翔太編
前編
「夢」
ーーはっ。
目が覚める。そのまま、無理矢理起き上がった。
「……何だよ、今の夢」
頬から涙が一筋溢れていた。
布団に手を当ててみると、眠っている間にかいただろう汗で濡れている。
俺が今夢で見たのは、中野陽奈と言うクラスの女子のこと。友人だった。
彼女は、先日ニュースで流れた事件の当事者。
彼女自身は意識不明の重体であるとの報道がされていたが、どうにか一命はとりとめ、現時点では意識不明のまま沙汰を待つ状態となっている。家族間トラブルによるものではないかとという疑惑の生じる情報が流され、学級内でも様々なうわさが流れていた。
だからだろうか、こんなに悲しい夢を見たのは。
初めて知った時は衝撃に、眠ることができなかった。当たり前のように、近くにいてついこの間まで話をしていたというのに、どうして気付いてやれなかったのか。その思いが夢に現れたのかもしれない。
「……中野ちゃん、大丈夫なのか」
俺は彼女のことを中野ちゃんと呼んでいる。彼女はいつもひっつめ髪で両脇に前髪を垂らし、いかにも優等生といった格好をしていた。へらへらしている俺とは正反対の真面目な子。
そんな彼女と友人になるきっかけは、俺がノリでクラスの代議員になったことだった。
副会長がクラスにいるからある程度は大丈夫だろうというテキトーさで、女子の代議員も決まり、要所要所のことはなぜか彼女に任せっぱなしという状況。彼女は押し付けられるままに実務をこなしていた。俺はそれに耐えられず、自分から彼女に声をかけた。
『ごめん、それ代議員の仕事だろ。集計作業かな、なんかやることある?』
『……ありがとう、ございます……。……でも』
『いやー、俺あんま頭よくないけどさ。体力だけはあるから、猫の手よりは役に立つよ、俺』
『え、あの役に立たないって訳じゃなくてですね』
『ほら、どうすればいいの?』
『………そこの、ダンボールを運んで頂けると助かります』
同級生なのに、ずっと敬語。身体をガチゴチに固めて。普段副会長をしているときは、できるやつって感じでスルスルしゃべっているのに。
そこから彼女の不器用さが気になり始めて、声をかけるようになった。結構彼女は面白い性格をしていてそれに博識だったので、性格が真逆でもつまらないと思うことはなく、いろんな話で盛り上がった。
時々は勉強を教わったりして、それも彼女の教え方がものすごくうまかったので、成績もずいぶん上がったものだった。
……そういえば、彼女は教室の窓から空を見上げて、儚そうに笑ってた。あれが彼女の苦しみを示していたのだろうか。
思い出して、また後悔しそうになった。頭を振って考えないようにする。今こんなこと考えても、仕方ないだろう。
「……、それにしてもひどい夢だった」
リアルすぎた。化け物といい、中野ちゃんといい、まるで実際に存在しているかのようなリアリティ。
中野ちゃんが化け物に追われている姿や、変な学校で隠れている姿。そして、化け物が母親だと知って、全てを諦めてしまった姿。優しい彼女にはそんな悲しいことを受け入れるなんて、できなかったのだろう。
彼女の気持ちが俺にまで流れ込んできて、悲しくてたまらなくなった。
♢
その夢を見てから少し立った日の夜。
『どうして、あなたがここにいるの』
俺はどうしてか。彼女の夢をまた見ていた。今度は傍観者としてではなく、当事者として。
真っ白な世界で突然目が覚め、目の前で浮いたように動いている彼女に、俺はたまらず声をかけた。
彼女は病院にいるはずで、そしてこの間見た夢と状況が似通っていたから夢だというのはわかっていたが、そこに彼女がいるのに、声をかけずにいるだなんてできるわけがなかった。
そこで返ってきたのが、この言葉。つっけんどんで、全くこちらに配慮のない話し方。
「……お前、中野ちゃんなのか?」
俺の前にある少女ー多分中野ちゃんは、見た目は似ているけれど、いつもと様子が違って三つ編みじゃなくて髪を背中に垂らし、前髪も長く、ボサついて。
それに何といえばいいのか、そう……性格がツンツンととんがっていた。神経を張りつめ、自分が傷つけられないように虚勢を張っている少女というように。……これは本当に彼女なのだろうか、俺は少し疑問に思った。
彼女と言えばいつも真面目に、敬語の、ですます口調。俺がやめろと言っても少し間違えれば、すぐに元に戻るような子だった。……俺がため口でいいと言うと決まって、言葉がおかしくなって。
気にしすぎなくらい気にしすぎで、周囲に気を使っては疲れていたイメージがあった。少しの失敗で、まるでどん底にいるくらい落ち込んでいる彼女に毎回、気にするな、中野ちゃんはすごく頑張ってた、と伝えていたほど。それぐらい優しくて、頑張り屋の。
そんな風に微かな違和感を感じていた俺を、彼女は訝しげに見て言い返した。
『……? 私はひなよ。ひなって呼んで』
「ひな……。そう呼んでいいのか? 前そう呼ぼうとしたら恥ずかしがって、止めてくれって叫んでたじゃないか」
『……そんなこと、あった?』
中野ちゃんは不思議そうに首を傾げて、こちらを見る。その瞳は暗く濁っていて、普通の状態ではないとすぐわかった。少し、背筋がぞくっと凍るような感覚を覚えた。……記憶が混乱しているのだろうか。
「…………いや。ひな、お前ここで何してるんだ」
『運命を変えようとしてるの』
「運命を変える?」
ボーっと独り言のようにぽつりと、彼女はつぶやいた。
『お母さんを切り離さなきゃ、私は生きられないから。この悪夢から抜け出すことができないの』
彼女はまた歩き出す。ブツブツと口ごもるように、じゃないとずっとこのままだと繰り返して。
その様は完全に狂った人間でしかなかった。
俺は真っ白い世界に置いてけぼりにされそうになり、慌ててその後ろをついていく。彼女の足は歩いているように見えて、恐ろしく早かった。足早にペタペタペタペタと歩く。
「なあ、これってやっぱり夢なのか」
俺はその背中に問いかけた。しかし、彼女は無言で通り過ぎていく。
俺がしつこく追いかけて、何度も同じことを問いかけるとピタッと急に立ち止まり、やっと返事をくれた。彼女の影は濃い。
『……夢なのかもしれない、でも現実なのかもしれない。私にはわからない。でも、私はずっとここに閉じ込められて抜け出すことができない』
「……抜け出すために、母親を殺すことが必要だって言うのか?」
俺がそう聞くと、ギョロリと彼女は俺を凝視する。その眼は血走っていて。そして俺はその背後に何重にも重なる影を見た。夢なのに、どうしてこんなに恐ろしく感じるんだろう。
『私はお母さんに殺された。私の中にお母さんを思う執着の鎖があるなら、断ち切らなきゃ。……あんな人もう要らないの』
痛かった、苦しかった、ずっと助けてほしかった。でも、助けてくれやしなかった。誰も。
『あなたも、私を助けてくれやしなかった』
「…………」
がらんどう。何も見えない洞窟の暗がりを強制的に覗かされた気分だった。
彼女の言葉はもっともだ。誰も彼女を助けてやることができなかった。それを否定するような言葉なんて出ない。出るわけがない。
それに中野ちゃんの絶望をわかってやることも、俺には出来ない。でも……。
彼女はまた下を向いて、歩き出した。いったい何をそんなに見ているんだ。彼女だけに見える何かがこの下にあるんだろうか。
そういえば、あの夢も始まりはこの場所だった。あの夢では……、この後。
先を歩く彼女の、俯いた後ろ姿に声をかける。
「今から何が始まるんだ」
『……やり直すの。あの日の悪夢を。私がお母さんに打ち勝つまでずっと』
彼女はそして、小さく腕を下に振った。それはまるで、ゲームマスターがスタートの合図を切るごとく。
そしてボドンッと一瞬で、周囲が闇に飲み込まれた。……しかし。
『……あなたは来れないのね。もう二度と来ないでね』
闇の中で、彼女の声がした。俺がそっちーーあの悪魔の先に行くことが出来ないと告げていた。
その声は、それを嬉しがっているようにも聞こえて。邪魔者は要らないってことなのか。
でも俺は、猛烈にその声に反抗したくなった。なんで、俺がそっちに行けない事を嬉しがるんだよ。普通一人より二人の方が良いだろ!
「待て!!!! ひな!!!!!」
暗闇にやみくもに手を伸ばして叫んだ。ひなのいただろう方向に。
しかし、俺の夢は覚めてしまった。手を伸ばした先は、自分の部屋の空中。……届かなかった。
けれど、俺はまたあの夢を見るような気がしていた。それは確信に近いもの。
中野ちゃんが俺を呼んでいるんだと思った。俺はいったい、どうすればいい。
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