第16話

 その時エドガーはこう思うのである。


 (何でこんな大事な事を忘れていたんだろう……)


 と……。

 そしてエドガーが短い時間を必死に考えて出した結論は。


 「いらっしゃいませー、お一人様ですかー!」


 非常にレベルの低いモノであった。

 声を低くし、顔と目に力を入れ「別人ですよ」と言いたげな表情を浮かべ、出迎えるエドガーだが、それは当然無意味な事。


 「兄上、何やってるでありますか?」

 「アニウエ? 誰のことですか? 私はそんな名前ではありませんよ?」

 「いや兄上、アニウエ何て名前の人物がいると思うでありますか? と言うか、絶対兄上でありますよね?」

 「ははは、ですからアニウエって誰の事ですか?」

 「だから兄上が兄上でありますよね……。 変顔していても分かるであります」

 「ははは、ですからアニウエと言う名前ではありませんし、この顔は生まれつきですから……」


 入り口で向かい合って立つ呆れ顔のアレクと変顔のエドガーは、噛み合わない歯車の様な会話を繰り広げ始める。


 ただ、二人の様子を初めから真顔で見ていたアルタイルとショーモトからすれば。


 「やっぱアイツ、変じゃね?」

 「店長、気づくの遅くね?」


 変顔しているエドガーがおかしく見える。

 とは言え、店長なのにそれをただ見ている訳にもいけないショーモトは、エドガーの背後から近寄りこう告げた。


 「何エドガー、近々変顔コンテストにも出んの?」

 「げっ店長!?」


 ショーモトの声に驚き、エドガーの変顔が解けた、そして。


 「うん、兄上でありますよ、その顔は……」

 「あっ、しまった……」


 アレクに言い逃れの出来ない状況を生み出してしまうのであった。


 (わーお、エドガーずっごい汗をかいてるじゃん。 相変わらず隠し事がヘタだな〜。 つーかこの子に話してない秘密でもあんのか……んんっ!? 貴族の子じゃね? でも何か、礼儀は正しそうだな……)


 さて、エドガーの動揺は見ただけで理解出来るモノだ。

 顔を青ざめさせ、冷や汗をタラタラ垂らし、目線はプルプル小さく震えている……。

 その為、そう思ったショーモトは、アレクに尋ねながらとある提案をする。


 「ん? エドガーと顔見知りかい?」

 「はぁ、そうでありますが……」

 「ならエドガー、今日はもう上がっていいぞ? せっかくだし行ってこいよ、店長の俺が許す!」

 「あはは、そこまで気を遣ってもらわなくて大丈夫でありますよ〜」

 (あー良い子じゃん!)


 会話を交わし、好感を感じたショーモトの言葉にそう遠慮しながらも、アレクは嬉しく感じていた。

 だからアレクの口はニンマリして嬉しそうである。


「それに、店長さんでありましたか。 改めまして、自分はリンドブ……」


 さて、そんな流れてアレクが自己紹介を始めようとするのだが。


 「もがっ!?」

 「あ、あはははは……。 か、彼は近所に住んでいた弟みたいな存在でして……」


 エドガーの右手によってアレクの口を塞がれ、後ろへと回り込まれた。

 だが当然、そんなエドガーの様子にショーモトは呆れ気味にこう告げるのである。


 「お前、何でその子の口を塞いでるん?」

 「…………」


 エドガーは返す言葉が浮かばず、冷や汗が増え。

 

 「ぷはっ!? 兄上、いきなり何をするでありますか!?」


 更にそんなエドガーを追い詰める様に、アレクは両手を使い、エドガーの右手をずらすとそう訴えかけた。


 「おいエドガー、お前のことを兄上って言ってるみたいやけど?」

 「いや、その……。 実はニドルネームがアニウエでして……」

 「アニウエってニドルネームなんてないんだよなぁ」

 「えーっと、その……」


 咄嗟についた自分の嘘によって追い詰められたエドガーの脳裏に、次の嘘は出て来ない。

 エドガーはどうするべきか考えるが、時間の経過は動揺を増やし、冷静な判断力を奪い、彼の目を更に小刻みに泳がせる。


 そんな心理状態であったからであろう。

 エドガーの出した結論が力技であったのは。


 「店長、先上がります!」

 「あっエドガー、どこ行くんよ!?」

 「ではお先に!」


 その時の口の動く速さや、行動の速さは大変素早いモノであった。

 エドガーは早口でそう言うと、アレクを引っ張り、素早く店から去っていく。


 「あ、兄上!? 体がグワングワン浮いて具合悪いであります!?」


 引っ張る勢いでアレクの体をフワフワ浮かせながら……。

 だが、そんな様子を気にしたショーモトはアルタイルに目線を移し、顎を突き出した。


 「頼むわ」

 「オッケー店長」


 アルタイルはそう言葉を返すと、エドガーを追う様に店を出ていく。

 そんな姿を見送ったショーモトは、二人の姿を見ながらこの様な冗談を想像するのであった。


 (名探偵の俺には分かるんだから! エドガーとあの子は、いわゆる禁断の関係なんでしょ? 知ってるんだから! あー、マジちょっと煽りたいわ〜……。 アイツらの分、働くか!)


 それは本気では無いが、僅かにそんな展開を期待する妄想であり、まるでショーモトの性格を表す様な、おちゃらけと優しさを含めた思いであった。

 だから今、ショーモトは彼らに代わりウェイターの役割についたのだろう。


 (……まぁアイツが元貴族だろうが王族だろうが気にしないけどね。 仲間であるなら、どんな過去を持ってようが関係ないから)


 …………。


 (どうすれば良いんだ!? どうすれば良いんだ!?)


 動揺を隠せないエドガーは、アレクを引っ張りながら街を駆けていた。

 そして駆けながら考えるエドガーに直ぐにアイディアは舞い降りた。


 (そうだ、リアナさんに相談しよう!)

 「あ、兄上ぇぇぇぇ!? 下ろして、下ろして欲しいであります!?」


 その瞬間、エドガーの足はリアナの家に真っ直線に進み出した。


 エドガーの心の中はリアナの家に向かう事で一杯、そしてアレクの目はグルグル回っている。

 そんな状況で移動していた二人はリアナの家の前に着き、立ち止まるが。


 (まずい……冷静に考えてみたら、隣にはミーナさんがいるんだった……)


 それを思い出した時、エドガーは更に冷静さを失う事になってしまう。


 (もういい! こうなれば運に任せるしかない!?)


 ここでエドガーは賭けに出た。

 それは嘘をついてアレクを待たせ、その間にリアナと話し合い、どうするべきか話し合う事。

 だが、それは失敗する事が決まっているわけなのだが……。


 「アレク、今から大切な話があるんだ。 少し待っていてくれ……」

 「で、ですが兄上……」

 「大丈夫、すぐに終わるから……」


 不安そうな顔でしゃがむアレクの両肩に手を置いてそう告げた後、エドガーは回れ右して扉の方へ向かう、しかし。


 「と、扉が無い!?」


 リアナの家には扉がなかった、誰かがいる気配もない。


 「兄上、留守みたいでありますよ?」

 「…………」


 背後から聞こえた呆れ気味な声に、冷や汗が止まらない、震えが止まらない、ドキドキと胸が鳴り止まない。

 

 (どうすれば、どうすれば……)


 エドガーは必死に考えるが、アイディアが浮かばない。

 更に焦りが頂点に達しつつあるエドガーに、追い討ちをかける様に。


 「あれ、エドガー君。 そこで何してるんですか? ん、君は……」


 二階の窓から顔を出したミーナにその姿をしっかり目撃されてしまう。


 「お、終わった……」

 「あ、兄上!?」

 「エドガー君!?」


 そして、その姿を見られた時、絶望感に包まれたエドガーの体から力が抜け、遂にはバタリと倒れ込んでしまった。

 まるで魂が抜けてしまった様な表情を浮かべて……。

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