それを確認した雅貴は、すぐ脇を走る、狭い道路の先の住宅街に目を向けた。


「…将臣、俺と瑞紀で、あの住宅街の住人に事情を説明して、何とか救急車を呼んで貰う。

でも、子どもひとりの言うことじゃ、信用されないかも知れないから、瑞紀も一緒に連れて行く必要があるんだ。

…だから将臣、俺たちが戻るまで、唯香はお前が守らなけりゃいけない。それは分かるだろ?」

「…ああ」

「そうか。…なら大丈夫そうだな。じゃあ、俺らは行くから…」


瑞紀に目で合図をして、徐に走り出そうとした雅貴に、将臣は急ぎと知りつつも、声をかけた。


「雅貴」

「あ…?」

「有難うな…、よろしく頼む」

「!…ああ、任せとけ。行くぞ、瑞紀!」


雅貴の促しに、瑞紀は大きく頷くと、雅貴の後について、勢い良く駆け出した。


(…頼んだぞ…、雅貴、瑞紀…!)


神にも縋るような気持ちで、将臣は唯香の手を、そっと握り締めた。

…すると、それによって気がついたらしい唯香が、うっすらと目を開き、静かに将臣に目を向けると、まるで熱に魘された時の、譫言のように話しかけた。


「…お…兄…ちゃん…」


「…唯香!」


将臣は、唯香が弱々しく縋るように差し伸べた手を掴み、狂ったように名を呼んだ。


「唯香! …唯香…っ! すまない、俺がお前を疎んじたりしなければ、こんなことには…!」

「……」


唯香は、いつの間にか流れていた将臣の涙を、弱々しい手つきで、そっと拭った。


「…お…、お兄ちゃん…は… …何も…悪くない…

…悪いの…は、言う…ことを…きかな…かった、私…」

「違う! 唯香… お前は何も悪くない!」


将臣は、はっきりとそう否定した。

神が存在するなら、ただ…がむしゃらに縋りたかった。

代われるものなら代わってやりたかった。

…この傷が治るのであれば、自分の血肉など、全て無くしても構わないとすら思えた。


何故なら、唯香は自分の妹だから。


…どんな事情があろうとも、決して疎んだりしてはならなかった。


「すまない、唯香…

もう少しだけ辛抱してくれ。今、雅貴と瑞紀が、救急車を呼びに──」

「…おにい…ちゃん…」

「!何だ…、唯香、どうした!?」


将臣が焦って尋ねると、唯香は静かに目を閉じ、そっと呟いた。



「…ごめん…なさい…」






★☆★☆★


…それから少し経って、救急車が到着した。


救急車に乗せられた時、既に唯香は気を失い、出血多量の状態で危なかったが、そのまま大病院に運び込まれたことが幸いし、何とか一命を取り留めた。


…そして警察は、幼女を狙った傷害事件とみて捜査を開始し…

やがて、事件現場近くの住宅街に住む、若い男を逮捕した。


…だが、その数日後…

その男は、拘置されている留置場で、まるで老人のように皮膚や新陳代謝が衰え、骨と皮ばかりの…さながら骸骨と見紛うばかりの、変わり果てた姿で死亡しているのが発見された。


警察はこれを怪奇事件として捜査を進めたが、留置場内での不手際ということもあり、当然、進展の光明すらみられなかった。


…だが将臣には、これが誰の手によって起きた事象であるのか、完全に予測がついていた。


「…親父…か」


自分たち兄妹の父親であるレイヴァンは、あまり子どもを意識する存在ではなかったが、これは父親の仕業としか考えられない。


…恐らくは、自分の娘を理不尽に傷つけられたことによる、父親なりの報復なのだろう。


将臣の足は、自然に唯香の病室へと向かっていた。


これは全て、自分が招いたことだ。

犯人は既に死んでいるとしても、そのきっかけを作ったのは間違いなく…自分だ。


将臣は、いたたまれなさから、強く唇を噛んだ。

唯香の病室の前でしばらく躊躇い、やがて思い切ったように病室の扉をあける。

…中にいた唯香が、視線だけをこちらに向け、嬉しそうに笑った。



…その手には点滴。

ベッドに横たわる妹の姿は…とても痛々しい。



将臣はそれによって、自らの愚かさを見せつけられた気さえしていた。

己の愚行の結果、唯香が傷を負ってしまった──

そう考えずにはいられなかった。


「…唯香…」


将臣は目を伏せながら、唯香の側へと近寄った。


「…お兄ちゃん…、有難う」

「…!?」


将臣は、自分の耳を疑った。

今まで、認めることもない非を認めていた妹が、更に今度は礼を言って来るとは…


これでは…兄の立場がないではないか。


「…何故、礼を言う…

俺は、礼を言われるようなことは、何ひとつしていない…」


それどころか、むしろ…と言いかけた将臣を、唯香は兄の手を握ることで制した。


「お兄ちゃんは、私を守ってくれたよ」

「…えっ…」

「…お兄ちゃんがいなかったら…、私は…今頃、絶対死んでた…

…お兄ちゃん、助けてくれて…、側にいてくれて有難う…!」

「!唯香…」


将臣は、何かを確信したように、唯香の手をそっと握り返した。

…その温もりに、唯香は幸せそうに微笑む。


「…それと…、言うこと聞かなくて…ごめんなさい」

「…、もう…いい…」


唯香が無事であれば。


…唯香だって、遊び相手がいなくて寂しかったに違いないのだ。

今回の一件は、それを、充分に理解してやれなかったが為の…自分の落ち度だ。


…今度は、共に遊んでやろう。

そして…たまには、唯香の望む遊びに付き合ってやるのも悪くない。


…あいつらも巻き込んでやろう。

きっと楽しいに違いないから。


今まで遊ばなかった分、遊べなかった分…

これから全て、取り戻してやる。


俺は、お前の兄だから。


だから早く元気になれ…


それだけが、今の…兄の望みだ。



†完†



執筆開始日:2006/05/19

執筆終了日:2006/08/05




【後書き】


この話は、元々載せていたサイトの方で、キリ番25000を踏まれた方からのリクエストです。

今は、あのように仲の良い神崎兄妹も、このように、昔はお互いに一癖あったんですよね。

将臣と唯香は、これがきっかけで、兄妹仲が深まったといっても過言ではありません。

そして、最後に直接は出ませんが、しっかり父親のレイヴァンの存在も匂わせてみました。


この時、レイヴァンは当然、六魔将としての役割があったわけですが、父親である自分が離れていた間に、唯香が理不尽にこのような目に遭わされてしまったという怒りと、それまでのレイヴァンの性格や言動を踏まえると、恐らく彼は犯人に対してこのように出るだろうと。

それ故に犯人の断罪は悩みませんでしたね。

時を操れるレイヴァンなら、きっとこのように手を下すだろう…

そんなことを思いながら書いた記憶があります。


今回も、ここまで読んで下さって誠にありがとうございます。

短編の方はリクエストでやっていたため、本編ほどストックはありませんが、こちらも少しずつ載せていく所存です。


ではまた、次の短編でお会い致しましょう。

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