第2章

暴走を食い止める1

「課長、更におかしくなってない?」


和矢に別れを告げてから二週間が経ったある日の事。オフィス中がまたそんな話しで持ちきりになる。


確かに皆の言う通り、課長は更におかしくなって来ている。前にも増して仕事のミスや上の空の頻度が高くなっているし、顔色も良くない。

多分、ペットロスが酷くなっているんだと思う。かく言う私も、課長の事が気がかりで仕事に集中出来ない。


助けてあげたい。


(でも……)


あんだけ『彼氏がいるので無理!!』と豪語した手前、『別れたからオールOK!』とは軽々しく言えなかった。


(ひ、人助けと思えばイケる、かな?でも、あれから課長に声を掛けられる事はなかったし、もういいのかも。いや、でも。いやいや、うーん……)


色々考え過ぎて、頭を抱える。

そのまま、心機一転、肩まで切った髪の毛をうがーっ!と自分で引っ掻き回した。


「あ」


しまった。ここは家じゃないのにやってしまった。

向かいに座っているお局、隣に座っている後輩が、眉をひそめてこちらを見ている。私はコホンと一つ咳ばらいをし、手櫛でササッと髪を整えて何事もなかった様にパソコンに向かい直した。


(ああ、でも絶対に髪の毛広がってるわ)


せっかく朝から格闘して綺麗に内巻きにしたのに。


「……中条」


「わっ!」


急に横から声を掛けられて飛び上がる。

振り向くと、フーッ、フーッ、と息を荒くして顔を真っ赤にした課長が立っていた。


(え、なに?どうしたの!?)


目も据わっていて今にも飛び掛かって来そうな、すっごくヤバめな雰囲気。周りのみんなも、何事かと作業を一時中断してこちらを見ている。

この感じ、この課長の様子。どこかで経験したような……デジャビュ??


(あれ?これって、ダメじゃない?)


このまま行けば、課長の尊厳うんぬんが失われてしまう可能性が……。

背中に、スーッと冷や汗が流れた。


「課長!具合悪そうじゃないですか!医務室行きましょう!医務室!!」


私は鼻息の荒い課長の手をガシッと掴み、呆気に取られているみんなの間をすり抜けてオフィスを抜け出した。

目の端に映った千歳が、手をヒラヒラ振っていた様な気がするけど放って置こう。


廊下を速足で歩き、医務室に向かうと思いきや当然医務室などには行かず、使われていない会議室に二人飛び込んだ。

ガッチリ鍵を掛け、「空室」から「使用中」のプラカードに差し替える。


「課長、大丈夫ですか?」


課長の状況を確認すると、全く大丈夫ではなかった。息は荒いし、顔も赤い。


「すまない……」


課長も辛いのか、深呼吸を何回もして落ち着かせようとしている。


「いえ、それは良いんです。私も心配で仕事どころじゃなかったんで」


椅子を引き出し、課長を座るように促す。私も向かい合って座る。


課長が落ち着くまで、しばらく、沈黙が続いた。


何度も深呼吸をしている内に大分落ち着いた様で、


「いや、本当に申し訳ない。自分でも制御が効かなかったんだ」


と、課長が頭を下げた。


「ちょっとビックリしましけど、先ほども言った通りそれは良いんです。でも、なぜ突然あんな事に?」


ちょっと前までは上の空でため息ばかり吐いていたのに、なんであんなに興奮?したのか。


「……ふわふわ」


課長がボソッと呟いた。


「え?」


よく聞き取れず、耳を課長の方へ傾ける。


「中条が髪の毛をふわふわさせるから」


「……は?」


髪?ふわふわさせる?


(なにそれ。私そんな事したっけ?)


私の理解力のなさに痺れを切らせたのか、課長が急に立ち上がり、


「さっき頭を掻いていただろう!?そのふわふわな髪が、俺の理性を破壊しようとするんだ!」


と、私の頭を指さし叫んだ。


はぁ、はぁ、と課長の息がまた上がる。


「えぇぇぇ……」


課長がどんどん変態チックになって行ってる気がするのは私だけ?それとも、素はこんな感じなんだろうか?


(でも……)


なんだろ。そんな課長が、だんだん可愛く見えて来た。

私しか知らない課長の姿。優越感も、多分ある。クールで顔が良くて仕事も出来る完璧な人が、ここまで私に弱みを見せてくれている事に、愛おしさすら覚えて来た。


叫んだ為に、一度落ち着いた呼吸がまた乱れている。このままでは酸欠で倒れてしまいそうだった。


ここはもう、私も腹をくくるしかないのかも知れない。


「……分かりました」


そう言いながら、私は課長の横に座り直す。


「中条?」


「どうぞ」


私は課長にズイッと頭を差し出した。


「へ?」


「ど・う・ぞ!」


「え、あの」


「撫でればいいじゃないですか!」


「ぅわっ!」


戸惑っている課長の腕を掴み、強引に自分の頭の上に乗せる。


「お好きなようになさって下さい」


「…………」


突然の事に、課長はビックリしているみたいだった。私は私で、目をつぶって課長の手の温かさを感じる。


(やっぱり、この手の感触なんだよなぁ)


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