…するとサヴァイスは、そのしなやかな手を、静かに息子へと伸ばし…

その幼い体を、見た目のそれとは裏腹に、力強く抱き上げた。


それに驚いたカミュが、父親譲りの紫の瞳で、当の父親を見る。

…そこには、些かの困惑と、わずかばかりの期待があった。


「!…ち、父上…?」


カミュが、しがみつくように父親の体に縋ると、サヴァイスはその紫の瞳で、正面からカミュを捉えた。


「…二度は言わせるな。今日限りだ…」

「!…父上…」


カミュは、この時とばかりに父親に抱きついた。


…自分はまだ幼い。

しかし、立場的にはそれは理由にならない。

甘えてはいけない。

そう…“甘えるわけにはいかなかった”。


そして、それに輪をかけて厳格な父親は、昔から、息子であるはずの自分を、決して抱き上げてはくれなかった。

孤高で近寄りがたい…

そんな、神と対峙した時にも似た雰囲気が、父親にはあった。


しかし、今は… そんな父親が自ら、自分を抱き上げてくれている。

例えひと夜限りのことであっても…

甘えるのを許してくれている。


カミュの紫の瞳からは、また涙が溢れた。

しかし、今度のは言うまでもなく嬉し涙だった。


…そんな息子の様子に、サヴァイスの瞳には、わずかに労るような光が浮かんだ。

しかし、それはすぐに跡形もなく潰え…

サヴァイスはカミュを抱えたまま、自らの寝所にあたる空間に足を踏み入れた。


体が沈みそうなほどに柔らかいベッドの片隅へとカミュを座らせ、自分はその隣に落ちつく。

反動で、サヴァイスの長い黒髪が、さらりと揺れた。


「…カミュ」

「!…はい、父上」


カミュは慌てて涙を拭うと、気丈にもすぐに返事をしてみせた。

そんな息子の言動を見ながらも、父親は息子に訊ねる。


「お前は何故そこまで、闇を恐れる?」

「!」


いきなり核心を突かれ、カミュの体が強張った。

それでも、父親に訊ねられていることから、幼いカミュは恐怖心を辛うじて押さえ込み、やっとのことで返答をする。


「…その暗さに…呑み込まれてしまいそうで…

自分の…弱さを、見透かされるようで…

とても…怖いんです…」

「…成る程な」


答えを聞いたサヴァイスは、何かを確信したらしく、その端正な口元に、勝利の笑みを浮かべた。


「…お前は闇に、自らの弱さを投影し、なおかつ反映させている。

それがお前の心の奥底に潜む、皇族には不似合いな、脆さと危うさだ…」

「!…え…」


カミュは、愕然と父親を見た。


「…自分の…弱さ…?」

「その通りだ…」


サヴァイスは、不安に揺れる息子の美しい瞳を肯定し、頷いた。


「闇は、お前のそのような心境を増幅させる手助けをしているだけだ。

…全ての者が安らぐ闇。そこに恐ればかりがある道理はない」

「!…」

「ましてやお前は、闇に愛でられた我の後継だ…

闇を恐れ、否定する感情など…、およそ抱こうはずがない」

「……」


父親の言葉を、カミュは噛みしめるように聞いていた。


…闇そのものが怖いのではない。

怖いのは、そこに溶け込ませた、自らの感情に他ならない。

だから…怖いのだ。


「だが、それによってお前は自らの弱点に気付いたはずだ」

「…はい」


カミュが素直に頷くと、サヴァイスは僅かに笑んだ。


「ならば、闇を恐れる必要は微塵もない。分かるな…?」

「はい。お手数をおかけしました、父上」


気丈にも笑ってそう告げたカミュの手が、それでも僅かに震えているのを、サヴァイスは見逃さなかった。


…皇子といっても、まだ幼子なのだ。

自らのその感情の全てを制することは、この年齢ではなかなかに難しい。


「…カミュよ、我の前では、そのように強がる必要はない。

それがただの甘えであるというなら論外だが、お前は身の程を理解した。

理解してなお、暫し恐怖を覚えるのであれば、それは仕方のないことだ。

…先だって数度言った通り、今日だけは大目に見ることにしよう」

「!…父上っ」


カミュが、嬉しさのあまり、サヴァイスに抱きついた。


「父上、有難うございます! そんなことを言っていただけるなんて…すごく嬉しいです!」

「…カミュ…」


サヴァイスの紫の瞳に、微かに、今までは見られなかった暖かさが籠もった。

それはその行動にも反映され、サヴァイスのしなやかな手が、そっとカミュの頭を抱く。

まさか、厳格の代名詞のような父親が、そのような行動を取るとは思ってもみなかったカミュは、驚きも露に、上擦った声をあげた。


「!ち…、父…上?」


「…カミュよ、よく覚えておけ。お前は我の息子であり、この世界の皇子でもある。

…そんなお前が甘えや弱さを容易く露呈すれば、それはそのまま自らの弱点へと繋がり、ひいてはこの世界の首をも絞めることとなる」


「!…」


「六魔将たちも、それを随分と気に病んでいるようだ…

良いか、カミュよ。お前が普通の子なら、そのような弱さも許されよう。だがその器には、それは到底許されることではない」


「!…父上っ…」


拒絶されたと思い込み、カミュの瞳から、大粒の涙が溢れる。

しかしサヴァイスは、言葉とは裏腹に、そんな息子をしっかりと抱きしめた。


「…分かるな? お前は幼いながらも、自らの立場を自覚せねばならない位置にいる…

…お前に全ての感情の解放が許されるのは、今、この時だけだ…!」

「!ちち…うえ…っ!」


カミュは、流れ出る涙を拭おうともせず、父親に強くしがみつくと、そのまま火がついたように泣き出した。


…この、精の黒瞑界の皇帝をも兼ねる父親の心境が、痛いほど理解できたから。


父親の言葉通り、今しか甘えは許されないから。


…明日になればまた、皇子として在らねばならないから…!

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