中編

「学校」



「こら! 植村、お前何寝てるんだ。顔洗ってこい」


「え、うぇ!」


 俺は肩をびくっとはねらせ、先生の声で目を覚ました。……周りをきょろきょろ見回すと、クラスの全員が俺を見つめている。あぁ、ここは学校か。やらかした……。


 あれから一週間。連日連夜、中野ちゃんの夢を繰り返して見るようになった俺は睡眠不足に陥り、授業中も居眠りをすることが多くなっていた。


 ちなみに繰り返している夢は最初に見た、化け物の出る悪夢の方で中野ちゃんが苦しめられている夢だ。それをただ眺めているだけの悪夢は精神が削られ、体調にも影響が出始めている。

 中野ちゃんも最初の夢の時とは打って変わって、衰弱してきているような様子を覚えて、時間がないのではないかという不安をかすかに感じていた。



 先生に顔を洗ってくるように言われた、次の休み時間。彼女のことが気になって、仮眠をとることもできない俺は、うつうつと顔を机に押し付けていた。俺はどうすればいいんだ。


「翔太、ここのところどうしたんだ? 体力バカのお前にしては、珍しく元気がないな」


 そんな風にぼーっとしていた俺に、友人が話しかけてきた。いつもは教師のモノマネやテキトーな馬鹿話で盛り上がるのだが、そんな元気も今の俺にはなかった。


 顔をあげ、友人を見る。結構こいつオカルトとか知ってたよな。バカ騒ぎはするけど、こいつは中野ちゃんと張るくらい頭がよかったはずだ。こいつに聞いてみるか。


 今までこんなバカげたこと人に聞くつもりもなく、一人で解決しようと思っていたが、それじゃ何か手遅れになる気がした。


「……なあ、夢で人と会うことなんてできると思うか?」


「翔太。なんかあったのか」


 友人は深刻そうな俺の顔を見ると、茶化すこともなく真面目にこちらに顔を近づけてきた。


「……いや、な。なんつーか、中野ちゃんの夢を見た」


「中野ちゃん……中野ちゃんって、副会長か? いったいどんな夢見たんだよ」


 現在、中野ちゃんのうわさで学校中は大騒ぎしている。少し顔をしかめて、友人は声のボリュームを下げた。


「……なんかうまく説明できる気しないけど、いいか」


「覚えてる分だけでいい、話してみろよ。気になるわ、能天気なお前がそこまで悩む夢なんて」


「……能天気で悪かったな」


 俺は中野ちゃんの夢を話した。おぼろげで、よくわからないところをつっかえつっかえしながら。


 真っ白な世界に中野ちゃんがいて、悪夢を繰り返してる。家や変な教室に化け物が出てきて。中野ちゃんがそれを倒そうとしたけど、倒せずに。そしたらどうしてか、その化け物が母親になって。突然別の中野ちゃんが現れて、リセットするっていうんだ。


 そんなことを脈拍なく、でもできる限り詳細に伝えた。そうしないと伝わる気もしなかったし、自分の中にこもったぐちゃぐちゃとした感情を吐き出したかったってのもあった。


「やけに細かく覚えてるもんだな。それで夢の内容は全部か?」


「……いや、まだある。これは先週の話で。一回だけ、中野ちゃん本体に会う夢見てさ。前髪長くて、頭もぼさぼさで様子がおかしいんだよな。ひなって呼んでくれとか、結構なため口で。この世界から抜け出すには、母親を殺さなきゃいけないって言うんだ。

 なんだろうな、真っ白い空間で中野ちゃんが手をかざしたら、周囲が真っ暗くなって。俺はそれについていこうとするんだけど、中野ちゃんが俺はそっちにいけないって言って」


 友人は俺の話を聞いてうーんと悩みこんで、腕を組んだ。眼鏡をくいっと上にあげる。


「おかしな夢だな。お前の夢にしては想像力豊かすぎるし、やけに細かい」


 一言感想をつぶやいた。俺もその呟きに頷く。


 変な夢だ、それも信じられないくらい奇妙で恐ろしい夢。想像力がないのは自分でもわかってるし、悪夢なんて一切見たことないから、何で自分がこんな夢見たのかって混乱するくらいだ。


「……ずっと、先週からその夢を繰り返してみてるんだ。所々内容が変わって、だんだん中野ちゃんがおかしくなってきてる。でも、抜け出す手立てが見つからない。それにただの夢だとも思えなくなってきてる。何か、こういう時の手立てとかあるか?」


 俺がそういうと、また黙って考え込む。話を頭の中で整理しているようだ。


「……少し話を聞いていて、気になったところがある。まず、お前が一回だけ見た副会長本人に会った夢だが、どうしてその相手が副会長だなんて思ったんだ。おかしいだろ」


「…………何が?」


「どう考えてもそいつ副会長じゃ、なくないか。そもそもどこら辺に副会長要素がある。あのぴっしりした格好、几帳面な生活を心掛けていた副会長だぞ。たとえそれがお前のただの夢だったとしても、そんなにイメージが変わることなんてありえないだろ。

 なら、そいつは副会長じゃない『別の何か』だ。お前がどうしてか、そう思い込んでただけだろ」


 ――別の何か?


 友人の話す言葉でやっと気づく。


 確かにあの少女は見た目も中野ちゃんとは違っていたし、「ひな」と名乗っていた。口調も何もかも違ったんだ。時々感じていたはずも違和感も、別の夢を繰り返しているうちに忘れてしまっていたんだろう。


 なら、いったいあの少女は何だっていうんだ。俺はどうして彼女を中野ちゃんだと思っていたんだ。


 そんな感じで考え込む俺に、友人は次々と疑問をぶつけてくる。


「それに、お前副会長が母親に襲われているシーンを夢で見たって言ったよな。確か殴られてたんだったか。お前も知ってると思うが、重体になった理由は鈍器による殴打じゃなかったぞ」


 殴られてた? そうだ、中野ちゃんが最後に母親に襲われるシーンは、打撃音と血で、いっぱいになってわけがわからなくなったんだった。

 ……中野ちゃんが重体になったのは、確か、刺傷で。あ。


「……そういえば。……まるで違和感なかった」


「所々で、お前の知っている事実と夢の差異があるみたいだな。それがその少女の素性に関連しているのかもしれない。そいつも「ひな」と名乗ったんだろう? ……これが物語の一つだとするならその少女が黒幕で、そいつをどうにかしないとお前は、その夢のループから出られないってことになる」


 副会長とその「ひな」の意識が溶け込んでいる可能性もあるな。区別がつかなくなってるなら。

友人は独り言のようにつぶやいた。


「……もしかしたら、副会長もその少女にとらわれている……なんてな。悪霊は仲間を作ろうとするらしいからな。まぁ、完全な仮定、想像上でしかない。だが、もし本当ならやばい。気をつけろよ」


 友人は付け加えるように、副会長の容態とお前の体調が目に見えて悪くなっていることが気になると話した。寝るときは部屋の四隅に盛り塩でもしてみろよ、と。



「……いや、すげー参考になった。あと、聞きたいことがあるんだ」


 ある程度話を聞き終え、俺は最後に真剣に背筋を正して、友人の顔を見る。


「改まって、なんだよ」


「夢の中の中野ちゃんに接触するにはどうすればいいと思う」


 少しは自分で考えろよ、とあいつは少ししかめっ面をした。





 そこはぼんやりと暗い闇の中だった。突然の闇に混乱する……。あれ、俺は教室で授業を受けていたはずなのに……。


 小さな明かりが一つ。ポツンと灯る。小さな影が二つ、そこにあるのが分かった。

 そして、大きな影がその影を遮った。人の影だろうか。


「……なに、これ。お人形?」


 つぶやく声で、視界の焦点があった。霧が晴れるように、周囲が見える。呟いた人間の顔も見えた。あれは……。


「……中野ちゃん?」


「え⁈ 誰、どこに居るの」


 彼女は俺の声に気づくと周囲をきょろきょろと見回して、叫んだ。何かおびえているみたいに。俺の意識もくっきりとして、自分の輪郭がこの世界で浮かび上がっていく。


 ――これはあの夢だ。それもちゃんと当事者として中に入ってる。友人の言う通りに、中野ちゃんの持ち物を持ったら、入れた。


 俺は中野ちゃんの方に近づいてまた、中野ちゃん、と声をかけてみた。彼女がこちらをくるっと振り返る。制服姿で髪が結ばれておらず、腰までの長い髪がふわりと舞った。


「…………」


 中野ちゃん、いやひなだろうか。


 彼女は俺と目を合わせると、一瞬焦点が狂った。彼女自身の輪郭がぼやけて。そして、瞬きを一つすると。


『「『「植村君? え、どうして家うちにいるんですか?」


 ……、彼女の背後に、何人もの少女の陰影が見えて、消えた気がした。なんだ、いまの。憑き物がとれたみたいに中野ちゃんだけがそこに残ったみたいな感覚。


 俺は試しに彼女の名を呼び掛けてみる。彼女が本当に中野ちゃんなのか知りたかった。


「……ひな」


「……ひな? え、え、え? ひ、ひなって私ですよね。……その呼び方止めてくださいって、この間言ったじゃないですか」


 俺がひなと呼ぶと、中野ちゃんは困ったように、顔を赤くしておろおろと混乱し始めた。あぁ、彼女は俺の知ってる中野ちゃんだ……。


「どうして植村君がここにいるんですか。ここ私の家ですよ」


「…………いや、これ俺の夢だと思う」


 俺は彼女があのループの中にいるんだと、その言葉で理解した。


「へ、何言ってるんですか。植村君の夢? よくわからないです」


「いや、中野ちゃんの夢でもあるのかもしれない。中野ちゃん、お母さんとお父さん探してる?」


「は、はい。そうですけど」


 夢の通りなら、両親を探して外に出る前ってことか。


 ――ジジジッッッッッ、ビビッ、ジジ、ジジッッッ。


「え、電気が」


 俺が考えこんでいると、電気のあかりが急にジラジラと不安定になった。


 ……嫌な予感がする。あの化け物は夢の中では一番最初どこから出てきたんだった?


「中野ちゃん、こっちだ」


 俺は話についてこれてない中野ちゃんの腕をつかむと、一気に家の中から外に出た。


 彼女の家の庭を走って通り抜け、通りに面した道を軽く進んで、彼女が隠れていた電柱の影に身を潜める。外に出た風景も夢で見たのと同じで、あぁもう、これはいよいよただの夢だとは思えないと感じた。


 ――ゾワッ。一気に寒気がする。


「植村君、どうして外に出てきたの? ……きゃっ!「しっ」」


 俺が物陰に隠れたのをいぶかしんで、彼女が質問してきた。


 でも、あの化け物を――夢の中とは言え、見ていた俺は、これから訪れるだろう予感に身体を震わせていた。そのまま彼女の身体を、電柱の奥に深く押し入れて、その後ろから抱え込むように、俺も隠れる。


 しばらく待つと、やはりあの化け物が家から出てきた。恐ろしい速さで、通りまで抜け出てくる。


 黒い渦、ニコニコと笑う能面。その身体から生える奇妙な人間の手足。その見た目は、一度夢の中で見たからといって簡単に受け入れられるような代物ではなかった。

 周囲を這いずりまわるように、見回す。中野ちゃんを探しているのだろう。


「ひっっ!……」


 彼女の口を抑えて、あの化け物に気づかせないように動く。恐ろしさに負けて息が荒くならないよう、ゆっくりと静かに息を吸うことに努める。夜の静けさがやけに恐ろしい。抱え込んでいる彼女のぬくもりと、はねそうなほどに高鳴る心臓の音を聞いて、俺は一人じゃないと意識する。


「vuaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!」


 化け物が大きく叫び声をあげた。蜘蛛のような、しかしそれぞれが人間の手足をつなげた奇怪な六本の巨大な手足で周囲をぐるぐると回っている。月の光がまばゆく射して、その化け物の色味をくっきりと俺の目に焼き付かせた。


 赤と青の血管が体中に張り巡らされて、薄く透けている。体中に張り付いた能面の色は灰色、濃朱、肌色、黒。顔に位置する笑う女面は、口元がまるで血のように赤い。


 夢で見た時よりもいっそう気持ちの悪い、絶対に近づいてはいけないものだという予感をこちらに味合わせるような見た目だった。俺にある程度ホラー耐性があるからよかったものの、普通の女子高生だったらあんな化け物に出会ったら、気が狂ってしまうよな、とかすかに思った。


 そこで目線を中野ちゃんの方に向けると、完全に固まってしまっている。しかし、慰めようにもあの化け物がここから離れようとしないので、俺は軽く彼女の腕を握った。すると、中野ちゃんはこっちをちらっと見上げて、少し安心したように顔を下げた。


 そんな中でも、化け物は動き回っていた。やっぱり何か探している。


 ――ガシャン! ガシャガシャ、カラン、ガランガラン。


 大きな音が鳴り響いた。まるで豪快にガラスの瓶を地面にたたきつけたみたいな音。


 その音に反応して、化け物はその音の方角に進んで行った。少し変化しているところもあるが、夢で見た流れとほとんど一緒だった。


「中野ちゃん、ここから出よう。ここは現実じゃない。夢なんだよ、中野ちゃんは」


 化け物の姿が消えたのを確認して、俺は彼女に呼びかけた。中野ちゃんがちゃんと自覚すれば、この夢から目覚められるのではないかと思って。

 しっかりとこの状況を彼女に説明して、どうにかこの悪夢から目を覚まさせようと。あの悲しいループから抜け出すことができるのではないかと思いながら。


 ――しかし。その言葉の途中で。


『邪魔しないで』


 「ひな」が出てきた。


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