人生は選択の連続

 今日も目覚ましが僕の耳元で起きろと大声を出す。


「んー」


 唸るような声を上げながらも手を伸ばし目覚ましを黙らせる。


「はぁー。起きないと」


 そう呟くと目の前に四角い枠組みのメッセージが現れた。PCでよく見るそのメッセージに書かれていたのは、


『起き上がりますか? はい/いいえ』


 質問の下にある二つの選択肢。僕は『はい』を押し体を起こす。まだ眠い頭はぼーっとしてたけどいつものルーティンに従い足は洗面所へ。

 鏡に映る寝起きの自分を見ながら歯ブラシを手に取る。歯磨き粉を付け口まで持っていくとまたあのメッセージが現れた。


『歯を磨きますか? はい/いいえ』


 はい、を押し歯を磨き始める。

 歯ブラシを動かしながら窓まで向かうとカーテンに手を伸ばす。


『カーテンを開けますか? はい/いいえ』


 はい、カーテンを開けると一気に光が差し込み暗闇を追いやった。朝日の眩しさに思わず顔を逸らす。きっと吸血鬼もこういう気分なんだろう。なんて思いながら眉間に皺を寄せ窓に手を伸ばす。


『窓を開けますか? はい/いいえ』


 はい。窓を開けると同時に朝の爽やかな風が僕を祝福するように包み込む。その風に眠気は吹き飛ばされ心地よい気分に満たされていた。目覚ましに叩き起こされた時はこの世の地獄にいるような気分だったけど、今となっては起きて良かったとさえ思っている。早朝も案外悪くない。それをもっと早く知ることが出来たらよかった。

 少しの間、朝日と風を浴びながら歯を磨くと再び洗面台へ。


『歯を磨き終えますか? はい/いいえ』


 はい。歯ブラシを洗い元の場所に戻す。


『口を漱ぎますか? はい/いいえ』


 はい。口を漱ぎさっぱりとすると次は朝食の準備。今日はお気に入りのメニュー。クロワッサンと玉子焼きにベーコン。飲み物は珈琲。目の前に並んだ朝食はとても美味しそうでこれまた早く起きた甲斐があった気がする。そしてスマホで最高な朝食を更に最高にしようとポケットに手を入れた。


『スマホを取り出しますか? はい/いいえ』


 はい。スマホを取り出すとお気に入りのプレイリストを開く。


『音楽を聴きますか? はい/いいえ』


 はい。僕はランダム再生をワンタップした。スピーカーから流れ始めた最初の一曲に思わずゴンフィンガーを撃つ。そして少しその曲を聴いてから、


『珈琲を飲みますか? はい/いいえ』


 はい。まずは珈琲を一口。


『食事をしますか? はい/いいえ』


 はい。朝食を食べ始めた。サクサクのクロワッサンに熱々でふわふわの玉子焼き、こんがり焼けたベーコン。幸せな朝食時間をゆっくりと堪能した。

 それからその日は夜まで自分のやりたいことをやりたいだけやった。

 

『読書をしますか? はい/いいえ』

『youtubeを見ますか? はい/いいえ』

『映画を観ますか? はい/いいえ』

『ゲームをしますか? はい/いいえ』

『寝転がりますか? はい/いいえ』

『音楽を聴きますか はい/いいえ』


 はい。楽しい時間はあっという間で気が付けば外は真っ暗。


『ベランダに出ますか? はい/ いいえ』


 はい。クリスマスツリーの装飾のように星が輝いている夜空を見上げた。目に映し出された景色がそのまま体の中へ入り心に沁みるのを感じる。そんな星空を見上げながら僕は大好きな本を思い出していた。すると夜空はより一層素敵に見えてきた。思わず微笑む。

 今夜は好きな物だらけのご馳走にしよう。残してしまうかもとかは考えず好きな物を好きなだけデリバリーしよう。


『食事をしますか? はい/いいえ』


 はい。僕は目の前に並んだご馳走を一度見回す。寿司にチキン、グラタンにパスタ。ポテトにからあげ、エビフライにポテトサラダ。どれから食べようかワクワクしながら悩んだ結果。まずは寿司へ手を伸ばした。

 それからはまるで長い時間何も食べてない人のように頬張った。食べ物を口に運んでは次に手を伸ばしまだ口に入っているのに詰め込む。食べて。食べて。食べた。


「ふぅー。もう食べれない」


 まだ半分程残ったテーブルを見ながら、


『飲み物を飲みますか? はい/いいえ』


 はい。僕はお茶を飲んだ。口の中をスッキリさせるとテーブルの上はそのままにしてソファへと向かう。


『寝転がりますか? はい/いいえ』

『イヤホンを付けますか? はい/いいえ』

『音楽を聴きますか? はい/いいえ』


 はい。両耳にイヤホンを差しながらスマホを片手にソファへ寝転がる。はち切れそうなお腹に少し苦しさを感じながら目を閉じ音楽に身を任せた。そしてお腹が楽になるまでしばらくの間ゆっくりと休んだ。

 気が付けば眠ってしまっていた僕は耳元の音楽で目を覚ます。


『起き上がりますか? はい/いいえ』


 はい。音楽はそのまま僕はクローゼットへ向かう。


『この服を着ますか? はい/いいえ』


 はい。頭からすっぽりパーカーを着た。お気に入りのパーカーは着るだけで気分が上がる。自然と微笑みながらリビングに行くとまだお茶の残ったコップを手に取った。


『飲み物を飲みますか? はい/いいえ』


 はい。残り少ないお茶を一気に飲み干す。そして財布も鍵も持たずに、電気も消さずに家を出た。エレベーターに乗り一番上まで行きそこからは階段を使ってそのまま屋上へ。

 ひんやりと寒い夜。僕は少し身震いをするがそのまま中央辺りまで足を進めた。足を止め上を向くと満天の星空がどこまでも、どこまでも広がっている。まるで世界の中心にいるような感覚に自然と両手を広げた。


『寝転がりますか? はい/いいえ』


 はい。そのまま倒れるように寝転がる。

 夜空を眺めながら気が付けば耳に流れる音楽に合わせて鼻歌を歌っていた。次第に歌は鼻から口へ移動し気分だけだけどあのアーティストと夢のセッション。それは二曲分続いた。


「そろそろ。もういいかな」


 僕は一人呟くと、


『起き上がりますか? はい/いいえ』


 はい。体を起こすとそのまま欄干までゆっくりと歩いた。欄干に手を着けると眼前の光景は夜空から夜景に変わる。体の力を抜くように息を吐く。

 そして、


『柵を乗り越えますか? はい/いいえ』


 はい。向こう側へいくと後ろの欄干を手で掴み体を支える。縁に立ち下を見るとなぜか風を余計に感じた。

 僕は今日死ぬ。

 きっと僕は社会不適合者なんだろう。特に何か特別な事に挑戦しているわけでもないのに毎日が上手くいかず辛くて溜息ばかり、涙ばかりが零れ自分に嫌気が差す。こんな日々があと何十年も続くって考えたらもう耐えれる気はしない。だから終わらせることにした。会社には何も言わずサボったからスマホには沢山着信があった。だけどそれもどうでもいい。


「そういえば無断でサボったの初めてだ」


 今日死ぬ。だから最後の日は自分の好きなことだけをしようと決めてた。食事の最後は自分の好きなおかずで締めたいのと同じように。楽しいって気持ちで死にたい。辛いのは今日で終わり、正確には昨日で終わりで今日はおまけ日。だから今日という日は何も考えないで楽しめた。心の底から。


「ちょっと楽しすぎたかも」


 でももう昨日までの日々に戻るのは御免だ。

 僕は両手を広げ一度目を閉じた。冷たい空気と風を感じる。少し昔のことを思い出した。子どもの頃、空を自由に飛ぶ鳥を見上げて自分も飛びたいって思ってたことを。


「これは飛ぶって言うか落ちるか」


 僕の小さな声は風に吹かれ今日も騒がしい街に消えた。

 ゆっくりと目を開くと目の前に相変わらずメッセージが表示されている。


『飛び降りますか? はい/いいえ』


 片手を動かし選択肢の上まで持っていく。はい。

 するとメッセージはもう一つ表示された。


『本当に飛び降りますか? はい/いいえ』


 僕はしつこいなと思いながらもそのまま連続で選択肢を選ぶ。はい。

 押した選択肢が少し光りそのメッセージは消えた。だが更にもう一つメッセージが表示される。


『今日のような日をもう二度と過ごせなくなりますがいいですか?        はい/いいえ』


 その質問に僕は手を止めた。少し今日という日を思い返してしまう。

 いつも憂鬱で仕方なかった早起きですら気持ち良く清々しかった今日という日。でもそれは今日という日が特別だったからだ。朝が心地よかったのも、食事が美味しかったのもダラダラできたのも今日言う日が特別だったから。そう思うとやっぱり。

 はい。


『本当に死にたいのですか? はい/いいえ』


 僕は疲れたもう片方の手を下ろした。

 確かにあの辛い日々を終わらせたかったから今ここに立ってる。でも目的はそこで死はその手段。なのか? だとしたら僕は……。少し俯く。僕はもう一度その質問を呼んだ。


『本当に死にたいのですか? はい/いいえ』


 すると今までより少し強い風が僕の不意を突くように吹きちょっとだけバランスが崩れた。咄嗟に後ろの欄干を掴んだが危うく落ちそうになり僕の下を覗き込むような体勢になっていた。真っ暗で高い地面を見下ろしながら心臓がバクバクと脈打っているのが分かる。口が少し荒れた呼吸をする度に冷たい空気が肺を満たした。

 怖い。それは肺を満たす空気のように僕の心に充満した。さっきはなんてことなかったのに今は脚が震える。

 僕は縋りつくように欄干へ身を寄せるとメッセージへ顔を向けた。


『本当に死にたいのですか? はい/いいえ』


 いいえ。焦りながらも欄干を乗り越える。震える手足と生きてる実感を与えるように動く心臓。僕は家へと戻った。そして真っすぐベッドに潜り込む。布団の中で自分のしようとした決断に恐怖すら感じた。それと同時にホッとしている。

 気が付けば朝になっていた。ベッドから出ると窓まで行きカーテンを開ける。朝日が僕を照らした。一瞬顔を背けたが眉間に皺を寄せ手で影を作りながら窓を開けベランダに出る。頬を撫でる風と顔を照らす朝日。


「昨日だけじゃなくて今日も気持ちが良いかも」


 人は毎日膨大な選択をしている。そのほとんどが無意識に勢いに任せてもいいような選択だけど、中にはちゃんと立ち止まって落ち着いて考えた方がいい選択もある。その場の気分で決めてはいけない選択がある。


「珈琲でも飲もう」


 僕は部屋に入ると珈琲を淹れてもう一度ベランダに出た。今日は熱い珈琲とよく合う日らしい。

 僕は寒くも温かい早朝を熱々の珈琲をお供に楽しんだ。

 僕はまだ生きている。だけどあの辛い日々とはもうお別れ。今日から新たな日々始まるんだ。気が付くと少し心は踊り笑みが浮かんでいた。


『生きてて良かったですか? はい/いいえ』

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