DJ.トウフ

 頭に付けたヘッドホンから流れる大音量の音楽は最近好きなアルバム。それに合わせ踊るように紙の上をスラスラと走るペン。僕はノートに綴っていた歌詞へ句点を打つとペンを置き顔を上げた。

 窓外では夕日が空を自分色に染め始めている。その幻想的な風景を少しぼーっと眺めた後、ヘッドホンを首に掛けスマホに目を落とした。


「五時か」


 その微妙な時間帯に溜息が零れる。お腹が空いた。だけど、夕食にしては早過ぎるしかといって何も食べなければもうひと頑張りはできない。どうしようか。少し考えているとあることを思い出した。


「そうだ。昨日買った豆腐を食べよう」


 そうと決まれば早々に立ち上がり首にヘッドホンを下げたままキッチンへ。冷蔵庫を開けると物が少ないおかげで一フロアを独占している豆腐に手を伸ばす。取り出した豆腐を流し台の傍に置きお皿と包丁を準備した。

 まず包丁を手に取るとパックから豆腐を取り出すために蓋を切る。そして水を捨て蓋を完全に剥がし取りいざ豆腐をお皿に出そうかと思ったその時。僕は手元のパックに収まる豆腐に違和感を覚えた。確かにそれはよく見る一切穢れの無い聖人のような白さだったが、綺麗な平面ではなく真ん中辺りが少し盛り上がっていたのだ。だけど特に変色や異臭がする訳でもないので別にいいかと一度手に取り出す。そして更にもう片方の手を経由してからお皿へ乗せた。


「あっ。醤油忘れてた」


 切り分ける前に醤油の事を思い出した僕は包丁を置き一度冷蔵庫へ。中身が半分以上減り寿命が残り僅かの醤油を片手に豆腐の前に戻って来た僕は……。


「え?」


 思わず自分の目を疑った。目玉が飛び出んばかりに目を瞠り、おざなりになった口は半開きで停止してしまっている。そんな状態で醤油を落とさなかったのは唯一の功績と言えるだろう。

 いや、だけどそんなことはどうでもいい。

 僕は自分自身の目で見ているはずのなのに目の前の光景が信じられないでいた。どう考えたってこんなことあるはずがない。

 だって豆腐が――。豆腐がサングラスを掛けてヘッドホンをしてるなんて。しかも発生源の分からない音楽に合わせて柔らかな体を揺らしている。

 一体どういうことなんだ?

 するとただでさえ混乱している僕の頭を更にかき乱す出来事が。なんと豆腐の両側から何かが生えてきたのだ。それは真っ白だが五本の指を備え僕らのと同じ形をしている。間違いなく手だ。その二本の手は下半身というか下半分というか。とにかくそこへ伸びるとまるで僕らが自分の腰に手を当てるような体勢になった。そして下半分を引き出しを引くように前にスライドさせる。そこに乗っていたのはミキサーを挟むターンテーブルとPC。そうなると階段のようになった豆腐の体はDJブースに見えなくもない。

 するとターンテーブルに先ほどの手が伸び、回るレコードを止めた。同時に今まで聞こえていた音楽も身を潜めた。かと思えば少しPCを操作したのちにスクラッチが聞こえまた別の曲が流れ始める。


「hey……yo.――俺の名前はDJ.トウフ。体は冷たいが持ってるぜ熱いソウル」


 突然サングラスの下に現れた口は片手に握った(どこから取り出したんだ)マイクで言葉を話し始めた。しかもただ話すだけではなく音楽に乗せ韻を踏んでいる。


「俺が一度レコードに針落とせば、決して凍ることの無い会場。愛情と熱量なら常にMAX。むしろ熱くなり過ぎてなりそうだな焼き豆腐。だけど大丈夫。いつだって俺は最上級な音楽で会場中を盛り上げる。体は柔らかいが韻は固い。とは言い難い。なんて言わないでくれ。俺のヤバさに犬派も言っちゃうやっぱ犬より絹ごし。世界中が俺に夢中。宇宙を股に掛ける俺がDJ.トウフだ。yeahー」


 言葉の後に綺麗に音も止めたものだから僕らは一瞬にして沈黙に包まれた。

 ポーズを取ったままで固まるトウフと依然として唖然としている僕。正直に言って頭の中は真っ白で思考は停止していた。

 それから少しの間、世界の時間は止まったままだった。だけどトウフのスクラッチで再び世界は針を動かし始める。僕以外だが。


「へいへい。ノリが悪いな兄ちゃん」


 またさっきとは違った音楽をBGMにトウフは普通に話し始めた。

 そしてサングラスを掛けヘッドホンをした豆腐を目撃した瞬間から今まで停まっていた僕の時間もゆっくりだが動き始める。


「と、豆腐がしゃべってる」


 もはやしゃべっているどころの騒ぎではないのだが僕の口から出来たのはその言葉だった。多分、無意識的なところでは一番信じ難い部分だったのだろう。


「そりゃ豆腐だってしゃべるさぁ」


 トウフは言葉の最後に被せながらスクラッチをして別の曲をかけ始めた。


「そう、俺はしゃべる豆腐。俺で作った料理はもちろんso goo。美味すぎる衝撃はlike a 未知との遭遇。野菜炒めに鍋、みそ汁。何でも美味いのが俺。だが所詮は豆腐に過ぎない。でもあの子は通り過ぎない。だけどその頃にはもちろん死人に口なし。つまりこれが最後のRapping? になったとしても盛り上がりのひとつでももらえりゃ俺もhappy」


 言葉と共にビートが止まると沈黙が再来した。外で鳴くカラスの声が無人かと疑う程に静かな部屋へ虚しく響き渡る。


「拍手ぐらいせい」


 沈黙に耐えかねたのかトウフが一言。僕は言われるがまま機械のように手を叩いた。


「よし」

「――あの。何でしゃべれるんですか? というか何でDJ? どうやって音楽流してるですか? それから……」

「あぁ! そんな一気に質問するな」

「すみません」

「じゃあお前は何でしゃべれるんだ?」

「えっ?」


 急なその質問返しに思わず考え込んでしまったが答えは皆無。


「分からないだろ?」

「はい」

「それと同じだ。そう言うもんだと思ってくれ」


 確かに彼(豆腐に性別という概念があるのかは定かではないが)の言うことも一理ある。僕がどうしてしゃべれてどうして息が出来ているのかという質問に答えられないようにトウフも答えらえれないのだろう。そう考えれば納得だ。納得か?


「それより何か曲でもかけてやろうか?」

「――じゃあお願いしようかな」


 目の前の現象に納得すると気が付けばこの状況を受け入れ落ち着きを取り戻していた(むしろ戸惑いが限界突破して逆に冷静になったのかもしれない)。


「そうだなー。――それじゃあこいつにするか」


 ゆっくりとスクラッチをしながら少しだけ悩むトウフ。だけど曲が決まるとそのままスクラッチをして曲を流し始めた。部屋中に流れたそれは僕好みの最高な音楽。思わず表情に花を咲かせ首を揺らす。

 それからしばらく続いたトウフのDJタイム。僕のツボを全て押さえているのかと訊きたくなる程に全部が僕好みの曲だった。

 そのおかげですっかりテンションも上がり楽しんでいた僕だったが腹の虫が忘れていた空腹を思い出させる。それは丁度、僕がリクエストした大好きな曲から別の曲に変わった瞬間だった。トウフはその鳴き声に曲のボリュームを大きく下げる。


「そういや途中だったな」


 その声はどこか寂しそうだった。


「まぁ仕方ねーか。聴いてくれてありがとうな」


 曲は止まりトウフからの哀愁を纏った言葉だけが響いた。


「さぁ、そのままでも炒めても何でもいい俺をその腹の足しにしてくれ」


 そうだ。トウフは豆腐だったんだ。楽しい時間がそれを忘れさせていた。

 だけどこんなに最高な曲をかけるようなトウフを食べれられるわけがない。


「無理だよ。それに君を夕飯にしようとしてたわけじゃないから僕がそれまで我慢すればいい話だし」

「おいおい。俺は豆腐だぜ? 毛布に包まってるアイツだって知ってる。俺には賞味期限がある。つまり寿命だ。それを過ぎれば俺は微妙になる。そうなれば豆腐失格だ。折角なら美味いうちに食ってくれ。それに炒めてもいいって言ったがよく考えれば俺は絹ごしだ。それには向いてない。なら尚更、寿命は重要だな」

「でも……」


 分かっているけど。こんなにも最高なトウフを食べろだなんて。僕にはできない。


「分かった」


 僕の浮かない顔を見て気持ちを察してくれたのかトウフは諦めたような声でそう言った。


「だが俺の寿命はもって十日だ。それまでには食ってくれ」


 彼を食べるという問題が解決した訳ではないがとりあえず今はまだ一緒に居られる。そのことにホッとしたと同時に嬉しかった。


「ありがとう。それじゃあ次は……」


 そして僕のリクエストからまた始まったDJタイムは夕食まで続いた。

 それから僕は新たな同居人と言えばいいのか同居豆腐と言えばいいのか兎に角、彼と一緒に生活を送った。音楽のある最高の生活を。

 普段トウフはジップロックで水に浸かりながら寝てる。帰って来たらそんな彼を取り出しお皿に移し音楽タイム。それが日課だ。

 トウフは僕の好きな曲を沢山教えるとそのアレンジ曲を作り流してくれた。僕の好きな曲とそのアレンジ、彼のオリジナル曲。この三種に加え時折トウフがマイクを握るDJタイムは毎日行われた。

 僕は何もかも忘れて心から楽しめたその時間が一日の中で一番好きだった。しかもトウフは僕が落ち込んでたりすると励ますように、疲れてたりするとリラックスできるような選曲してくれる。それにその曲をBGMにしながら話を聞いてくれたりもするんだ。ポジティブなトウフは僕を元気づけてくれた。

 彼と出会ってから毎日が楽しくなったし、何より辛い時に誰かがいるっていうのは心の大きな支えになる。たまに一人の夜が辛い日もあったけどそれもすっかりなくなった。一緒に音楽で踊ったりなんてことない話をしたり。気が付けば友達のいない僕にとって彼は、トウフは掛け替えのないのない存在になっていた。それは心の底から嬉しい時間で確実に走馬灯の一ページを埋める時間。

 だけど人生のグラフが山を高く描けば描くほど絶景が見えるがその分落ちる時は辛い。終わりの見えている楽しい時間は楽しければ楽しい程どんどん気分が上がっていくがふと終わることを思い出し下を見てしまうと、その高さに恐怖する。その時が来ればこの高さから落ちるのだと、もうこの絶景を見ることは叶わないのだと。

 どれだけ走ったところで逃げられないその時は確実に僕の後ろから迫っていた。


               * * * * *


 目の前のお皿に乗った白く四角いトウフ。傍にはお箸と醤油が置いてある。


「とうとうきちまったかこの時が」


 その声は最初に会った時より元気がなく弱々しかった。焚火の火のように燃えていた彼が今じゃロウソクの火。もう終わりが近い。それを嫌でも感じてしまう。


「ふっ。何て顔してやがんだ」


 トウフの言う通り今の僕は涙を堪えるのに必死で酷い顔しているのかもしれない。でもさっきからずっと胸は締め付けられ少しでも油断すればあっという間に悲しみの海へ放り出されてしまいそうだ。そしてぽっかりと空いた胸の穴に水が入り込みそのまま海の底へ。


「お前との十日間は……最高だったよ。だが俺ももう……これ以上はもたん。実は三日前から少しだが……」


 それ以上は言わないでくれ。涙を堪えるのに必死で言葉には出来なかったが心の中で強く願った。だけどそれでもトウフの口は絞り出すように言葉を並べた。


「味が落ち始めたのを……。感じてたんだよ。このままだったら。俺、不味くなっちまう」


 それでもいい。それでもいいから最後まで一緒にいてほしい。そう言いたかったがそんなの僕の我が儘だって知ってるから言えるはずがなかった。彼はDJである前に豆腐なんだ。


「お前が何を考えてるか、分かるぜ。そうだ。俺は良い曲を届ける前に……美味く食ってもらうのが本懐だ。だから、頼む」


 僕は一度だけ頷くと醤油を手に取った。あの人が歌ってたように僕だって誰かより長生きして誰かより早く死ぬ。トウフだってそれと同じだ。ただ彼が僕より先だっただけ。


「辛い役割を任せちまったな」


 自分は平気だと言うようなトウフの声に僕は今にも泣き出しそうだった。だけどそれを何とか堪えながら醤油の蓋を開ける。だって最後は笑って送り出したいんだ。


「――僕も……。楽しかったよ。君とミラーボールで水星へ旅したことは忘れない。ありがとう」


 言葉を口にしながらトウフとの日々が頭で走馬灯のように再生された。だけど楽しかったあの日々はもう二度と……。

 僕はボトルを傾け醤油をトウフへかけていく。ボトルの口から流れた醤油は滝のように豆腐の上に降り注いだ。辺りに雫を飛ばしながら頭から醤油を被るトウフ。てっぺんから四方へ広がっていく醤油は彼の真っ白な体を染めていった。

 気が付けば僕の頬には涙が伝っていた。一滴また一滴と流れ始めた涙を止めることはもうできず、あっという間に一本の川のようになって顎先から雫を滴らせる。大人げなく涙を流し、鼻をすすり咽び泣く。

 そんな僕がボトルを戻すと醤油は側面を伝い始めていた。頭から血を流したように醤油がトウフの顔へ流れる。すると彼のサングラス、ヘッドホン、DJブースは徐々にその色を失い始めた。死へ向かい消えかける命に合わせるようにそれらも薄くなっていく。


「ありが……とう、な」


 その言葉を最後にトウフのそれらは消え、ただの四角い豆腐へと戻った。僕はその姿に耐えきれずその場に泣き崩れてしまう。内側から溢れる悲しみが目から次々と流れ落ちる。子どものように顔をぐちゃぐちゃにしながらみっともなく慟哭した。

 だけど泣いている場合じゃない。


「僕には最後の使命があるんだ」


 涙に震えた声で言い聞かせるように呟くと何とか立ち上がお箸を手に取った。そして豆腐を一口サイズに切る。持ち上げた豆腐は醤油を纏い今までに見たどの豆腐より気高くかっこよかった。


「いただきます」


 心の底からの感謝を口にし頭を下げた。トウフを思い出しながら。そして口を開けその豆腐を運んだ。一度二度三度と口を動かし豆腐を噛んでいく。


「美味しい……美味しいよ……」


 口に広がる豆腐の味を感じる度に止めどなく涙が溢れ出してきた。それでも食べる手は止めず次々と豆腐を口へ運んでいく。まるで握り飯を頬張るように豆腐で口を一杯にした。咀嚼しながら何度も何度も「美味しい」とトウフへ伝えるように呟く。僕はぐちゃぐちゃで不細工な顔に精一杯の笑顔を浮かべた。それは笑顔って分からないような表情かもしれないけどやっぱりトウフに笑顔で伝えたかった。

 ――君は最高に美味しかったって。


               * * * * *


 あの日から二日後。

 僕はPCの前に座り目を閉じていた。頭に流れるトウフの曲。同時に目頭が熱くなる。でも僕は彼の曲を形に残そうと心に決めたんだ。鮮明に思い出せるこの曲をCDに収める。溢れそうになる涙を何とか堪えると目を開く。


「よし!」


 そう呟いた僕はPCに手を伸ばした。

 これはきっと好きなアルバムになる。

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