オーベルジュの日


 ~ 四月二十一日(水)

   オーベルジュの日 ~

 ※食前方丈しょくぜんほうじょう

  すげえごちそう。




 学校から、徒歩で一時間半。


 少し暗めのダイニングに響き渡る春のリサイタルは、渓流というソリストがリズムだけを刻み続ける。


 そんな大人の空間で。

 場違いな居心地の悪さをお尻のムズムズで表現する四姉妹が。


 慣れない手つきでナイフとフォークを皿に置いた。


「ウソつけお前」

「え?」

「こいつらはともかく、お前は慣れてるだろうが」

「な、仲間だから……。みんなの真似を……、ね?」

「余計イヤミになるわ」


 欠片も音を鳴らさずカトラリーを扱ってたくせに。

 一年生トリオに合わせて、何度もフェイントを織り交ぜながら皿に置いたのは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 きっと、甲斐よりも頭が固そうな親父さんから叩き込まれたんだろう。

 完璧な所作でオードブルを食べ終えた。


 そんな秋乃の姿に。

 一年生たちは一瞬だけ尊敬の眼差しを向けたんだが。


 その視線が、バカな頭の上に集まると。

 揃って現実の受け入れがたさに首を振る。


「いやいや……」

「やっぱそれは無い……」

「にゅ」


 そんなトリオの反応に気付いていないんだろう。

 秋乃は、ニコニコしながらみんなを見つめて。


「あたしも、みんなの仲間……、よ?」

「ないっす」

「ない……」

「にゅ」

「あふん」


 そりゃそうだ。

 どこで調達してきたんだよ。


 その猫っ毛のかつら。


「お前、どういうつもり?」

「仲間入りしたくって……。優しい同級生……」

「そもそも同級生が無理だろうが」

「ふにん」

「しかも、優しい同級生どころか、変な先輩認定済み」

「きゃいん」


 俺たちにとっては、既に定番となり始めたやり取りなんだが。


 この方々は、たいそうお気に召したらしく。

 静かな雰囲気を崩さない程度に。

 大人な笑い声で受け止めてくれた。


「いやあ、楽しい皆さんだね」

「すいません。同好会の雰囲気を悪くしたりとかしてないか?」

「ぜんぜん。マナーについては多少気にかかるところがあるにはあるがね」

「う、俺か? だとしたらすまん」

「先輩、がさつだからしょうがない」

「そうそう。保坂先輩、けんちんのこんにゃくだから」

「にゅ」

「NG出したのは、一年生の三人なんだけどね?」


 こら一斉に顔逸らすな、にゃにゅにょ。

 でも、こっちもまるで自信が無かったわけだから。

 突っ込むのも気が引ける。



 ――今日は、オーベルジュ同好会の皆さんと一緒に。

 山間の、ちょっとしゃれたホテルに一泊旅行。


 最初は大はしゃぎだった三人も。

 オーベルジュの名に恥じぬ高級料理に。

 揃って尻込みしているようだ。


「食堂に入る前は、気取ってお嬢様ごっこしてたくせに」

「じゃあ先輩が気取ったこと言ってください」

「そうだそうだ」

「素晴らしき食前方丈しょくぜんほうじょうに感嘆の極み。……とか?」

「なにそれ。きも」

「意味不明」

「にゅ」

「でた、はじ坂はず哉」

「お前らがやれって言ったんだろ!? ……ごほん! 失礼」


 くそう、秋乃まで一緒になってバカにしやがって。

 こうなったら反撃だ。


「後学のために、こいつらのどこがマナー違反か教えてください」

「いや、一人は明らかだろう。今もやってるし」

「まあ、確かに」


 にゃにゅにょの三人が。

 自分のどこがまずいのかと慌てて身だしなみをチャックしていたんだが。


 そのうち二人の視線が。

 にょの左手に集まった。


「しゅり……」

「にゅ……」

「え? え? ぼく、ちゃんとしてるよ? 二人が間違ってるんじゃない?」


 反抗するにゅの手に掴まれたロールパン。

 白いフカフカ部分だけになっているんだが。


「服を脱がすな」

「にょーっ!? そんなことしてないよ!? ……あ、パンの話か」

「そうだね。パンは端から一口分だけとりながら食べると良い」


 そう説明した会長さんは。

 にっこり優しい笑みを浮かべながら語りだす。


「マナーは、一緒に食事する皆さんを不快にさせないためと思えば、自然と身についていくものだ。そこにあるのは同一性。同じ価値観。ゆっくり覚えて行けばいい」

「でもぼく、習ったんだよ? 食べ方、合ってるよ」

「え?」


 ちょっと涙目になったにょが。

 会長さんに説明し始めたんだが。


「先輩も言ったじゃない。パンは、端っこから食べろって」


 なに言ってるんだ?

 最初は意味の分からなかったこいつの言葉。


 でも。

 理解できた人から順に笑いをこらえて苦しそうに肩を揺すりだす。


「こら、にょ」

「にょって呼ぶな!」

「お前、つまり。常に一番端から食べてるって言いてえの?」

「違うの!?」


 静かな雰囲気を楽しみたい。

 そんな皆さんの矜持も。


 こいつのみょうちくりんな解釈の前では歯が立たない。


 とうとう吹き出してしまった一人を皮切りに。

 皆さん揃って、声をあげて笑い出した。


「すまん! なんて言うか、ほんとすまん!」

「いや、体験会だから気にしないでくれ。でも、僕たちはね? 普段とのギャップを楽しむためにこういう時間を過ごしているんだ」

「ああ、分かる! 平常運転ですまん!」

「にょー!? ぼくがいつもこんなみたく言うな!」


 とうとう怒りだしちまったけど。

 悪気があってやったわけじゃねえもんな。

 こりゃ悪いことした。


「いや、お前にも謝らねえとな。悪者みたいにしちまった」

「ほんとだよ!」

「お前ばっかじゃなくて、他の二人もマナー違反してるわけだしな。そっくりトリオの同罪だ」

「私まで巻き込まれた……」

「にゅ!」


 そんな軽口を皮切りに。

 三人から俺に罵声が飛んで。


 ひとしきり笑ったところで。

 話は収まったと思ったのも束の間。


「先輩はホントに口が悪い。それに、二言目には私たちがそっくりとか言うし」

「そっくりじゃねえか」

「にょー!? 全然違うよ!? ぼく、丹弥にやみたいにおしゃべりじゃない!!」


 ムキになってたせいもあるにはある。

 でも、それをにょが言うか?


 口から先に生まれてきた子が何を言う。


「いや、それはないだろ。珠里しゅりが一番うるさい」

「うそ!?」

「それを言うなら、私はゆあみたいに暗くない」

「にゅー!!!」


 いやいや。

 一番クールなお前が何を言う。


 それぞれが、自分のアイデンティティーを客観視できていないせいで。


 途端に始まる口喧嘩。


 会長さんに咳払いされて。

 口だけは閉ざしたものの。


 そんなに膨れたままじゃ。

 折角のメインディッシュも美味しくないだろう。



 そしてもちろん。

 こんな状況で。

 

 こいつが黙っているはずはない。



 誰かの悲しい気持ちを救いたい。

 毎日変なかっこして来るけど。

 根っこの部分を変えようもない秋乃が。


 いつも以上にわたわたし始めたかと思うと。

 俺を指差して。



 三人に仲間入りした。



「あ、あたしだって、立哉君みたいに恥ずかしい四文字熟語言わない……」

「うはははははははははははは!!! とばっちり!!!」



 俺は、静かな食堂で大笑いした罪により。

 マナーワーストワンの称号を手に入れることになったわけなんだが。



 それにしても。

 このケンカ、どう収めたらいいんだろう。




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