、この学校は私には合わなかった。音楽を生業にしたい人間が行くところじゃなかったよ。まあそうだよね。そういうことは全く知らなかった私が悪かった。自分の自業自得だね。ごめんねお母さん。私は、ダメな子です。最後にお母さんに私からのメッセージとして、この曲を送ります。お母さん、永い間、いえ、永い様で短い間でしたが、ありがとうございました。雨宮信子。」
「なるほど、つまりこの曲は、この女性の最後の手紙だったのか。それで、こんな重たい曲だったわけだね。よし、最後の曲をかけてみてくれ。」
杉ちゃんに言われてブッチャーは、音声ファイルを開いて、再生させた。又その重々しい曲が流れてくる。
「ああ、重々しい曲ではありますが、これは、ゴットシャルクのプエルトリコの思い出、別名をビバロ族の行進ですね。」
と、水穂さんが言った。やっぱりさすが、ピアニストとしてやっていただけのことはあり、知らない曲はないと言えるかも知れなかった。
「ゴットシャルク?何ですかそれは?」
ブッチャーが聞くと、
「はい、アメリカ合衆国の作曲家で、日本ではほとんど知られてないと思いますが、最近若い人たちが演奏したがるので僕も弾いたことがあります。」
と、水穂さんが言った。
「そうか。まあ、音楽学校にい行こうとしているやつだから、こういう難しいというかマニアックな作曲家の作品を弾きたがるもんだよな。つまり、これは遺書で、この女性は、自殺を図っている。名前の、雨宮信子という人物が、お母さんに当てて、書いたものだ。未遂か完遂かは知らないが、いずれにしても、こんな物を落とすなんて、持ち主は、きっと心配していると思うよ。」
と、杉ちゃんはデカい声で言った。ちょうどこの時、ブッチャーのスマートフォンがなる。何だとおもったら、ニュースアプリだった。地元のニュースが入ってくるアプリ何て、捨ててしまいたいなと思っていたのであるが、ブッチャーはこの時はあってよかったと思った。アプリには、静岡県富士市の住宅地で、藤高校に通っていた女性の死体が発見されたと書かれていたからである。なんでも、自殺か他殺かは不詳だが、いずれにしても、その高校生が藤高校であった事で、なんとなくつながりが見えてきた。
「そうですか。それでは、このメモリースティックは誰のものなんでしょうか?」
演奏が流れ終わって、アプリを閉じた水穂さんは、小さな声で言った。
「うーん、、、。お母さんへと書いてあるんだから、お母さんという人だろうか?」
と、杉ちゃんがいう。
「せめてお母さんの名前だけでも分かれば良いんだがな。」
ブッチャーはため息をついた。お母さんと宛先は書かれていたし、差出人は、雨宮信子で間違いないのだが、その肝心な誰のものかがわからないのである。
「とにかくさ、これを落としてった人は、もうこれを落としたことに気が付いたかな?」
と、杉ちゃんが言った。
「多分今頃、気が付いたとしたら、公園で血眼になって探していると思うけど。もう一回公園に行ってみようぜ。」
「そうだね杉ちゃん、行ってみよう。水穂さん、パソコンを貸してくださって、ありがとうございました。」
ブッチャーは杉ちゃんに言われて、急いでアプリを閉じ、メモリースティックを引き抜いた。水穂さんに改めて礼をいい、二人は、バラ公園に行ってみることにする。
先ほどのメモリースティックがあった辺りに二人が行ってみると、やっぱり杉ちゃんが予測した通りで、ひとりの女性が、何かを探しているのがみえた。
「あの、すみません。」
杉ちゃんは彼女に声をかける。
「探しているのは、之じゃないか?」
杉ちゃんがメモリースティックを突き出した。女性は待っていましたというような顔をした。でも直ぐに表情を変えた。二人が拾ってしまったということを、知られたくないような顔つきで。
「まあ、もうお前さんの考えていることは、やめた方が良いと思うよ。こんな物を落とすとは、やっぱり人間だ。完璧な殺人トリックなんて、できやしないのさ。」
杉ちゃんはカラカラと笑った。ブッチャーは、この人がお母さんなんだなと直感的に感じ取った。同時に、藤高校生の死体がみつかったというニュースを思いだす。
「それにしても、娘さんを手がけた奴を、お前さんが復讐してやることは、相当なものがあったんだろうね。」
と、杉ちゃんがいう。
「お前さんは、自殺に追い込まれた娘さんの復讐をするために、あの事件を起したんだろ?一体何が在ったんだよ。何か、いじめでも在ったか?それとも、ひどいこと言われたとか、そういうことかな?」
女性は、静かに頷いた。というか、頷いたようにみえた。もしかしたら、彼女はまだいうことはできないのかもしれないとブッチャーは思った。
「杉ちゃん、こんな所で、詰問してもしょうがない。テレビドラマと違って、現実なんだから、誰が聞いているかもわからない。何処か安全な建物に入って、そこで話しをさせよう。」
ブッチャーは杉ちゃんに言った。
「そうか、そんなら製鉄所で話させるか。」
と、杉ちゃんは直ぐに言った。杉ちゃんというひとは、直ぐに決断が出来てしまう。それならそうしようと言って、直ぐに車いすを製鉄所の方へ動かし始めてしまうのだ。
「悪いようにはしませんから、一緒に来て下さい。」
ブッチャーはそれだけ女性に言ってみる。彼女ももう駄目だとあきらめてくれたようで、杉ちゃんとブッチャーの間についてきた。
三人が製鉄所に戻ってくると、変ホ短調の重たいリズムの曲が流れてきた。水穂さんが弾いているのだろうか。それは、あの時のメモリースティックに収められている音楽と同じ曲なのだが、さすがに水穂さんだけあって、演奏はずっと上手だった。女性はそれを聞いて思わず涙を流すのだ。杉ちゃんもブッチャーも、これで女性になにが在ったか知ることができた。取りあえず、彼女を製鉄所の中にはいらせて、食堂まで連れていくことに成功した。
「で、なにがあったの?まあ大体分かるけどさ。まあ素人だもん、テレビのように、複雑なトリックをつくっている暇はないはずだよな。それで、宝物のメモリースティックを落とすということまでやらかして。もうお前さんがやったことはバレバレだけど、それなりに理由もあるはずだ。ちゃんと話してくれ。」
と、杉ちゃんが彼女にお茶を渡してそういうことを言った。
「私は、被害者の女性の家に行きました。」
彼女はそう答える。
「本当は、彼女本人に話すだけではなく、彼女の親御さんと話すつもりでした。でも、親御さんは留守で、本人が出てきました。」
「つまり、信子さんをいじめたという本人の女子生徒ですか?」
と、ブッチャーが聞くと、彼女ははいと答える。
「で、お前さんは、本人が来てしまったので、思わずその子に対して憎悪感でも湧いたんだろう。それで、その子をしかりつけるつもりだった。」
杉ちゃんがそういうと、
「はい。その通りです。うちの信子は、あなたのせいでもう戻ってこないのだと言いました。そうしたら、その子は何ていったと思いますか?私には関係ないとしか言わなかったんです。あなたが、いじめたんだと言っても、そんなこと関係ないしか言わないで。私、今度こそその生徒が許せなくなりました。だから、思わず逆上して、彼女を突き飛ばしました。」
と、女性は泣き泣き言った。
「そうかそうか。それでうちどころが悪かったと。」
と、杉ちゃんが又言った。
「はい。私は、そうなったことにびっくりして、慌ててそのまま帰ってきたつもりでした。でも、皮肉なことに、メモリーステックを落としてしまいました。あれは、信子が自殺したあと、私がいつもあの子の代わりに持ち歩いていたものだったんです。」
「そうだよな。それでいいんだ、偽装工作何て素人にはできないよ。ただ、びっくりして逃げ帰ってきたが、その代わりに、大事な物を落っことしてしまったと。まあ、経験した事ないことをするわけだから、テレビのようにはいかないよね。でも、相手に反省を促したかったかもしれないが、それは許されない事でもあるよね。だから、やっぱりお前さんも、間違いを修正しなきゃいけないんだ。僕たちが拾ったのも幸運だと思ってさ。しっかり自首して頂戴よ。」
杉ちゃんが彼女にそういうと、彼女は涙をこぼして泣きじゃくった。ブッチャーはそれを見て、
「自首するのは、泣いて、浄化された後でも良いんじゃないか?」
と杉ちゃんに言った。杉ちゃんもこれは分かったようで、
「そうだね。どっちみち、直ぐに犯人の目星がつく事件だろ。まあ、きっと、あっちの世界から、お母さん変な方へ行くのはやめてという、娘さんからのメッセージだったのかもしれない。そういうことかもしれないね。」
と、にこやかな顔をしていった。杉ちゃんのしゃべり方というのは、いつも乱暴でやくざの一門見たいと言われることがあるが、今回もそうだった。ブッチャーはそれも、直してくれればいいのになと思ったが、杉ちゃんに笑われてしまいそうな気がした。
四畳半から、ゴットシャルクのプエルトリコの思い出が鳴っているのが聞こえてくる。何だかこの曲、始めもおわりも暗く重い曲であり、中間部は華やかであるものの、明るいという雰囲気は全くない。何処か、物悲しくて、思い出と言っても決していい思い出ではないんだなということを感じさせる曲なのだった。多分きっと、悲しくて、思いだしたくない思い出だったのではないだろうか。
プエルトリコの思い出 増田朋美 @masubuchi4996
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