予期せぬ再会(あなたの弟)

 ヤマトは朝遅く目を覚ました。

 顔を洗おうと洗面所を探したが、どうやら二階にはないらしい。仕方なく物で溢れ返った一階に下り、踏みつけないように気を配りながら歩く。

「あら、おはよう、ヤマト君」

 昨日までとは違う、明るいピンク色のワンピースを着たイリスが角の部屋から出てきた。

「ああ。その服――」

 ああこれ、とイリスは照れるように笑う。

「リンちゃんが子供の頃の服がしまってあったから貸してもらったの。ちょっと子供っぽくて恥ずかしいんだけど。あ、洗面所はここよ。探してたんでしょう?」

「ああ」

 流石に洗面所の中までは物はなかった。ヤマトは手早く顔を洗い、ダイニングの方に向かった。

 ダイニングのテーブルにはリンが座っていた。イリスは昨日と同じように台所でクズリの手伝いをしている。

 いつもそうであるように、二人の間で挨拶が交わされることはない。ただ目を合わせればそれだけで確認は出来る。これは関係が険悪というよりも、互いにある種の信頼を置いているからだと言える。

 ヤマトはリンの正面の席に座り、クズリとイリスが作る朝食を待った。その間にリンに蔑みの目を向けることも忘れない。リンもこれに気付き、居心地が悪くなるのを感じながらもヤマトに対して怒気の含んだ目で応戦する。

 朝食を終え、三人はリンの部屋で今後の身の振り方を議論することになった。リンはヤマトが自分の部屋に入ることを嫌がったが、イリスの説得で渋々了解した。

 リンの部屋に入ると、まず目に入るのが人形に着せられた旅の間リンが着ていた恐ろしく趣味の悪い鎧である。今のリンは普通の服装をしているので恐ろしく美しく見えるが、一度その鎧を身に着ければその美しさなど吹き飛んでしまう。それと大剣以外には、特にこれといったものはない簡素な部屋だ。

「俺は一人でこの国を出る」

 ベッドに腰かけたリンとイリスに対し、ヤマトは立ったまま目を合わせずに言う。

「悪趣味女はここに残ればいいだろう。自分の家なんだからな。問題はガキんちょか」

「ちょっとアンタ、何勝手に――」

「俺がどこに行こうと俺の勝手だ。まさかお前、ずっとここで暮らせとでも言うつもりだったのか?」

「それは――違うけど……」

 リンは顔を下に向け、唇を噛んだ。

「イリスは、家でかくまってもいいわよ。ミィ国にはディーナ国も簡単に干渉出来ないだろうし、ここにいるのが一番安全だと思う」

「迷惑じゃないかしら……」

 イリスが申し訳なさそうに訊ねる。

「気にすることはないわ。家はこの通り広いし、借金は多いけど一人くらい増えても問題ないから」

「そうだな、それがいいだろう。俺は金が出来次第ここを出る」

 そういえば、とリンは疑問に思う。ヤマトは自称小説家であるが、口振りからして全く売れていない。それが永劫の魔女討伐の旅に出る資金をどうやって集めたのか。まさかとは思いつつ、リンはヤマトに訊いてみる。

「アンタ、金ってどうやって集めるつもり?」

「そんなもの決まっているだろう。金を持っていそうな奴を拷問し、金を出させる」

「それ追い剥ぎじゃないの! ちゃんと働いて稼げ!」

 バツの悪そうな顔をして、ヤマトはそっぽを向く。

「俺は文章を書くこと以外で働いたことなどない。それに――どうすれば働けるのかを知らない」

「はあ?」

「本には、そんなことは書かれていないからな」

 何を言っているのか、リンには理解出来なかった。ヤマトはやはり何かがずれている。

「だったらその御自慢の文章とやらで稼いだらどうなの?」

「一刻も早くこの国を出たいと言っているのに、そんなことが出来るか」

 リンはヤマトが心の底からこの国を出たがっていることを確信した。ヤマトは自分の本を売るため、永劫の魔女討伐の名声を利用しようとした男である。それが今は文章を書くことを『そんなこと』呼ばわり。この国に入ってから、ヤマトは明らかに余裕をなくしている。

「じゃあリンちゃん、ヤマト君の働き先を見つけてあげなさいよ」

 イリスが言うと、リンは素っ頓狂な声を上げて自分の耳を疑った。

「ちょっとイリス、何言ってんのよ?」

「だってリンちゃんはこの街の人間でしょう? ヤマト君も私もこの国には疎いから、リンちゃんがヤマト君を助けてあげないと」

 リンは言葉に詰まる。放っておけばヤマトは追い剥ぎ紛いの行為で金を集めるだろう。それを止めるのは何となくリンの義務のような気もするし、知らぬ振りをするのは気分が悪い。

「いや、俺は出来る限り早くこの国を出たい。まだるっこしく稼ぐのは駄目だ。やはりすぐにでも金が手に入る方法で――」

「だからって追い剥ぎする馬鹿がいるかッ! 第一、なんでそんなに早くこの国を出たいのよ?」

「訊くな」

 小さいが凄味のある声でそう言い、依然ヤマトは顔を背けている。

「じゃあこうしましょう」

 にっこりと笑ってイリスが口を開く。何というか、年季の入った笑みである。

「ヤマト君は理由を話さない代わりに、真っ当に働いて稼ぐ。その働き口はリンちゃんが一緒に探してあげる」

 なんでそうなる――二人が同時に声を上げた。この時漸くヤマトは顔をリンとイリスの方に向けた。

「まあいいじゃない。ここで話していてもお金は集まらないわよ。私もついていってあげるから、とにかく外に出ましょう」

「――ふん。仕方がない。最初に言っておくが客商売は絶対に駄目だ。肉体労働も却下。それと勤務先は中央街以外は絶対に認めない。日給は千はいる」

「わがまま言いすぎよ! ちょっとは妥協しろ!」

 ヤマトはやけに真剣な表情でリンを見据えた。

「だが、『絶対』をつけた条件だけは譲れない。理由は訊くな」

 リンはヤマトのあまりの剣幕に圧倒され、仕方なく頷くことしか出来なかった。

 三人はリンの家を出て中央街の道を歩いた。

 リンはまずあちこちの掲示板に貼られた求人広告をありったけ集めた。

 静かな公園に置かれたベンチに三人並んで座り、広告を広げて眺める。

「事務とかどうなの? アンタ一応物書きでしょ」

「それとこれとは別だ」

「あ、これとかいいんじゃないかしら?」

 喧々諤々の議論は続き、なかなか決定しない。

「可愛いお子さんですね」

 声をかけられ、三人は一斉に顔を上げた。身なりのいい、乳母車に赤ん坊を乗せた女がこちらを見ていた。

「お若いパパとママですねえ。羨ましいですわ。お嬢ちゃんいくつ?」

「むっつう」

 それまでとは打って変わり、イリスは舌足らずな調子でそう答える。

「だっ、誰が夫婦なのよ! あたし達は全くの赤の他人よ」

「全くだ。こいつはただの荷物持ちだ」

「誰が荷物持ちよ! 言っとくけどこれから先はアンタ一人で荷物を持ちなさいよ。またか弱い乙女を掴まえて自分だけ楽しようなんて考えは起こさないでよね」

「か弱い乙女っていうのはまさか自分のことを言っているのか? 一度胸に手を当ててよく考えろ」

「何をっ」

 女は困り果てたように笑い声を上げた。奇しくもそれが二人の言い争いを止め、女はほっと胸を撫で下ろす。

「でも、お二人共とても仲がいいようで。では、失礼します。バイバイ、お嬢ちゃん」

 女は一礼して乳母車を押していった。イリスはまた舌足らずの口調でバイバイと手を振る。

「仲なんてよかあないわよー!」

 女が去った後、リンがその方向に向かって吼える。それを聞いてイリスが楽しげに笑った。

「おいガキんちょ。お前なんで子供の振りなんかしたんだ」

「ちょっとからかってみたのよ。どちら共、ね」

「質の悪いガキだ」

 そう吐き捨て、ヤマトは再び求人広告に目を向ける。

「でも、二人はいいパートナーだと思うんだけどなあ」

 イリスが笑いながら呟いた言葉に、リンは咳き込んだ。

「な、何言ってんの! コイツとはアンタを倒すために組んだだけで――」

「見つけた――!」

 駆けてくる足音の後に、そう声がした。

 声の方に目を向けると、イリスよりは年が上だろうが、青年と呼ぶにはまだ幼すぎる少年が今にも泣き出しそうな目でこちらを見ていた。

「お兄ちゃん、ですよね?」

 声が震えている。この場にいる男はヤマトだけなので、ヤマトに対しての言葉なのだろう。

「誰だ。俺に家族はいない」

 心から訴えるような思いのこもった声で、少年は言う。

「僕です! 02号です!」

 それを聞いた瞬間、ヤマトの顔から一瞬で血の気が引いた。

「助けてください! 僕はもう厭なんです! 今ならまだ正気でいられる。僕を連れて逃げてください!」

 ヤマトはベンチから立ち上がり、真っ青な顔で少年の左手を掴んだ。少年の顔が花が咲いたように明るくなる。

「ワカイカズチ」

 少年は悲鳴を上げて身体を震わせながら崩れ落ちた。

「ちょっと! 何やってんの!」

 依然少年は苦しみ続けている。恐らくヤマトが手を掴んだまま放さないからだ。

 リンはヤマトの顔を見て、慄然とした。生気の欠片もない、死人のような顔で地面に倒れる少年を見下ろしている。

「ヤマト君! 落ち着きなさい!」

 イリスの声にも耳を貸す気はない。

 リンは以前の経験から、咄嗟にヤマトの頬を平手で打った。

 ヤマトは目を見開き、それまで息を止めていたかのような荒い呼吸で静かに掴んでいた手を放した。

「僕にはオミットされた――レベル1魔法。やっぱり――お兄ちゃん――」

「君! 大丈夫?」

 イリスが少年を助け起こす。

「失せろ! 今すぐ消えろ! お前など知らん!」

 ヤマトが荒い呼吸のまま少年に罵声を浴びせる。

「アンタ、自分が何したかわかってんの?」

 リンが詰め寄ると、ヤマトはおぞましいまでの憎悪を含んだ目でリンを射抜いた。リンは思わずたじろぐ。

「いいんです。僕は所詮鎖に繋がれたまま。でも、お兄ちゃんだけは逃げてください。僕の得た情報はすぐに伝わる。すぐにでもこの国を出てください!」

「言われなくともわかっている! ならば、お前をここで――」

 ヤマトは手を少年の方に向けた。リンにもイリスにもわかった。これは魔法を、それも拷問用とは訳が違う、一撃必殺の魔法を放つつもりだ。

 リンは素早くヤマトを羽交い絞めにする。

「逃げなさい!」

 リンが叫ぶと、少年は少しの間迷う素振りを見せてから、立ち上がって駆け出した。

 リンはヤマトを解放し、もう一発頬に平手打ちを見舞った。ヤマトはぎりぎりと歯を食いしばり、激昂する。

「クソ!」

「ヤマト君――」

「黙れ!」

 イリスが声をかけると、ヤマトは吼えた。

「もう四の五の言ってられん。俺は今からこの国を出る。間に合うか――」

「待ちなさいよ! 少しはどういうことか説明しなさいよ」

 リンが混乱しながら言うも、ヤマトはそちらには目もくれずに歩き出した。

「お前達とはもう会うことはないだろう。何も話すことはない。じゃあな」

 ヤマトは足早に公園を出て、中央街の外側に向かって姿を消した。

「――追わないの?」

 小さくイリスが訊くも、リンは暫く怒りと動揺で何も言えず拳を握りしめていた。

「あんな奴、どうなろうと知ったこっちゃないわ」

 やっと言葉が出るようになり、そう言ったリンの声はわずかに震えていた。

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