第1章

〇〇症候群、発症

―課長の様子がおかしい―



みんなが口々に言う位、課長は本当におかしかった。


仕事でのミスなんてあり得ないぐらい優秀な人なのに、簡単な入力ミスをしたり、打ち合わせの時間を間違えたり、急に物思いに耽る様に空を見上げたり、ため息の数が増えたり。

しかし、原因を突き止めようとしてみても、『なんでもないんだ……』と言って口をつぐんでしまう。こちらがいくら気にしても、八方塞がりだった。


「彼女にでもフラれたのかな?」


コソコソと耳打ちして来たコイツは、短大から一緒で同期の『三嶋千歳みしまちとせ』。


「課長、今彼女いないって言ってたよ?」


自然と私の声のトーンも、小さくなる。


「そうなの?んじゃ違うのか。……てか、なんで紗月が知ってるの?」


なんか、変に期待の目を向けて来る。


「前に仕事が定時に終わらなかった時に、時間ばっかり気にしてたから『彼女と待ち合わせでもしてるんですか?』って聞いたら、『彼女なんていないよ』 って、言ってた」


「ふ~ん」


なーんだ、と言いながら、つまらなさそうにキーボードをカショカショと打っている。

何をそんなに期待していたのか知らないけど、生憎、課長とは何もない。


「それにしても、どうしたんだろうねぇ」


「うん……」


課長は、私が新人の時の教育係で、とてもお世話になった人。今でも冗談を言い合ったりする位、仲が良い。

そんな人がこんなに落ち込んでいる姿は痛々しくて、正直、見ていられない。


「課長になんの躊躇もなく話しかけるのアンタ位なんだからさ、聞いてみなよ」


「うーん……こないだ聞いてみてもやっぱり『なんでもない』って言われちゃったからさぁ。あんまりしつこいのもねぇ……」


誰にも言わないけど、私には話してくれるんじゃないか、みたいなおごりがあって、その時はちょっとヘコんだ。


「アンタら仲良いのにね。実は付き合ってんじゃないか?って噂が立ってる」


「はっ!?」


突然、聞いた事もない話になり、私は手と顔を思いっきり振った。


「いやいや!私、彼氏いるから!」


「わーかってるって。だからそれはアタシが否定しといたよ」


「そ、そっか。ありがと」


私はホッと胸を撫で下ろす。そんな変な噂が彼氏の耳に入ったら、たまったもんじゃないからね。それでなくても、今ギクシャクしてるってのに……。


彼氏…高橋和矢たかはしかずやとは、付き合って4年になる。この会社に入社して、知り合った。私ももう26歳だし、そろそろ結婚、と思ってるんだけど……。

こないだ和矢の前でそんな話をしたら、あからさまに話をそらされた。それはもう、不自然な位に。


(和矢は、私と結婚したくないのかな……)


はぁ……と、ため息が漏れた。


「アタシは、課長の方が良いと思うけどね」


「え?」


千歳が突然そんな事を言い出す。


「なにそれ」


「だって今はアレだけど、本来なら仕事も出来るし、部下からの信頼も厚いし、まあイケメンだし、収入だって良いし、優しいし。申し分なくない?」


千歳が指折り数えて課長の良い所を上げて行く。


「いや、それは確かに良いんだろうけど……」


「でっしょー?課長に彼女がいないんなら、狙えば?あんたならイケるんじゃん?」


何を言っているんだ、コイツは。


「……あの、千歳さん?」


私は小さく手を挙げる。


「はい、紗月さん」


ピッ!と指を指されたので、話の矛盾を指摘した。


「さっきの私の話、聞いてました?」


「なんだっけ?」


「私、彼氏がいるって言いませんでしたっけ?」


「言ってたね」


「その話を聞いて課長を狙えばっておかしくない?堂々と浮気を勧めるって、どう言う事よ」


「浮気なんかススメてないわよ。アイツと別れれば良いだけの話でしょ」


「なんでそうなるの……」


理論的には筋が通っているけど、メチャクチャな事を言っている千歳に、私は頭を抱えた。


「えー?だって、あんなのと付き合ってるより課長の方が全然良いから」


「仮にも友達の彼氏捕まえてあんなのって……」


千歳は、度々こう言う事を言い出す。こう言う…って言うのは、和矢の悪口?みたいな事。どうやら千歳は、和矢の事をあまり良く思ってはいないみたい。


(なんでだろう……)


和矢と何かあった、なんて話は聞かないし、何がそんなに気に食わないのか。


「ん゙ん゙っ!」


斜め向かいから咳払いが聞こえて、私達はハッとした。お局様が、『お前らいつまで喋ってんだ?』と言う目で睨んでいる。

これ以上は怒られそうなので、私達は目配せをして仕事に戻る。


キーボードを打ちながら、ぼんやり考えていた。


(でも本当に、課長はどうしちゃったんだろう……)


チラッと課長を見ると、仕事の手は止まり、またため息を吐いている。


(やっぱり、もう一度聞いてみようかな……)


お昼休みにランチにでも誘って、今度こそ聞き出そうと思った。

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