第6話 意外

結局、井口君に連絡をしないまま翌日を迎え、教室に入ると井口君は当たり前のように私の席に座っている。


鞄を自分の席にかけると、井口君はため息をつきながら席を立ち、離れた場所に向かっていた。



てっきり何か言ってくると思ったのに、何も言われないことに拍子抜けしてしまう。



『あれ? 話しかけてこない? ま、いっか』



初めて井口君たちに絡まれなかった一日を過ごし、清々しい気持ちのまま、下校していた。


自宅に向かって自転車を漕いでいると、自宅近くの自販機で、千絵のお姉ちゃんで軟式テニス部の先輩だった美里さんが飲み物を買っている。


「こ~んちわっ!」


自転車を止めて声をかけると、美里さんは笑顔で切り出してきた。


「あれ? 今帰り?」


「うん。 今日は5時間だったからちょい早め」


「部活は?」


「まだ決めかねてる」


「ソフトテニスないの?」


「わかんな~い」


自販機の前で美里さんと話していると、背後から自転車のベル音が聞こえ、振り返ると中尾君と鈴本君、井口君の3人が…


「あれ? 何してんの?」


中尾君が聞いてくると、美里さんは気を利かせたように切り出してきた。


「んじゃまったね~」


「ちょ! 待った!」


「ん? 何?」


『何?』と聞かれても、特に話すことなんてなく…


けど、この場で美里さんを帰してしまえば、私も家に帰るしかなくなる。


「あ~っと… なんか言う事があったんだけど… なんだっけなぁ~」


必死に引き留める言葉を探していると、美里さんが呆れたように切り出してきた。


「思い出したらラインして。 じゃね」


『そ、そんなぁ~…』


完全に置いてけぼりを食らってしまい、美里さんの背中を眺めることしかできなかった。


「今の誰?」


鈴本君の言葉を気にしないまま、自転車のスタンドを上げ、自転車を押して歩き始めると、3人は当たり前のように私の後をついてくる。


『なんか追いかけてきてない? マジで何なの? ナンパ師でストーカーって、この人たち危なすぎるんじゃないの? ってか、このままだと家を特定されない? 嫌すぎるんだけど…』


思わずため息をつくと、大きなおなかを揺らし、近所の塀の上をのんきに歩く、サバトラ白猫のマルの姿が…


「マル!」


思わず声を上げると、マルは足を止め、返事をするように「にゃ~」と鳴く。


「マル? このデブ猫、もしかして飼ってんの?」


『し、しまったぁ!!!』


井口君の不思議そうな声が背後から聞こえると同時に、マルは塀から飛び降り、足に絡みついてくる。


「へぇ~。 やっぱり猫飼ってるんだ。 かなりデブだけど、めっちゃ懐いてるじゃん。 マル~、お前デブだなぁ… 痩せろよ~」


井口君の『デブ』を強調した言葉に苛立ち、マルに声をかけながら自転車の籠を軽くたたいた。


「マル、帰ろ」


マルは当たり前のように籠に入っていた鞄の上に飛び乗り、ゆっくりと自転車を押しながら歩き始めると、3人の会話が耳に入ってくる。


「動けるデブだ…」


「あれ、本当に猫かな? 実はタヌキなんじゃね?」


「タヌキはあんなに鼻がつぶれてねぇだろ?」


「いい加減…」


マルを批判する声に苛立ち、思わず振り返りながら声を上げると、バランスを崩し、自転車を倒しそうになったんだけど、井口君が慌てたように自転車の籠を抑えてくれた。


「あっぶね… マルがデブってて重いんだから気をつけろよ。 マルが怪我したら大変だろ?」


井口君の言葉に驚き、籠を見ると、マルは井口君の手に自分の手をそっと乗せ、枕にしようとしている。


「こいつ人見知りしないんだな。 猫なのに珍しい…」


「…もう年だから」


「何年位飼ってんの?」


「10年…」


「へぇ。 じいさんかぁ」


井口君は猫の扱いに慣れているのか、笑顔でマルに声をかけながら喉を撫で、マルは気持ちよさそうに目を瞑っている。


「じゃあな、マル。 また今度な」


井口君はそう言いながら、マルの頭を軽く叩き、自転車に跨る。


「じゃな」


井口君は私に向かってそう言うと、3人でその場を後にしていた。


意外な一面を見たように感じ、自転車を押しながら自宅に戻る。



「マル、もう脱走しちゃ駄目だからね」


マルにそう言ったんだけど、マルは全く聞いていない様子で水を飲む。


マルと一緒に自室に行き、頭に浮かんだのは笑顔でマルに話しかける井口君の優しい笑顔だった。



『井口君… 猫、好きなのかな… 当たり前のように話しかけてたし、飼ってたりするのかな?』



不思議に思いながら着替え終え、机の引き出しに入れておいた、雑に折りたたまれた紙を手に取ることなく、ボーっと眺めていた。

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