第1章
〇〇症候群、発症
―課長の様子がおかしい―
みんなが口々に言う位、課長は本当におかしかった。
仕事でのミスなんてあり得ないぐらい優秀な人なのに、簡単な入力ミスをしたり、打ち合わせの時間を間違えたり、急に物思いに耽る様に空を見上げたり、ため息の数が増えたり。
しかし、原因を突き止めようとしてみても、『なんでもないんだ……』と言って口をつぐんでしまう。こちらがいくら気にしても、八方塞がりだった。
「彼女にでもフラれたのかな?」
コソコソと耳打ちして来たコイツは、短大から一緒で同期の『
「課長、今彼女いないって言ってたよ?」
自然と私の声のトーンも、小さくなる。
「そうなの?んじゃ違うのか。……てか、なんで紗月が知ってるの?」
なんか、変に期待の目を向けて来る。
「前に仕事が定時に終わらなかった時に、時間ばっかり気にしてたから『彼女と待ち合わせでもしてるんですか?』って聞いたら、『彼女なんていないよ』 って、言ってた」
「ふ~ん」
なーんだ、と言いながら、つまらなさそうにキーボードをカショカショと打っている。
何をそんなに期待していたのか知らないけど、生憎、課長とは何もない。
「それにしても、どうしたんだろうねぇ」
「うん……」
課長は、私が新人の時の教育係で、とてもお世話になった人。今でも冗談を言い合ったりする位、仲が良い。
そんな人がこんなに落ち込んでいる姿は痛々しくて、正直、見ていられない。
「課長になんの躊躇もなく話しかけるのアンタ位なんだからさ、聞いてみなよ」
「うーん……こないだ聞いてみてもやっぱり『なんでもない』って言われちゃったからさぁ。あんまりしつこいのもねぇ……」
誰にも言わないけど、私には話してくれるんじゃないか、みたいな
「アンタら仲良いのにね。実は付き合ってんじゃないか?って噂が立ってる」
「はっ!?」
突然、聞いた事もない話になり、私は手と顔を思いっきり振った。
「いやいや!私、彼氏いるから!」
「わーかってるって。だからそれはアタシが否定しといたよ」
「そ、そっか。ありがと」
私はホッと胸を撫で下ろす。そんな変な噂が彼氏の耳に入ったら、たまったもんじゃないからね。それでなくても、今ギクシャクしてるってのに……。
彼氏…
こないだ和矢の前でそんな話をしたら、あからさまに話をそらされた。それはもう、不自然な位に。
(和矢は、私と結婚したくないのかな……)
はぁ……と、ため息が漏れた。
「アタシは、課長の方が良いと思うけどね」
「え?」
千歳が突然そんな事を言い出す。
「なにそれ」
「だって今はアレだけど、本来なら仕事も出来るし、部下からの信頼も厚いし、まあイケメンだし、収入だって良いし、優しいし。申し分なくない?」
千歳が指折り数えて課長の良い所を上げて行く。
「いや、それは確かに良いんだろうけど……」
「でっしょー?課長に彼女がいないんなら、狙えば?あんたならイケるんじゃん?」
何を言っているんだ、コイツは。
「……あの、千歳さん?」
私は小さく手を挙げる。
「はい、紗月さん」
ピッ!と指を指されたので、話の矛盾を指摘した。
「さっきの私の話、聞いてました?」
「なんだっけ?」
「私、彼氏がいるって言いませんでしたっけ?」
「言ってたね」
「その話を聞いて課長を狙えばっておかしくない?堂々と浮気を勧めるって、どう言う事よ」
「浮気なんかススメてないわよ。アイツと別れれば良いだけの話でしょ」
「なんでそうなるの……」
理論的には筋が通っているけど、メチャクチャな事を言っている千歳に、私は頭を抱えた。
「えー?だって、あんなのと付き合ってるより課長の方が全然良いから」
「仮にも友達の彼氏捕まえてあんなのって……」
千歳は、度々こう言う事を言い出す。こう言う…って言うのは、和矢の悪口?みたいな事。どうやら千歳は、和矢の事をあまり良く思ってはいないみたい。
(なんでだろう……)
和矢と何かあった、なんて話は聞かないし、何がそんなに気に食わないのか。
「ん゙ん゙っ!」
斜め向かいから咳払いが聞こえて、私達はハッとした。お局様が、『お前らいつまで喋ってんだ?』と言う目で睨んでいる。
これ以上は怒られそうなので、私達は目配せをして仕事に戻る。
キーボードを打ちながら、ぼんやり考えていた。
(でも本当に、課長はどうしちゃったんだろう……)
チラッと課長を見ると、仕事の手は止まり、またため息を吐いている。
(やっぱり、もう一度聞いてみようかな……)
お昼休みにランチにでも誘って、今度こそ聞き出そうと思った。
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