里帰り(なお子連れ)

 異様に高い壁が、果てしなく続いている。

 この壁は過去に外部の人間を遮断し、国民の紹介なしには何人たりとも中に入れなかったというこの国をよく表している。現在ではある程度緩和されたが、それでも審査は厳しく、文字通り門前払いされる者も多い。

 閉ざされた国、ミィ。国の領土を全て壁で固めるという常識外れなことをやってのけたのだが、それは内部の者達を守るという思いがなせた業だ。二年前には一部に原因不明の穴が開き大騒ぎになったが、すぐに修復され、国民の不安は一時的なもので済んだ。この壁が国民の安全を保証し、心の安寧を保っているとも言える。

壁の周が長いので、その分門の数もある。

 その第五の門の前に、怪しげな黒いマントを羽織った男と、恐ろしく趣味が悪いが顔はすこぶるいい女、そしてまだ年端もいかない少女の三人が立っていた。

 言うまでもなく、ヤマト、リン、イリスの三人である。

 リンは元々ミィ国の出身である。永劫の魔女の話を聞き、溜まりに溜まった借金返済のためにディーナ国に向かった。

 リンが城壁の中の人間であるということが証明出来れば、連れの二人も一緒に入国出来る。今はその確認のために待たされているところだ。

 リンは気付かれないようにヤマトの顔を窺う。

 ヤマトはリンがミィ国に向かうと宣言した時から様子が変だった。リンとイリスに気取られないように気を配ったのかあからさまな変化は見せなかったが、その顔からはありありと嫌悪感が見られる。それはもはや恐怖しているのではないかという程の苦しげな表情を見せることもあった。

「ねえヤマト君」

 イリスがヤマトを見上げて声を上げる。ヤマトは青ざめた顔でなんだと訊く。

「あなた、なんだかずっと様子が変よ。やっぱり、私と一緒に逃げるのは――」

 やはりイリスはまだヤマトをよくわかっていない。一緒にいたのは見えざる手に乗って猛スピードで移動した間くらいだ。

 ヤマトは恐らく、イリスと一緒に逃げることなどなんとも思っていない。ヤマトが異変を見せたのは、あくまでリンがこの国に行くと言った時からだ。

「そういうことじゃない。気にするな」

 素っ気なく言うとヤマトは目線を逸らした。

 リンはこれまでの付き合いでヤマトのことはある程度わかっているが、素直に心配してやることは出来なかった。今までのリンに対するヤマトの言動を思えば、それはあまりに癪である。

 門番が内部の者と通信機で確認を取ったらしく、待っている三人を呼んだ。

「ミィ国民リン。父親の名はクズリ。居住所は中央街1‐8‐6」

 それを聞くとわずかにヤマトの表情が緩み、すぐに元に戻った。ここまではリンが受付書類に書いたことの確認だ。

「金持ちだったのか」

 中央街は地価が高い。故にそこに住める者はある程度の資産を持つ者に限られる。

「昔から家があるだけよ」

「借金があるなら家でも土地でも売ればいいものを」

「のっぴきならない理由があんの!」

 門番はヤマトがそれを冷笑で受け流すのを見て、手続きを再開した。

「以上の確認が取れた。入国を許可する。共に入国する二人の身元を保証するか?」

「保証する」

 嘘である。ヤマトの素生は知らないし知りたくもない。イリスは一応この身体では名家の家出娘ということになるのだろうが、実際はディーナ国から狙われる大罪人。しかしこの場ではこう言わなくては門をくぐれないのだからこう言う他ない。

「では、開門する」

 様々なものが国内に入るために通る場所が門以外にない以上、必然的に門は巨大になる。ゆっくりと唸りを上げて門扉は外側に開いていき、人が充分通れる程度まで開くと止まる。

 三人は門が止まると中に入り、入国を果たした。

 門のすぐ内側の街は活気に溢れている。入国したばかりの者を相手にする商売が盛んであるからだ。同じ壁のすぐ内側でも、門から離れていると人気がなくなり治安も悪化する。ミィ国は門から少し進むと治安が悪化し、さらに進むと富裕層の住む街となり活気が出てくる。要は中央から外に行くに従って生活レベルが下がるのだが、門の近くの街は例外となる。

「さて、お前の家までどのくらいかかるか」

 ヤマトが呟くとリンは表情を一変させた。

「はあ?」

「何がはあだ。お前まさか、俺達を入国させるだけさせて、放っておくつもりだったのか? 俺の持ち金は後わずか。お前が有り金全てを置いていってもすぐに路頭に迷う。この国に向かうと言い出したのはお前なんだから、普通に考えて俺達を家に招くと思うがな。なあガキんちょ」

「そうね。図々しいけど私もそう考えてたわ」

「いや、それは――」

 リンは何も考えていなかった。二人を入国させて放っておこうと思った訳でもないし、家に招こうと思った訳でもない。殆どただの勢いでこの国に向かうことを決めたのだった。

「わかったわよ。二人共家に来なさいよ!」

 人目があるところを見えざる手に乗って移動する訳にはいかなかったので、三人は黙々と歩いた。

 門から中央街には一本の道で繋がっている。街道沿いには飲食店が狭い間隔で並ぶ。ハッタから与えられた食料と水はまだ残っていたので、少ない金を無駄遣いする訳にはいかず、寄り道はせずに歩き続けた。

 貧困街と思われる眺めの寂しい辺りで陽が暮れ、すっかり暗くなったところでヤマトがにやりと笑った。

「ガキんちょ、見えざる手を出せ。まだるっこしいから一気に進むぞ。夜ならば問題ないだろう」

「上空を飛べば見つかる恐れはないわね。わかったわ」

 イリスは念のため周囲を見渡し、誰もいないことを確認してから詠唱を始めた。

「答えずともいい

 問わずともいい

 ただ聞こう

 汝は何ぞや

 神か御使いか悪魔か魔女か

 何者にも我は仕え

 従わぬ者

 目は瞑り耳は塞ぎ鼻は潰し舌は抜きただ触れるのみ

 顕現」

 目を見開く。

「見えざる手」

 ふう、と肩の力を抜き、イリスは現れた見えざる手の左手に乗る。

「何をしている悪趣味女。さっさと乗れ」

 イリスの後にヤマトが続き、リンを急かす。

「アンタらには見えてるのかもしれないけど、あたしには何も見えないの!」

 あの都市から移動する時も、リンはこの見えざる手に乗るのを躊躇った。何も見えていないが存在するものに乗るために一歩を踏み出すのは勇気がいる。足が空を切る恐れもあるし、下が透けているのだから高所を飛べば肝が冷える。

「なんだ、怖いのか」

「誰が怖いって!」

 ヤマトの言葉にリンは怒気を含んだ声で言い返す。

「ごめんなさいリンちゃん。この魔法は見えるようにすることが出来ないの」

「イリスは謝らなくていいわよ。あたしが腹立ってるのはコイツ!」

 ヤマトを指差しリンは目を剥く。

「いいからさっさと乗れ。誰かに見られたら事だ」

「そういうとこがむかつくって言ってんの!」

 リンは肩を怒らせながら、恐る恐る見えざる手があるであろう場所に右足を上げた。足を下ろすと何もないところに確かな感触があり、ほっとして左足も上げる。

 リンが乗ったところで見えざる手は上昇し、街道の上を高速で飛行する。

「私ミィ国は初めてなの。中央街ってところには真っ直ぐに進めばいいの?」

「遠くに明かりが見えるだろう。あそこを目指せばいい」

「わかったわ」

 そういえば、ヤマトは何故ミィ国について知っているのだろうとリンは疑問を覚えた。もしかするとヤマトはミィ国の出身なのかもしれない。しかしそれなら入国審査の時にリンの連れとしてではなく、国民として入国すればよかったはずだ。

 何度か訪れたことがあるのだとしたら内部に紹介者がいるということなので、その相手に連絡を取っても入国が出来たことになる。ただ、わざわざ連絡を取るよりもリンと一緒に入国した方が楽だと考えたのかもしれない。

「ねえアンタ、この国に知り合いいないの?」

 リンが訊くとヤマトは眉を顰めた。

「何故そんなことを訊くんだ」

「いや、アンタ何かこの国に詳しそうだから。知り合いがいるならそこに行けばいいのにと思って」

「この国に知り合いなどいない。一人としてな」

 一瞬、ヤミ決闘で見せた死んだ顔になったような気がした。リンは寒気を覚え、それ以上訊くことは出来なかった。

 見えざる手の移動は速い。右手は大した速度は出ないが、これはその分を力に回しているからで、左手は力がない分だけ速度があるのだ。

 街の明かりが強くなり、最も明るい一角の上空にまで到達した。

「ここで下りるのは危険ね。人気のない暗いところまで移動しましょう」

 中央街から離れ、比較的暗い通りに人がいないことを確認してから降り立つ。

「えっと、ここは――」

 リンが周囲を見回し、現在地を確認する。

「中央街からはちょっと離れてるみたい」

「確かお前の家は、中央街のさらに中心付近だったな」

 番地を聞いて判断したのだろう。油断のならない男だ。

「そうよ。ここからは結構遠いわ」

「宿に泊まる金がもったいない。このまま行くぞ」

 明るい通りに向かい、そこからさらに中心部に向かって進む。時間はかかったが、リンは街灯の明るい道で迷うことなく目的地にまで辿り着いた。既に夜遅く、人は殆どいない。

 その街の路地裏に、目的のリンの家があった。

 とにかく大きい。土地だけで目が飛び出る程の値段がするだろう。周囲の家はどれも少ない土地を利用して建てられているというのに、この家は無遠慮に土地を占領している。庭も広く、その敷地だけで並の家が二つ三つ建つ程だ。家自体は二階建てで、全体の敷地に恥じない大きさである。

一階の部屋から光が漏れているところから、まだ家人が起きているのだろう。

 リンが玄関で呼び鈴を鳴らした。程なくして家の中から慌ただしい足音が響き、勢いよくドアが開いた。

「こんな夜中に来る奴があるか! もうお前達とは縁を切ると言ったはずだ!」

 口角泡を飛ばしながら、ぼろぼろに窶れた眼光の鋭い男が現れた。

 後ろで呆気に取られているイリスと訝しげな顔をするヤマトを見てから、目の前で目を三角にするリンに焦点を合わせる。

「リン? 帰ってきたのか?」

「ちょっと、縁を切るなんて初耳なんだけど? パパ」

 それを聞いてリンの父――クズリは慌てて前言を撤回した。

「いやいやいや、違うんだよ。お前とは思わなかったから――ってえええええ!? なんでお前が男と一緒に家に帰ってきたんだあ!? まさか恋人か? って子供ぉ!? 出来ちゃった婚の報告なのか!?」

「違うわよ! コイツは断じて恋人じゃないし、そもそもここを出てからまだ一箇月も経ってないでしょ! 子供なんて出来ないわよ!」

「ああ、そうか。ははは。それで、恋人と子供じゃないなら、君達は誰なのかな?」

 クズリは笑いながらヤマトとイリスに訊いた。

「俺はヤマト。小説家だ」

「私は――」

 イリスが言い淀むと、リンが助け舟を出した。

「この子は捨て子なの。名前がイリスっていうのはわかってるんだけど、それ以外はわからないって。二人共あたしが保証するから、とりあえず家に入れてあげて」

「リンがそう言うなら安心だ。まあまあ、狭い家だけどどうぞ」

 どこをどう見たら狭い家なのだと二人には嫌味にしか聞こえなかったが、中に入ってその意味を理解した。夥しい量の書物や実験道具と思わしきガラス製品などが散乱している。本来なら広い玄関ホールは物に占領され、通れる場所は物の置かれていない狭い隙間しかなかった。

 ヤマトは床に散らばった本を一冊手に取る。

「『ドラゴンはどこから来たのか』。他のも全てドラゴン関係の本か」

「ああ! 駄目だよ動かしちゃ。これはちゃんとここに置いておかないと」

 クズリはヤマトから本を奪い返し、元の場所にそっと置いた。

「リンちゃん、この家全部こんななの?」

「一階は大体こんな感じね。二階はまだ無事だから、あたしはそこで寝てる。パパがこんなだからママは愛想尽かして出てっちゃったの」

 リンの話によると、クズリはドラゴンの研究に没頭し、そのせいで先祖から続くこの家を没落させたのだという。家の中には膨大な量の研究資料が溜まっており、迂闊に動かすと危険な物まで紛れているために家を売却することも出来ない。

 かくいうリンもクズリの英才教育のせいで異常なまでのドラゴン好きに育ってしまい、己を鍛えてドラゴンを倒すという目標を立てて現在に至る。

「僕は研究が好きなんだけどこの子は実物が好きみたいでね。親子だっていうのにあんまり似てないでしょう」

「根本的には同じじゃないかしら――」

「どちらも馬鹿だな」

 笑いながら話すクズリに対してイリスとヤマトは呆れ返る。

 リンは着替えると言って二階に上がっていった。

 例によって物が散乱するダイニングに通され、二人は椅子に乗った書物を押しのけてそこに座った。

「何か食べるかい? 長旅だったんだろう?」

「あるものでいいわよ」

 鎧を脱いだリンが現れ、椅子に座りながら言うとイリスが椅子から飛び降りる。

「私も手伝うわ」

 ヤマトは正面に座ったままのリンに冷たい視線を送る。

「な、何よ」

「いや、ガキんちょが手伝うのに家の娘が何もしないというのはどうかと思ってな」

「家ではママが出てってから家事は全部パパがやってるの。あたしは――」

「とんだ箱入り娘だな。呆れて物も言えん」

「何ィ! このッ――」

「はいはい二人共、喧嘩はそのへんにしましょうね」

 楽しげに笑ってイリスがテーブルの上に切られたパンを背伸びして乗せた。

「なんだかイリスちゃんは二人のお姉さんみたいだね」

 クズリはそう言いながらスープを運んできた。

「ふふっ、そうかしら」

 食事はパンとスープだけという質素なものだったが、空腹を満たすには充分だった。

 食事を終えてヤマトとイリスは二階に案内された。リンの言った通りここはまだ物に侵食されていない。

「イリスちゃんはリンの部屋で寝るかい?」

「リンちゃんさえよければ、それでいいわ」

「あたしは構わないけど。ベッドは広いし」

「じゃあ決まりだ。ヤマト君は向こうの」

 クズリは広い廊下の奥を指差す。

「お客様用の部屋を使ってくれたまえ。まあ、暫く使っていないからちょっと汚いかもしれないが」

「構わん」

 それぞれが部屋に入り、疲れもあって誰もがすぐに眠った。

 全員が寝静まった後も、クズリは一人一階に残っていた。書物を読み漁り、しきりに紙に字を書きながらも落ち着かない様子だ。

 そして明け方も近付いた頃に鳴った呼び鈴に身を震わせた。

「エラノス――か」

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