おやすみの話(おはようの言葉)

「プラーナ君、ヤマト君とリンちゃんの様子はどうだった?」

 キッチンで食事の用意をする少し背が伸びたイリスが訊くと、プラーナは申し訳なさそうに首を横に振った。

「まだ、目を覚ましません。リンさんも相変わらずつきっきりで……。朝ごはんだと言ったんですが――」

「また部屋に持っていくしかないかしら。クズリ君、何とか言ってあげられないの?」

 椅子に座って朝食を待つクズリは小さく唸った。

「でもリンが決めたことだからなあ。僕にはあまり父親の威厳ってやつはないし……」

 エラノス壊滅、ヤマトが意識を失ってから半年が経った。

 ヤマトは未だ目を覚まさず、ずっとこの屋敷の二階の一室のベッドに眠っている。

 リンは行き場をなくしたプラーナに自分の家に身を寄せるように勧めた――というよりは命令した。

プラーナもまた薬の副作用や禁断症状に長く苦しめられた。ヤマトと同じ治癒魔法は使えないのかとイリスが訊いたが、自分にはオミットされたという事実を告げ、プラーナはただひたすらに戦った。半年が経った今でも、プラーナは時々苦痛を必死に堪えることがある。それでも今は日常生活を行うには支障が出ないレベルにまで回復していた。

 一方のヤマトはまるで回復の兆しが見えない。

 リンはヤマトがこの家に運び込まれてから、ずっとそのそばについていた。

 何の返答もないヤマトに一人で話しかけたり、勝手に怒っては怒鳴ったり、顔を赤くしながら強く手を握ってみたり。

 それをずっと続けて、半年。

 階下に降りて食事を取ることも少なくなってきたリンを、イリス達が心配するのは当然だった。

 家事の殆どをクズリから交代したイリスが料理を作って二階の部屋に持っていくも、手をつけていないこともある程で、このままではリンまで倒れてしまうとイリスは気を揉んでいるのである。

 そこで最近はきちんと食事をするまでプラーナが監視するようになっている。それに加えて階下に降りてくるように促すのもプラーナの役目なのだが、この役目がまともに果たせたことはまだない。

「じゃあプラーナ君、料理出来たからまた上に持ってってくれる?」

 プラーナが答えようとすると玄関のチャイムが鳴り、それを遮った。

「あ、僕が見てくるよ」

 クズリが椅子から立ち上がり、物で埋め尽くされた床の開いたスペースを器用に見つけながら玄関に向かう。

 うひゃあ、と玄関からクズリの悲鳴が上がった。

「エラノス!」

 その声を聞き付け、イリスとプラーナは即座に床の物を踏むのも構わずに玄関へと急ぐ。

 酷い猫背だが、それでもかなり上背があることがわかる男が玄関に立っていた。切れ長の目をプラーナに向けると、仏頂面で口を開いた。

「やはりここにいたか。02号」

「お父さん――」

「お前に親はいない。私のことはビクターと呼べと言ってきたはずだが?」

 男――ビクターはそう言ってプラーナを睨んだ。

「エラノスの研究者だったあなたがここに来たということは、仕返しでもしにきたのかしら?」

 落ち着いた声でイリスが訊くと、ビクターはそちらを睨んだ。

「私はそんな愚かな行いはしない。私がここに来たのはただ、私の研究成果――ミュトスを完成させるためだ」

「僕は――もうあそこには戻りたくありません。今はもう薬の影響も殆どない。あなた達の命令には、従わない!」

 一層目顔を険しくして、ビクターは両手を下に向けて前に出した。

 プラーナはびくりと身体を震わせるが、ビクターはそれ以上手を伸ばさない。ただ、その動きを見せるためだけに手を出したような――

 プラーナははっとしてその手を見る。プラーナとヤマト――ミュトスの詠唱はごく短いものだが、それを発動させるには魔法ごとに一定の動作を必要とする。その動作――式を行い、詠唱することで体内に組み込まれた魔法言語と呼応して魔法が発動するのだ。

「式はこうだ。詠唱は『アーパス』」

 やはり、魔法の式と詠唱。それもプラーナの全く知らないものだ。

「それは――」

「01号に搭載されたレベル2治癒魔法の進化形だ。お偉方は治癒魔法のオミットを命じたが、01号を上回る治癒魔法の開発が出来た以上、オミットするのは惜しい。そこで私は誰にも明かさずお前にこの魔法を搭載した。あらゆる傷を癒し、薬物によるダメージ、副作用、蓄積された影響すらも完全に無効化する」

「まさか、お兄ちゃんを助けるために?」

「勘違いするな。この魔法を搭載したのはただ治癒の限界を突き詰めるため。お前に教えたのはミュトスが自身の魔法について不完全な知識のまま野に放たれるのが腹立たしいからだ」

 ビクターは背を向けて玄関の扉を開ける。

「邪魔したな」

「お父さん、待って!」

「お前に父親呼ばわりされる覚えはない」

 そう言いながらも、少しの間だけビクターは顔をこちらに向けずその場で立ち止まった。

「ありがとう!」

 それを聞いたかどうかわからない程のわずかな間を置いて、ビクターは外へ去っていった。

扉が閉まるとすぐ、プラーナは二階のヤマトの部屋を目指して駆け出した。慌ててイリスとクズリが後に続く。

「リンさん!」

 二階の部屋の扉を勢いよく開け、プラーナが叫ぶ。部屋のベッドで横たわるヤマトの横の椅子に座りその顔を眺めていたリンは驚いて顔をそちらに向けた。

「お兄ちゃんが、助かります!」

 それを聞くとリンは一気に椅子から跳ね上がり、プラーナに駆け寄る。

「本当? 本当なの?」

 プラーナは無言で頷き、ベッドで眠るヤマトの横に立って布団を剥がす。

 両手を下に向けて前に出し、ヤマトの身体の上に翳す。

「アーパス」

 声と共に両手から水が溢れ出てくる。プラーナはそれをヤマトの全身にかけていった。

 息を詰めて見守るリンと部屋に駆け込んできたイリスとクズリ。

 ヤマトの指先が小さく動く。思わずリンは駆け寄り、顔がくっつかんかという程にまで近付ける。

「べたべたするな鬱陶しい」

 思い切り額を小突かれ、リンは情けない声を上げて尻餅をついた。

「アンタ――それがずっと看病してやった人間に対する態度かッ!」

 リンの怒声を聞いて鼻を鳴らす。以前と同じ、不服ながらも身体に染み付いたやり取り。

 ヤマトが、目を開けて、身体を起こして、声を発していた。

「お兄ちゃん!」

「ヤマト君!」

 プラーナとイリス、クズリが揃って歓声を上げた。

「ぎゃあぎゃあ騒ぐな。俺はもう平気だ」

「プラーナ君の治癒魔法のおかげね」

 イリスが優しく笑いながら言うと、プラーナは満面の笑みを見せてヤマトの手を取った。

「お父さんが、隠された魔法を教えてくれたんです!」

「あの猫背のっぽか。今は感謝をしておこう」

 ヤマトは足を床に下ろして靴を履くと一同を見渡してから口を開く。

「この悪趣味女以外、一旦ここを出ろ。こいつには言ってやりたいことが山程あるんでな」

 クズリは微笑みながら部屋を出たが、プラーナはもう少し一緒にいたいと言って手を離さなかった。イリスが気を利かせて後でいくらでも一緒にいられると言って強引に外に連れ出したことで、漸く部屋には二人だけになった。

「お前、全部話せと俺様に言ったな」

「覚えてたの」

 ふん、と鼻を鳴らして、ヤマトはリンが立ち上がったことによって倒れた椅子を自分の前に起こした。

「座れ。長い話になる」

 リンは大人しく椅子に座り、ヤマトと向き合う。

「俺はな、人を殺すことが楽しくて仕方がなかった」

 そうして、ヤマトの話が始まった。

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