頂の景色

 見上げる程に高く聳え立つソレ。見上げる僕は登り切れるかどうかと思わず唾を飲む。だけどその頂上から見渡せる景色と達成感を想像すると心が叫ぶんだ。『登れ』って。


「やってやる」


 僕は心の声に返事をするように呟くと早速手を伸ばした。握るのと同時に掌に広がる冷たい感触。それを感じながら腕に目一杯の力を入れ、一歩踏み出した足と共に体を持ち上げた。

 限界まで持ち上げたら次は反対側の手を伸ばす。足も上げる。そして最後は体を引き上げるように。

 あとはその作業を最後まで繰り返すだけ。それだけ。だけど登っていくにつれてそれがそう単純ではないという現実が僕を襲った。

 半分ほど登ったところだろうか。両方の手がまるで何百何千と必死に素振りした野球少年のように痛くなり始めた。腕も力の入れすぎて筋肉が張ってきてる。それに加え息が上がり疲れが溜まってきている。僕は両足と片手で体を支えると少しでも痛みと疲れを払うようにもう片方の手を振ってみるが多少程度の効果しかない。だけどもう片方も。

 手を振ると、ふと僕は登ってきた道を確認するってわけではないが下を見た。地面とはだいぶ距離がある。もし間違ってでも落ちてしまえば――。想像するだけで身震いがする。その瞬間、恐怖が僕の背中から絡みつくのを感じた。まるで僕を落としてしまおうとしているように。

 疲れとは関係なく更に心臓が速まる。体を支えながらも微かに震える両手足。

『やっぱり諦めた方がいいんじゃないか?』と弱気が僕の心に現れ誘惑するように囁く。

 その声を聞いていると段々、最初の頃にあったやる気と気合が身を顰め始めた。


「やっぱり……僕にはまだ……」

『ほら! お前も登って来いよ。最高だぞ』


 その時、昨日夕日に照らされながらその頂上に立つあの人を思い出した。彼は僕より少しだけ大きな体でこの頂上に立ち、真夏日の太陽よりも煌めいた眼差しで辺りを眺めていたあの人。そんなに表情を輝かせながら見ているそこからの景色は一体どれほど綺麗なんだろう? まるで世界一の財宝を見つけたようなその双眸が見ているのは一体どんな景色なんだろう? それが知りたくて僕は登り始めたんだ。


『俺に出来たんだ。お前にも出来る』


 そうだ。あの人が言ってくれた。僕にも出来る。その言葉を思い出すだけで弱気なアイツはそそくさと逃げ出し背中に纏わりつく恐怖は死の世界へ帰るようにスッと消えた。


「よし! やってやる!」


 僕は気合を入れ直すと今まで通りの動作で再び登り始めた。一歩一歩確実に登っていく。

 だけど上に行くにつれて手も腕も足も更に疲れてきた。それに息も大分上がってる。

 でももう少し。もう少しで。

 憧憬、願望、興味心。僕を突き動かすモノが何であれそれのおかげで僕はどんなにキツく疲れていても、どんなに止まってしまいたいと思っても手を伸ばし足を上げ、体を持ち上げることが出来た。全てはあのスポットライトを浴びたように輝く場所へ行くため。


         * * * * *


 登り始めてからどれくらい経っただろう。いや、そんなことはどうでもいい。

 僕はついにその場所へ手を伸ばしたのだ。右手で掴み左手でも掴む。両足も配置につけばあとはそのまま体を上まで運んであげるだけ。

 ついに僕は憧れ続けたこの場所へ――この頂へ立った。でも疲れてたし危ないから縁に腰を下ろし両手でしっかりと支えながら念願の光景を一望した。


「わぁ……」


 思わず零れる声。あの日のように夕日が辺りを焼き尽くしたその景色は、紛うことなき絶景だった。

 あの人もきっとこの景色を見てあんなに表情を輝かせてたんだと思う。いや、絶対にそうだ。だって僕の宝物を詰めた箱に入れたいぐらい最高の景色なんだもん。陽光を受け宝石のように輝く大海原にだって妖精たちのお祭りみたいに沢山の桜が舞う花見にだって負けない絶景。

 正直、絶景なんてたった二文字には収まり切らないけどその溢れた分は決して文字や言葉じゃ伝えられないモノ。実際に体験してみないと分からない部分だから仕方ない。それにきっとこういう景色を見た人がそれを伝える為に生み出したんだろうからその感覚を――『絶景』を信じよう。少しでも僕の感動が伝わると良いけど。

 まぁでもとりあえず今は自分の為にこの絶景を堪能しよう。


「蓮ー!」


 しばらくの間、夢中でその景色を眺めていると下の方から僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。僕は景色から視線を逸らし下を見遣る。

 そこには色々入ったエコバッグを腕に提げたママの姿があった。


「帰るわよー。下りてらっしゃい」


 僕は落ちないようにしながら慎重に頂上から地面へ下りていく。名残惜しい気持ちもあったしもっと眺めてたい気持ちもあったけど仕方ない。

 久しぶりに地に足を着けると隣でママが足を止めた。僕はついさっきまで上っていたソレを指差しながらママを見上げる。

 そして自信満々に自慢した。


「ママ! 僕、このジャングルジムの上まで一人で登れたんだよ! でね! でね! そこからの景色がすっごく綺麗でね! ママにも見せたかったなぁ」

「ほんとに? すごいわね」


 ママは優しく僕の頭を撫でてくれた。


「でも気を付けないとダメよ?」

「うん!」

「それじゃあ帰りましょうか。あっ、そんな頑張った蓮君へのご褒美として今日の夕飯はハンバーグよ」

「やったー!」


 僕は両手を上げて喜んだ。ハンバーグは世界で一番好きなんだ。特にママの作るハンバーグはとっても美味しいんだ。


「さぁ帰りましょうか」

「うん!」


 そして僕はママと手を繋いで家に帰った。

 きっと今日のこの景色は大人になっても忘れないんだろうな。

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