第12話 両手に花

 ——両手に花。


 はじめてその光景を見た時、なんて羨ましい! 俺にもおこぼれをくれ! 爆発してしまえ! 世界なんて滅びてしまえ! 


 そんなふうに思っていた。


 俺もいつか、両手に花ができるぐらいモテてみたい!


 とまで思っていた。


 だが、実際にそうなると……思ったのと全然違った。


広瀬ひろせさん、なぜあなたが弘臣ひろおみにそんなに、ベタベタしているのかしら」

「えーっ、だって私はおみくんの幼馴染だもん、ベタベタするのは当然なんだよ? 綾辻あやつじさんこそなんで、おみくんとそんなにベタベタするの?」

「わっ、私は彼女だからよ!」

「でも、そんなに好きじゃないんでしょ?」

「それは、よっ!」

「じゃぁ、ベタベタしなくていいんじゃない?」

「それは、ダメよっ!」

「なんでダメなの? おかしくない?」

「それは……っていうか、幼馴染が理由の方がよっぽどかおかしいわよ!」

「えーっ、そんなことないよ! 幼馴染はベタネタするもんなんだよ!」


 俺の両脇で突っ込みどころ満載の会話を展開する2人。


 そして、通学路で美少女達が俺を取り合うシーンを見て、殺意のこもった視線を送ってくる男子生徒たち。


 辿りつくまでに見ている光景と、辿りついてから見た光景は全然違うと聞くけど……両手に花はまさにそれだった。


 俺は両手に花が、こんなにも恐ろしいものだとは思っても見なかった。


 ——教室についても、男子からは殺意のこもった視線が送られ続けた。

 だが、通学路と違うのは、女子からも軽蔑の眼差しを向けられることだ。


 なんの変化もないつまらない日常。 

 退屈だ、壊れてしまえと思ったこともある。


 でも、それは掛け替えのない平穏な日々だった。壊しちゃだめだった。


「ちょっ水嶋みずしま、こっち来いって」


 俺は1人の男子生徒に教室から連れ出され、階段の踊り場に移動した。


「なあ水嶋……なんか1日休んだだけで凄いことになってないか? 何があったんだ?」

「ああ……ちょっとな」


 こいつは新井あらい 慎太郎しんたろう

 数少ない俺の友人だ。昨日は病欠だった。


「いや、ちょっとなじゃねーよ! 何がどうだなって、こうなったんだよ」


 何がどうなって、こうなったか。

 俺が知りたい。


綾辻あやつじに告られて、付き合って、沙耶さやがつきまといはじめた」

「はぁ————————————っ! なんでだよ!? 何で1日居ないだけで、そんなことになってんだよ!?」

「俺に聞かれても困る」

「じゃぁ、誰に聞けばいいんだよ!」

「綾辻と沙耶じゃないか?」

「聞きにくいわっ!」


 まあ、そうだろうな。


「じゃぁ、お前今、彼女もちってことか?」

「一応そうなるな」

「それが、あの綾辻あやつじってことだよな」

「ああ」

「そして、広瀬さんにも言い寄られてるんだよな?」


 言い寄られてるか……一応そうなるのか。


「多分な」

「羨ましすぎるだろ! ゴルァぁぁぁぁっ!」


 新井は俺の胸ぐらを掴みそう言い放った。


「そ、そうか?」

「そうかじゃねーよ! 嘘でもいいから、綾辻と付き合ってみたいやつなんて、腐るほどいるぞ!」


 嘘でもいいんだ。

 ……そんなふうに考えられたら、俺も楽だったのかもしれないな。


「まあ、いいわ……とにかく、おめでとう」


 ……おめでとうか。


「ああ、ありがとう……」


 俺は、ありがとうの言葉をためらった。


「なんだよ、嬉しくないのか?」


 嬉しい……綾辻や沙耶のような美少女に言い寄られて嬉しくないわけがない。


「……そんなことはない」


 だけど……俺はそんなに嬉しいとは思えなかった。


 強いて言えば嫌ではない……少し興味がある。

 心のメーターとしてはそんな感じだ。


「でも、意外だったなぁ〜」

「えっ、何が?」

「俺は、お前が好きなのは糸井いとい先輩だと思ってたからさ」


 亜美あみ先輩……確かに1番恋心を抱いていたのは亜美先輩かもしれない。


 でも……それを考えたことがなかった。

 むしろ恋愛なんて考えたことがなかった。

 というより、恋愛なんて、自分には無縁の事だからと思い、考えようともしなかった。


 じゃぁ、なぜ俺は綾辻と付き合って、同棲まではじめたんだ?


 ……考えても分からなかった。


 ただ、ひとつ分かっていることは、俺が優柔不断の最低野郎ってことだけだ。



 *



 放課後——あんなことを考えはじめたもんだから、練習に全然身が入らなかった。


「どうしたの? 水嶋くん、心ここにあらずって感じだけど? 音に出てるよ?」


 亜美先輩には……お見通しだったようだ。


「すみません……昨日色々あって、ちょっと考え事をしてて」

「色々? 私でよかったら相談に乗るけど?」


 相談か……でも、これって亜美先輩にしていい相談なのだろうか。


「言いにくいことなの?」


 うん……確かに言いにくいことだ。


「もしかして……」


 眉を八の字にして口を尖らせて、亜美先輩は核心に触れた。


「好きな子ができたとか?」


 好きな子か……今の異常事態と比べたら、たとえ叶わぬ恋だったとしてもその方が楽だったと思う。


「彼女が……できたんです」

「え……」


 このときの俺は、亜美先輩に話せば、このどうしようもない気持ちを解決できる、糸口を掴めるような気がしていた。


 だけどそれは——大きな間違いだった。

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