3
「お父様、お早うございます!」
「…マリィか」
…あれから、12年の月日が過ぎた。
当時は6歳だったはずの幼いマリィは、美しい少女になり、人間の年齢でいう、18歳に成長していた。
そして、俺の父であるレイヴァンを、親しみの意を込めて、いつの間にか、『お父様』と呼ぶようになっていた。
「あ、将臣も起きたの? …お早う、将臣!」
満面の笑顔を浮かべて、幸せそうにその場に佇むマリィは、すっかりゼファイル家の一員だった。
…父親に対する呼び方は立場上変わったものの、俺に対する呼びかけ…
否、呼びかけ方は、昔から全く変わらなかった。
「ああ…、随分早いな、マリィ」
「うん! …今日はね、また新しい料理を教えて貰ったの!」
…成長したマリィは、何故か人間界のあらゆる知識を求めた。
食物や、その調理法に関する情報も、そのうちのひとつだ。
それを実地で知りたいということもあってか、マリィはゼファイル家専属のコックに、そのゼファイル家に代々伝わる料理法や、皆の味の好みを教わり、それを作れるようにと努力を重ねていた。
…父親・レイヴァンは、根っからの精の黒瞑界の住人であるため、父親に作る料理は、マリィは自分の味覚をあてにすれば良かった。
だが、そのほとんどを人間界で過ごした俺には、精の黒瞑界特有の、塩をほとんど使わない味気ない料理は、あまり好きではなかった。
そんな俺を見かねてか、マリィは自らの範疇外である、人間向けの調理法を覚えようとしていた。
「今日はね、調味料について色々教えて貰ったの!」
嬉しそうに目を輝かせて話すマリィには、かつてのあの酷い怯えは、微塵も見られなかった。
それに何となく安心しながらも、俺は父親の向かいにある椅子に座り、目の前のテーブルに肘をつく。
それを待ちかねたかのように、マリィが再び口を開いた。
「お父様、将臣…、さっき聞いたことを応用した軽食を作ったんだけど、良かったら食べてみてくれる?」
「ああ」
即答して、俺はテーブルについたばかりの肘を戻した。
それと同時に、マリィが姿を消す。
再び戻って来た時、マリィはその手に、程よく香辛料をきかせたらしい、スープの皿を手にしていた。
…俺は無意識に、テーブルの上に、事前に用意されていたらしいシルバーを見つめた。
つまりこれは…こちらがどう答えようとも。
(…どうやら、始めから食べさせるつもりだったらしいな)
つい苦笑した時、マリィが目の前に、ミネストローネを思わせる、赤っぽいスープが入った皿を置いた。
そこから立ちのぼる匂いは、人間の世界でいう、高級レストランにも引けはとらない。
「さすがに香辛料について学んだだけのことはあるな。…いい香りだ」
「ホント!? 将臣!」
「ああ」
俺が頷くと、その正面では父親が先にスープを味わっていた。
「…、味も素晴らしい。人間と吸血鬼のぎりぎりの塩加減を見切ったようだな」
「!…」
俺の父親に誉められたマリィは、ぱあっと顔を輝かせた。
「…あ…、ありがとう、お父様…!」
「これなら、安心して将臣を任せておけそうだな」
「!」
その時、近くにあった水差しから、グラスに水を注ごうとしていた俺は、危うく水差しを取り落とすところだった。
「!な…、何を言っている! それでは立場が逆だろう!」
慌てて水差しを押さえて声をあげる俺に、父親は苦笑した。
「…将臣、お前は今までマリィを支えてきたようだが、逆にお前も支えられていたようだぞ」
「!…俺が、マリィに?」
「ああ」
頷いた父親は、つと、マリィの方へと目をやる。
「…今はまだ分からないかも知れないが、いずれは理解できるだろう」
「!お父様、それはどういう…」
マリィが反射的に訊ねると、父親は目を閉じ、口元に優しげな笑みを浮かべた。
「…気になるなら、これから将臣に少しずつ教えて貰うといい…
そうだろう? 将臣」
「…そうと知っていて、それに気付いたところで…俺から教えられるとでも思っているのか?」
「お前になら可能だ」
すぐに答えた父親は、その美しい蒼の瞳を俺へと向けた。
「だが逆に言えば、それはお前にしか出来ない。…それだけは強く肝に銘じておくんだな」
「…分かった」
…全ては、過去と未来の産物。
これもそのひとつに過ぎない。
だが。
マリィと自分に関わることなら知っておきたい。
…否、“知っておきたかった”。
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