翼の消えた飛行機

 私が大空に憧れたのは幼い頃だった。何故かは分からないが一面に広がる大空に心惹かれていた。いつかあの海より軽い青を自由に駆けたい。そう思うようになった。

 あれから私は順調に成長していき、ついには念願のパイロットになることが出来た。初めて飛んだ時の――初めて大空を駆けた時の気持ちは今でも忘れないしこれからも忘れないだろう。その時の私はまるで玩具が一杯詰まった箱をプレゼントされた子どもように目を輝かせていたに違いない。

 それから私は色々な所へ飛んだ。自由気ままに。毎日、毎日。恐らく地上より空に居た時間の方が長かったはずだ。それ程に飛んでいた。

 大空は良い。地上のようにビル群に囲まれ窮屈な思いをしなくてもいいし、無闇矢鱈に人とすれ違うこともない。雲の上に行けば晴れ渡りそこはまるで天国。嘘のような話だがいつも私は機内に居ながら風を感じていたし何より大空を感じていた。

 私は大空が大好きだ。飛行機は体の一部のように感じていたし、大空は故郷のように愛していた。大空こそ私の生きる意味であり人生そのものだ。


 だが――だからこそ今の私は生きる目的がない。随分と年老いた訳ではないがそれなりに歳を重ねた私はある日、病気になってしまった。その所為で医者からはもう二度と飛べないとハッキリ言われてしまった。もう二度と飛べない。

 その日以降私の人生から大空は消えた。

 それから飛べなくなった私がしていたことと言えばただ酒を飲み大空を見上げるだけ。だがその視線は以前の憧憬に満ちたものとは違っていた。まるで綺麗な青と白は掻き消され灰色一色になってしまったように今の私にとって大空は魅力的ではなくなった。

 しかしそれでも毎日酒を飲みながら見上げる。見たいものはないから何となくつけているだけの名前すら知らないテレビ番組のようにただ見上げていた。それが私の日課。

 時折、空を飛ぶ飛行機を見かければ瞬く間に視線は羨望を身に纏いそれを無意識で追った。そして決まってため息を零す。

 そんな日々を送っていた私は最近考えるようになった。人生そのものと言っても過言ではなかった空を失った今の私に生きる意味はあるのだろうか? 元々私は人の人生というものに意味はないと思っていた(もちろん遺伝子を残すなどの生物的側面を除いてだが)。だから個人的に見つけた意味を糧に人は生きるのだと。私にとっての大空のように。

 だがそれを失った私にもはや気力も含め意味はない。


「今は意味なんてなくても生きてれば見つかる。だから生きろ」


 ふと子どもの頃に(高校二年ぐらいの時)見たドラマのセリフを思い出した。(記憶は定かではないが)確か、最愛の妻を亡くした主人公へ親友が向けたセリフだった気がする。主人公はそれから生きがいを見つけ(それが何かは覚えてない)立ち直ったとかいう展開だったはず。

 だがその主人公と違って私には最愛の妻も親友はおろか友と呼べる人間もいない。人付き合いが億劫な上に出来る限り避けてきた結果だろう。それに私にはただ大空があればよかった。

 その空を失い私は完全に人生の目的を失った。まるで嵐に――いや、そもそも私はもう飛べない。嵐どころか翼が無いんだ。翼の無い飛行機に炭酸の無いビール、大空の消えた人生。そんなものに価値はない。

 つまらない一日を過ごすだけの日々など拷問だ。私はそんな人生に価値を見出すことはできない。残念ながら元々、人生に対して生きると言うことに対してそこまで希望的な考えを持っていない(かと言って絶望的かと言われればそうでもないが)。それ故に私は唯一の光を失った時点で暗い中を歩き新たな光を探し求めることなどしたいと思わないのだ。そこまでして生きる意味があるのかと問いたくなる。

 だがこうして今日も酒を片手に大空を見上げているのは何故だろうか? 私自身にも分からない。

 だから明日は酒を飲み大空を見上げているか首を吊っているかのどちらかだろう。あればその次の日も。そのまた次の日も。

 でももしそうすれば私はもう一度、あの大空を飛べるだろうか? 飛行機なしで。もしそうなら魅力的であることは確かだ。

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