石蹴り

 私は今日も仕事を終え帰路についていた。電車を降りると駅から距離のある家へ歩き出す。今の会社に勤め始めてから長年通ってきたもはやルーティンと言っても過言ではないルート。目を瞑っていても家まで行けてしまいそうな程に通った道。そこを今日も例外なく歩く。

 だが今日はいつもと違う変化があった。

 いつもより少しばかり疲れた体で歩いているとふと落ちている石っころが目に留まった。それは大した変化でもなければ、特別なにかある訳でもないそこら中に転がっている石っころ。

 何となく、私はその石っころが足元まで来ると蹴り飛ばした。最初は勢いよくそして徐々に減速する石っころの転がりは綺麗な丸じゃないせいでぎこちない。

 その石っころが止まると後を追い足を進めた。そして再び、次は少し強めに蹴ってみる。石っころは二バウンド目で大きく跳ねあとは小刻みに転がった。

 その様子を眺めながら私は懐古の情に駆られ喜色を浮かべた。


「子どもの頃もこうやって石っころ蹴ってたな」


 記憶のアルバムを捲りながら後ろを振り返る。子ども頃に通った道じゃないが、向こうから幼い自分が駆けてくるのが見えた。ただ毎日、その日が楽しければいいと全力で遊んでいたあの頃の自分。

 私は通り過ぎた自分を追い前を向くと石っころまで少し小走りで向かい軽く蹴飛ばす。今回、軽く蹴ったのはさっきみたいに強すぎると制御できず危険だからだ。なんて子どもの頃はしなかった配慮をする。


「私も大人になったな。というには少し年を取り過ぎた気もするが」


 だがまさかこんなことで自分の成長を実感することになるとは。なんて若干センチメンタルな気持ちになりながらも石蹴りを再開した。

 丸くない石っころはどこに転がるか分からずコントロールが難しい。だから一蹴り一蹴り丁寧にかつあまり力を入れ過ぎないように気を付ける。繊細な作業だ。イメージは一歩先で止まるぐらい。

 だが頭では分かっていても久しぶりだったから最初はあっちへ行ったりこっちへ行ったり。まるで反抗期の子どものように言うことを聞いてくれない。

 それでも不慣れな足つきで蹴っていると段々あの頃の感覚が戻って来た。全勢期の私が戻ってきたのだ。

 段々と楽しくなってきていた私は石っころを蹴ると足を止めた。


「あの日、突如として姿を消した石蹴り界の鬼才が再び我々の前に姿を現しました」


 そして一人妄想にふけり始めた。


「彼は今までどこで何をしていたのでしょうか? いえ、今はそんなことはどうでもいいでしょう。それよりもあの華麗なプレーで再び我々を魅了してくれるのでしょうか? 鬼才は未だ健在なのか? それともあれはもはや過去の栄光に過ぎないのでしょうか? さぁ、全世界が見守る中、開始のホイッスルが鳴り響きます!」


 私は小走りで石っころに近づくと出来る限りテンポ良くサッカーのドリブルのように蹴り進んだ。ラグビーボールのようにどこへ跳ねるか分からない石っころ。だがバスケットボールのように手で操れないそんな石っころを足だけで上手く扱うのが――例えあらぬ方向へ跳ねようが対応するのがこの石蹴りに求められるスキル。それを誰よりも上手く出来るのが、私が鬼才たる由縁なのだ。

 そしてそれは長い間この競技から遠ざかっていた今でも健在だった。意識せずとも動ける。どうやら体にすっかり染み込んでいるらしい。それもこれもあの血の滲むような努力の、血反吐を吐く程した練習のお陰だろう。


「ありがとう師匠」


 顔は全く思い浮かばないが、それっぽい人がいるはず。

 にしても少し息が上がってきた。全然走っていないのに。しかも小走り。どうやらスキルは健在でも体力は衰えているらしい。ならここから色々と見せ場がある予定だったが、それももういいだろう。

 私は足を止めると膝に手を着きはぁはぁと上がった息を整え始めた。老いを感じながら。

 その時、一人で変な事を呟き石っころを蹴りながら小走りしている姿を冷静になりながら思い出してしまった。すると運動不足ではない別の理由が心臓を強く脈打たせ始める。私は体を起こすと後ろを振り返り辺りを軽く確認した。


「誰かに見られてはなさそうだ」


 そのことにホッと胸を撫で下ろした。大の大人が石っころを蹴りながらテンションを上げ走っているなど恥ずかしすぎる。しかも一人で。最悪通報されてもおかしくない。とりあえず変な目で見られなくて良かった。


「さぁ、帰るとするか」


 そして私は足元にある石っころをあくまでも常識人として蹴り歩き始める。

 それからは特に何事もなく順調に石っころを蹴り進んだ。いつの間にか石っころもちゃんと蹴った方向に転がるようになっていた。二つの意味で丸くなったらしい。

 そんな出会ってからここまでの道のりを共にしてきた石っころ。いつしか私たちの間には友情が芽生え始めいた。彼の意志は分からないがきっと同じ想いだろう。そう思うと心なしか転がる石っころが「早く行こう」と言っているようで、その後ろ姿が可愛らしく見えた。

 そんな石っころに視線を落としながら足を踏み出す動作と共に蹴る。その一連の動作には一切無駄がなく、まるで川の流れのようにスムーズだった。そして思わず上達したなと少しドヤってしまうが、それは心の中だけだったので誰かに見られる心配はない。いや、もしかしたら少しぐらいは漏れていたのかもしれない。

 だがそんなことを考えていた所為か私は少し石蹴りを疎かにしてしまい少し強めに蹴ってしまった。勢いに身を任せた石っころは数歩先まで転がっていく。

 私はそんな石っころの先にあるモノを見ると思わず目を見張った。転がる先で彼を待ち構えていたのは下水溝。普段なら特に気にも留めない下水溝だったが今の私には獲物を求め大きく口を開くバケモノに見えてしかなかった。底なし沼より深い暗闇と獲物を確実に捕らえる牙。極限にまで動きを抑えているが時折、呼吸に揺れている。

 そこへまるで好奇心旺盛な子どものように石っころは転がっていった。


「ちょっ、待って」


 私は思わず焦った声を出してしまった。それに加え届くはずもない手を石っころへ伸ばす。

 もしそこに落ちてしまえばもう永久に戻ってこれない。この道をもう二度と一緒に歩けなくなる。そう思うと周りの目などどうでもよく私は慌てて走った。今ここで彼を止めないともう二度と。

 何も知らぬ赤子のように恐怖が蠢く口へコロコロと転がる石っころ。私が止めなければ。その想いと共に脳裏では彼と歩んできたここまでの想い出が走馬灯のように流れる。だが想い出が流れる程、終わりが近づいてくる気がした。そんな嫌な考え事ごとどこかへ飛ばしてしまおうと軽く顔を振る。

 そして石っころに夢中で何歩目かも分からない足を踏み出す。彼はもう目と鼻の先。というよりつま先の先。次の一歩で追いつける。しかし石っころにとっても魅惑の入口は目の前。

 私は焦る心を心臓の動きに合わせ感じながら出来る限り早く足を前に出す。私が教えてやらねば。それが彼の思っているような素晴らしい世界への入り口ではないことを、人を惹きつける笑顔を浮かべたその背中では鋭利なナイフを握っている存在であることを。

 空中を駆ける茶色い革靴。体を傾け始め飛び込もうとする石っころ。

 出来るだけ素早くだが触れる瞬間は生まれたての我が子を抱くように優しく。

 私はそのまま勢いに体を引っ張られゴールテープを切るか如く下水溝を通り過ぎた。数歩通り過ぎたところでブレーキを掛け立ち止まる。足に石っころが触れる感触はあったが既に瀬戸際。僅かな衝撃でそのまま呑まれてしまった可能性もある。

 体に普段かけない負荷をかけたのと不安によりバクつく心臓を原動力にするように素早く振り返った。

 そこには下水溝の穴とその一歩手前に佇む石っころの姿が。完全ではないが随分と丸くなった灰色の姿に私はホッと胸を撫で下ろした。


「無事でよかった」


 私は胸を撫で下ろし誰にも聞かれぬよう小さく、小さく呟いた。

 ここまで来れば家はもうすぐだから最後まで彼と一緒に。その想いは何気なく蹴り始めた時とは比べ物にならない程に膨れ上がっていた。私にとってもはや彼は相棒。

 さぁ、二人で残りの道を歩き帰ろう。石っころを見下ろしながらそう心の中で呟くとここまでそうしてきたように石ころを蹴ろうとした。

 だが私が足を上げたその時。どこからか転がってきた石ころが私の石ころに当たりビリヤードのように下水溝へ突き落してしまった。それを見た瞬間、私の内側を支配したのは怒りか絶望か。いや、もはや酷く入り混じり溢れすぎた所為でそれがどんな感情なのかすら分からない。

 だたひとつ言える事は、私は絶対にこの殺人鬼を許さないという事だけだ。いや、正しくは殺石鬼。例え残りの人生を刑務所で過ごすことになっても私は決して許すことは無い。そこでやっと分かった私の中に溢れていたのは激しい怒りであり復讐心だと。

 私はマグマのように煮えくり返った怒りを抑えながらその石ころが転がってきた方へ顔を向けた。まずはどんな奴かその顔を拝んでやろう。


「やった! ねぇ、見た? アタシってナイスコントロール。天才だわ。石蹴り界のスターだわ」


 そこにはガッツポーズをする女子高校生の姿があった。余程嬉しかったのだろう喜色満面だ。


「ねぇ? 聞いてるお父さん?」


 現実とは何とも残酷なんだろうか。そう、そこに居たのは私の娘だ。その姿を見た瞬間、私の怒りは吹いた風にそのまま飛ばされてしまった。そして同時にこう思ってしまった。一体、何をやってるんだろうか。


「おとーさーん?」

「はぁ。そんな子どもみたいな事やめなさい。全く、もう高校生だろ」

「まだ子どもだけどね」


 私は一人の大人として冷静に現実へと戻ってきた。今になってみれば確かに楽しかったがこんな事で怒りを燃やすなど馬鹿らしい。ましてや娘に復讐などありえない。私は老後も妻と幸せに暮らしたいのだ。あんな石っころなんてどーでもいい。自分の娘の方が可愛いに決まってる。まぁ多少の想い入れはあるが単なる遊びだ。もう忘れたよ。

 そう自分の中で整理を付けた私は家へと歩き出した。そんな私の横へ小走りで並んだ娘と共に。


「あぁ。それと、今月のおこずかい無しな」

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