課長の涙
私は課長を探していた。
お昼のチャイムが鳴ってすぐに課長は一人でどこかへ行ってしまい、姿が見えなくなったからだ。
「食堂にもカフェテラスにもいなかったし、残るは……」
私は空を見上げる。あと見ていないのは、屋上くらい。
「屋上にいなかったら、もう止めよう」
課長を探すのに時間を費やしていては、私がお昼ご飯を食べ損なってしまう。
屋上への扉を開けると、強風が吹き抜け、せっかくセットした髪が一瞬で乱れてしまった。
「う~……風強っ!」
髪を手で押さえながら、屋上に出る。見渡してみても、こんな風の強い日に屋上へ来る人なんていなかった。課長の姿も、見当たらない。
「よし、帰ろう」
もう6月も終わろうかと言う季節。寒い訳じゃないんだけど、風が強すぎて長時間ここにいるのは苦痛だ。
クルッと方向転換して歩き出そうとした時、微かに声が聞こえた気がして足が止まる。
「課長……?」
の声に似ている気がして、その声を辿って行く。
「いた……」
そこは、エアコンの室外機やら色々な機械が置いてある隅の所で、入り口からは死角になる場所だった。余程の事が無い限り、こんな所には誰も来ない。
課長は、何台もの機械の間に挟まる様に、こちらに背を向けてしゃがんでいる。
「課長?探しましたよ。こんな所でなに……」
私の声に、課長は『ビクッ!』と肩を震わせて振り向いた。
「なか、じょう……?」
振り向いた課長は、私の姿を見て目を見開いてる。その大きく見開かれた目は、真っ赤に腫れていた。
課長は、泣いていた。
「ど、どうしたんですか!?」
これはどう言う状況なのか分からなくて、私は慌てた。
「あ……いや、なんでもないんだ!」
課長が勢いよく立ち上がり、目をゴシゴシと擦って涙を拭った。
「あぁっ!そんなに擦ったらダメですよ!余計に腫れちゃいます!……あ、そうだ」
私は、お昼ご飯が入っているコンビニの袋をガサガサと漁り、買ったばかりのミネラルウォーターを取り出す。そのミネラルウォーターをハンカチにダバダバとかけて、即席のアイスノンを作った。
「これで冷やして下さい!」
半ば無理矢理それを課長の目に押し当てる。
「あ、あぁ、すまない……ありがとう」
課長は私の勢いに少したじろぎながらも、素直に従う。
2、3分そのままじっとしていただろうか。課長が即席のアイスノンを目から外し、何度か瞬きをする。
「……ありがとう。いや、恥ずかしい所を見せちゃったな」
課長がハンカチを私に差し出しながら、照れ臭そうにはにかんだ。私はそれを受け取り、少し絞ってビニール袋にしまった。
「……どうなさったんですか?」
「いや、本当になんでもないんだ」
私の問に、やっぱり課長は口を閉ざそうとする。でも、今回は引き下がれない。こんな場面を見てしまっては、放っておく事なんて出来ないよ。
「でも、こんな所で一人で……心配です。部署のみんなも心配しています。……話してくれませんか?」
大の男が泣くなんて、余程思い詰めているんだろう。私が力になれる事なんてないのかもしれないけど、話を聞く位なら出来る。
「一人で抱え込まないで、頼って下さい。頼りないかもしれませんけど、私に出来る事があるなら力になりますから!」
「中条……」
私の熱に、課長が凄く驚いている。嘘は言っていない。本当に、課長の力になりたかった。
フッ、と課長が目を細めて微笑む。
「ありがとう。中条は良い子だな。あ、レディに向かって『良い子』はないか」
ハハハ、と声を出して笑っている。でもその声は、全くと言って良い程感情がこもっていない、渇いた笑いだった。
「課長……」
「ここは風が強い……中に入らないか?」
「でも……」
まだ少し、課長の目は赤く腫れている。この状態で戻ったら、みんなに何か詮索されてしまうんじゃないだろうか。
言いたい事を察知したのか、課長が『大丈夫だよ』と言いながら私の頭にポンッと手を置いた。
(わっ……)
大きくて、ゴツゴツして温かい手。
(和矢とは全然違うな……)
こんな時に、どうでも良い事が頭に浮かぶ。
(ん……?)
てか、課長はいつまで私の頭に手を置いてるの??
ここから出よう、と言ったのは課長の方なのに、動く気配がまっっったくない。かと思ったら、まるでバスケットボールをドリブルするかの様に軽快に、尚且つリズミカルに頭をポンポンポンポンし出した。
(人の頭で遊んでる?)
チラッと、目だけ動かして課長を見上げてみると、メチャクチャ笑顔。
(おっ、なんだ?)
課長は、まだうっすらと赤く充血している目をキラキラと輝かせながら、満面の笑みを浮かべていた。
(えっ、と……?)
私はこの行動の意味がよく分からなくて、どうしたものかと悩んだ。
「あ、あの、課長?」
ずっとこのままではいられないから、意を決して疑問を課長に投げ掛ける。
「なにを……してらっしゃいます……?」
「……………………………」
私の問い掛けに、何も答えない。と言うか、聞こえていない様だった。
笑顔になったのは良いけどいい加減止めて欲しくて、課長の腕をガシッ!と掴み、『ストップ!』と叫んだ。
ピタッ、と課長の動きが止まる。しかし課長が動きを止めたのは一瞬で、今度は私の頭を撫で回し始めた。
「ちょっ!?なにするんですか!?」
私は掴んだ腕に力を入れて、動きを止めようとする。そうすると課長は反発して力を入れて来るから、私は体ごとブンブン揺れた。
「か・ちょ・お~~~~~?」
あの、怒って良いですか?
「止めて下さいってばっ!!」
私は、丁度目の高さ辺りにある課長の胸を押して突き飛ばした。
「っ……!」
そんなに思いっきり押したつもりはなかったんだけど、課長はそのままよろめいて、尻餅をついてしまった。
「ご、ごめんなさい!大丈夫ですか!?」
私は慌ててかけ寄り、手を差し伸べた。
「でも、課長も悪いですよ?止めてって言ったのに……課長?」
差し伸べた手を凝視したまま、動かない。
「どうし……」
「俺のペットになってくださいっ!!!」
すると課長は、私の手を取らずにいきなり叫んで土下座をした。
「…………………は?」
ピシッ!と、私の周りの空気が固まった。そのまま数秒、瞬きもせずに課長を凝視する。課長は土下座をしたまま動かない。
(えっと……?)
私は今、何をお願いされたのだろう?
『俺のペットになって下さい』とかなんとか言われた様な?いやでも、ペットって。第一私は人間だし、ペットになんてなれないし。
(じゃあ冗談?)
にしては質が悪い。それに、課長がそんな冗談を言うなんて全く想像が付かない。しかも土下座までして言う冗談なんてあるのだろうか?
(う~ん、どうしよう……)
相変わらず課長は土下座のままの体勢を崩さないし、いつまでもこんな事をやっている時間もない。とりあえず、顔を上げてもらおう。このまま課長に土下座をされているのは、なんとも居心地が悪い。
「あの、課長?とりあえず頭、上げて下さい」
私の言葉に、課長がゆっくりと顔を上げる。
その真剣な眼差しに、『あ、冗談でも聞き間違いでもないな』と私は悟った。
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